宙を漂い





 光の洪水が世界を押し潰す、眩しい日だった。
 目を覚ますと、全身から重さが消えた浮遊感に包まれている。
 あらゆる束縛から解放された『宙』に浮く感覚。
 なのに、体は自由を許さない。
 やがて世界は月の狂気に犯され闇黒の色に塗り替えられていく。
 微細な神経のさらに細分化された五感の糸を断ち切られる錯覚。
 思考だけが、その場に残された。

 想像だけが、そこにある全てだった。

 それは、世界から色が消えた喪失の日。
 請い誘われ、幻想に至った始まりの日。
 香霖堂店内に佇む衣玖の体を覆う、美しき緋の衣が揺れる。
 所有者の意図か自律式かはうかがい知れぬ動きを見せるそれを目で追いかける朱鷺子とこいしを視界の隅に収めながら、僕は窓を打つ雨粒を見やる。
 夏の出演を断られた雨雲は鬱憤を晴らすかのように水を落とし、自らの存在を幻想郷に知らしめている。そんな無駄なことをせずとも、雨の存在は誰もが知り忘れ去られることはないというのに。随分と目立ちたがりな役者である。
 雨戸を閉めて本を読みふけっていた僕は、突然ページに浮かび上がった水滴でこいしの来店に気づいた。
 それをきっかけに、雨に降られた朱鷺子と衣玖の二人が、たまたま雨宿りのために訪れた香霖堂で鉢合わせたのがわずか一刻前。
 客なら大歓迎だが、雨宿りのために長時間居座られるのは困る。読書の邪魔にもなるので追い出そうとしたのだが、衣玖が率先して商品を購入してくれたので僕は文句を飲み込んで三人にタオルを渡した。
 購入よりも雑談のほうが多い客ではあるが、彼女らも立派な(金を払ってくれる)常連だ。このくらいのサービスは当然である。
 一通り体を拭い、雨が止むまで暇つぶしの一環として衣玖が衣を使った手品を始めたのをきっかけに、ちょっとした劇の舞台になってしまった店内は雨音に匹敵する騒音を生み出した。いや、専ら朱鷺子とこいしのはしゃぐ声のせいなのだが。
 ポーズを決めて指を天に掲げたときが外に鳴り響く雷鳴も手伝って一番煩かったが、最高潮は去ったようで店内はようやく静けさを取り戻しつつあった。それにしても、衣玖は妙にテンションが高いようだが……雨のせいか?
 衣玖の手品や踊りに目を奪われていたせいで相手のことを知らなかったのか、ようやく自己紹介を互いに始めた朱鷺子とこいしを尻目に、僕は一息つく衣玖に聞いてみた。

「今日はどうしたんだ? いつもと違って、若干高揚しているようだが」
「ええ、そのことなのですが……妙に気分が騒ぐ、とでもいいますか。調子が良いんです。それこそ、有り余るエネルギーを発散するくらいに」

 その結果があの妙ちきりんな踊りと今もなお動き続ける羽衣か。落ち着いた雰囲気の女性というイメージが崩れかけるが、酒に酔ったようなものだろうと自分を納得させる。この店内で子供二人に加え衣玖にまで騒がれたら、心労が増える。
 
「ここに来る前に、お酒でも飲んだのかい?」
「呑まれるほどの飲食は常に控えていますよ。こうなったのは店に来てから、ですね」
「だが、前に来た時はそうでもなかったと覚えているが」
「そうなのよね。でも、害があるわけではありませんし、どうでもいいことです」

 肩をすくめる衣玖だったが、僕は奇妙な違和感に注目していた。
 衣玖は竜宮の使い。龍神を見守り、その言葉を伝える代行者……いや、この場合代弁者か。
 龍は、海の中で復活し雷雨の中、空へ昇り、そして天を翔る。竜宮が海の中にあるように、衣玖は水のある環境では体が無意識に活性化しているのかもしれない。
 そして香霖堂に来てからそれが顕著になったということは……つまり、この店に天が下る兆候。
 雨とは、天とも読み取れる。
 以前、梅霖の妖精の悪戯によって店にだけ雨を降らされたことがあった。そのとき、霊夢にもわからない謎の助力によって雨は力を増し雷が発生した。
 その助力とは、大事に保管してある非売品である霧雨の剣――別名、草薙の剣に他ならないだろう。
 あのときは深く考えていなかったが、何かしらの影響をもたらしたのは間違いないだろう。
 草薙の剣は八又大蛇の尾から取り出された水神の化身。竜宮の使いが本能的にその加護を受けたと考えて間違いはないはずだ。
 さすがは天下を取る程度の能力を秘めた剣。使わず、そこに在るだけで力を発揮するさまは考えるだけで興奮する。
 
「ふーん、魅力的な空の飛び方かぁ」

 こいしが腕を組んでうーんと考え込む。朱鷺子、見ての通りこいしは別に鳥類ではないのだが……進展がなく切羽詰っていて、答えがあれば誰でも良いのかもしれない。

「なんとなくフラフラしてるのは楽しいけど、空を飛ぶことに対してそんな難しく考えたことないわ」
「そりゃそうさ。君達は普通の人間と違って空を飛ぶことが出来るんだ。人間が地に足をつけて移動することを深く疑問に思わないように、それが当然であるから強い関心を持たない」

 霊夢の周りに人妖が集まることを、当の本人が全く気にしていないことと同じだ。
 そこにあるのが当然と思っているからこそ、興味を覚えることはあまりないのだ。

「当たり前だからこそ気づけない、かぁ」

 ぼそっとつぶやく朱鷺子。
 相当参っているのか、物憂げな表情に力はなく心なし目の光も消えているように見える。

「というより、空を飛んでたら普通誰しも見上げたりするものじゃないでしょうか? いえ、空を飛ばずとも視界に何か入れば、そこに注目するのが当然かと」
「それって人とすれ違ったときになんとなく見ちゃう、程度のものでしょ? 私が欲しいのは、注目なの!」
「正確には、注目の先を行くものだがね。記憶に残る飛び方を模索するのもいいが、過程ばかりおろそかにしないように」

 物を買うためにお金を集めていたのに、お金を集めるほうに夢中になってしまうという人間も多い。商人ならそれは一際顕著である。最も、僕のように身の程を弁えている人物はそのような迂闊なことはしないが。

「朱鷺子。今の君のように、明確な答えの出ない悩みは時間が解決の特効薬だよ。無理に頑張ろうと自分を鼓舞しても、いずれ頑張ることが辛くなる」
「でも…………」
「焦りが生じるのは明白。でも、こればかりは風邪と似たようなものだ、免疫をつけるなり何なりして治まるのを待つしかない」

 欝に陥ったときの解決策なんて十人十色だ。すぐに解決する者もいれば、それを一生引きずっていく者もいる。こればかりは自分で解決する他ない。
 が、決して一人で解決することだけが治療法ではない。先ほどこいしに質問していたように、知り合いなり他人なり、別の誰かの見識或いは行動から自分の中で答えを見つけるのだ。

「前々から思ってたんだけど、注目を集めるって言うならあの紅白巫女を真似れば良いんじゃない?」
「えぇー…………うぅーん…………」

 こいしの提案に唸る朱鷺子。
 この態度は仕方ないと言うべきだろう。

「以前彼女は霊夢に不意打ちされて、本を奪われているんだ。苦手な相手に教えを請うのは厳しいし、何より霊夢相手にそんなこと言っても無駄だろう」

 異変時よりはマシといえ、基本的に霊夢は妖怪を倒すものとして認識している。
 彼女に攻められても、ちゃんとあしらえる力がなければお札や針を投げられておしまいだ。
 霊夢は周りに人妖問わず人が集まり、美しさを競う弾幕ごっこにおいて数々の妖怪を相手に勝利を収めている。その後、異変を起こした連中と宴会を楽しむといった、幻想郷の流儀でその後の親交を深めているのは彼女の人柄も一役買っているだろう。
 楽園に欠かせぬ存在の模倣……確かに、霊夢の力を真似るのはある種注目を集められるかもしれない。

「香霖堂はあの紅白と付き合い長いんだよね? なら、私の目的に相応しい巫女の力ってなんだと思う?」

 僕が話したところで実際に力が手に入るわけではないのだが。
 相応しい、というより『霊夢が見ている世界』を真似るのはかなり難しい……というより不可能な気がするけど、話すだけなら構わないだろう。

「博麗の巫女の力、ですか。少し興味を惹き付ける話題ですね」
「そうね、紐解くことであの巫女を弾幕ごっこで負かせるかも」

 衣玖とこいしも興味があるようで、僕の次の言葉を今か今かと待っている。流石は霊夢、この場にいないのに注目を集めるとは。
 
「僕も全てを知っているわけじゃないから、そう大したことは言えないよ。そうだな……まず、霊夢が認識している世界と僕たちが見ている世界は異なる」
「え、ちょ、どういうこと? あの巫女も私達も、幻想郷にいるじゃない」
「ああ。肉眼で捉える形では確かに霊夢も僕達も幻想郷にいる。そうだな……霊夢には僕達には見えない何かが見えている、と言うべきか。こいし、多分君が一番早く理解出来ると思うよ。何せ、君と彼女はまとう気質が似ているからね」

 空気のように掴みどころのない霊夢と、風の流れるままに漂うこいし。おそらく、感受性の部分でこいしは霊夢と似通っているはずだ。

「見えない何か……空気……ひょっとして、風の流れと遊びのこと?」
「遊び? 流れ?」
「うん、そう。たまに風が荒れて木々が風の吹く方向とは異なる揺れをすることがあるでしょ? 多分、それのこと。重さの異なる風が絡み合って起こる事象のこと」
「ああ、そういえば総領娘様が風の荒れる日に、『うるさい風ね』と言いながら小枝を投げたら、流れに逆らって自分の頭に返ってきたことがありましたね」
「風の流れを全く把握してないってわけね」

 風を常に感じて漂うこいしだからこその答えの早さだ。
 そして衣玖の言う総領娘様とは行動からして、お偉い様の子供なのだろうか?

「多分こいしの言ってるほうが正解に近いだろうね。霊夢はそれを、もっと高次でまとまったレベルで見ているんだと思う」
「そうなの? 過大評価しすぎてるんじゃない?」
「いや、妥当だと思っているけどね。彼女のスペルカードの一つに、夢想天生というものがある。あらゆる事象から宙に浮くことで全ての干渉を無効化するというものだが、究極的に高まった観察力から生み出される未来予知じみた回避、と考えれば実現不可能と言えなくもないだろう?」

 まあ無理だとは思うが、ネガティブな相手をさらに落ち込ませるほど性格は悪くない。希望を与えているだけマシだ。
 実際霊夢には並外れた勘の良さと幸運を持っている。あながち間違いとも言い切れないと思う。テレポートもあるし。

「なら朱鷺子さん、こいしさんと同じことをしてみるのはどうでしょう? 少なくとも、現時点では彼女のほうが理解度は上のようですし」
「んー、そうね、試してみる価値はあるかもしれないわね」

 衣玖がそう口を挟むと、得心がいったのは朱鷺子はまんざらでもないように答える。
 すると、こいしが目を輝かせ、朱鷺子の手を掴んだ。

「ほんと!? じゃあ早速行こう!」
「え、ちょ、外はまだ雨が」
「いいからいいから!」
「だから! やめて止めて助けてぇぇぇぇ…………」

 ドップラー効果を残し、ばんっ! と勢いよくドアを開けて外へ飛び出していく二人。僕と衣玖は胸の前で十字を切り、朱鷺子の安否を祈った。

「そういえば、鳥類は羽が濡れると飛べなかったような気がしますが。どうやって飛ぶのでしょうか?」
「多分手を繋ぐなり何なりして、こいしが支えるんじゃないかな。どの道、朱鷺子にとっては羽に目がいって風を感じるなんて二の次になると思う」
「私もそう思います」

 だったら言わなければ良かったのでは? と思うが口にはすまい。
 
「こいしも一緒に遊ぶ知り合いが出来て嬉しいんだろう。朱鷺子には尊い犠牲になってもらわないと」
「案外意地悪ですね」
「君程じゃあないさ」

 空気を読む程度の能力を持つ衣玖に頼めば、風の流れを見るなんて簡単に出来るだろう。なのに彼女はそれをしなかった。こいしをたきつけ、自分から興味を逸らしたのだ。 
 さとりからもこいしをよろしく頼むと言われているし、僕が労力を割かないならそれに越したことはないから問題ないが。

「いえいえ、私は彼女のことを考えて言ったまでですよ。能力でなく技術として風を感じる力を身に付ければ、知覚感度も増しますので」
「モノは言いようという言葉を、身にしみて実感したよ」

 互いに苦笑すると、僕は立ち上がり店の奥へと向かった。

「どちらへ?」
「風呂を沸かしにね。びしょ濡れになって返って来るのは目に見えているし、商品を水浸しにされたら叶わない」
「では、ありがたくいただきますね」

 どうやら衣玖も入る気のようだ。別に構わないが、せめて事前に僕への了承を取って欲しいと思うのはわがままなのだろうか。

「言わずともわかると思われますが?」
「さとりでもないのに、心を読まないでくれ」
「そんな能力を持たずとも、顔を見れば一目瞭然ですよ」

 空気を読む能力……場の空気を把握するため、相手の感情を読み取る機能も果たすということか。
 やれやれだ。

「別料金払いますから、それで勘弁してください」
「む……そこまで言われては、文句はないな」

 別にお金を取るつもりはなかったが、向こうからくれるというならありがたくもらっておこう。 

「しかし、解せないな。君なら風を操って水滴を弾く壁を作るくらい、造作もないと思ったが」
「以前にも話したでしょう? たまに水を実感したいこともあるんですよ」

 衣玖の台詞に、台風の時にはしゃぐ魔理沙を思い出す。衣玖は魔理沙のような活発さはないが、竜宮の使いという種族としての本能が騒ぐのだろう。
 これが霊夢なら、渋面を作って「わざわざ雨を浴びるなんてワケ判んないわ」と切り捨てるところだ。

「ああ、入るなら服は籠の中に置いてくれ。乾かしておく」
「案外サービス充実してますね、ここ」
「ちゃんとしたお客さんだからこそのサービスだよ。男に触らせたくないというなら、道具の使い方を説明するから自分でやるといい」

 外の世界の道具であるドライヤー、その用途は服を乾かすこと。そいつを溶かして作った炉の風を当てれば数分とせず服は乾く。妖力や魔力さえあれば誰でも起動できるので、貸し出しても構わない。当然、下着あたりは自分でやってもらうが。
 正直に告白すれば風呂の時間だけでもいいので、衣玖の体を覆う緋の衣を存分に調べたいところではあるが、盗人のようでいささか気分が悪い。風呂上りの後にでも交渉するとしよう。

「…………うーん、悩みどころですがここは貴方を信用しましょう」
「それはどうも」

 実際、その程度であれ信用を得ているなら有難いことだ。
 さて、二人が戻ってきたときに備えて入り口に何か敷いておくか。









 服が重い羽が重い体が重い気分が重い気持ちが重い。
 なんでこんなことに……と泣き崩れながら、私は手を一向に離そうとしないこいしと一緒に空を漂っていた。
 頬を打つ水滴が重い。徐々に雨脚が強まっているようだ。
 
「さ、とりあえず今は何も考えず浮かびましょ」
「いきなり過ぎるわよ! 風見幽香を前にして『倒せ』って言われてるみたいなもんじゃない!」

 実際手を出すなんてとんでもないし、ひまわり畑を荒らしたらどんな目に合わされるか……
 こいしの言う風の遊びやら何やら、つまりは『流れ』を理解するために外に飛び出したのに、何の説明もなしに浮かんでいるんじゃ今までと大して変わりない。

「何か、心構えみたいなものはない?」
「うーん、私は特に気負って飛んでないし……無の境地ってやつ? とにかく、全身で風を感じれば良いんじゃない?」
「無心ね……ちょっとやってみるわ。こいしはいつもみたいに、ふわふわ飛んでて」
「りょーかいー」

 途端、こいしが消える。
 ううん、目の前にいるのに存在感がなくなったかのよう。
 そこにいるのにいない。
 何を言っているかわからないかもしれないけど、そう評する他ない。
 あらゆる面において希薄。夏の残影を模した蜃気楼。それが今のこいしだった。
 翼が濡れて空を飛べない私が宙を漂っている以上、こいしはそこにいて私の手を掴んでいる。でも、私は彼女の存在を上手く掴めない。

「うーん……気が乗らない、なんて理由で諦めるのは早いわね。こいしも協力してくれてるし、しっかりしなきゃ」

 気合を入れなおし、私は意識を澄ませて、気をしっかり持ってみる。
 想像の中に風をイメージする。
 風の分岐点を作る。中心にあるのは、点だ。
 点は線に。
 線を面に。
 面が体に。
 強制的にこいしの偶像を私の視界に納める。
 間違っているかもしれないけど、ただでさえこいしが見えないのだから強引にでもこいしがそこにいると自分を錯覚させる。 
 香霖堂と話したり、観察していて思いついたことだけど……想像というのは案外馬鹿にならない。
 彼は想像の飛躍をよくするけど、裏返せば未知を既知に置き換えて答えを探そうとしているいち求道者の姿だと私は思う。
 想像とは空想、妄想、予想、仮想、幻想、の順でランクが付けられていると香霖堂は語った。
 人の心の畏れから妖怪が生まれるように、想念とは決して馬鹿に出来ない精神のエネルギーの一つ。それゆえ、決して馬鹿にしてはならない要素だと強く言っていた。

「こいし、風の流れって今把握してる?」
「んー、そうね。今は重い風と軽い風が私たちの周りを囲ってる。朱鷺子は見える?」

 こいしはそう言うけど、私にはよくわからない。
 ただでさえ雨で感度が下がっているのに……難しいわね。
 けど、今は見えなくてもいい。想像で補い、徐々に補強していけばいずれ真実となる。
 自重をなるべく意識から外す。風の流れだけで体を運ばれるよう、腕や足の感覚を研ぎ澄ませる。
 右手がふわりと上がるのに対し、左足は重量を増したように下がっていく……なるほど、重さと軽さ……ね。
 と、意識できたのはここまで。
 突然の突風で風の流れが変わったのか、私の体はきりもみして宙を舞う……ってこいし手ー!? 離してるー!!

「あはははははは! 朱鷺子すごい、風に遊ばれてる!」
「助けてー! 目が、目がぁー!」

 ぐるぐる回る世界の中、私は思った。
 この子に気を許しすぎちゃいけない、と。
 もうこうなれば女の意地よ、絶対にコツを掴んでやるわ!








 雨が止み、日の光が差し込むころに二人は帰ってきた。
 朱鷺子は目を渦巻きにしてぐったりしており、反面こいしは遊びに満足したのか満面の笑み。朱鷺子、こいしの嗜虐心の対象となったか。南無。
 二人が帰ってくるまでの間に僕たちが何をしていたかと言えば、衣玖との交渉に時間を使っていた。緋の衣を調べさせてくれ、そこまではちょっと、と延々とループを続けていた。残念だが、首を縦に振らせることが出来なかったためここでタイムアップである。

「おかえりなさいまし」

 衣玖がそう言うと、朱鷺子ががばっと顔を上げて彼女ににじり寄った。

「あの、なんでしょうか?」
「永江さん、貴方確か風を操れるんでしたよね?」
「正確には空気を読むですが……それが何か?」
「あの感覚忘れたくないの! 付き合って!」
「?」

 ぐるぐる巻きの瞳のまま、朱鷺子は衣玖の手を取って外へ出ると、勢いのまま空へ――飛べなかった。翼が濡れているのだから当然だ。
 べしゃっ、と泥が弾け朱鷺子の顔と全身を濡らす。彼女は微動だにしなかった。
 それを呆然と眺めていると、朱鷺子はゆらりと幽鬼のように立ち上がり僕を見上げた。

「香霖堂……お風呂貸して」
「そう言うと思って、張っておいたよ」
「ありがと…………」

 とぼとぼと店の奥へ入っていく朱鷺子。僕は風呂の場所を伝え、服は籠の中に入れるよう伝えた。

「テンション使い切ったのでしょうか」
「どうだろう。風呂から上がったらまた頼まれるかもしれないが……どうするんだい?」
「どうしましょう」
「何もないなら、手伝ってあげたら? 下手に断ったら、付きまとわれるかもよ?」

 私にもお風呂貸してね、と言って奥へ向かうこいし。服を乾かすかどうかの問答を交わし、仕事を頼まれた僕は朱鷺子の具合を聞いてみた。

「うん、最初に飛び出した時よりマシだと思うわ。あれはむしろ、予想した風を察知して動いてる感じだけど、突き進めば風が『視』えるようになるかも」
「へぇ。さすが努力の妖怪、コツを掴めば育つのは早い」
「手伝った私のおかげでもあるけどね」

 胸を張るこいし。僕は適当に彼女を褒めてさっさと風呂に入るよう言う。
 籠に入れられた二人の服を乾かすため、僕は店の棚から炉を取り出した。
 泥のついた部分は水洗いし、染みがついてしまったのは同じく洗剤と呼ばれる外の世界の道具を使って消すことにする。

「まるで主夫ですね」
「霊夢の服も似たようなことはしているからね。特に苦ではない」
「良い婿になれますよ」
「褒められてる気がしないな」
「いえ、褒めてますよ? 客といえ、他人にそこまでしているのですから」
「…………努力する子が嫌いじゃないだけさ」

 脳裏に悪ガキに育ってしまった金髪の陽気な少女の姿を描き、すぐに散らす。
 朱鷺子にはちょっとした理由で遠慮する部分があるので、恩を売っておくことにこしたことはないのだ。決して免罪符のためではない。

「で、君はどうするんだい? さっきこいしが言った通りなら、風呂から上がった朱鷺子はすぐに君に教えを請う勢いだが」
「面倒ですが、追い回されるのも面倒なのでコツだけ教えて去りますわ」
「コツねえ。僕には伺い知れぬものだな」
「マニュアルのようなものです。応用はあの子の努力次第ということで」

 なるほど。衣玖にとっても朱鷺子にとっても、それが一番タメになりそうだ。
 二人の服は乾いたので、籠に置いておく。
 数分と立たずに、急に背中が重くなった。思わず腰を屈めた僕に声が投げられる。

「それじゃ、今度は霖ちゃんもする?」
「……遠慮しておくよ。朱鷺子と存分にしてくれ」
「ちぇー」

 軽く体が浮いたが、僕が否定の言葉を紡ぐと重さの消失と同時に地面へ降り立った。
 こいしによる不意打ちじみた行動も少し慣れてしまった自分にため息をついていると、朱鷺子が奥から顔を出した。

「服が綺麗になってるし、乾いてる……香霖堂、ありがとね!」
「どういたしまして。お礼は本でいいよ」
「うん!」

 皮肉の言葉が返ってくると思いきや、素直に頷かれてしまった。やや居心地を悪くしていると、朱鷺子が衣玖に気づき弾けるように彼女の下へ殺到した。

「永江さん! 私に――」
「言わなくてもいいですよ。一度しか教えませんから、ちゃんと聞いてくださいね」
「え………………あ、はい! じゃ、早速行きましょう!」
「私も付き合うわ」
「ありがと、こいし!」

 そんな風に、まるで嵐のように三人は去っていった。
 来るのが唐突なら、去るのも唐突だった。
 まるで台風のようだったな、と独りごち僕は入口の扉を開けて外へ出た。
 ぬかるんだ地面を踏みしめる僕の視界には、雨雲から漏れる光が差し込む。それを見ていると、僕はやがて感嘆の声を発した。

「竜宮の使いがいるからか、それとも色を強く認識する朱鷺子が呼び寄せたのか……世界も上手く出来てるじゃないか」

 視線の先に見えるのは、龍の通り道である七色の光……虹。
 その中に三つの影が見える。三に虹の七が加わることで、世界は十の相互作用の力で回っていく。
 虹が消えても、幻想郷の空にはやがて宙を飛ぶ人間や妖怪が闊歩し埋まっていくだろう。
 そうやって、世界は日々を刻んでいくのだ。
 その中で、朱鷺子がどれだけの輝きを見せるのか――僕はらしくもなく、虹を眺めながらそんなことを考えていた。









<了>

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プロフィール

鳩

Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
リンクはフリーです。
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東方・森近霖之助<いらっしゃい。折角だから、訪問記録をつけさせてもらうよ。


上記絵文字提供:うるち

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