ラブぜろ? 四話

「これおいしい」

 恋が嬉しそうに見えない顔で嬉しそうに声を上げる。喜ぶのならもっと嬉々とした表情で言って欲しいものだ。

 妖精――レフィンは恋の分まで補うように、咲き誇る花の如き笑みを浮かべている。そうそう、どうせなら笑顔をもらいたい。
自分の食事でこんなに喜んでもらえるなら作った甲斐があると言うものだ。
だが。

「ありがと、って言うけど俺としてはさっさとその支部って場所へ連れてってもらいたいんですがそこんとこどうでしょうか」

 それとこれとは話が別だった。

二人とは対照的に、瞬は不満げな声をあげる。

 愛和町に戻ってきた足でそのまま支部に向かうと思いきや、三人が訪れた場所は警察のいない自宅アパートだった。

 どういうことだ、と聞くと恋は澄ました顔でご飯、とのたまった。他にも、におうから風呂に入ってと追撃されショックを受けたことは隠しておく。

頭痛が酷くなりながらも非常識からの解放でテンションがおかしくなっていた瞬は文句を垂れながら同意し、今に至る。風呂は食事を作る前に浴びておいた。

レフィンが割り込んできたときは驚いたが、硬派かつストイックを自称する鉄壁の理性が崩れることはなかった。というか、生身といえ人形サイズ相手にそんな気分を抱いたら人間終わりだと思う。逆に言えば、人間サイズなら危なかった、というのは胸の内に留めておく。外見だけならタイプです、マジで。

 少し多めに、という要望で五人分は作られた食事はいつの間にか全て空になっていた。まさか恋が四人分近い量を食べたのだろうか?

 視線を少し下げる。すっきりした腰周りに膨らみは見られない。食してから十分も経っていないのにもう消化したのかもしれない。んなバカなと思うも、大食いの人間というのは得てしてこうなのかな、と一人頷く。

「…………」

 瞬の視線に何を思ったか恋はレフィンをつまむと、おもむろに服をめくり腹部に彼女をしまい込んだ。ぽっこり膨らんだ腹をさすりながら、

「まだ五ヶ月だから生まれないわよ」
「話に脈絡がなさすぎる」

 阿呆なことをつぶやく恋に呆れ、瞬は深く嘆息する。無意味にボケてはぐらかす必要性が一体どこにあるのだろう。

 さらに二、三無駄な話をしてようやく話をする気になったのか、恋は服の中からレフィンを取り出し赤ん坊を支えるように抱っこしながら、

「元気な女の子ですよ」
「一度潰れたネタを続けんな」
「~♪」
「ノるな!」

 瞬に向かって飛んでくるレフィンを受け止め渋面を作る。いちいち反応しなければ恋も続けることはないのだが、悲しいことに瞬はそれを知らなかった。

「だってじっとお腹を見てるから」
「それはすまないと思うけど、そんなことする必要はないと思うんだが」
「会話のない家庭を円満にするためのコミニケーションは必要でしょ?」
「いつまでその設定使ってんだよ」
「死が二人を分かつまで」
「死ななくても分かつぞ」

 これ以上続けても話が進みそうにないと踏んだ瞬は、押しの一手を選ぶ。息を吸い込み、少し声音を強くして言葉を吐き出した。

「レフィン保護する場所に案内してくれって言ってるだろーが!」
「言われなくてもそうするつもりよ。何をそんなに怒ってるんだか」
「言われなきゃわからんのか…………」

 正直、今でもレフィンが逮捕されるということに含むことがあるが、だからと言って瞬が逃亡を助ける理由もない。

(犯罪者ならむしろ、厄介払いが出来るんだ。これでいいんだ)

 口を濁す瞬を一瞥していた恋は、話を切るように腰を上げた。

「冗談冗談。片付けたらさっさと行きましょ」
「俺から振らなきゃ行く気なかったろ。…………あー、洗うのは俺がやるから座って待っててくれ」

 洗い場に向かおうとした恋を止め、瞬はスポンジに洗剤を染み込ませ食器を泡立てる。五分としないうちに食器を洗い終わると、恋からジャケットを投げ渡された。 

 汗だくのジャケットは洗濯籠に放り投げておいたはずだが、手に持ったそれは完全に乾いていた。いつの間に、とは聞かなかった。蛇男だの妖精だの人を襲う花だの立て続け起きた非現実の中、服がいつの間にか乾いていた程度では驚かなくなっていたのだ。

 非現実とは言うものの、破れた袖がこの瞬間を現実だと突きつけてくる。ここまで来てなお夢であって欲しいと願う自分に諦めの悪さを覚え苦笑する。
 着替えを済ませて家を施錠し、アパートの一階駐輪場へ足を運ぶ。サドルに腰掛け、隣の恋へ話しかける。

「んで、支部ってのはドコに……何してんの」
「二ケツだけど?」
「や、まあいいけどさ、普通後ろ乗っていい? とか色々聞かない?」
「片乃瀬君は動かすだけでいいから。後は私が指示する」
「無視かよ」

 レフィンを定位置になってしまった内ポケットへ入れ、瞬はペダルを踏んで自転車を発進させる。ちなみに手に入れた花は袋に詰め、瞬の手に握られている。
 しばらく脈絡のない会話をしていたが、急に恋が黙り込んだため瞬もそれに習って口を閉ざす。
 周りに騒音がないせいか、自転車のタイヤが地面を転がる音がやけに耳についた。だが肩に置かれた手が恋の存在を嫌でも瞬に認識させる。
知り合いと並んだり乗せたりして自転車を走らせることはあったが、何気に女の子を乗せるのは初めてだ。最初こそ重さがあったが、一度走り出してしまえばそれは気にならなくなった。

プライベートな時間に人と接するのは久しぶりだな、と物思いにふける。

 一つの場所に長く留まらない瞬には珍しく、この愛和町には現在半年ほど滞在している。今のところ長期滞在ベスト五に入る。ちなみに最長は一年半。

 その最長時以来の出来事は戸惑いもあるが、悪くはない。瞬とて年頃の男子だ。後ろに女の子を乗せて嫌な気分にはならない。

(いかんいかん、ポケットの中と後ろの奴らが現実を壊してるんだ……)

 かぶりを振って冷静になる。現実逃避していた脳がレフィンのことを思い返し、瞬の口を塞ぐ。

そこでタイミング良く、恋が終着点らしき場所を示した。

「そこよ。あのビルの中」

 指された場所は、お世辞にも綺麗とは言えない薄汚れた雑居ビルだった。ホントにここなのか、と不安げな声を上げる。

「離界管理局って言っても、することは事務処理みたいなものよ。手続きのために面倒な書類を書いたり整理したりとか。公務員目指してるなら事務の仕事してみる? バイトとして雇っても良いわよ。そうすれば私たちも外回りに集中できるし」
「いや、遠慮しとく」

 一応瞬の身に起きている非現実の話は、一国どころか世界級の重要度を持つはずだ。いかに一般に隠しているといえ、もう少し何か格式というか雄大さがあったほうが良いのではなかろうか。

 自転車を止め、統一性のない用途に占有された建物へ入っていく。
 これまた薄汚れたタイルに敷き詰められた一階の部屋を見ても、本当に何の変哲もない一企業の窓口という印象しかなかった。入った瞬間にどこかへ飛ばされるんじゃないかと懸念していた瞬は、拍子抜けと安堵の混じった複雑な面持ちで二階へ登る恋の後へ続く。

 瞬が階段を登りきる前に、恋の足が止まる。恋はドアノブを握ろうとした寸前で動きを止めていた。

「どうかし…………」

 瞬は言い切ることができなかった。
 ドアのかすかな隙間から光が漏れ、一瞬後に雑居ビルを占めていた空間が炎と音、衝撃に包まれ爆砕したからだ。

 なぜ瞬に爆発のことが理解できたのかと言えば、無事だからと説明するしかなかった。視界一面に移る炎に目を取られていたが、意識の外からかけられる圧力に炎以外のものを認識する。

 月が回って見える。月だけじゃない。建物も、町の家屋も地面も何もかも、世界全てが急旋回している。

 理由は至極単純。瞬がきりもみしながら宙を舞っているせいだ。緩慢な視界の中、体は夕闇を裂くように自由落下を始める。

 ぐるぐる回る頭を強引に押さえられ、回転が止まる。瞬は恋に抱えられていた。
着地点には何故か無事な自転車が一台。その上から花を抱えたレフィンが落ちてくる。恋が瞬をサドルに押しのけて後ろに跨り、飛ばしてと一喝。目が回りながらも、瞬は言われるがままにペダルを踏み炎上する建物から遠ざかった。レフィンはいつの間にかポケットに戻り、袋も手に通されていた。

 踏み出した直後はあやうく倒れそうだったが、不可解なことに頭はすぐに元に戻った。

不思議な加護はさらに続く。

体が羽毛のように軽い。それにペダルや後ろに乗る恋の重さが全くない。それに伴って走る速さが格段に上がる。自動車並じゃないかと錯覚してしまうほどだ。

「重力と重さを変えたわ。あとはあなたの体力次第」

そんなことできるのか、とは聞かなかった。今更な気がしたのと、先に聞くべきことがあるからだ。

「待て、一体何が起こってんだ!? 説明しろ!」
「後ろ」
「え?」

 反射的に振り向く。――すぐに後悔した。
 しゅるしゅるしゅるとアスファルトを何かが這う嫌な音。鱗に覆われた円筒形で細長い体をくねらせ、口から二つに分かれた舌を覗かせた生物、蛇が瞬達の背後から迫ってきていた。

「レフィンのことは後回し、まず向こうの離界犯罪者をなんとかしないと」
 蛇は一匹でなく地面を覆い尽くすほどの数を占めていた。さらにその後ろでは、それを指揮しながら走る男が一人。夢であってほしく、一生会いたくなかった蛇男、アニマジカの離界人が豹の如きしなやかな動きを見せて追尾してくる。

ホラーにしては出来の良い演出だ、と笑いたくなった。居もしない演出家や監督には、もっと恐怖を取っ払った三流ホラーに仕立ててくれと怒鳴りたかった。何せ、三流役者の自分が出演者の中に含まれている。だったら役者に合わせて設定して欲しい。脚本や演出のレベルが高すぎても、役者が拙ければそれは駄作になってしまう。無論その逆も然り、だ。

 冗談を呼気と共に吐き出し、強く足をペダルに叩きつけ夕闇を駆け抜ける。完全な闇へ移行する一歩手前で、世界は自転車に乗った二人を影絵として描く。平時であれば、天然の絵描きに関心を抱き情緒の一つや二つ漂わせたかもしれない。

 人間必死になればなんでも出来る、を体現するように入り組んだ市街地の曲がり角に到達するたび、瞬はレーサー顔負けのドリフトでスピードを維持しながら疾走
する。人がいないのは不幸中の幸いだった。居たら多分轢く。

「公務員じゃなくて、レーサーになったほうがいいんじゃない?」
「レースクイーンでもしてろよ、ゴールの瞬間突っ込んでやる!」

 この状況下で軽口を叩く恋に、万感を込めて切り返す。対して恋は、それは困るわと普通と変わらない態度で首を振った。

 その落ち着き払った態度が感染し、瞬の狼狽が幾分薄れる。一人慌てる自分が恥ずかしくなったのかもしれない。

 気分の晴れた脳裏に、このまま走っていればいずれ撒けるのでは、そんな安易な考えが浮かぶ。だが愛和町の地形は優しくなかった。T字路を左に曲がった先に待ち受けていたのは、コンクリートに敷き詰められた行き止まりの壁であった。

 耳に恋の口が寄せられる。動揺など微塵も見せない声が聞こえた。

「飛ぶわ。一瞬だけで良いから前輪を浮かせて」
「……ああ、わかった。レフィンも掴まってろ」

複数のことを考えられなくなった思考に追加注文を命じられた瞬だが、それでも健気に恋の要望に答える。恋しか頼れないこの瞬間だけ、無意識に彼女の言うことなら全て聞いてしまう体になっていた。

 指示通り前輪を浮かせ、ウイリー状態で道を走る。視界の片隅に山の中でも見たカードが移る。間を置かずして閃光、次いでタイヤが地面から離れ自転車が空へ飛び上がる。
 急上昇したことでバランスを崩しそうになるが、瞬は器用に身を捻ってハンドルを正面に回す。夜気を切り裂いて飛翔する自転車は、風に包まれるように浮遊を始める。

浮力は一体どこから生まれているんだろう、と常識的なことを考えたが、そもそも常識外のことが起きているのだからもうなんでもいいや、と考えることを諦める。

 恋の握力が弱まり、ふうっと漏れた息が耳にかかる。こんな時でなければ気恥ずかしさで顔が赤くなっただろうが、生憎今はそんな青春衝動を持ち合わせていない。緊張や恐怖、興奮などが複雑に入り混じり妙な精神状態に入っている。ある意味では落ち着いて冷静になっているとも言える。

 現に、十数メートル以上離れた街並みを見下ろす余裕があった。薄暗くて見づらいが、路地では闇に溶け込んだ蛇軍団が瞬達を見上げている。流石に空までは追って来れないようだ。

一息つけたため、そこでようやくレフィンがずっと瞬に呼びかけを続けていることに気づく。勢いに任せて何かをまくし立てているが、相変わらず何を言っているかわからない。

 ジェスチャーしてくれ、と言いかけた寸前、恋に強引に体を沈められる。眼前に
自分の足が見えるくらいに沈められ、危うくサドルから落ちそうになる。

文句を出すはずだった口は強制的に閉じられる。突如全身が水に浸かったように濡れそぼち、それどころではなくなったからだ。動揺しながら元の体勢に戻ったときには、肩に置かれていた恋の手が消えていた。

振り向くと、恋が自転車から離れて空に浮かんでいた。いや、何かに絡め取られて話された、というべきか。

 それは霧だった。

水で作られた煙の形をしているはずなのに、瞬にはなぜか細面の少年の幻が見えた。霧男、ミストラルの離界人だと直感で判断する。

霧男が体を透けて通ったせいか、自転車はおろか体中が水気を帯びている。色んな意味で迷惑な相手だ。

毛先から雫が垂れた。水滴が頬にかかり、汗を含んで地上へ落ちていく。瞬はそれを追って地上へ身を投げ出していた。恋が離れたせいか、浮遊効果が切れたのかもしれない。

 冷静でいられたのも一瞬のこと、瞬は奈落へ落ちる事態を前にパニックに陥った。ばたばた手を振っても飛べるわけもなく、なすがままに重力に従い地面へ殺到する。

 レフィンが内ポケットから飛び出し、懸命に服の袖を掴んで落下を阻止しているが、一瞬の浮遊も叶わなかった。
現実は無情に瞬を死へ誘う。だが再び非現実が瞬を死の淵から救った。

 三度カードが舞い降りる。

見上げれば親指を立て勝ち誇るような恋が見える。そしてカードから光が立ち昇り幾重もの光線に分かれ、一つの絵画を描いていく。

虚空の画紙に記されたのは体長五メートルを超える巨大な鳥。線に囲まれた空間が風化していくように崩壊していき、絵画の鳥が徐々にその姿を晒していく。
やがて巨鳥は完全に世界へ現れる。

鳥の体躯は、羽毛の柔らかさを全く感じさせなかった。むしろ金属の硬質さ……金属そのもので構成されたと言い換えてもいい。そこに無骨さや気味の悪さは窺えず、一種の芸術、美しい彫像を鑑賞しているようだった。

鉱石の硬さと美しさを併せ持つ翼をはためかせ、巨鳥は出現と同時に瞬の下へ殺到した。

一秒と経たず瞬と自転車は体躯に合った足に掴まれる。何をされるか不安に思ったが、どうやら地上へ下ろす手伝いをしてくれているようだ。落下速度が緩慢になっていくのが良い証拠だ。

重さを微塵も感じさせない動きで、住宅地の一角へ降りる。巨鳥は瞬達を下ろすと同時に上昇を始める。瞬は首を旋回させて恋を見上げると、彼女は視線を瞬達へ向けていた。

目が合う。恋は明後日の方向へ指を示した。なんとなくだが、逃げろと言っている気がした。

 レフィンを胸のポケットの中に深く押し込み、瞬は弾かれるように自転車を発進させる。

 考える時間すら惜しい。逃げの一手しか手札のない瞬に出来ることは、この両足を動かし続けることだけだ。恋ならあの巨鳥が助けてくれる、と思う。

 次々に起こる事態を前にしても混乱が少ないのは、すでに感覚が麻痺しているせいだと思う。今の瞬は打てば響く太鼓、言われればその通りに行動する擬似ロボットと化していた。

 恋の加護? はまだ続いているようで、体は未だに羽根のように軽い。重量と重力を無視した人間では果たせない動きで街を駆け抜ける。

時間を気にせず住宅地を爆走していると、世界は完全な闇に染まっていた。経路など考えずただひたすらペダルをこぎ続けた瞬は、自分の通う愛和中学校に訪れていた。

休日の夜のせいか、校庭はおろか体育館にも生徒の姿は見当たらない。事務員や教員がひょっとしたら残っているかもしれないが、この際深く考えないようにする。
わずかな明かりを頼りに校門を通り抜けようとして、乱れた息が止まる。蛇男が視界に映る。五十メートル近く距離は開いていたが、自転車に乗った今の瞬なら五秒とかからず突貫してしまう。

「レフィン、ちょっと、ごめん!」

 ポケットからレフィンを取り出し、花入りの袋と一緒に離す。勢いがあったものの、翼を持つ彼女はすぐに荷物を取って制動し体勢を維持した。

 すまん、と心の中でつぶやき、瞬はスピードを緩めず蛇男へ突っ込んでいく。

 急ブレーキは困難。反転はさらに不可能。ならば、と瞬は迷わず特攻を選んだ。自動車に迫る速度を伴った一撃でひき逃げすれば大丈夫、と熱暴走した脳が体に感染信号を送る。

後先を考えない玉砕覚悟の突撃を、蛇男は容易く打ち砕いた。

 大量の蛇集団の牙が後輪に食い込んでいく。回転の力で摩擦が加わった、破ることすら困難なタイヤが容易く噛み破られ、瞬は自転車から放り出される。

 蛇男の手が襟に伸びる。石をも砕きそうな握力で急制動、気絶しないのが不思議なまでの圧迫で喉が詰まり、かすれたうめき声が漏れる。

「か、は…………」

 手が離され、瞬はその場に崩れ落ちる。喉が渇く。水分が足りない。呼吸するたび体を痛めつけているような感覚。嘔吐を必死で抑える瞬の抵抗をあざ笑うように、蛇男の足が背中にめり込んだ。

 自分がサッカーボールになったと錯覚するくらい、瞬は綺麗な放物線を描きながら学校の中へ吹っ飛ばされた。そのまま地面に直撃、バウンドして十メートル以上転がってからようやく動きが止まる。意識を保ち、息以外を吐き出さなかった自分を心底褒めてやりたい。不思議と、痛みは感じなかった。

 レフィンが目尻に涙を浮かべて殺到してくる。重りを減らして速さを上げるため放り捨てて来たのか、花を持っていない。何やってんだ逃げろ、と言ってやりたかったが喉がやられているせいか上手く言葉にならない。

 今日一日で二回は世話になった温かい燐光が瞬を包む。おかげで喉や体の痛みが薄れていくが、それと引き換えに足が鉛になっているような重さが襲ってくる。

 今まで羽根のように軽かった体の反動か。
恋の加護も切れたようだ。

彼女はどうしたのだろう。カードを使った超常の力を持っているから少なくとも自分よりは心配ないが。ここまで考えて他人のことを考える余裕は一切合財ないと頭が訴える。

この場にいるのは、人とは少しだけ違う人生を歩んできた普通の少年に過ぎない。離界人などという現実と乖離した存在と相対するには分不相応ないち中学生でしかないのだ。

靴がアスファルトを打つ音がやけに大きい。耳をつんざかんばかりの大音量となって響いく音は、死神が奏でる死へのカウントダウンなのか。
俯いているため相手の顔が見えない。けど蛇男だと確信がある。徘徊と舌なめずりの二重奏がそれを証明している。

「終わりだな」

 蛇男が発したのは死の宣告。それは暗示にも似た強制力を以て瞬の脳髄を刺激した。

 畜生め、と今更ながらこの状況に陥る我が身の不幸さを呪う。

 この場に居ないための選択肢はいくつもあったはずだ。レフィンが鴉に攫われかけた時だって無視すれば……いや、そもそも最初にレフィンを見た時点で放っておけばこんなことにはならなかったはずだ。

 ちっぽけな良心の呵責、罪悪感に怯える一生を我慢すれば命の危機に直面することもなかった。

 蛇男が眼前に座しているにも関わらず、必死に自分の傷を治すレフィンを見やる。あの蛇男も霧男も、レフィンを狙っている恋はと言った。
ならレフィンを引き渡せば自分は助かるんじゃ――

「…………」

 レフィンがびくりと震える。ややあって、おそるおそると瞬を見上げてくる。深遠を思わせる琥珀の双眸に射抜かれ、心の中が見透かされているような錯覚に陥る。

 見ていられなくて、目を逸らす。

 罪悪感が湧き上がる。万引きが見つかった、なんて生易しいレベルではない。

 見殺しにしようとした。

 今、目の前で自分を見上げてくる小さな命を代償に助かろうと考えたのだ。殺人にも等しい行為に、いたたまれなくなる。この場にいたくない。これ以上この場にいたら罪の意識で頭がどうにかなってしまいそうだった。

 目の端にレフィンが入る。その表情は悲しみに染まっていたが、すぐに幼い顔に似つかぬ険しい顔立ちへ変化する。

 二人は同時に口をきゅっと引き結んだ。瞬は何か言われるのかと覚悟してのことだったが、レフィンは決意のためのものだった。

 ゆっくりと宙を浮かび、瞬と蛇男の間にレフィンが割り込む。瞬はその小さな、本当に小さな背中を見やった。

 小さな手が水平に広げられる。まるで、瞬を守るように。

「……へえ、戦る気かい? 小さいお嬢ちゃん」

 蛇男が体を震わせ、外見に反した軽快さで舌を滑らせながらトカゲのような目を細める。その一睨みだけで瞬は怯えすくんだ。直視しているレフィンはこれ以上の恐怖を抱いているはずだ。現に、肩が、体全体も震えている。

「何のため、なんて聞くだけ野暮だろうな」

 蛇男の目がレフィンから瞬に切り替わる。まるで蛙だ。瞬は今、蛇に睨まれた蛙になっている。視線を遮るようにレフィンが再度間に入る。

「どうして…………」

 そうまでして庇う?

 地球へやって来た目的である花まで放りだしてまで、何故?

 見捨てようとしたのに。自分だけ助かろうとしたのに。

 レフィンは逆に、瞬を見捨てることだって出来る。瞬も蛇男も空を飛ぶ事はできない。翼を持ったレフィンなら、空へ逃れてしまえばこの場を切り抜けることが出来るのだ。

 それでも立ち塞がる。蛇男を、これ以上瞬に近づけさせないために。

「諦める? それとも、助けたい?」

 唐突に。

 本当に唐突に、恋の台詞が浮かんだ。

「諦める? それとも、助けたい?」

 数ある選択肢の中で、俺は何を選んだ?
面倒事は嫌だ?
 平穏が欲しい?
 そう願ったにも関わらずここまで来たのは流されただけか?
 そういった部分も否定できないが、この場にいないために至る選択肢の中で、決定的なものを恋から突きつけられた時、俺はそれにどう答えた?

「助けたい!」

 そうだよ。 
 俺は見捨てる選択肢を選ばなかった。
 それは流された結果じゃない。目の前で死に掛けたレフィンがいた。声を出せば助けられる。だから助けた、助けたかった。そこに理由はない。あえて言うなら、人間だから。
 知性があるから、と言い換えてもいい。

 目の前の蛇男同様、知性を持った生物は動植物と違い悪事を行う。けど、同じくらい善意も行う。

 動物は捕食以外では生物を殺さない。自分に関連するもの以外に干渉しない。
 人間は狩猟以外にも生物を殺す。自分に関連するもの以外にも手を出し干渉する。

 でも、人を助けることもする。

 人間だから。

「だから……」

 だから、一度選んだ結果を貫き通す。それが出来なきゃ、きっとこれから先何もできなくなってしまう。

「でも……生憎俺って弱いんだよね」

 瞬はつぶやきながら立ち上がる。

「へぇ…………」

 観察するようにじろりと見てくる蛇男に目線を返す。鉛の足に一喝を入れるため太股を殴打、腰に力を入れる。
「レフィン!」

 目を瞑りながら叫ぶ。くるりと振り向くレフィンに、瞬は手を上げて大きく広げた。

「何をして――」

 黒を塗りつぶす光が校庭を白く染め上げる。レフィンの雷撃、それも渾身の力を振り絞ったものだ。

 光を直視し、目を押さえてもがく蛇男を一瞥し、瞬はレフィンを抱えて一目散に校舎へ駆け出した。

職員室へ行けば電話がある。

離界人の存在は、一部の組織や警察の上層部にも知れ渡っていると恋は言った。それなら、警察を呼べばきっと駆けつけてくれる。後は時間との勝負だった。

 それにしても、まさか電車の中での講義がこんなところで役立つとは思わなかった。人生、本当に何が起こるかわからないものだ。

 とはいえ、状況は最悪の結果を免れただけで悪いことには変わらない。数十メートルの距離を取ったものの、背後では叫び声のようなものが伝わってくる。
 顔を引き締め、猛然と足を動かす。校内に侵入し、職員室まで走り抜ければ瞬達の勝ちだ。瞬は手ごろな石を拾い、窓に向かって思い切り投げつけた。

「非常事態とはいえ、まさかこんなことするなんてな」

初めて故意に窓ガラスを割った瞬は、まるで泥棒だな、と余裕のない思考に自嘲の笑みを浮かべる。

割った窓に手を入れ、鍵を開ける。窓に半身を乗り出したところで、上空から声が降りてきた。

「片乃瀬君! 屋上まで来て!」

 暗くて見えないが、恋だ。霧男を振り切り、駆けつけてくれたようだ。

 なぜこの場でなく屋上にいるか疑問が沸いたが、何度も助けてくれた恋を信じることにする。警察に電話するより確実に頼りになる。

 一刻も早く、と自分を急かし瞬は恋の元へ赴く。それが間違いであったと知らず。

もし、瞬に暗視があったのならば気づいただろう。

 恋の傍に、霧が漂っていたことを。

 声しか確認出来なかった瞬は、そのことを知らなかった。





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プロフィール

鳩

Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
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上記絵文字提供:うるち

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