第三の目を騙す嘘

 ページに触れた手が薄紙をめくり、開けた音が心地良いリズムを刻む。無言が広がる静寂の間。文庫をめくるかすかな揺らぎだけが空間を支配していた。
読書に集中していたせいか、少し喉が渇く気がする。水分を補給するべく備え付けのテーブルの上に鎮座するティーカップの取っ手に指をくぐらせる。
 思ったよりも軽いと思う傍ら、飲み物は先ほどなくなってしまったことを思い出す。仕方ないのでおかわりするかと思った瞬間、器の中に紅茶が注がれていた。
 僕はそれを気に留めず、程良く中身を満たしたティーカップを口に運ぶ。喉元を通る味は暖かなアールグレイ。少し香りがきつく味も濃いが、基本的にアールグレイはストレートで飲むのが良いと僕は思う。ミルクティーも悪くないが、一番は多分お茶だろうな。
 対して、今しがた僕に無言で紅茶を入れてくれたさとりが口にしているのはアイスレモンティー。爽やかな喉越しが良いと彼女は言うが、やはり女性はそういったものが好きなのだろうかと考えを巡らせる。
「全員が全員、そういうわけでもないでしょうけど。個人の趣向に推論をいくらぶつけたって無意味だと思うわ。ちなみに私はストレートだときついから無理、そして淹れてる手前お茶が一番なんて答えは思っても心にしないこと」
「そいつは悪かった。それに別に答えは求めてないさ。ただ――」
「考えるのが楽しいんでしょう? 霖之助は考えるだけで満足するからいいけど、実行に移してケチをつけるのはいただけないわね」
「経験がある口ぶりだな」
「ペットが人型になるにつれて、自然と紅茶といった嗜好品を振舞うことが増えるもの。みんながみんな、好みの味を共有できるはずないのに」
「その割には、以前差し入れしたコーラをペットが奪い合っているところを見たが?」
「…………あの子達…………」

 めまいを堪えるように頭を垂れて、片手で顔を覆うさとり。どうやら彼女には知らされていない事情だったらしい。名も知らぬペットにすまないと謝罪しつつ、読書に戻る。
 現在、僕は地霊殿のさとりの部屋に訪れていた。
 妖怪は地底に潜るのを禁止しているが、僕は人間分が混じっているからギリギリセーフであろう。
 さとりが香霖堂に来るのと僕が地霊殿に行く比率は、どちらかと言えば前者のほうが高い。そのため、たまにはこちらに来るべきだというさとりの主張を受け入れて今回は地霊殿にお邪魔しているのである。
 敷地の半分以上を道具で占める香霖堂の空間に慣れていたせいか、散らかりの少ないさとりの部屋は必要以上に広く感じる。
 壁に立てかけた絵画や執務を行う机の他、多人数を受け入れるであろう大きめのソファーが目立つ。だが、その上に掃除しきれていない動物の毛を見るに来客用というよりペットの遊び場の一つに見えなくもない。もしくは、仕事中にペットが乱入して来るのかもしれないな。
 正解、とかすかに声が聞こえたような気がしたが、気にするほどのことではないだろうと決めつけ改めて文字を視線で追う。
 今見ている本は、旧地獄の妖怪の一人が書いたものらしい。
 封印されている地下の妖怪達が一先ずの平穏を得てから考えたのは、暇つぶしの手段だったと聞く。
 大抵は体を動かすタイプのものだったそうだが、さとりのように比較的大人しい妖怪の多くは文系の創作を試みたと聞く。今読んでいるのも、そのうちの一つだ。
 内容は、ストーリー性のある物語のようなものでなく、どちらかと言えば日記に近い。言ってしまえば、日々の出来事とそれに対する感想だ。
 たかが日記と侮るなかれ、そもそも昔の日記というものは貴重品だ。歴史的な価値を考えるのならば、当時の生活の一部や風習などを知ることができる。歴史書として記される書物とはまた違った価値があるのだ。
 そもそも――

「だんだん思考がズレて来てるわよ。なんで単なる日常を描いた日記が歴史の原点に移り変わっているんだか、それはそういう感想を抱くものじゃないのだけど?」

 ため息混じりのさとりに介入され、まとまっていた思考が散っていく。何をする、という意味を込めて唇を引き結ぶが、さとりはそ知らぬ顔で僕の持ってきた本に目を落としている。

「聖徳太子にでもなる気か?」
「お望みなら。最も、本当に聖徳太子が居たかなんてわからないし、本当に何人もの話も聞けるかどうか怪しいものね」
「幻想郷ならあるいは、本人が天界辺りにいるかもしれないがね。しかし、読心に長けていると分割思考で行動することも容易ということか」
「長けずとも、できる人はできる気がするけどね。というより、感心するとこはそこじゃないと思うのだけど?」
「そうだな、単なる読心と違ってさとりは想起という形で現象を再現できるからな。そこが読みに長けた奴らを違うところだろう」
「いやだから……ううん、あー……お褒めの言葉として受け取っておきましょう」
「そうしてくれ。…………?」
「………………珍しいものに興味を持つのね。本を読んで楽しむのは人物の会話が基本でしょうに」
「道具屋の性というやつかな」

 会話を止めて視線を集めたのは、本の中に登場する奇妙な形の物品だった。
 道具であることは挿絵から判断できるのだが、それが何なのかは理解できない。ページを前後しても、それに対する記述はない。いくら僕の能力が道具の名称と用途を知るものだとしても、本の中のイラストには及ばないようだ。

「ふふ」

 ……くすりと笑うさとりの姿が目に入り、怪訝の顔を刻む。今のどこに笑う要素があったのだろうか。

「なんでもないわ。ただ、貴方にもわからない名前の道具があるのね、って思って」
「これは流石にノーカウントだ。さとりだって、本の登場人物の心を読むことなんて出来ないだろう?」
「あら、条件をクリアすれば可能よ」
「なんだって?」

 目を見開き、口に手を当てながら可笑しそうに微笑むさとりを凝視する。どこぞの胡散臭い笑みではなく、純粋に僕のことで笑いを誘われたようだ。
 しかし想起の力はそこまで強大なものなのか?
 以前、生み出した弾幕を道具に灯し無機物の心を想起して生んだあの篝火のことといい、僕が思っている以上に覚妖怪というのは強力な種族なのかもしれない。
 
「そんな霖之助に問題です。私はどうやって本の登場人物の心を読むことができるのでしょうか?」
「む」

 好奇心をくすぐられた僕は本をテーブルに置き、唸りながら想像力を駆使してその問題を考える。
 さとりの読心は相手の表層意識、つまり今考えていることを読む。無意識で動く妹の心が読めないように、意識のない相手にはその能力が通用しないはずだ。
 だというのに、本に記された人物の心を読むことができる?
 前提条件から崩壊しているというのに、一体どうやって……まさか、僕のように道具の記憶を探ることが可能なのだろうか? そして、その道具の心に催眠術を仕掛け、想起する……いや、いささか強引すぎる気がするが、それが一番確実ではなかろうか。
 道具に意識などないと人は言うかもしれない。しかし、この世には付喪神というものも存在する。そこまで意識を確立させているわけではなかろうが、全ての自然なものに妖精が宿るように、道具にも自我の芽生えていない意志が存在していて、さとりはそれを読むことで読心を可能とするのだろう。

「残念、はずれ。道具の心を読むというのなら、貴方の能力のほうが適しているもの」
「当然だなって、違う」

 からかわれている。僕がもがき苦しむさまを見て楽しむとは、とんだ妖怪である。
 トラウマ想起を得意とするのは伊達じゃないな。

「誹謗中傷はとんだ妖怪のカテゴリーに含まれないのかしら?」
「生憎と半分だが人間の分が混じっていてね。君の言う『とんだ妖怪』というカテゴリーには残念ながら含まれない」
「じゃあ誹謗が適応されるわね。今なら十王の判断も黒で判決される予知が出来そう」
「それは文字を半分にしただけだ」
「意味としては通じるから大丈夫」
「君とは一度ハーフという単語の真意を話しあったほうが良いな」
「あら、今日は泊まっていくの?」
「残念ながら明日は店を開けなければならないから無理だ。でも僕らの間には通信機というものがある。帰った後でも話し合いは可能だ」
「寝かせてもらえないなんて、ひどい人」
「僕の琴線に触れたさとりが悪い」

 むすっとしながらアールグレイを半分飲み干す。これで頭を冷「淹れた紅茶はどちらかと言えば熱いほうに分類されるけど?」無粋なツッコミを入れるのは感心しないな。

「それで、頭が冷えた霖之助はこの問題がわかる?」

 ふふん、と得意気な顔で僕を挑発してくるさとり。その笑みは決して僕では解答に辿りつけないであろうというあざけりが見て取れる。ここまでされると、その顔をどうにかして驚きと無念さに変えてやりたかった。
 そう意気込み、今度は違う予測を立てて挑んだものの――

「……帰る時間を考えると、これ以上留まると妖怪の時間を超えそうね。今日はこの辺にしておきなさい」

 無理だった。澄ましたさとりの表情をどうにか変えてやりたかったが、無力な僕にはそれを成す力はなかった。……そう、今は。

「仕方ないな、仕方ないが、そういうことなら仕方ない」
「…………少し前の自分の発言思い出しなさいよ」

 さて、どの発言やら。

「とにかく、ごちそうさま。今度さとりが来た時は良い茶葉や茶請けを用意しておこう」
「期待しとくわ」

 最後に器に残った飲みかけのアールグレイを全て飲み干し、席を立つ。さとりはすでに自分の分を飲み終えていたのか、トレイにティーカップを下げていた。
 カチャカチャと器を重ねる様を見やり、その佇まいがつい似合うと思ってしまう。仮にもさとりは地霊殿の主ではあるのだが、ペットを養っているせいか給仕の仕草が妙に似合う。

「あら、それは私が従者気質って言いたいの?」
「思ってもいない推測は立てるものじゃないな」

 別にけなすわけでも気質を評しているでもなく、単に似合うと思っただけなのに何故責められる必要があるのやら。

「ごめんなさい、あまりそういうこと思われたことないからついね」
「どちらかと言えば褒め言葉だよ。素直に受け取って欲しいもんだ」
「そうね。ありがとう」

 どういたしまして、と返しつつ部屋の扉を開ける。トレイを持ったさとりがそこをくぐるのを確認して扉を閉じると、僕はさとりと反対側の方角へ歩き出す。

「せっかちね。そんなに急いで帰ることないのに」
「質問の答えが僕を待っているんだ」
「別にそこまでムキにならなくても、聞けば答え言うのに……そんなに悔しかった?」
「別に」
「ああ、悔しかったのね。そこまで本気で考えてくれるのは嬉しいけど、なんだかなー」
「悔しくないな。単にさとりのドヤ顔を崩してやりたかっただけだ」
「ドヤ顔って……そんな顔してなかったわよ」
「いや、していたね。ついでに答えに辿り着こうともがく僕を楽しんでいた。間違いない」
「そこに戻るの? なら言わせてもらうけど――」
「それじゃ明日は店を開けるのも早いし、失礼するよ。じゃあ」
「あ、ちょ、こら霖之助…………もうっ!」

 足早に去る僕の背後でさとりの荒らげた声が届く。言うほど本気で怒っていないだろうが、多少意趣返しは出来たので胸がすっきりだ。
 しかし、実際問題の答えはどんなものだろう。
 本の登場人物の心を読心する方法……本当にそんなことができるなら、面白いこともできそうだ。ま、今は帰りながらのんびり考えよう。
 しばらくは思考に困ることはなさそうだ、と呑気なことを思いながら僕は地霊殿を後にした。









「ちなみに問題の答えは『私が創作した本』という条件であること、よ。お疲れ様、おやすみ」

 わざわざ寝る直前にそんな通信を届けるさとりは心底意地悪だと思った。








「さとり、ちょっと僕を読心……いや、想起してくれないか?」
「………………いきなり何を言うかと思えば」

 先日とは逆に香霖堂へ訪問した私はいつものように用意されたお茶や饅頭で招待されながら、話す前にまずは一服しようとしていたところだった。そこに投げかけられたのが、霖之助のこの物言いである。
 口にしようとしていたお茶は唇を湿らせるだけに留め、私は静かに湯のみを近くの机に置く。机と言っても積み重なった道具の一番上に四角い箱を乗せているだけで、正確に表現するならばタワーと言ったほうが良いかもしれない。それも、うっかり肘でもぶつけてしまえばすぐ倒れそうなバランスの上に成り立っているものだ。
 しかし私も慣れたもので、最初こそ道具タワーを何度も倒壊させてしまったが今では崩れない程度に重心を把握して……って、そんなのどうでもいいわね。

「そんなの、上手く行くと思ってるの?」
「何事もチャレンジさ。何より、妖怪にとって『認識』を広めることが格上げの秘訣だよ」
「そりゃあそうかもしれないけど、だからと言って、ねえ」

 期待に顔を弾ませる霖之助を横目に、私は彼が手にした本に注視する。
 物自体は普通の本。しいて言うなら、外の世界の生産品であるということと、それが今の外界の地理の一部を記載した本だということだ。つまるところガイドブックの類である。それにしては本に記載された写真に統一性がなく、地域を評価するにはあまりに素直な物言い……ガイドブックというより、日記のそれだ。
 何故霖之助がそれを持って私に想起を頼んでいるのか。それは、話を聞けば一笑に伏すような飛躍した考えの元からの発想だった。

「貴方が道具、この場合本だけどその記憶を探ってその思考を私が読み取って想起するなんて、出来る気がしないのだけど」

 基本的に想起を行う場合、霖之助の記憶を覗くという行為が必要になる。いわば、霖之助を媒介にして使われる方法だ。
 しかし今回彼が提案したのは、いわゆる二段媒介に当たる。私は無機物や意識のない相手に想起を使うことは出来ないが、霖之助と霖之助の能力を仲介することでそれを可能にしようというのだ。
 しかもこの男、私がそう言うにも関わらず脳内は想起後のことを思いに馳せている。成功を確信しているのか、失敗するとは思っていないようだ。

「さっきも言っただろう? 何事も挑戦するのが大事なんだよ。失敗なんて実験にはつきものなんだから、気にする必要はない」
「いえ、そういうのでなくて」

 ああもう、上手く霖之助を説得できる言葉が見つからない。よって、軽く目眩を覚えた私が立ち眩みしたのは当然だった。

「こないだの件、まだ根に持ってるの?」
「まさか(ほんのちょっとだけだ。それに、おかげでこの方法を思いついたのだから感謝こそあれど根に持つなんてそんな。せいぜい、寝る前の数分程度のものだ)」
「恨みがましくしていたのは違いないのね。ともかく、私が言いたいのは」
「僕の能力が不安なのか? 確かに君のそれに比べれば下位互換どころか、比べることすらおこがましいと思えるものかもしれないだろう。なあに心配しないでくれ、どちらかと言えば力のバランスはさとりに傾いているから」
「それ、押し付けよね? 上手いこと言って誤魔化しきれてもないから。明らかに台詞と矛盾してなぁい?」
「まあその辺はどうとでも『ならないから』。なんだいさとり、そんな頑なに拒否するほど駄目なものなのか、この試みは」
「え? うーん…………その……………」

 軽い調子から一転して、少しだけ私を心配するような声音から漏れるうかがいが平静を乱す旋律となって耳朶を打つ。肉声より通信越しの会話のほうが多いので、このトーンの違いが妙に不意を打たれた気分になってしまう。
 こほん、と一つ息をつきながら冷静さを取り戻す。

「私の想起は基本的にトラウマを再現して、相手の精神を恐怖へ叩き落す術。決してそんな風にするものじゃないの」
「それじゃあ以前、僕に見せてくれたあれは何だと言うんださとり?」
「うー、あー、んー、あれはその場の勢いというもので、空気感が大事と言うような、そうでないような。ともかく、そんな簡単に使うようなものじゃないのよ!」
「残念だ。……ああ、残念だ(残念だ)」
「心交えて無駄に一句詠うんじゃありません」

 なんだかどっと疲れてきた。
 正直に言えば別に霖之助の頼みを聞くのが嫌なわけではない。
 ただ、今まで想起を使う状況は躾であったり相手を落とし入れたり、人間を襲う場合であって……その、こんな風に頼みごとをされて想起するなんて経験は初めてなのだ。
 さらに言えば、するのは霖之助の能力を介した間接的な想起であることも当然、経験にない。単に記憶を読むのでなく、能力を介して読んだ記憶を想起するなんて発想すらしなかった。やはり、霖之助の思考回路はどこかズレている。
 それに、だ。
 記憶をほじくり返しトラウマを再現し、妖怪達に恐れ慄かれたこの能力をこうもあっさり、なんとも思ってないように使ってくれと言われても、戸惑う。
 私にとっての想起とは攻撃であり自衛であり抑止であり、決して霖之助が思うようなものではない。何より、そういった手段以外で使う想起はあの篝火のように特別なものだと私は思うのだ。そういった想起の使い方を思いつかせてくれた張本人がそんなことを言うのは、あまりにブチ壊しに過ぎると思う。もう少し、その辺デリケートになって欲しいと切に願う。

(……違う。霖之助は単に想起の可能性を広げようとする、あくまで実験の思考でしかない。きっと、特別にしたがってるのは私)

 趣向を凝らした想起。ただ、それだけだったはずだ。
 それをここまで躊躇させたのは、あの時の雰囲気を保守したいからに他ならない。だから、そういった空気の時にお願いされるならまだしも、単なる実験で想起の力を使うのは抵抗が出てきてしまう。
 あれを見たからこそ、私は自分の気持ちに気づいたのに――

「どうしても駄目かい?」
「しつこい男は嫌われ……ああうん、本気で嫌ってるわけじゃないのよ? ほら、皮肉みたいなもので」
「はは、そう念を押さずとも理解しているよ」

 途中、嫌われてしまったと考える霖之助の思考を読んで慌ててしまい、すぐ訂正する。 流石に過敏に過ぎるわね、もう少し余裕を持たないと。
 ならいいけど、と表情を取り繕いながら平静さを取り戻す。

「でも、霖之助の能力は道具の名称と用途を知るだけよね? そんなの読んだって、せいぜい文字が具現化して現れる程度よ? 用途を再現なんて技術は持ってないし」
「そこは、僕がいつもより強く能力を使う。道具の記憶を深く探るんだ」
「深く記憶を探らないのが信条じゃなかったの? 己の驕りだって」
「確かに僕一人ならそんなこと考えなかっただろう。でも、君が協力してくれるならその問題はクリアされる」
「つまり、神の力を無断で借りるのも私と一緒なら怖くないって? 嬉しいこと言ってくれるわね」

 思わぬ賞賛に自然と頬をほころばせてしまう。その信頼は普通に嬉しいからだ。
 が、上辺だけに騙されてはいけない。この男がこんなことを言うからには、何らかの下心があるはずだ。まずはその真意を探るべきである。

「ただの実験とは思えないわね。何が狙い?」
「おっと、そこから先は友情だ」
「分かりにくい言い回しをして混乱させようとするんじゃありません」

 有料とは金銭を支払ってそれを手に入れる手段。ならば霖之助の言う友情とは、親愛を抱いているなら踏み込んでくれるなと言外に告げているのだ。
 理性と感情がせめぎ合う中、経験則とも言える私の勘が今の霖之助に対して教えているものがあった。そう、覚妖怪としての嗅覚がさわぐのだ。
 それが何なのかはまだわからない。霖之助の心の表面は真実を語っていないからだ。
霖之助に釘を刺された手前、深層意識への読心は迂闊にできない。なんだかんだで彼の心をいつも読んでいたせいか、ある程度の耐性をつけられてしまったため、そういう仕草をすればすぐバレてしまうだろう。
 いや、もっと簡単なことがあった。これなら自然に深層意識に潜り込んで真意を把握することができるだろう。なんで思いつかなかったのだろう。
 ――想起をする傍ら、深層意識に踏み込んで記憶を探れば良い。そうすればスムーズに理由を知ることが出来るはず。

「はあ。仕方ないわね、特別よ?」
「話を分かってくれて何よりだ」

 真意が読めないのは確かだが、それは私に対する害意でないことは確かだ。霖之助は争いごとが苦手だし、経験上そういった感情に過敏である私の勘も敵意は一切感じていない。
 でも、だからと言って霖之助の隠し事をスルーはしない。覚妖怪ゆえの、知りたがりなのかもしれない。
 霖之助は満足気に頷くと、箱の上に置かれたお茶などをどけて代わりに持っていた本を置く。そこに自分の手を乗せ、私に目配せをしてくる。想起の合図だ。

「さとり、頼む」

 頷き、そうして私は想起する――







 世界が塗りつぶされていく。
 香霖堂であったはずの店内には建物の影が微塵もない、自然の森林へと姿を変えている。
 視界に広がる森林は魔法の森の景色ではなかった。
 一面が苔に覆われた緑一色の風景。
 単色であるにも関わらず、他の自然と融合することでいくつもの色を取り入れ混ざり合った苔の色彩は濃厚な深緑を再現している。
 無造作に置かれた大小様々な石を覆い、鎮座する奇っ怪な形をした木々や枝に根付くそれらは、花を咲かせることのない苔の精一杯の表現だろう。何とも濃密で力強い生命を感じさせられるものだ。
 まるで絵画のようだ、と僕は思った。
 やはりさとりの想起は美しいと思う。弾幕というのは五月蝿くて眩しいものとばかり思っていたが、一度見方を変えてしまえばそこに美を見出すのは簡単だ。
 今まで弾幕を見ていたにも関わらず、ここまで情感溢れるものであるのは、さとりのおかげでもあるが――何より、その景色を木漏れ日が優しく照らしているせいかもしれない。
だから、自然と思い出してしまったのだ。

「あまり霊夢のことを深く考えないほうが良いな。未練たらたらに見える」
「覗き見を気にしない程度には仲良くなったが、それでもズケズケ入り込みすぎだ。ほどほどにしてくれ。まあ、今回は想起の過程で読み取ったのかもしれないけど」

 声に驚いて振り向けば、そこに居たのは――

「………………僕?」

 そう、そこに居たのは森近霖之助だった。
 銀髪に金色の双眸を覆うメガネ。左右に青と黒の二色が練りこまれた独特の上着に腰につけたポーチなど、まるで鏡写しのようなまでの瓜二つの姿がそこにある。

「僕? 口調を変えるにしても唐突だね」

 きょとんとするような、あるいは呆れたような声を出す僕。
 目の前のこれは誰だ? 僕であるのは姿を見ればわかるのだが、そうなると自分は誰だという話になってしまう。
 僕は呼吸を整えて努めて平静になりながら、尋ねる。

「君は誰だ?」
「誰って、香霖堂店主の森近霖之助じゃないか。それ以外の誰に見えるんだい?」

 そう言って、本当に不思議そうに首を傾げる僕。その振る舞いは嘘をついているようにも、演技をしているようにも見えない。本当に、心の底から自分のことを森近霖之助だと思い込んでいる。

「何を言ってるんだ。森近霖之助は、僕だ」
「人を驚かせるのは妖怪の性だが、目の前に僕がいるのにそんなこと言われてもなあ。どこかから電波でも受信したのかい?」
「いやだから…………」

 どうなっているのか、さっぱりわからない。
 今になって自分の姿を確認しようと思い服や手足を確認してみるが、驚くべきことにそこに僕の体は存在していなかった。
 フリルの多い水色のスモックに桜色のスカート。ヘアバンドと直結する開かれた第三の瞳。まるでさとりじゃないか。
 おかしい、さとりはさっきまで僕と話していたはずだから近くにいるはずだ。ひょっとして、目の前の僕がさとりなのだろうか?
 わざわざ僕に幻をかぶせて自分の姿に似せて、驚かせようという腹のつもりか。
 ほんの少しの違和感を覚えたものの、そうだろうと納得し、いずれ解除してくれるだろうと信じて僕はさとりの茶番に付き合うことにする。

「しかし、未練たらたらとは何のことだい? 霊夢のことなら、もう――」
「……今日の君は普段より意地悪だな。まあ、確かに決着はつけたんだろうけど、水底に沈殿するように、心の底ではかすかなしこりがまだ残ってる」
「すまない、意味がよくわからないんだが」
「言わせておいてその台詞かい? ま、単なる愚痴さ。いつもみたいに付き合ってくれ」

 わからないと言えば今の現状だ、と出かかった言葉は飲み込む。今言うべきではないと思うからだ。

「僕が霊夢に向ける感情は、魔理沙のそれや朱鷺子のそれと似たようなものなんだ。だが、彼女らの中でも霊夢は誰かの支えを必要としない。だから僕は不安に思っている。同時にそんな自分が一時的といえ霊夢の心を乱した。……そのことを、ひどく気にかけていた」

 僕の姿をした僕が、自分でも気づいていなかった事実を突きつけてくる。何か言いかける口は、対応の言語を持たずに消えていく。

「魔理沙にはミニ八卦炉を渡した。朱鷺子には目標の指針を渡した。では、霊夢は? 服の修繕? 武器の調達? 憩いの場の提供?……どれも正解だが正解じゃない」
「何が言いたいんだ」
「何を言わせたい?」
「さとり、君は――」
「僕は森近霖之助さ」

 言い合いが平行線になる予感を覚えた僕は、それ以上感情のままに話すことを踏みとどまる。ざわつき始める感情をなんとか抑えながら、僕は続きを促す。

「僕は霊夢に義務感と責任感を合わせて曖昧にした感情を向けている。朱鷺子は妖怪だし、魔理沙は種族としての魔法使いになる可能性が高い。不老不死に興味があるみたいだしね。でも霊夢は人間として生きて、死ぬだろう。だから、彼女が生きている間は見守っていてやりたい。そう思っている」
「それが、この景色の答えかい?」

 苔は岩や地表が長く放置されたときに生えるものだ。元々ある地形は人間の寿命を示し、その上に生える苔は妖怪としての表現。人間という土壌がなければ妖怪という苔が生まれないように、明るみがなければ存在を表すことが出来ないように、木漏れ日を浴びることで、苔は必要以上の存在感を生み出すことができる。
 つまり、これらは一種の暗喩であり、苔もまた木漏れ日を心待ちにしているということなのだ。

「多分、ね。君には悪いことをした。単純に能力の認識を高める実験と、思い描いた記憶の風景を見せてあげたいだけだと思っていたのに、無意識でそのことを感じていて、それを見抜かれていたんだね。だから、そんな趣向で僕を困らせているんだろう? いささか変則的だが、感情の吐露ができる程度には君の思い通りになったよ」
「…………………」
「でも感謝はしてるよ。うじうじ悩むのは僕らしくない。わからないことはわからない、それが僕だ。ま、今回のは答えが出ていた……いや、想起されたのかな」
「………………あ」

 ずきん、と頭が痛む。

「朱鷺子の時もそうだったが、僕は君に助けられてばかりだな。これでは、借りが増える一方だ」
「………………ぐ」

 痛みが体全体に反響し、徐々に耐え切れなくなってくる。

「ありがとう、さとり。君と友達で良かった」
「…………うあ!」

 視界に映る光の幻想に一筋の亀裂が生じた。
 連鎖的に広がっていくそれによって世界が落ちていく。空間が軋んだガラスのように圧迫され、砕け散るように想起の力が消えていく。
 美しき自然を体現した森林はひび割れ、塗装が禿げるように緑を剥がされていく。風化していく苔は古ぼけた道具の体相を取り戻し、木漏れ日は薄暗さを下地にした昼と夜、人や妖怪のない境界に納まっていった。
 想起の残滓が散っていくと同時に、僕――私の意識も本来のものへと切り替わっていく。 頭を振って落ち着きを取り戻した頃には、目に映るのはいつもの香霖堂の店内だ。先ほどの名残はどこにも見当たらない。
 私は目を瞬かせる霖之助を見やり、彼が心配の声を上げるより早く軽く目を伏せながら謝罪する。

「ごめんなさい」
「謝られるのは予想外だったが……君の方こそ何かあったのか? 僕のように振る舞っていたのは、お願いに対する意趣返しだと思ったんだが」
「言ったでしょう、心を覗きすぎたって。いつもより深く読心したせいで貴方の情報が私の中になだれ込んできて、記憶が混線してしまったのよ。おかげで、混濁した意識が貴方の記憶に影響されていたってわけ」
 
 例えるならそれは、自己催眠と読心による人格形成。過去を知ることでその人物の人格を知り、振る舞うのである。他から見れば演技とも思えるけど、内容はそこまで生やさしいものじゃない。人格を上書きされる前に霖之助から読み取った記憶領域を別に安置したおかげで特に影響はないが、もしそれが出来なければ私は霖之助の人格に支配されていたことだろう。
 さっきまで私は霖之助の人格を持っていたけれど、古明地さとりとしての意識も同時に存在していた。ただ、霖之助の思考などを把握するために頭の中で距離を置いて成り行きを見守っていたのである。心の繋がりによる記憶の共有によって生じた混線は驚いたが、それだけで完全に人格を乗っ取れるほど覚妖怪は甘くない。
 でも、おかげで色々と知ることが出来た。だから、進まなければならない。
 一歩、前に。
 この心地良い関係から逸脱するための一歩を、踏み出さなくてはいけない。
 博麗霊夢は停滞による保守を選んだが、古明地さとりは違う。
 何故なら、ライバルは全て潰さないと自分の望みは叶えられないと妹に教え込む程度に、私は欲しいものに対して我慢弱いからだ。

「ねえ、霖之助」
「うん?」
「言っておきたいことと、聞きたいことが一つずつあるの」
「構わないが、一体なんだい?」
「霊夢をそういう目で見ているのなら、私はどう見てる?」
「どうって、そりゃあ――」
「私は――」

 一拍だけ間を置き、すうっと息を吸い込んだ私は、告げる。

「私は貴方を、友人としては見ていないの」

 息を飲む音が耳に届く。私はゆっくりと右手を伸ばし、霖之助の頬に触れる。彼はそれにリアクションするでもなく黙って受け入れている。
 いや、私の言葉をどこか予感していたのだろう。
 心の動揺は思ったより少ない。だから、次に霖之助が言うであろう言葉を予測し、封殺にかかる。

「この気持ちは、麻疹じゃないわ。その時期はもう、とっくに過ぎている」

 男にしては柔らかめな霖之助の頬を親指で撫でる。かすかに身じろぐ様子に無意識に口元を緩ませる。

「麻疹って、一度発症したらほとんど一生の免疫を得るそうね。私達妖怪にはあまり馴染みの薄いものかもしれないけど、貴方がそれに例えるのなら私もそれに応えましょう」

 気恥ずかしいという感情が一切湧いて来ない。何か感情が湧き上がるとすれば、その先にある霖之助からの返答に対する反応。欲する答えを得るべく、私はさらに言葉を続ける。

「私は友情と愛情の区別なく、貴方のことが好きになった。けど、接しているうちにそれが愛情であると気がついた。多分耐性がついて、感情の区別がつくようになったんでしょうね…………」

 一歩歩みを進め、左手も霖之助に伸ばす。支えるように、挟みこむように私の両手が霖之助の頬を包む。
 私に気圧されたのか、霖之助が一歩後ろに下がる。私はさらにもう一歩前に踏み出し、霖之助との距離を離さない。
 足に何かが当たり、崩れた。本を乗せていた道具のタワーだったか。それとも飲みかけのお茶か。けど、今はどうでもいいので無視した。
 店内は元々それなりに広いのだろうけど、多種多様な道具が置かれているせいで動くスペースはあまりない。だから、霖之助はそれ以上の後退を諦め、足を踏みとどめる。
 心に浮かぶのは焦燥と動揺。何かされるのではないかという不安や、唐突な私の行動に対する驚き。どれも正解で、必要なものだった。

「言いたいことは言った。聞きたいことは……口に出さずとも、わかるでしょう?」
「…………まあ、ね。あと、もう逃げないから手を離してもらって良いかな」
「名残惜しいけど、構わないわ。その代わり――」

 今、私に対して抱いている想いを教えて。
 無言の意志はしっかりと届いていたようで、霖之助の心の中で感情が一斉に荒れ狂う。
 どう答えるべきか。私の抱える感情が偽りだとさとすのか、けむにまくように答えを保留するのか。
 様々な感情が織り成す万感の心だったが、私はそれ以上見るのをやめる。
 脅すように迫ったのは否定しないが、答えまでそれで搾り出させるわけにはいかない。それは霖之助の本当の答えではないし、私が本当に欲しいものではないからだ。
 だから私は、心を読むのを止めた。
 霖之助の答えを、他の人妖達と同じように言葉で受け止めることを選択したのだ。
 不安はある。
 でも、そういった形で霖之助からの返答を聞きたかった。私達の関係は、心を読んだり読まれない形から始まったから。
 だから、同じようにしようと思った。
 ただ、それだけだった。

「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」

 私の双眸と第三の目はまっすぐに霖之助の金色の瞳を見据える。私も彼も、目をそらすことは一切せずに感情を瞳に乗せる。
 体感時間の把握すら忘れた静寂の中、霖之助の小さなつぶやきが沈黙を打ち破る。






















「嘘をついても、いいかい?」




















 読むな。
 読むな。読むな。
 読むな。読むな。読むな。
 読むな。読むな。読むな。読むな。読むな。読むな。読むな。読むな。読むな。読むな。
 読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな読むな
 心を、読むな―――――――――!















「ええ、いいわよ」



















「――僕も、君のことが好きだよ。さとり」


画像提供:拝一樹


<最終話に続く>

コメントの投稿

非公開コメント

ん?
結局どうなったんですかね。
バットエンドなのかなー?

Re: タイトルなし

>すかいはいさん
ハッピーかビターかバットか、続きは次回の講釈で……
まだ投稿はできそうにありませんので、のんびりお待ちくださいな。

No title

最終話はもうあるのですか?
待てども無いから未完で終らせる終わり方なのでしょうか

Re: No title

>名無しさん
残念ながらまだ未完成です。
未完で終わらせるつもりはないのですが中々筆が進まないので……
自分からはお待ちください、としか言えません。申し訳ないです。

No title

初めまして
いつの間にかこのサイトを見つけ気づいたらファンになっていました
最終話を楽しみに気長に待たせて頂いてもいいでしょうか?

Re: No title

>バグさんへ
はい、こちらこそ初めまして! そう言っていただけると作者冥利につきます。
すでにもう少しで二年も待たせてしまう最終回なので、本当に気長になるかもしれませんがそれでもよろしければお待ちいただければ、と思います。
プロフィール

鳩

Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
リンクはフリーです。
何か連絡があればこちらへどうぞ
noblenova☆gmail.com←☆を@に変えて送信お願いします。
バナーは目次の中にあります。

web拍手

      ↑
  お礼画像はこちらです。
  画像提供:会帆
東方・森近霖之助<いらっしゃい。折角だから、訪問記録をつけさせてもらうよ。


上記絵文字提供:うるち

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード