合縁奇縁は書く語りき

「――――――――――――――――そう」

 果たしてどれくらい、僕らは閉口していたのだろうか。
 長い長い沈黙のあとに紡がれたのは、含みの読めない返事。僕のずるい返事に対して怒っているのか、喜んでいるのか、それとも何も感じていないのか。心を読む術のない僕には表情から心中を察するしかないが、顔を伏せるさとりからは意図を読むことは叶わなかった。
 告白に対して逃げるような言葉を選んだ自覚はある。
『好き』という言葉が嘘なのか、その台詞自体が嘘なのか。それは、了承した時点でさとりも理解してくれているはずだ。
 いや、そもそも心を読んで僕の意図を察してくれているだろう。言葉として吐いた台詞に嘘はないが、心の底での感情はまた違う。彼女はさとりなのだから、それを察してくれているはずだ。

「………………………………………………」
「………………………………………………」

 それでも口に出すべき言葉がないわけではない。逡巡する中、今の気持ちを素直に告げるならば『残念』であった。
 通信越しや直に交わす会話や共に酒を酌み交わす時にも、もう今までと同じように接することが出来なくなってしまう。
 古明地さとりという少女と、友として共有していたあの時間が消えてしまうということがとても惜しい。
 素知らぬ顔で接したとしてもさとりは納得しないだろうし、僕も演じ続ける自信はない。告白によって関係が一線を超えた以上、踏み込まれた以上はそれ相応に接し方を変えなければならない。

「さと」
「今日はもう帰るわ。用件も告げて返事ももらえたしね。それじゃあ、また」

 言い切る前に、足早に扉へ振り返り店を後にするさとり。俯いていたせいでどんな顔をしていたかわからなかったが、しいて言うならば――錯覚かもしれないがまるで逃げるようにも見えた。
 呆気にとられていたものの、流石にこれ以上何も言わずに帰らせるのはまずいと判断し彼女の小さな後ろ姿を追いかけたのだが、扉をくぐった先にはもうさとりの姿はどこにも見当たらなかった。

(失敗した、な)

 彼女は心を読む覚妖怪。先ほど考えていたことを読んで、悲しませてしまったのかもしれない。少なくともあの場は余計なことを考えず、思うこともしないのが正解だったのだろう。沈黙の間、あんなことを思案すべきではなかった。

(嫌いではないとはわかってくれていると思うが、残念とは思ってしまったからな)

 勇気を踏み出した結果があれでは、顔を合わせるのも辛くて当然かもしれない。けど、僕の気持ちも考えて欲しいと誰に言うでもなく言い訳する。まあ、駄目なのだろう。あの距離感を維持したいたかったのは僕だけで、さとりはもっと近づきたかったのだから。
 だから、僕もそれに応えなければならない。
 真実今の気持ちを偽りなく答えるのであれば、さとりのことは好きである。しかし女性として好きであるか、恋人同士として付き合えるかと言われたら即答できない。それが僕の本音だ。
 距離を取るには、さとりとは近づきすぎた。
 そして彼女もまた関係の変化を望んでいる。
 なぜ、今のままではいけなかったのだろうと、強く思う。お互いに不便はなく、心地よい空間がそこにあったはずだ。心を読んで嫌悪される、なんて段階はとっくに通り越しているし、能力に左右されない関係を築いてきたはずだ。
 これも男女の考えの違い、というものだろうか。
 いや、考えるのはよそう。男女関係の話に明確な答えなんて出るはずがない。自分に出来ることと言えば、これからのさとりとの付き合い方を考えるのがずっと建設的だろう。

(いや、それはきっと建前だ)

 何よりも。
 僕の脳裏にはめでたい色をした一人の少女の姿が浮かんでいた。

 ――その時が来るまでは君にとっての一番都合の良い男でいてやる。

 彼女にそう言ったことが、何よりも引っかかっていたのかもしれない。

「物語みたいに、綺麗に区切りはつけられないってことか」

 言ったはずだ。応えたはずだ。
 これっきりだと、そういう話はもうしないのだと決めたはずだ。
 なのに、さとりの言葉で揺さぶられた。
 もし僕がさとりの言葉を受け取り答え、恋人同士になったとしたら果たして『彼女』はどう思うだろう。
 何も感じないかもしれない。少し訝しむかもしれない。祝福するかもしれない。
 けれど、果たして『彼女』にその時が来た時に僕は都合の良い男でいてやれるだろうか。恋人のいる男が『彼女』に何かしてやれるだろうか。
 そして、そんな半端な気持ちを抱く自分が果たしてさとりの告白を受け入れる資格があるのだろうか。
 ――なんだ、お前は。
 自分自身を罵倒する。どちらへの未練もたっぷりで情けない。
 何が人間関係は灰色が良い、だ。それはつまり、気が向いた時に白になりたいという低俗な言い訳でしかない。
『彼女』を見守ってやりたいと言う理由を盾にして、さとりの気持ちを無下にしただけではないか。

 ――僕も、君のことが好きだよ。さとり

 この言葉で彼女は満足しただろうか。
 するはずがない。僕の心を読んで嫌悪したことだろう。あの長い沈黙は、この関係からの脱却を願うさとりを突き飛ばした僕の心に何とも言えない感情があったはずだ。
 僕は懐から一つのピアスを取り出す。さとりと知り合う切っ掛けとなり、今に至るまで使われ続けてきた通信機能を持ったアクセサリ。
 機能にスイッチを入れようとして、やめる。
 何を言えばいいのだろう。何が言えるのだろう。
 そもそも、僕が何か言ってもいいのか?
 探る思考に唇は不動を示し、僕は日が暮れてもなお取り出したピアスをじっと見つめ続けていた。










 ――カランカラン。
 来客を示すカウベルを鳴らし、香霖堂の扉を開く。
 窮屈さが前よりも増したように見える店内には、見慣れぬ道具がいくつか転がっていた。またどこかから仕入れてきたのかもしれない。
 窮屈と思うのは、それは初見あるいは通い慣れぬ者の意見だ。
 常連と言っても過言ではないほど足を運んだ私からすれば、まだ歩くスペースも座るスペースも多い、つまり普段とそう変りない店内というわけだ。

「いらっ…………」

 霖之助が私の姿を認め、口に出しかけた挨拶が全てを言い切る前に止まる。そのまま驚きに目を剥く霖之助だが、流石にその対応はショックだった。

「何よ。私が来てはいけなかったの?」
「い、いや。そういうわけじゃ、ないんだが…………」

 しどろもどろになる彼を一瞥し、私はいつも通り適当な椅子に腰掛ける。店は開けたままなので奥にお邪魔するわけにもいかないのだ。まあ、香霖堂は開店休業と言っても過言ではないのだけど、そこは霖之助のプライドを持ち上げることにする。

「ああ、今日は事前に来るって言ってなかったから? 一応言おうかなとも考えたんだけど……別にいいかな、って」

 髪を少しかきあげ、見せつけるように耳を露出させる。やはり霖之助は驚きを瞳に宿したままだが、私は特に気にしなかった。

「前ほど毎日会話するわけじゃなかったけど、それが寂しくないって思える程度には付き合いも長くなったものよね……最初の頃を思うと、信じられない」
「…………………………」
「切っ掛けを作ってくれたお燐達には感謝しないとね。今度、何かプレゼントでもあげようかしら。そうだ、ねえ霖之助。あの子に何か贈り物をしようと思うんだけど良いのはない?」
「……………………すまない、お燐には何か渡すということはしないようにしているんだ」
「あらひどい。どうして?」
「…………どうにも、僕からあの子に物を贈ると巡りが悪いのか、決まってお燐に何か起こるんだ」
「変なジンクスね。厄神の加護でも受けたの?」
「……そんなことはないと思うが、二度あることは三度あるってことわざもある。だから僕からお燐に贈れるようなものはちょっと」
「ふぅん。なら自分で選ぶしかないか」
 席を立ち、使い古されたおもちゃ箱のような店内に視線を巡らせる。妖怪の火車といえ猫に違いはないけど、マタタビはいくらなんでも安直だ。お燐のことだから道具よりも死体のほうが嬉しいかもしれない。
 けどあの子は変に職業意識でもあるのか、埋葬された死体には手を出さない。となるとどこかに野ざらしになったものが一番か。でも、新鮮な死体ねえ……
 と、人間からすれば物騒な思案をする私に店内からずっと感じていた視線が一際強くなる。言うまでもなく霖之助だ。
 驚き以外の感情を示したと思ったら、今度は口をつぐんでしまっている。言いたいことは言葉にしてくれなきゃわからないのよ? 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 心を読むなんて芸当が出来ない限り。

「そう、だな。正直、意外だった。僕は、君を傷つけたと思っていたから」

 はて、霖之助は何を言っているのだろうか。私が彼に傷つけられたなんて、そんなこと何もなかったはずなのに。

「何のこと?」
「何ってそりゃあ、先日の、その――」
「ああ。あれは一世一代の告白だったわ。けど、貴方もそれに応えてくれたじゃない」
「…………………?」
「嬉しかったわ、私のこと好きだって言ってくれて。文章で告白したりされたりしたのは何回も書いたけど、実際にやってみると……すごい、ドキドキしたわ」
「さとり…………?」
「ねえ、嘘をつく理由ってなんだと思う?」

 お燐へのプレゼント探しを一旦止めて、私は霖之助に向き直る。身構えるように体を強張らせる彼に、私は努めて優しい声音を維持させる。

「見栄とか詐欺、善意や悪意、他にもたくさん理由はあると思う。今まで色々な嘘を見てきたけど、それらを総括して言えば、嘘って自分のためにしか使わないの」
「それは、まあ、ね」

 絞りだすようなに吐露し、苦しそうに顔を歪める霖之助。どうかしたのかと心配になったけど、今はこれを言うほうが先だった。

「ねえ、知ってる? 霖之助」

 一歩、足を進めて彼に近づく。音に反応して、うつむきがちだった霖之助の顔が上がり、驚愕を刻む。何をそんなに驚いているのかわからないけど、私は言うべきことのために言葉を紡いでいく。

「それを否定しない限り、あるいは信じる限り嘘は真実になるの。そう、自分にとって都合の良い、ね」
「さ……と……り……?」
「好きって言ってくれたじゃない。それが、私にとっての真実なの」

 霖之助の視線が、私の目から第三の目に移る。開いていた目がこれ以上ないくらい大きく広がり、その感情を表情に残す。ああ、やっぱり彼はわかりやすい。

「だって――嘘をつくことが嘘、なんでしょ? だから、私にとってそれは嘘じゃないの」
           ・・・・・・・・・・・・
 そう言って、私は閉じた第三の目を撫でながら笑みを浮かべた。





「だって――嘘をつくことが嘘、なんでしょ? だから、私にとってそれは嘘じゃないの」

 何を、言っているんだ?
 僕は声にならない声を上げながら、美しさすら覚える虚ろな笑みを刻むさとりに釘付けになる。いや、ならざるを得なかった。
 普段開かれているはずの第三の目。覚妖怪のシンボルとも言うべきそれが、妹同様にまぶたを閉じている。サードアイは常に開いているわけではない。僕らの使う目と同じようにまぶたを閉じることがあればまばたきだってする。
 だが今のさとりは正常とは思えない。光彩のない瞳に乾いた笑みを零す姿が普通だなんてとても思えない。何かがきっかけで変貌したのだ。
 きっかけとは言うまでもなくあの告白と返事であり、それによって閉じられたサードアイが意味することはつまり……さとりがこいし同様に心を閉ざしてしまったということだ。
 どうして、なんて考える必要もない。全部、さとりの告白から逃げた僕のせいなのだから。
 知らず、歯を噛み締めていた。
 さとりを信頼していた? 違う、こんなのは信頼ではない。彼女に真摯な気持ちに、希望的観測を押し付けていただけだ。
 本気の願いに無粋な甘えをしてしまった。僕の気持ちだけで答えなければならなかったのに、僕の口から言わなくてはいけなかったのに。
 察してくれると。
 いつものように心を読んで、気持ちをわかってくれると思っていた。思ってしまった。普通だったらきっと、さとりは僕が思うように心を読んでくれただろう。だが、さとりは本当に大事なことは言葉で言って欲しいタイプだとわかっていたはずだ。
 その結果が、これだ。
 思考より先に、急かされるように声を出す。無言でいることが、何より辛かったのだ。

「さとり、あれは…………」
「あれは?」
「あれは…………」

 そこから先の言葉が出ない自分に愕然とする。
 何故、言えない。
 霊夢が気になるから、付き合えないと言うだけでいい。あれはそういう意味なのだと、好きであることに違いはないと。
 だが……冷静に考えて、今、改めて言い直すのか?
 馬鹿な。取り繕いにしかならない。今更どんな言葉を吐けと?
 ぐるぐると視界が回る。まともにさとりを見ることが叶わない。思考放棄が甘えであると知りつつ、何も考えたくないという考えに身を委ねてしまいたくなる。

「あれは?」

 虚ろな瞳が僕を射抜く。催促だとわかっているものの、空気を奪われるように先が続かない。かすれた声は言葉にならず、空間を圧迫する圧力が増える結果にしかならない。

「まあ、いいわ。今日の霖之助、調子が悪いみたいだしね」

 さとりが息をつく。いつもの調子と、いつもの声音のそれは今までのさとりと何ら相違ない。ただ一つ、第三の目が閉じられていること以外、本当に普段通りだ。
 だからこその違和感、異常が僕を襲う。
 こいしは目を閉じたことで無意識に動き、無意識に介入する妖怪となった。だが今のさとりはとても無意識とは思えない。
 単純に、心を閉ざしたばかりでまだその域に達していないのだろうか。
 だとしたら、リカバリーのチャンスは今しかない。第三の目を開かせ、いつものさとりに戻るきっかけは今この時期にしか出来ないのではないか?
 そうとわかれば――わかれば、どうする?
 こいしの時は、強く相手を意識させることで無意識から意識的にさせた。さとりと共謀して行ったそれを、今度は彼女相手にすればいい。
 そして、強く相手を意識させる方法。それは、あの告白の返事に他ならない。
 だから、それを言えばいい。
 言えば、いい。
 いい、はずだ。
 なのに――――

「……………………」

 何も、言えない。
 何も浮かばない。
 さとりとの縁を結んだ言葉が、何一つ漏れることがない。
 そんな自分に、愕然とした。

「ねえ、何を言おうとした? 何を言いたかった?……何を、言えなくなった?」
「……………ぁ」

 無意識状態ですら見透かされるほど、今の僕はわかりやすいのだろう。いや、それも当然か。僕らの付き合いも長くなった。そんな彼女が何を知りたいか何を求めているか判明している以上、わからないはずがない。
 無言のままで居ると、さとりは再度息をつく。そうして出口へ向かうと、カウベルの音と共に勝手に店の札を弄り閉店の案内へと切り替えてしまう。
 まさか、答えが出るまで邪魔を入れさせないつもりか――
 追い詰められる僕を待っていたのは、さとりの予想外の提案だった。

「今日はもう寝なさい。顔色、すごく悪いわ」
 
 札を入れ替えたさとりが、適当な鏡を見繕って僕の顔を映す。そうして初めて、自分の表情を眺めることが出来た。

「……ひどいものだな」
「でしょう?」

 自分でもわかるほど、顔が青白い。言葉一つにどれほど追い詰められていたのだ。言葉という精神的なものでここまで具合が悪くなるところを見ると、僕もやはり妖怪らしいと突拍子も無いことを考える。
 自重の笑い声が漏らしていると、さとりはまた出口へと向かう。

「今日は帰るわ」
「え?」
「帰る、って言ったの。次に会うまでに表情を元に戻しておきなさい」

 そうして、さとりは拍子抜けするほどあっさりと出ていった。信じがたいと思いながらのそのそと後を追いかけると、扉を開けた頃にはすでに彼女は空の彼方、豆粒のように小さな姿を視認することしか出来なかった。

「帰っ、た?」

 さとりが居なくなった実感がわかず、僕は事実を口にする。そうして初めて安堵の息をつこうとして、無理やり止めた。してはいけない気がしたのだ。
 それでも思考はうまく働かない。ぼんやりと、先程の言葉だけが想起される。それに従い、僕は導かれるように自室へと戻り、気を失うように倒れこんだ。
 今は、何も考えたくなかった。
 意識を失う直前――さとりが常に付けていたピアスが、そういえば今日は飾られてなかったな、そんなことがぼんやりと頭に浮かんでいた。









「香霖堂、最低」

 ずばりと言われ、僕は引きつるように乾いた笑みを浮かべる。
 発言者は朱鷺子。カウンターの上に腰をおろし、僕に背中を見せながら言葉で急所を射抜くようにそう言ったのだ。行儀が悪いと言いたいが、そんなことを言えば話題を逸らすなと言われるのが目に見えるのでやめる。
 あれから一週間ほど経過していた。さとりはそのうちの半分ほど訪れては、他愛ない会話を繰り返している。雑談の全てがあの虚ろな笑みの元で行われており、僕の精神は日に日に疲弊を積み重ねていた。
 あれだけ心地よかった空気はそこになく、ただたださとりの機嫌を損なわぬように慎重に慎重に言葉を選ぶやり取りは、針のむしろに座る思いだ。
 事あるごとに私が好きなんでしょう? と返事を迫るさとりに僕は一秒単位で追い詰められていくのが実感できる。そのせいで寝ても覚めても心を閉ざしたさとりのことを考えてしまって頭が重い。
 救いがあるとすれば、店で会話はするもののピアスからの連絡は途絶えている、ということだった。朝から夜まで今のさとりの声を聞いてしまうと、ノイローゼになってしまう自信がある。とはいえ、あれから来店するさとりの耳にピアスはずっとつけられていない。そのことが気にはなったが、追求するのが怖く僕は放置していた。……それでも肌身離さずに居るのは、一体何故だろうな。
 ピアスを使わぬやり取りが続いてもなお、僕はいまだにあの嘘を正すことが出来ずにいる。
この現状をどうしたものかと延々悩んでいた僕は、たまたま本の感想を聞くために香霖堂に訪れた朱鷺子に救いを求めるように全てを打ち明けたのだが――それがこのざまである。罵倒というほど激しくないが、心の隙間を射抜いて刺さるような鋭さがあった。

「まあ、言い訳の余地もなくそうなんだけどね」
「反省しても反省ないと思うけど、反省して。全く、こんなことならこいしに家に帰るよう強く言えば良かった」
「こいし?」
「うん、私の家に遊びに来てたの。そのまま一ヶ月くらい居座ったかな。本の製作も手伝ってもらったの。でも香霖堂に行くって言ったら、いつの間にかいなくなっちゃったから帰ったのかもしれないわね」
「だから最近ご無沙汰だったのか」
「寂しかった?」
「どちらかと言えば、助かった、かな。正直、気が滅入っていた」
「こいしには言わないようにね。大好きなお姉ちゃんが傷つけられた、なんて知られたらどうなっても知らないわよ?」

 朱鷺子の家、というより彼女で遊んでいたと聞こえるのは気のせいか。
 しかし、確かに。
 姉を自分と同じ無意識状態にしてしまったということをこいしに知られたらまずいと考える。
 ヘタをすると、僕は殺されるのではなかろうか?

「そんなことしないって」
「心が読めるようになったのか?」
「今の香霖堂はとってもわかりやすい。心が読まなくてもわかるわ。でも、こいしのお姉さんがねえ」
「ああ。第三の目が閉じていた。それを見て、本当に、なんて言えばいいかわからなかった」
「素直に言えばいいじゃない」
「言えないからこうして悩んでいるんじゃないか」
「だから最低って言ったの」

 先ほどからこれの繰り返しで心が折れそうだった。
 だが抱えていたものを話すことで、僕は幾分か調子を取り戻していた。あの時のように言葉に詰まることはなく、告白を受ける以前の精神状態に近づいていると自覚できる。その点は朱鷺子に感謝であった。

「どうしてこんな簡単なことが言えないの?」
「なんで、だろうな。僕にもよくわからない」

 第三者から見れば確かに簡単なことだろう。僕自身、さとりに何を言えばいいかわかっている。

「博麗霊夢が気になるから付き合えない。それが香霖堂の心情ならそう言うしかないのはわかってるでしょ?」
「痛いほど、ね」
「なら問題ないじゃない。良いとこどりを狙ってるからそうなるの。八方美人は商人の嗜みだって前に言ってたけど、当人からすればすごく苦しいはずよ」

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。
 いっそ、こいしに頼んで無意識にそう言ってもらえないかとも考えたが、いつの間にか僕のほうへ振り向いていた朱鷺子のジト目がそれを阻んだ。

「ど、どうかしたか?」
「今の香霖堂、変なこと考えてたから」
「だから、読まないでくれよ」
「読んでない。当人同士の問題だからホントは口出しするのだって嫌だけど、今の調子じゃ香霖堂は家に引きこもるかどこかに逃げそうだし」

 そんな風に思われているのかと悲しくなるが、そうしないと言い切る自信は生まれなかった。さとりと顔を合わせるのが怖いのは、本当なのだから。

「でもさ」

 ぽつりと漏らすように、朱鷺子がつぶやく。カウンターの上に加えスカートだというのにその場で三角座りをする彼女をたしなめるのも忘れて、僕は続きを待った。

「香霖堂はお姉さんに嫌われたくないんでしょ? そう想う気持ちがあるってことは、やっぱりお姉さんのこと好きってことだよね?」
「嫌いなわけがない。けど、こと男女の関係になるかと言われたら、僕は」
「面倒な性格してるね、お互い」
「他人事だな」
「これに関してはね。こいしだったら――」

 くすりと、こいしを想起させるような笑みが朱鷺子の顔に浮かぶ。
 薄ら笑いのようにも、美しい笑みにも見えるそれは少なくとも恐怖という感情を胸の内から呼び起こす。出会いを考えるとこのまま三途の川に送られてもおかしくはない。こいしと共に過ごしていたそうだが、ここまで真似が出来るのは弾幕を模倣する彼女の特性ゆえか。
 しかしそんな惨劇はありがたくも起こることはなかった。揃えた膝の間に顔を埋め、朱鷺子は頭を下げる。

「じゃあ、博麗霊夢に告白はしないの?」
「する気はないな。僕は霊夢をそういう目で見ていない」
「なのにお姉さんを振ったの?」
「いや、振ったというわけでは」
「同じだよ。むしろ、もっとひどい。どうして? 気になるってだけでしょ?……お姉さんじゃ駄目なの? 答えて、香霖堂」
「…………さとりが、覚妖怪だからだ」
「え?」
「仮にさとりとそういう関係になったとしても、心のどこかで僕はさとりじゃなくて霊夢のことを考えているんだぞ? それは裏切りだし、それを常に読むのはさとりも辛いはずだ」

 朱鷺子が顔をあげる。呆けたように僕を見据える瞳は、無垢な驚きが宿っていた。おかしいことを言った覚えはないが、朱鷺子からすれば覚妖怪だから付き合えないと言われたと聞こえたのかもしれない。
 心が読めるのを嫌悪し、能力を封印したこいしからすれば僕も同じ穴の狢だと思われた可能性もある。骨の一、二本は覚悟しておいたほうがいいのだろうか、と体が震えた。

「ふぅん」

 だが、予想に反して朱鷺子はそれきり黙ってしまった。顎に手を当てて、思索するようにうんうんと一人頷いている。さらに明後日の方向へ親指を立てる始末。わけがわからない。

「朱鷺子?」
「なぁに?」

 声は聞こえているようだ。ただ、一つ違うのは打ち明けてからずっと含めていた非難の視線が、幾分か柔らかくなっているようにも思える。気のせい、か?

「いや、なんでもない」
「別にいいけど。ねえ香霖堂、香霖堂にとって博麗霊夢はお姉さんより優先させる存在なの?」
「言い方が悪いぞ。ともかく、あの子は色々と見てないとはらはらするんだ」
「そうは思えないけどね。あいつ、そういう気遣い全部無視して上を行くと思う」
「心配するだけ無駄だと?」
「少なくとも、その感情はお姉さんに向けるべきだと思う」
「……今のさとりには、ちょっと難しいな」

 むしろ僕が心配されても良いんじゃないか、と甘い考えすら浮かぶ。だがそれを察知されているのか、朱鷺子がそんなことを言う事はない。むしろ、放置気味だった。

「そ。それじゃ、私は帰るね」
「え? もうかい?」
「うん。それじゃあまたね、香霖堂」
「おい、朱鷺――」

 静止を言い切る前に、朱鷺子は足早に出口へ向かう。出ていく直前に振り返ったかと思えば、

「頑張ってね」

 それだけ言って、帰っていった。振り返ったさいに浮かべた笑みに、どことなく寂寥感を含んでいたのは、僕の気のせいか。まあ、いいか。
 疲れを吐き出すように、大きく息をつく。
 相談で楽になったといえ、問題が解決されたわけではない。結局のところ、さとりの告白に対しての返事を言わなければ何も終わらないし、始まらない。

 ――香霖堂はお姉さんに嫌われたくないんでしょ?
 朱鷺子の言葉を反芻する。
 ああ、認めよう。
 僕は、古明地さとりに嫌われたくないのだと。
 そんなの、初めて地底に向かった時からわかっていたことだ。
 さとりにも、霊夢にも嫌われたくない。だからこそのあの行動。
 誠実でいたいなんてのは都合の良い言い訳に過ぎず、現実は無常にもさとりの第三の目を閉ざしてしまった。
 ここで素直に霊夢のことだけを考えられるほどめでたい頭を持っていたら、どれだけ楽なことか。
けど、それは出来ない。そんな選択肢がない程度に、僕達の距離は近づいている。

「さとりは、すごいな」

 誰に言うでもなく、そんなことをつぶやく。
 結果は僕が打ち砕いてしまったけれど、居心地のいい関係が不変でいることを望まず変化を求めたその精神を羨ましく思う。
 ふと、僕は視線の片隅にあった本の山を手に取る。
 それはさとりが書いた、自作小説の束。エンターテインメントを重視した、ハッピーエンドで終わる幸せな物語。
 何度も読んだそのうちの一つを、もう一度開く。
 この本の感想を言った時のやり取りを思い出しながら、僕は想像の中の自分に文句が言いたくなった。

「この、馬鹿野郎が」

 それを聞くものは当然おらず、罵倒は空気に溶けて消えていく。
 虚しさだけが、そこにあった。







 唐突にこいしが帰ってきた。いつも通りのことといえ、事前にペットを介して伝えてくれれば良いものをと思ってしまう。
 自室にてお燐やお空からの報告や地獄への提出書類を片付け、ティータイムと洒落こんでいた私はペットからの報告を受けてすぐさま妹を出迎えていた。
 顔を合わせれば、こいしは普段と何ら変わらない様子で挨拶を交わしてくる。慣れたことといえ、可愛い妹のこと。心配は絶えないものだった。

「ただいまー」
「お帰り、こいし。何日ぶりかしらね」
「一週間くらい?」
「一ヶ月ぶりよ」
「そっか」

 さほど気にした様子もなく、こいしは挨拶もそこそこに私が座るテーブルに備え付けられていた椅子に座る。
 休憩中に訪れてくらたからいいものの、そうでなければ追い出していたところよ? と言外に仕事の邪魔をするなと伝える。
 帰宅と同時にペットにこいしの接待を頼み、私は作ってあったおやつを手に取り紅茶を淹れる。そうして準備を整え、久しぶりの他愛ない雑談を交わすことにした。

「それで、このひと月あまりどこにいたの?」
「友達の家で遊んでた」
「そう。お世話になったなら何かわびとお礼の品でも送らないとね」

 友達という単語に、口に寄せていたカップの動きが止まる。それも一瞬だけのこと、すぐにアールグレイの味が舌の上に流れた。

「別に迷惑かけてないけど?」
「貴方の普通は他の人と違うもの。絶対、その子振り回されたはずよ」
「ひどいなー」

 頬を膨らませながら、焼きたてのクッキーに手を伸ばすこいし。腹を満たせばその不満も消えるでしょう。
 クッキーを砕く音を耳が心地よく、私も手に取ろうとして、摘みかけたそれが触れる寸前で空を切った。
 犯人なんて一人しかおらず、目の前でクッキーを口に咥えながらしてやったりといった表情を浮かべるこいしをたしなめる。

「お行儀が悪いわよ。友達にもそんなことしてるのなら、控えなさい」
「つい無意識で」
「無意識だからってなんでも許されるとは思わないことね。多少の悪戯ならともかく、品位を下げるのはやめて欲しいわ」
「ふうん。好きな人を精神的に追い詰めるのは品位下げないの?」

 クッキーの、砕ける音がする。
 噛み砕いた半分を口に含み、もう片方を右手に控えながらこいしはクッキーを咀嚼している。砕けたさいに口の中に入りきらず、舞い散った小さな粉がテーブルの上に落ちていくのを、スローモーションで見えた気がした。
 息をつき、ゆっくりとクッキーに手を伸ばす。今度は、邪魔されなかった。

「そんなことしたの?」
「うん、したみたい」
「それじゃあ、しっかり謝らないといけないわ」
「理由があったら?」
「え?」
「追い詰めたい理由があっても、謝らないと駄目?」

 素知らぬ顔でクッキーをかじる。その意図は味の堪能でなく、頭を整理する時間の確保。知らず、動作は緩慢なものになっていた。

「時と場合に、よるんじゃないかしら」
「じゃあ、いいのね」
「言ったでしょ、時と場合だって」
「それじゃ、どういう時と場合?」
「……私に、何を言わせたいの?」
「そうだね、しいて言うなら――」

 こいしはティーカップの取っ手でなく器全体を両手で包み込み、くぴくぴと中身を飲み干した。取っ手を使いなさい、と軽く嗜めたが馬の耳に念仏、無意識に説教だった。
 小皿の上に空になった器が置かれる。こいしは息をついてひと言、

「お姉ちゃん、第三の目なんて閉じてないでしょ?」

 そう、言った。

「――――――――――――――」
「お姉ちゃんに出来ないことをわたしがして、わたしに出来ないことをお姉ちゃんがする。互いを助け合い、支えあえるからこの力も悪くない。お姉ちゃん、私がそう言った時に頷いてくれたよね」

 こいしの目がまっすぐに私を射抜く。目をそらす真似は許さない、と無意識でなくはっきりとした意志がそこから伺えた。

「嬉しかった。本当に。……だから、お姉ちゃんがいくら霖ちゃん欲しいからって、心を閉じることはない。だって――」

 先ほどまで漂っていた空気を吹き飛ばすような、満面の笑みでこいしは宣言する。

「――だって、そんな心の強いお姉ちゃんなら全取りするもの。自分の望みを叶えたいなら邪魔なものは潰せ、なんて妹に教えるんだから、それくらい当然でしょ?」
「…………ぷっ」

 思わず、吹き出す。
 耐え切れず、堪え切れず私は腹の底から笑う。久しぶりの大笑いに、気づけば目端に涙を滲ませるほどだった。

「あ、ひどーい! お姉ちゃん、失礼すぎるー」

 このリアクションが予想外だったのか、頬を膨らませて不満を訴えるこいし。ごめんごめん、あまりにもあんまりだったから……
 私はひとしきり笑い、改めてアールグレイを飲んで落ち着く。こいしもその頃には不満を晴らしたようで、今度は聞く姿勢に入っていた。言わずもがな、私の返答を待っているのだ。

「そうね、貴方の言う通り。私は読心能力を手放す気なんてまるでなかったわ。貴方との約束もあるけど、この力があったから私は森近を――霖之助を好きになれたんだもの」

 すらすらと、流れるように私の口は動く。一週間も押してまるで答えを出さない意気地なしに私自身不満もあり、それを吐き出すように言葉を紡いでいく。
 そうして、懐の中から通信ピアスを取り出す。あれから耳に飾ることはなかったけど、寝る時も肌身離さず持ち歩いていた大事な宝物。
 これを見につけていないことがどういうことか、霖之助にわからせるためにそうしているけど、やっぱり辛いものは辛い。早く決着をつけて、ピアスを飾りたかった。……結局ピアスでの連絡はなかったし。あの意気地なしめ。

「…………………………」
「こいし?」
「いや、その、うん。身内の恋愛話って予想以上に聞いてるほうも照れるなーって」
「貴方が言わせたんでしょう!」
「だってお姉ちゃん、ピアスを大事そうに持っていかにも乙女です私切ないですなんて顔してるから。今の自分の姿鏡で見てみなよ」

 言われて、私は両手で大事に持ったピアスを胸に寄せていることに気づき慌てて離す。……急に気恥ずかしくなった。
 自然と頬が赤くなり、話題を変えるようにテーブルを叩く。痛い、加減間違えた……
 先ほどの笑いとは別の意味で滲んだ涙を堪え、テーブルの下で見えないよう痛めた箇所をさすりながらこいしに尋ねる。

「それより、よく気づいたわね」
「実はさっき霖ちゃん本人から聞いたの。と言っても、聞いたのは朱鷺子だけど。びっくりさせてやろうと思って隠れてたら、とんでもないこと聞いちゃったよ。だからまっすぐ帰ってきたの」
「あの話題を出したからには、霖之助との間の出来事は全部知っていると思ってはいたけど、帰ってきて早々で見抜かれるとは思ってなかったわ。やっぱり、あの貴方に出来ないことを私がするって言葉をずっと信じてたから?」
「ううん。霖ちゃんから話を聞いた時点で薄々気づいてた」
「相談を受けたのは朱鷺子という子で、貴方は盗み聞きよ」
「偶然だけどね。意気消沈する霖ちゃん、案外可愛かった」
「渡さないから」
「はいはい、惚気惚気。スイッチ入れたみたいに、途端に口に出すようになったね」

 スイッチとは言い得て妙かもしれない。
 あの告白後、羞恥心はどこか遠くに捨てたんでしょう、と自分でも把握しきれない感情を噛み締める。心を読める覚妖怪も、自分の心はわからないこともあるものね。

「霖ちゃんはこう言ってた。『仮にさとりとそういう関係になったとしても、心のどこかで僕はさとりじゃなくて霊夢のことを考えているんだぞ? それは裏切りだし、それを常に読むのはさとりも辛いはずだ』、って。お姉ちゃんならあの巫女をどうにかする方向に考えるだろうから、心を閉ざすなんて考えないって思ったの」
「わかってたことだけど、やっぱり霊夢が一番の難敵なのね」

 想起で浮かんだ、雨の中での二人の情景は一秒以内に消した。

「その辺はお姉ちゃんがどう考えてるかは知らないけど、どうしてこんな回りくどいことしてるの? 霖ちゃんに好きって言わせたいんだとしても、この方法じゃ本気の好きとは違うと思うけど」
「そんなの百も承知よ。私がさせたいのはね、こいし。それでも言ってくれることなの。私の本気を分かってもらわないと行けないから、逃げるなんて真似は許さないわ」
「それ、本末転倒じゃない」

 こいしの合いの手に黙って首を振る。私はしっかり考えているのよ?
今のままでは、霊夢のことで頭を占めている霖之助の気を惹くのは難しい。なんとかして自分を入れ込む必要がある。
 そのために自分が追い詰められているように演技して、霖之助に罪悪感を与えしっかりきちんと考えてもらう必要があったのだ。
その上で言ってくれる答えこそ、私の告白に対する返事なのだ。それまでたっぷり悩んでもらわないと駄目。
 もっと言えば霖之助の悩む姿が、それだけ私へ意識を割いてくれているのがわかるのでなんとも言えぬ達成感がある。普段は霖之助のほうにしてやられることが多く、からかわれることも少なくなかったのでこの逆転劇はちょっと良い気分だった。
 決してその、私を見る目に怯えや恐怖を含んでいるから半分だけといえ人間の血が混じっているせいか私の妖怪としての本能を刺激してしまい、あの、非常に、オブラートに包めば充実感があって気分が良い。実際霖之助にそんな目で見られているのだから悲しいはず、はず、です。……誰に言い訳してるのよ私。
 ということを語ると、こいしにしては珍しい渋面顔を作っていた。たくさん考えた末の結論なんだけど、駄目だったのかしら?

「つまり霖ちゃんの苦悩する姿がそそると」
「違うから!」

 そこは断固として拒否する。そういう下世話な感情で見ているわけでは決してない。ないのよ? 私達の関係はもっと綺麗で健全なものだったし、それが心地良かったの。

「つまり汚したかったのね、よくわか『だから違う!』」

 思わず大声で否定する。
 そういう気持ちが絶対になかったと言われたら口を濁らせるしかないが、それはあったとしても最初だけ。
 人生の分岐点とも言える一世一度と言わんばかりに告白に対する返事があれだったんだから、少しくらい仕返ししてやっても良いと思った。けれど、日に日に憔悴していく霖之助を見て胸を痛める私が居るのも事実。
 だって、仕方ないじゃない。
 これしか、こういう方法しか思いつかないんだから。穏便な方法で私の望む結末を得る方法があるならぜひ教えて欲しい。でも、ないのだから私なりのやり方で進めるしかないのだ。
 それが例え罪悪感による胸の痛みと引き換えだとしても、欲しい物を手に入れるためなら我慢できる。そう、自分に言い聞かせた。

「冗談はともかく、そういうの必要ないというかなんていうか、霖ちゃんはお姉ちゃんに悪いって思ってくれてるんだから意識はしっかりしてると思うけど?」
「嘘をついてもいい、っていう言葉に続いたのが好きだったのよ? なんだか、悔しいじゃない。上辺も心も好きで占めてくれなきゃ、言ってくれなきゃわかんないって伝えなきゃ」
「霖ちゃん相手には悪手な気もする」
「いいのよ。まずは私を強く意識してもらないと」
「……してると思うんだけどねー」
「霊夢より強く、よ」
「ああ、なるほど」

 そこで納得されると言ってて悔しかった。

「けど、どうせならあの巫女をどうこうするほうが早いんじゃ?」
「今霊夢にちょっかい出して何か起こせば、それこそ霖之助はあっちにかかりきりになるわ。霊夢が心配だから~とか言い訳を与えてしまう。今がそうだし。寿命までしか生きられないけど、だからこそ死後思い出になれる人間は強い。妖怪にとっては体より心の安定が重要だもの」

 他ならぬ霖之助が、霊夢が生きている間は見守ってやりたいと言っていた。
 見守るのは一向に構わない。私だってこいしのことを見守っているし、時には直接支えているのだ。でも、だからと言って霊夢のために恋人を作らないというのは些か過剰ではないだろうか?
 それは単に都合の良い男というわけではなく、つまり霖之助が深層意識で霊夢と『そういう関係』になることを望んでいる証ではという考えがどうしても離れない。

「でも追い詰めて憔悴したところで吐き出される好きって、それでいいの?」
「そこからのケアはしっかりするわ。崖に突き落としたのが私なら、拾い上げるのも私」
「自作自演のマッチポンプだよね、それ」
「言ったでしょ、ライバルは全て潰せって。私でいっぱいにしてあげましょう。まあ、そんなわけで私は今の作戦を続けていくわ。こいしは勝手に暴露しないでね?」
「元々あまり口を挟むつもりはなかったから大丈夫よ。頑張って、お姉ちゃん」
「ええ、頑張る」

 妹の応援を受け、私はやる気が漲っていくのを実感する。根を上げるのが私か霖之助のどちらが先か知らないけど、必ず心の底から好きと言わせてみせる。
 私は拳を握り、改めて自分と妹にそう誓った。



「いやあ、お二人ともあたいらが居るの忘れてるのかねえ。いや、動物の姿だし忘れてたからあんな会話してたんだろうけど」
「おにーさんも大変だね」
「あんた、わかってないでしょ……」

 まるで気づかなかったけど、そんな会話が行われていたことを知ったのは後日のことである。もちろん判明した日の二人の食事のランクがグレードダウンしたのは言うまでもなかった。



 翌日、私は早めに仕事を切り上げ香霖堂へと足を運んで霖之助との会話に勤しんでいた。
 昨日こいしに元気づけられたこともあってか、今日はよく舌も回る。無意識の模範としてこいしを参考に動きを思い返しては脳内でトレースしているが、たまに本当に意図の読めない動きがあって中々再現しにくいものがあった。
 こいしの心は読めないが、動きを想起して真似ることは出来る。覚妖怪の肉体としての能力の使い方だ。まあ、人妖相手に効果的なのは精神への想起だから肉体への想起は私もかなり久しぶりである。

「まるで、こいしみたいだな」

 妹のことを思い返しているのか、霖之助が薄い笑みを浮かべる。……笑顔?
 昨日まで私を見るのも辛い、という体だったのに。こいしに相談したと言っていたし、多少心に余裕が生まれたということかしら?
 それはそれで嬉しいけど、私に目的には足りない。さしあたり、私がこいしでなくさとりなのだときちんと言ってあげなければ。
 そう言って注意してやろうとした矢先、珍しく店のカウベルが再び音を鳴らした。
カラ、ン。

「香霖堂、元気してる? 改めて本の批評お願いしに――」

 勢い良く入って来た人物を見やり、頭部や背中に羽があることを認め妖怪だと判断する。しかし私自身は知らないが、以前霖之助の記憶を読んだ時に見たことがある。
 その正体は、皆から朱鷺子と呼ばれる少女だった。以前、霖之助が彼女に対して暗澹として気持ちを抱えていたことがあり、それを慰めたのは他ならぬ私なのだから覚えていないはずがない。
 そしてお空やこいしからの情報によると、あの子達の友達ということでもあるそうだ。おそらくこいしが一ヶ月世話になった友達というのは彼女のことね。妹がご迷惑かけます、ありがとう。
 こうして実際に出会うのは初めてなので、私はまず挨拶をすることにした。

「こんにちは、いらっしゃい」
「あ、えと。こんにちは桃色さん」

 挨拶が以外だったのか、虚を突かれたようにのけぞりながらも挨拶をしっかり返す朱鷺子。桃色さんという名称は髪の色のことだろうか。ぺこりと下げた頭からぴょこんと映える一翼が疑問を示すように動き、その様子に思わず呼ばれ方のことを忘れて顔を苦笑の形に変えてしまう。お空でないペットの鳥と似たような動きで、知らず親近感を抱く。

「え、えと」
「私は古明地さとり。古明地こいしの姉で、お空の主人と言えばいいかしら?」
「あ、貴方が!? その、いつも二人にはお世話になっておりまして」
「ふふ、礼儀正しくて結構。これからも付き合ってあげてね」

 そんな会話を交わしながら、私は彼女が香霖堂へ来店した理由を探る。霖之助の前だから読心能力を使うわけにはいかないが、開口一番の台詞と記憶をさかのぼって考えるに自作した本の感想を求めに来たようだ。同好の士ね。
 私が霖之助を元気づけ彼女の家に行って以来、確か自作した本を読まれて一悶着あったそうだが結局は本の校正を手伝ったりすることをしているらしい。その内容は確か――

「……………………」
「あ、あの?」

 朱鷺子がおずおずと不安そうな声を上げる。……いけない、思い出した情報を理解して少し思考が凍ってしまった。
 朱鷺を題材にした絵本。そこまではいい。
 問題は内容だった。
 どう思い返しても、これは霖之助をモデルとした男性の話である。彼には世話になったから偶然そうした、ということなら問題ない。けれど、恋慕事に繋がる話であるなら放っておくわけにはいかない。
 だって、だって――いずれ霖之助は私を好きだと言ってくれるのだから、朱鷺子が叶わぬ願いを抱き続けるのは可哀想ではないか。
 まず、朱鷺子が霖之助に抱く気持ちの真意を知らねばならない。霊夢ほどでないにせよ、無償で知識や知恵を貸す程度には霖之助の中で彼女の位置は上だ。
 私の胸中を知ってか知らずか、朱鷺子はおずおずとした様子で私を気遣ってくる。けどその必要がないことは自分が一番理解している。だから安心させるために私はとりとめのない台詞を言おうとして、

「あの、そんなに無理して大丈夫?」
 
そんな朱鷺子の気遣いの声に、反射的に違う言葉を言い放った。

「少し良いかしら」
「ほえ? あ、ちょ、ちょっと、お姉、さん?」

 扉が開いたままなのは好都合。私は朱鷺子の手を取りそのまま外へ出ようと歩き出す。さほど力は入れていないけど、突然のことに流される朱鷺子は何の抵抗もしなかった。

「さとり、一体どうしたんだ?」

 でも、その行動は霖之助に止められる。
 唐突な私の行動に驚いたのは朱鷺子だけでなく、笑みは浮かべど口数が少なかった霖之助もだった。霊夢や魔理沙ほどではないにせよ、彼女も彼の中では心配を覚えるほどの位置にいるのだろう。
 朱鷺子の手を取ったまま、決して離さず霖之助に振り返る。

「色々とお話するだけよ。大丈夫、あなたの用事は私でも手伝ってあげられるわ。自分でも本を書いたことがあるの。きっと助けになれる。……色々と。貴方は、どう?」
「……………うん、いいよ」

 頷く朱鷺子。了承を得られた私は霖之助に少し席を外すと言って改めて外へ向かう。やはり朱鷺子はさほど抵抗らしい抵抗も見せず、素直についてきた。
 外に出て十分に香霖堂から距離を取ったことを確認し、私は改めて朱鷺子に話しかける。

「さっきの言葉、どういうことかしら?」
「さっきの言葉、って桃……お姉さんが無理をしているってこと?」

 その発言に、私は聞き違いでなかったことを再認する。努めて落ち着いた声音を維持しながら、私は質問を続けた。

「無理をしている、なんてどうして思ったの? 見た通り、私は健康体なのだけど」
「ええっと、その」
「隠さなくていいわ。私にとって大事なことだから、どうしても教えて欲しいの。……いけない?」
「あ、いえ。大丈夫、です。私、お空やこいしと付き合っていて観察力が磨かれたっていうか……ちょっとした他人の気持ちとか結構な確率で当てることが出来るようになったの。お姉さん、なんだかそういう雰囲気が漏れていたっていうか……そんな、気がしたの」

 これは、また。驚いた。
 彼女はお空の飛ぶ姿を観察して取り込んでいることは知っていたが、こいしにも同じようなことをしているなんて。お空によって磨かれた『視』る力が無意識の手ほどきによってサードアイとまでいかずとも高度な読心術を会得するに至ったようだ。
 大したことのない妖怪、なんてレベルではない。すでに彼女はいっぱしの妖怪だろう。純粋にスペルカード戦を行えば、今までの異変に関わった面々にも引けをとらないのではないかと私は予想する。
 でもそれはまた別の機会の話。今は私の心を隠蔽するのが先だ。

「――そう。一つ、お願いがあるの。私が無理をしているということは霖之助には伝えないでくれない?」
「どうして? 心配するんじゃないの?」
「それは嬉しいけど、今は駄目」

 少し躊躇を覚えたけど、私は悩んだ末に自分の計画を朱鷺子に打ち明けることにする。下手に隠すより、自分の気持ちを知ってもらい朱鷺子の出方を伺うという意味もあった。
 全てを言い終えると、朱鷺子は絶句、いや放心するように口を開いたまま私を見据えている。……私は今だけ、第三の目を開いた。

「――『この人も、やっぱり香霖堂が好きなんだ』、ね。そう、やっぱり貴方もなのね」
「あ、そっか。心、読めるんだっけ」
「ええ。私に隠し事は出来ないわ。貴方が、霖之助のことを好きだってことも」
「あの、勘違いさせちゃうと悪いから言うけど……香霖堂のことは好きって言えば好きだけど、お姉さんの言う好きとは違うと思うの」

 ぴくりと片眉をひそめる。
 私の好きと違う? 何を言っているのだろう、この子は。

「貴方のその本、自分と霖之助をモデルにした二人を夫婦にしているでしょう? それに、貴方の記憶が霖之助への気持ちを恋慕だと証明しているわ。好きでないなら何なの?」
「…………うーん、まあ、そう言われたら確かにそうなんだろうけど、それでも、違うの」
「何が?」

 知らず、語尾が強くなる。いけないと思いながら、それを止める理性は薄い壁にしかならなかった。
 次に出るのが荒々しいものであると知りつつ、朱鷺子にそれを向けようとして、

「私は好きでしかないけど、お姉さんは香霖堂のこと愛してるんじゃないの?」

 強制的に、封殺された。

「あ、愛?」
「違うの?」

 きょとんとした無垢な疑問に、むせる。たまらず咳き込んだ私の頭から、一気に朱鷺子への感情が飽和される。狙ってやったのなら大したものだけど、心の底からそう思っていることはサードアイを通じて理解させられる。だからこそ、私は急激に込み上がってくる羞恥心と体温の上昇を止められなかった。

「よく恋はして欲しいことと思うこと、愛はして上げたい思うことって聞くよね。今のお姉さんはやっぱり恋かしら?」
「おほんおほん」
「でもあれって境界が難しいよね。お姉さんが香霖堂に告白したのは愛してるからだって言われても納得しちゃうもの。だからそう決めつけるのって違う気が」
「な、なぁにが言いたいの?」

 動揺を隠しきれず、変に声が裏返る。落ち着け私。落ち着け。どうして他人の口から言われるとこうも恥ずかしくなるのだろう。こいしとは素直に話してたじゃない!
 と顔にあまり出したくなかったけど出してしまうのは避けられないので、せめて心だけは平静を保とうとする私に朱鷺子は続けた。

「無理をしてるっていうのもそうだけど……慣れないことはしないほうが良いと、私は思う」

 急に、感情が沈静化する。
 そんなこと言われても、ならどうすればいいというの? 欲しいものを欲しいと言うのもいけないの?

「だって、そういう慣れないやり方じゃないから続いてるんだし、気になったんでしょ?」
「貴方に、何が」
「少なくとも、香霖堂が貴方のことを話している時は私が好きな顔をしてた」
「………………………え?」
「うん、教えてくれたから言うけど、とっても羨ましいって、嫉妬した。ああ、香霖堂はその人のことを大事にしているだなって思い知らされた。……でも、今のお姉さんは香霖堂がそんな風に語ってくれるようなお姉さんなの? 少なくとも、私はそう思わない」

 私がこうなったのは霖之助のせいだ、と朱鷺子に言うことが出来れば楽になれた。言っても良かった気がしたけど、言えなかった。
 似ている、と思った。
 朱鷺子は、前の私だ。
 私が霊夢に対してそう思っているように、朱鷺子も似たような感情を覚えたのだ。けど、それなら何故私の好きと違うの? 今はただ、その質問の答えが欲しい。

「貴方は、香霖堂を支える人だから」
「霖之助を、支える?」

 頷く朱鷺子。私には理由がわからなかった。

「香霖堂が私の本を批評してくれるようになったのは――見返りを求めずに助けてくれるようになったのは、お姉さんのおかげなのよ? 貴方が、私への罪悪感を抱えていた香霖堂を救ってくれたこと、忘れてしまったの?」
「忘れてなん、か……」
「なら、わかるでしょう? 香霖堂が好きな古明地さとりは、今のお姉さんじゃない。きっと、香霖堂と出会ってからの古明地さとりが、好きなんだと、私は思う」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃が私を襲う。
 ライバルは全て潰す、と言うのは言い換えれば力ずくで奪うということだ。それはある意味で真理だし、私は今までそうして生きてきた。
 けど、私があの時に霖之助を慰めた時、力を使った? ううん、違う。力と対極の、言葉で私は霖之助を慰めた。慰めることが出来たのだ。

 ――でもね霖之助、現実はえてしてそんなものよ。努力したから結果が付いてくるわけじゃない。悪い方向へ向くことだってある。けどだからと言ってそこで歩みを止めたら何も変わらない。

「………………」

 自分で言ったことを、忘れていた。
 努力したから、告白したから結果が付いてくるわけじゃない。今まさに悪い方向へ向かっていた。
 それを教えてくれたのが朱鷺子だというのが、めぐり合わせというのはつくづく数奇な言葉だと思い知らされる。
 あの時と今を照らし合わせると、霖之助は朱鷺子で私は霖之助、そして朱鷺子は私になる。あの時とは状況や人物が違うけど、似たようなものだ。

「でも、私は追い求めることがそこまで悪いことだとは思わないわ」

 打ちひしがれるように動かない私を気遣ったにか、朱鷺子は慌てるようにフォローを差し込んでくる。

「だから、少しやり方を変えてみればいいと思う。香霖堂とお姉さん、本音で語れる相手同士なんでしょ? だったら、今更嘘なんてつかずに本音で語ればいいと思う。……まあ、最初に嘘ついた香霖堂が悪いからこじれたんだろうけど」

 たいがい駄目人間、もとい駄目ハーフだよね、と付け足す朱鷺子。確かにね、と私も釣られるように同意した。

「うん。何より何より」

 一つ頷き、朱鷺子は踵を返す。向かう先が香霖堂でないことに気づき、私は彼女を呼び止める。

「どこへ行くの? 香霖堂はそっちじゃないわ」
「え?……お姉さんも大概鈍感ね」
「?」
「お邪魔虫はくーるに去ります、ってこと。こういう時は空気を読むものだって永江さんも言ってた」
「別にそんな…………」
「第三者から見ればそうなるの。本の批評はいつでも出来るけど、仲直りとかはタイミングが重要なのよ? 手遅れになる前に、早くしたほうがいいと思う」
「あ…………」

 言うだけ言って、朱鷺子は翼をはためかせる。
優雅に広がる両翼が大きく動く。音も重力を感じさせぬほどの浮遊感、蒼天の空へ駆け上がっていく様に私は目を奪われた。美しく空を飛ぶ朱鷺という幻想が現実になるのは近い、と直感した。


「私じゃ香霖堂を助けてあげられないから。よろしく……お願いします」
「……はい。ありがとう、朱鷺子さん」

 ぺこりと頭を下げ、感謝を捧げる。多分聞こえないと思ったが、それでも礼を言わないわけにはいかなかった。
 朱鷺子が見えなくなったのを見計らい、私は懐に手を伸ばす。
 そうして取り出したのは、霖之助との友情の証である通信ピアス。告白から今までずっと使っていなかったそれに魔力を通し、私は深呼吸して――彼を呼んだ。

「霖、之、助」







 時が、止まった気がした。
 思わずメイドを探してしまったが、もちろん居るはずがない。
 止められたのは、唐突に、あまりにも唐突に懐から聞こえたピアスからのさとりの呼び声。突然朱鷺子を連れて行ったと思えば、まさかの通信だ。数秒ほどの思案の後、僕はおそるおそるピアスを取り出した。

「――――久しぶりだ、ね。こっちを使うのは」
『ええそうね。たくさん話していたけど、こっちでは本当に。ふふ、一ヶ月も経ってないはずなのにね。もう何年も使ってない気分』
「そう、だな。どうしていきなり?」
『確認、しようと思ったの』
「確認?」
『そう、確認。私達の始まりを』

 さとりの声が、はっきりと耳に残る。
 あれほど拒んでいたとは思えぬほど、穏やかな口調に変わりはないはずなのに、含んでいる空気が僕の恐怖を取り払い、心の安定を加速させる。
 そして、始まりという単語に僕はお燐が香霖堂にやって来た冬の日を思い返す。
 さとりの暇を紛らわせないかとやって来た彼女のために、僕が提案した歴史書作成の手伝い。
 結局僕が本を出す前に阿求が地底のみならず近年の異変に関わった者達の詳細をまとめた本が発行されたが、今は関係ない話だ。

『最初の会話は拙かったわね。私達』
「主に拙かったの、さとりだけどね」
『慣れてなかったんですもの。仕方がないわ』
「苦労したよ。一つ尋ねるたびに十秒以上も沈黙されるんだからな」
『心を読まない会話と、何の変哲もない雑談が難しかったの。察してよ』
「ああ、知ってた。だから慣れさせた」
『その点は、感謝してるわ』

 一つ一つ、ゆっくりとあの日々を想起する。
 最初は初見の客相手へのサービスだった。だが慣れてきたさとりとの会話は心地よく、気づけば想定以上の雑談をしていた覚えがある。客がいない間に使っていた読書をさとりとの通信に使うほどに、僕はのめり込んでいたと言ってもいい。

『いつしか、私はそれがとても楽しみになった。だから、歴史書の作成が終わるって聞いた時はすごく、ううんとても寂しかった』
「最初僕は、そう思ってなかったけどね。思った以上にクールとは感じたが」
『精一杯の虚勢、だったのかしらね。素直に言うのがみっともないと思って。けどこの時間が終わるって思ってたの、私だけだったわね』
「そこは、アフターサービスってやつかな。でも、僕だって最後は利益じゃなく理由で君に会いに行ったんだよ」
『………………うん、本当に、嬉しかった』

 喜びを凝縮するようなつぶやきに、僕はあの告白以降始めてさとりとの会話で唇の端を吊り上げる。無意識に刻んだ表情に気づき、僕はああやはりと納得した。

『友達が出来たの、始めてだったから』
「僕も心が読める友人が出来たのは始めてだった。さらに心に浮かべた情景を具現化させるとまで来た。中でも、あの夜の篝火を見せてくれたのは本当に感謝している」
『偶然、ううん必然? そう断定してもいいかもしれないほどだったわね、あれは。……それに』
「それに?」
『知ってる? 私はね、あの時の霖之助を見て、貴方を好きになったって事』
「すまない。僕の中では、あの告白までは得難い友人だった」
『やっぱり。言って正解ね』

 ため息が通信越しに聞こえる。よほどの念が篭っていたのか、吐息以上の感情が込められているような気がした。こればかりは申し訳ないと弁明するしかない。

「ただただ純粋に感動していたんだ。そういう気持ちは、抱けなかった」
『確かに、ね。でも、普段の霖之助からは似つかわしくないほどの純粋な笑顔だったのははっきりと覚えてる。私はあの顔が好きだった。だから、決意までに時間はかかったけど、行動したの』

 ――カランカラン。
 香霖堂の入口に備え付けられたカウベルが鳴る。来店を告げる音と一緒に開かれた扉から入ってきたのは、言うまでもない。地底の主にして覚妖怪。そして友人、としてしか見ていなかった少女。
 拒絶反応すら湧き上がる虚ろな瞳はそこになく、閉じられていた第三の目もはっきりと見開いた。
 僕が作った通信ピアスを手に持った、古明地さとりがそこにいた。

「やっぱり、第三の目が使えなかったのは演技だったのか」
「気づいてたの?」
「確信したのはついさっき、通信越しの声を聞いてから。推測自体はしていたが、僕の希望が多分に混じっていたからね」
「そう。……感想は?」
「ごめん」
「許しません」

 譜面通りに受け取れば未だに怒っているとも取れる台詞は、それが嘘でことを滲ませている。そんなあまりにもあっけない問答で、今までのぎくしゃく感が消えていく。けれど、さとりはそこにただし、と付け加えた。

「もっと、話しましょ」
「今しているぞ」
「意地悪ね。私の気持ち、わからない?」
「あいにく、君の好意にとんと気づかなかった男だからね」
「なら、精一杯を言葉にするしかないわね」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「覚妖怪にこんなこと言わせるなんて、ずるい男」
「商人だからね。ずるくてなんぼだ」
「そっか、商人だっけ」
「何だと思ってたんだ」
「私の、好きな人」

 息が詰まり、呼吸が正しく行えなくなる。
 告白後さんざん言われた『好き』であるが、今のは、ちょっとまずかった。
 こう、元に戻ったところの空気感や会話で癒されていた身としては、不意打ちにも程があった。
 ああそこ、してやったりって顔をするな。確信犯か。

「閉じるわけ、ないじゃない。だって、霖之助が友達になったのは、私が貴方を好きでいられたのは――自分が、覚妖怪だから。好きになれた理由を自分から潰すなんて、するはずないわ」
「……………もう許してくれ。調子が狂う」
「なら、何をすればいいかわかるでしょ?」
「そうだな、まずは――」

 お茶でも、淹れようか。
 そう言って、僕はお勝手へ向かった。
 さとりは適当な椅子に座りながら、そんな僕の背中をじっと見つめていた。








「あ、来た来た。天然の明かりが来たわよ、霖之助」

 さとりの声に、夜の闇に星の明かり染まっていることに気づく。
 日が落ちると同時にさとりの指示に従って窓際へ移動し、向かい合って会話を続けていたのだが、夜になっても明かりをつけずに居たのはこのためか、と月明かりに照らされるさとりを見やる。

「夢幻じゃないけど、天然の篝火も良いものじゃない?」
「篝火という単語自体、天然とは言えないと思うけどね」
「原理はどうでもいいじゃない。大事なのは情緒よ。そういうのが良いんじゃない」
「わかってるわかってる、僕もこういうのは嫌いじゃない」

 窓を見上げてみれば、夜空に輝く星が見える。今は季節が夏ということもあり、雲のない夜空からは多くの光が伺えた。
 ……そうだな、そろそろ言うべきか。

「さとり、折角だから外に出ないか?」
「霖之助がそう言うのは珍しいわね」
「何、君の言う情緒ってやつだよ」
「そうね。貴方は興味あることには行動力を発揮するもの」

 そういうことだ、と残し僕とさとりは早速外へ出る。香霖堂のカウベルが、行ってらっしゃいと挨拶をしているように感じるのは、発想が幼稚だろうか。
 外出した僕らを出迎えたのは、満天の星の輝きだった。空気が綺麗だから見える星によどみはなく、月光と星光は平等に幻想郷へ降り注がれている。
 季節上、今見れる星座はさそり座だ。香霖堂は魔法の森の入口に住居を構えているため、僕らはもう少し開けた場所に移動することにした。
 程よく星が見える位置までやってくると、早速観測することにした。流星祈願会と違い、はっきりと星座を見るためのものではない。

「はっきり見えるわね。あれは確か、さそり座だったかしら」

 と、さとりのほうが先に見つけてしまったようだ。彼女も本を嗜み、執筆する身。そういう雑学も覚えていたのかもしれない。

「さそり座をさとりが見つけるとは、何か因果でもありそうだ」
「一字違いなだけでしょ。私に尾はないわ」
「毒はある、と」
「………………」
「すまない、失言だな。だから睨まないでくれ」

 もう! と頬を膨らませるさとりを宥めながら、僕は矛先を逸らすべく話題を変えることにする。

「星座と言えば、妖怪の名前を模した星座のことは知っているかい? 例えばオリオン座の三つ星は伊吹童子座とも呼ばれているんだ。別の神話ではオリオン座を模した英雄はさそりによって息絶えた。なら、地底の鬼の上に立つ君はその星座に居てもおかしくはないかもしれない」
「馬鹿言わないで。勇儀がそういうのに興味ないだけで、鬼に勝てるなんて思ってないわ。……けど、伊吹童子をも退けるこの星座は一体何の妖怪が適応されるんでしょうね」
「案外、青龍座ってところかもね」
「青龍座?」
「星の数え方の一つに、二十八宿(にじゅうはっしゅく)と呼ばれるものがある。月の通り道である白道に沿って選ばれる星座のことを示す。さそり座が東の空に上る頃、オリオン座は西へ隠れてしまうそうだが……鬼を負かす存在で、妖怪星座に適応されるのはそれこそ龍神しかいないだろう。ゆえに、東方を守護する青龍を適応する」
「役者不足よ、流石に。それに竜ならどちらかと言えば蛇のほうが近いんじゃないかしら」
「単なる雑談一つで怒る程龍神は暇じゃないさ」

 本当に話題一つに介入するほどの神経質なら、それは最早龍神ではないと僕は思う。名を語る別物だ。相手は創造と破壊を司る最高神。10か0しかない存在がそこまで細かったら、幻想郷はおろか世界すら生まれない。

「けどやっぱり、そういう話になるなら私はさそりでいいわ」
「そうかい?」
「そんなに強い力を持ってもね。ただ、鬼を倒せるほどの毒があるというなら、それだけで十分よ」
「読心能力が、それに値するのかな」
「確かにね。これはある意味で毒よ」
「けど、毒は薬にもなる。害を与えるだけじゃないさ」
「……遠まわしに褒めてる?」
「かもね」
「そこは断言しなさいよ」

 仕方ないわね、と微笑を浮かべるさとり。すまないね、と一つ残し僕は続けた。

「オリオン座を冠した英雄オリオンはそれこそ伊吹童子座を関するほどに強大な存在だった。けど、そのオリオンすらさそりに殺されてしまう。それほどの脅威なんだよ、さそりの毒っていうのは」
「ええ、知ってる。鬼ですら酒という強みにして弱みがあるんだもの。英雄にだって弱点はあるわね」
「ああ。どんなに強くとも、策を練ろうとも、遅かった。毒を打ち込まれていたことに気づかなかった時点で、負けていたんだ」
「小さく鋭く、気づかぬうちに刺さったものが自分を殺すだなんて、怖いものね」
「ああ。だからさ、さとり」

 会話に紛れ込ませ、なんでもないように僕は言った。

「僕のさそりになってくれないか?」
「…………頑張ってその言い回しにまでこぎつけたのは評価するけど、ごめん。その口説き文句は、正直ないわ。私が編集者なら書き直しを要求するレベル。貴方にとってはどれほどのものかわからないけど、私にとって今この瞬間は一生ものなのよ? もっと、大事に言って」
「頑張ったつもりなんだけどな」
「もっと努力しなさい。主に私に向けて」
「善処し……精進しよう。英雄がさそりに勝てなかったように、僕もさとりには敵わない。今回のことで、強くそう思った。多分、さとりとそういうことになったら絶対負ける」
「ようは、私に貴方の弱点になれってこと?」
「ああ。弱点っていうのは文字通り弱みで、致命傷だ。大事に守らなきゃいけないだろ?」
「それで満足しろってこと?」

 察してくれて何よりだ。……ああ、やはりさとりと会話する時はこういう距離感が、一番心地良い。

「…………………駄目、かな」
「条件が、一つ」

 またかい、という軽口は飲み込む。さとりの表情が、真剣なものへと切り替わっていたからだ。
 さとりは懐からピアスを取り出し、それを左耳につける。僕はその行動を無言で見守った。
 そうして、彼女は言った。

『もう一度聞くわ今、私に対して抱いている想いを教えて」

 耳元で、目の前で、さとりの二重の声音が胸に届く。
 その行動に何の意味があるかなんて、言わずともわかる。
 きっと、これが最後だと強く思う。
 だから、僕はこう答えた。

「目を、閉じてくれないか?」
『え?…………………え!?」
「聞こえなかったかい、目を」
『い、いい、いい聞こえてる」

 そうしてさとりは、痛みすら覚えそうなくらい強く目を閉じて僕を見上げた。ご丁寧に第三の目まで一緒だ。こんな状況だと言うのに律儀なさとりに笑いと呆れの混じった声が漏れてしまう。
 僕もまたピアスを取り出し、右耳につけて起動させる。実際にピアスを身につけるのは、これが始めてだった。
そうして一歩、さとりに歩み寄り彼女の華奢な右肩に左手を乗せる。びくり、とさとりの体が震えた。
 僕は彼女の期待に答え――ず、空いた右手で第三の目を持ち上げ、その目蓋に唇を落とした。
 その感触が届いたのか、目を開ききょとんとして僕を見つめるさとりと、目が剥くほどに瞳を開いた第三の目の三つの視線が刺さる。
 やがてさとりは僕にされたことを理解し、自分をわななかす。絶叫にも近い叫びと予想した僕は、次の行動に入る。

『こ、この期に及――んう!?」

 その行動とはさとりの口を塞ぐこと。蓋をするのは当然のように――

「さとりに対して抱いている想い、改めて言おう』

 口を塞いだそれを離し、伝う銀糸がさとりの唇の端に垂れる様子を眺めながら、僕はさとりの告白に対する返事をした。

「愛おしい、かな』

 返事はなく、さとりは沈黙を続ける。
 ただ、さっと顔を下げて表情を隠し僕の胸に額を寄せ、無言で頭突きを繰り返す。と言っても痛みはなく、髪から覗く耳元の色が朱に染まっているのを見ればしてやったりと頬が緩むばかりだ。

『………………そこまでするなら、きちんと言ってよ」
「それは、悪かった』
『あと、その…………するならもっと素直にして」

 胸元から離れても、さとりは顔を俯かせたまま両手の人差し指をもじもじと絡ませたりつつき合ったりと忙しない。そんな彼女に苦笑を漏らし、僕は明後日のは方角を見ながら頬を掻く。
 僕はここでピアスへ送っていた霊力を切る。もう、十分だ。

「『さとり』妖怪は不意打ちに弱いんだろ?」
「いぢわる」

 それはどちらの意味なのか。
 さとりもまたピアスへの霊力供給を止め、互いに自分の声だけになる。

「知らなかったのかい、商売人は意地悪でなんぼなんだ。恨むなら、まあ、そんな奴が好きだっていう自分の感性を恨んでくれ」
「恨みつらみはないわね。だって、後悔してないもの」
「……そう素直になられると、困る。心を読む覚妖怪じゃないのか?」
「たまには、ね。知らなかった? 女の心は妖怪の本能より強いのよ」

 そのドヤ顔を見るに精神が復帰したようで、いつもの調子を取り戻しているようだ。とはいえ頬にまだ朱がさしているのを僕は見逃さない。
 っと、急に不機嫌になった。どうやら心を読んだらしい。別にその程度の指摘くらい流せばいいものを。

「恥ずかしいのよ」
「僕からすれば、常時好きだと言うほうが恥ずかしいと思うんだが」
「生憎ですがもう打ち止めです。……だって、もう必要ないから」

 さとりがそっと僕に寄り添う。互いの身長差から、目を合わせられないのが不便と思い僕は地面へ体を投げ出す。さとりも、腰を下ろして座り込んだ。

「そうかい? 今言うのも卑怯かもしれないけど、いや今だから言うのかな。さとり、今の僕で本当に良いのか?」
「霊夢のこと?」
「さとりから言うとは思わなかった」
「いいわよ。それを踏まえた上での結論だもの。……どんなに誤魔化しても、変わらない結論というのはあるものだわ」
「なら、改めて言うよ。僕は常に君を大事にする。何せ、弱点だからね。けど、たまに……たまに、霊夢を優先するかもしれない。それでも、いいかい?」
「いいわよ」
「…………あっさりだな。結構、勇気使ったんだが」
「私にとってのこいし、と思えばいいんだもの。ああでも、私にとってのこいしは貴方にとっての朱鷺子? それとも魔理沙?」

 即答は出来なかった。
 彼女たちはそれぞれ違うのだ。同一に見ることは難しい。

「貴方が霊夢に向ける気持ちの根源は、男女のものじゃない。下手につついてしまったうえに、彼女があまりにも無防備だからそう錯覚しているだけ。それを、今後じっくりわからせてあげる。だから、構わないわ。けど、今は」

 つぅ……とさとりは自分の唇を指でなぞる。
 その動きを追いかけていると、彼女はその指で僕の唇を同じようになぞった。

「今は、これで騙されてあげる。だから、また騙してね」
「あれは嘘じゃないぞ?」
「知ってる。知ってる上で受け入れる。覚妖怪を騙せる機会なんて、そうそうないわよ?」
「これは、また。苦しい嘘になりそうだ」

 さとりは何も言わずに破顔する。
 横を向けば、彼女の顔がそこにある。さとりは第三の目を掌に収め、こちらへ向けて来て――再度、僕の唇に軽く触れて離れる。

「バードキスって言うのよね、これ」
「…………フレンチキスとも言うね」

 一体、何がしたいんだ?

「マーキング」

 そう言って、さとりが笑う。
 ……ああ、なんか、もう駄目だ。結構早くギブアップしそうだ。
 さとりの思惑通りに参るのも、近い将来かもしれない。
 それでもいいかな、と思うのは気のせいか。そんなことを思いながら、僕達は香霖堂への帰路へつく。
そこから先は、機会があればまた語るとしよう――








 ――そういえば、どうして愛おしいだったの?
 ――好きを上回る言葉が、それくらいしか思いつかなかった
 ――愛してる、でいいのよ?
 ――無難すぎて、ひねりたくなっただけさ
 ――本当、素直じゃないわね
 ――お互いに、だろ?
 ――そうね、だからこれからも苦労するわ、私達
 ――だろうね。だから……



『これからも、末永くよろしく』



〈了〉

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

鳩

Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
リンクはフリーです。
何か連絡があればこちらへどうぞ
noblenova☆gmail.com←☆を@に変えて送信お願いします。
バナーは目次の中にあります。

web拍手

      ↑
  お礼画像はこちらです。
  画像提供:会帆
東方・森近霖之助<いらっしゃい。折角だから、訪問記録をつけさせてもらうよ。


上記絵文字提供:うるち

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード