大きな大きな賢将

画像提供:もりゅー
 言い訳をしよう。
 目の前に立つ彼女、ナズーリンを怒らせるつもりは毛頭なかった。ほんの悪戯と見返しのつもりだったのだ。
 最初の出会いこそ商いを営む者として取引して得た収入にほくそ笑んでいたのだが、その仕返しとばかりに受けた手痛い徴収(武力でなく言論の勝負だった)により痛み分けとなった。以降は手打ちということで多少邪見にされながらも店を利用してくれたのだ。客である以上、無意味な害意を与えるつもりはない。
 買い手売り手による交渉が続けば雑談を交わす程度に口が軽くなり、転じて友人とまでいかずとも皮肉を言い合う仲になるのはそう時間がかからなかった。彼女が普段は無縁塚の近くに拠点を構えていることも、その手助けとなり今では茶に招かれることもある。
 多少の言葉では動じなくなったことで口は軽くなり、お互いの能力が共有しやすいものと判明すれば依頼をしたりされたりすることもある。結果、僕達は数少ない上等な取引が出来る良客と店主の関係を築いていた。力関係がやや(ややである。決して負け越してなどいない)彼女に寄っているのは遺憾であるが、我慢できないわけではない。
 今回の一件も、その延長に過ぎないやり取りだったはずだ。一体どこでボタンを掛け違えてしまったのだろうか。

「店主。戦争は外交の延長線上の手段であることは知っているだろう?」
「物騒なことを言わないでくれ。言い分の予測がついてしまうから怖い」

 瞳の中に静かな怒りを乗せながら物騒な物言いをするナズーリン。交渉とは話し合いであり、そこに物理的被害を出すのは賢いやり方ではないと思う。態度に出すことが出来ない僕に代わり、店内に無造作に置かれた道具達が音を鳴らして震えているのは気のせいか。皮肉を超えて殺気さえ浮かびそうな気迫を前に僕に残されているのは、ただこんな現状に至った経緯に対しての後悔の念を浮かべる他ない。

「ナズーリン、その、だな」
「いやいや、騙し騙されはけんどんな商人様からすれば当然だし、言いくるめられた私も悪いんだ。何も、そう何も悪いことはない」
「あー、なんだ、こうなるなんて思ってなかったわけで」
「もういいよ。私が惨めになるだけだ」

 先程まで発していた威圧はどこへやら、かぶりを振って肩を落とすナズーリン。妖怪であることを示す膨らんだネズ耳の部分が感情を示すように垂れ下がり、意気消沈している様子が見て取れる。今の姿でそれをやられると、非常にいたたまれない気持ちが僕の中に湧き上がる。
 すぐさま話題を変えるべく、僕は適当な会話を選んでいく。

「しかし、まったく気づかなかったな」
「暴いたのは誰だと!」

 怒気を叩きつけるように、両手で勘定台を叩くナズーリン。叩かれた台は一瞬にして亀裂が生じ、ものの見事に真っ二つとなり乗っていた様々な小道具などが床へ散らばった。普段なら片付けが面倒だと思うしカウンターの弁償代の一つでも請求するところだが、ぐっとその言葉を飲み込む。下手に口に出せば僕も勘定台と同じ運命を辿るかもしれない。痛いのも痛めつけるのもどっちも嫌である。

「くっ、久々だから力の調整が上手く…………」

 苦悶するナズーリンの様子を見やり、僕は今の彼女の全身を観察する。
 肩にかかる程度だった灰色の髪は背中に垂れるほどに伸び、魔理沙に並ぶほど小柄だった身長は僕に迫るほど伸びている。出るところと引っ込むべきところが明確になった彼女の体躯は、最早少女と呼ぶのはためらってしまう。心なし、鼠の耳部分も大きくなっているようにも見える。
 今の状態を簡潔に言えばそう――ナズーリンは今、大人の姿になっていた。



 事の起こりは、ナズーリンへの鑑定依頼から始まった。
 ナズーリンが香霖堂を利用する方法と言えば、自分や鼠達が見つけてきた道具を僕が鑑定し、名前と用途を教えその売買の交渉をするというものだった。それは店や能力として正しい使い方だから異論はない。
 いつだったか、彼女のダウジングロッドと鼠達が僕の非売品に目をつけたことがある。無論非売品故に売ることはなかったが、僕は宝に反応するという彼女達の能力に注目した。
 ナズーリンは探しものを探し当てる程度の能力を持っている。宝に反応するということはつまり、それと同じだけの価値を持つ道具にも適用されるということになる。僕の非売品達に反応したのが良い証拠であり、逆説的だが宝に匹敵するものがあればダウジングロッドや鼠達が太鼓判を押すということだ。
 そこで僕は、自分の技術を駆使して道具を作成することに着手した。
 たまに使わないと腕が鈍るというのもあったが、自分の道具がナズーリンの能力相手にどれほど通用するのか試してみたかった。己の成果が宝としての価値を持つと言われるのは職人として誇らしくもあるし、同時に宝への嗅覚が鋭いナズーリンへの挑戦でもあった。
 成果は五分五分だったが、ナズーリンもこの使い方に感心し僕が道具を作ったと聞けば素直に応じるほどに協力的になった。今回の事件も、それがきっかけである。

「依頼の内容は確か、嘘がつけなくなる指輪の鑑定だそうだが、本当かい?」
「ああ。今回のは自信作だ。嘘発見器という外の世界の道具の用途をベースにしたそれが、ついに完成したんだ」

 ギシ……と己が座る椅子を鳴らしながら足を組むナズーリンが、興味を惹かれたように声を上げる。僕は内心でほくそ笑みながら、右手に持つそれを掲げる。一見ただの指輪にしか見えないその用途は、嘘がつけなくなるというものだ。これをどうにか相手へ身につけられることが出来れば、交渉が有利に運ぶ一品になることに違いない。
 そう説明してやると、ナズーリンは今までのどの道具よりも感心を覚える表情で指輪をしげしげと眺める。どうやら初見の印象は良好らしい。

「聞いただけで心動かされるのは感情を色で示すクリスタル以来だ。それが本物ならね」
「本物だよ。前のは感情という一括りにするには多様にすぎるものを識別するせいか、人や妖怪といった思考が複雑な存在には意味がなかった。用途の名前負けだな」
「その分、私の鼠が有効活用しているよ。特に飢えに関しては役立っている。こいつらは食い意地が張っているから、いつどれくらい餌を与えればいいかわかるのはありがたい」

 椅子に座りながら尻尾の先端で揺れるバスケットをこちらへ向けるという、器用な真似をするナズーリン。そしてバスケットの中に常駐する一匹の鼠の首元には、彼女のペンデュラム同様に装飾の施された八面体のクリスタルがかかっている。
 鼠はこの一匹だけでなくもっと大量に操ることが可能らしいが、この鼠はその中でも食い意地がはっているらしく彼(彼女?)を基準に全体の判断をしているらしい。どうも鼠が食事をすると、連鎖的に我が我がと食い物を漁るようだ。苦労しているな。

「そいつはどうも。でもその割にはレア判定してくれる道具が少ないじゃないか」
「価値観は人それぞれ。私に依頼した時点で主観が私になるのは避けられぬものと気づかなかった君が悪い」
「平等に鑑定してくれると思っていたんだがね」
「主観が含まれることは否定しないが、私は平等に鑑定しているよ? まったく、信用されていないなんて悲しいね」

 やれやれと肩をすくめて落胆を表現するナズーリン。まるで悲しんでいないのに形だけするのは、逆に感情を逆撫でるのではなかろうか。

「自分の価値観に、だろ? 十人中九人が駄目というものを君が是とすれば評価は覆るじゃないか」

 主に好評だったのはどれもナズーリンが使うに適したものが多かった。全部が全部、というわけではないが彼女の好みが適応されているのは間違いない。

「作るものが珍品ばかりで大衆受けするものが少ないということに気づきなよ。食器一つ取っても普通に外見を凝ればいいのに、曲がる箸に上層と下層で温度が違うカップとか、どうにも妙ちきりんなものばかり。悔しければ汎用性の高い道具を作ればいい」
「それを普通に作ったって、単なる高級品にしかならない。レアリティが高いとはどうにも思えないな」
「珍品好きというかマニア寄りな思考というか、君はどうしようもなくコレクターだね。ま、そうでもなければこんな辺鄙な店を経営なんてしないか」
「そんな店に足しげく通ってくれるお客様も同類と思われますが?」
「ダウザーだからね」

 それは果たして答えになっているのだろうか。

「ともかく、鑑定を頼んだ」
「普段鑑定を頼む相手からそう言われるのは、何度あっても不思議な気持ちだ」

 そう言いながら、ナズーリンはポケットから手袋を取り出して手に通す。何やら鑑定時のマナーらしい。手が汚れているようには見えないが、譲れないものがあるのだろう。準備を整えたナズーリンが椅子から立ち上がると、靴の音を鳴らしながら僕のほうに歩いてくる。そうして、勘定台に乗っていた指輪を手にとった。

「むき出しとは少し評価が下がるね。箱に入れるなり何なりして大切に扱いなよ」
「善処しよう。お詫びに、君の手を取って指に嵌めてあげたほうが良かったか?」
「人数の集まる宴会でそれをしてくれるなら、抵抗はしないよ」
「僕は騒がしい宴会はあまり好きじゃない」
「だから言ったんだ」
「もっと簡潔に断ると言えばいいのに」
「不器用でね。素直に感情を示すのは苦手なんだ」
「ひねくれ者は苦労するぞ」

 お互いにね、と指輪を宙に掲げながら鑑定を続けるナズーリン。胸元に垂れたクリスタルを使えば一発だろうに、そういう事前行動も大事ということだろうか。いや、単純にナズーリン自身の鑑定眼が優れているが故の仕草だが。

「見た目を変にいじらないのは無骨で良いけど、それを良しとする者は少数派だからもう少し装飾を凝らすことをオススメしよう。私はこういう無難な作りも好きだけどね」
「元々君に見せるものだったから、意識してしまったのかもしれないな」
「今日は随分と持ち上げるね。何を考えているんだか」
「僕を怪しいと思うなら、その指輪の効果を早速試してみたらどうだい?」

 訝しげに片目で僕を見据えていたナズーリンだが、やがて指輪の鑑定を再開する。ふう、危ない危ない。
 ポーカーフェイスが出来ないわけではないが、彼女が相手では今ひとつ心もとない。しかし、今は逆にそれを利用するべきだ。僕は勘定台に両肘をつき、絡めた指の上に顎を乗せながらチャンスを静かに待ち続ける。

「内面に刻まれている紋様はどんな意味が? イニシャルでもないようだが」
「僕なりのお洒落ってやつさ」
「表面じゃなくて、見えない裏面に仕込むあたりにくい仕事だ。そういうブランド嗜好かい?」
「別段、そういう意図はないさ。全ては用途を示す道具達の意志のままに、ってね。紋様は一定じゃなく、用途次第で何にでも変化する」
「小傘が聞いたらなんて言うかな」
「小傘?」
「嘘とは無縁の妖怪さ。ところで、この指輪は一応試して効果を出しているんだろうね?」
「僕が証明できればそれでいいが、他人からすればその証明が難しい。だから君に実際に使ってもらって判断を仰ぐのが一番だろう?」
「一理ある。それじゃあ試着させてもらおうか」

 よし! と表情には出さず心の中で喝采を上げる。高揚を悟られぬよう、努めて平静な声で使い方を教えた。

「使い方は簡単、そいつに霊力なり何なりを流せばいい。それが起動の合図になる」
「なるほどね。こいつらにも効果はあるのかな?」

 そう言って、バスケットの中にいる鼠の指に指輪を通そうとするナズーリン。誰が身に着けても良いように伸縮性の機能を付け足しているといえ、いくらなんでもサイズが違いすぎる。当然、鼠の小さな手に通るわけがなかった。

「フラフープみたいに体を通すようにしても効果があるのかな?」
「そんなことしないで、さっさと自分で試してくれ」
「急かす男は嫌われるよ」

 両手の手袋を外してポケットに収めると、ナズーリンは改めて中指に指輪を通す。右手中指に指輪をつけるのは効果的に結果を出したい、という意味も持つ。他にも色々とあるが、ナズーリンが意図しているのはおそらくそういうことだろう。
 さて何を質問しようかと思案する僕に、ふとナズーリンが指輪をつけた右手を伸ばしてくる。何をするかと思えば、彼女は絡んでいた僕の左手を取って顔を寄せてきた。急な接近に、思わず顔が引いた。

「何の真似だ?」
「いや何、指輪が機能しなかった時の保険だよ。近づいたほうが表情がわかりやすいだろう?」
「それにしては近づきすぎだ」
「フフ、変人で有名な香霖堂の店主が女性には初心だったとは意外だったね」

 にやりと目を細め、重ねた手を撫でながら誘うように唇の端を吊り上げるナズーリン。子供の顔に似合わぬ仕草と目つきであったが、残念ながら目を奪われるには至らない。

「さっきも言っただろう。いきなり迫られて驚いただけだ。そういう台詞は、もう少し成長してから言うんだな」
「つれないな。それなりに付き合いがあるんだ、私のことをどう思っているかくらい聞きたいね」
「支払いが良いから客としては上等だし、性格も好みだ。でも恋情を抱くには些か見た目が幼すぎる。愛に外見は関係ないとは言うが、それでも最初に知るのは外見なんだし気にはなってしまう。それにずっと引きずられるつもりはないけどね。生憎と今の君の姿と行動に感心することはあっても、男として意識を奪われるほど経験が乏しいわけじゃない」
「言ってくれる。世の中、成長したくても体がそれについてこない大人もいるだろうに」
「そういう例もあるかもしれないが、君は違うだろう? まあ、君の外見が成熟した女性だったら男として反応した可能性はあるな」
「怖いな、君は女性に対して体の求めから入る野獣タイプだね」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。普通の考えじゃないか」

 本気で言っているわけではないのだろう、ナズーリンは軽く流しながら苦笑する。そして、こんなことを訪ねてきた。

「ところで、前に一際大きくペンデュラムが反応した古びた刀があったが、あれは一体何なんだい?」
「草薙の剣。本物だと思うがもし偽物だったとしても全身が緋々色金で作られているから、それだけでも大変希少な品だな。天下を取る程度の、いやそれ以上の力があると思っている。今は霧雨の剣と名を改めているがね」
「…………………草薙の剣だって? あれが? それに霧雨と言うのは、あの白黒の魔法使いのことかい?」

 驚きに目を大きく見開くナズーリン。しかし魔理沙のことを質問されたので、僕はそっちを答えてやる。

「ああ。元は彼女が見つけたものを、草薙の剣であることを教えず交換条件で引き取った」
「酷いやつだな、君は」
「代わりに貴重な緋々色金でミニ八卦炉をコーティングしたんだ。確かに等価交換とは言いがたいが、保管料込みとも言える」
「物は言いようとはこのことだね。で、どうして霧雨という名前を?」
「彼女が寿命を全うして死ぬか、魔法使いとして生きるかは今の僕にはわからない。けどどう転んでも、遠い未来に人間としての霧雨魔理沙は存在しない。けどこの剣があれば、そこに人間としての霧雨魔理沙が居たことは証明される。つまり、そういうことさ」
「良い兄貴分しているじゃないか。紅白の巫女には何かないのかい?」
「霊夢にはそういう特別は必要ない。意味がないとも言えるかな。毎日が特別で、何もかも平等に、あけすけに生きる。ずっと変わらないさ。僕が何をしても、きっと」
「随分な扱いの違いで、巫女が可哀そうだね。ま、わかる気はするよ」
「だろう?」
「しかし、かの有名な天叢雲剣がこんな古道具屋に眠っていたとは。宝塔といい、店主はご主人とは違った意味で宝を集める能力があるのかもしれないな」
「そう言ってもらえると道具屋冥利に尽きる。ま、絶対に売らないけどね」

 ふと、ここで僕はあまりにも素直に心情を吐露どころかあの剣のことまで話していることに気づいて口をつぐむ。普段ならこういう話題はさっさと終わらせるのが常なのに、ナズーリンからの問いに対してぺらぺらと喋ってしまう。その違和感に眉をひそめていると、ナズーリンが笑みを深めていることに気づき慌てて彼女の右手を振りほどく。
 すると、僕の左手の小指には先ほどまでナズーリンが右手の中指につけていたはずの指輪がはめられていた。

「いつの間に」
「客にトリックを気づかせないようにするのは、手品師の嗜みさ」
「ダウザーじゃなかったのか」
「言ったろ、嗜みだって。本業じゃあない」

 本物の指輪はおそらく、僕の左手に触れ口を挟んだ時点ですでに入れ替えていたのだろう。いつすり替えたのか、霊力を注入したか知らないが手品を嗜みと言うからには言葉通り相手に気づかれないよう動くなんて造作もないことなのかもしれない。

「しかし、草薙の剣のことも驚いたが……なるほどどうして。店主が私のことを好いているとは気づかなかった」

 霧雨の剣のほうが驚いたとは思うが、今のナズーリンにしてみれば僕をからかうほうが重要らしい。僕としてもあまり突っ込まれたくない部類のものなので、ここは羞恥に耐えて話題に乗った。

「言っただろう、好きなのは性格だって」

 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべるナズーリンにぼやきながら僕は指輪を外す。くつくつと、嬉しそうに、おかしそうな様子の彼女になんとも言えず渋面を作る。

「精神に重きを置く妖怪からすれば、告白のようなものに違いない。なるほどね、なるほど。非売品よりずっと面白いものを聞かせてもらったよ」

 最早何も言えなかった。してやられた僕は紛らわすようにナズーリンに証明を急かした。

「もういいだろう。さっさとそのクリスタルで鑑定して僕を安心させてくれ」
「自分の身を持って知っているだろうに」
「商人が保証を欲しがるのは嗜みだろう」
「なるほど確かに。嗜みなら仕方ないね」

 揶揄するように手を振りながら、ナズーリンはペンデュラムを起動させる。胸に垂れた八面体のクリスタルは淡い輝きを発しながら、ゆっくりと浮かび上がり僕の手のひらに乗る指輪を示し明滅する。何度か見た、レアアイテムを証明する反応である。

「お見事、わかってたけど、上手くいったようだ」
「ああ。――本当に、ね」
「なんだい、やけに含むものが――っ!」

 はっとして、ナズーリンは己の右手を見る。正確には、指輪をつけていた中指を、だ。
 そこに浮かぶのは、嘘要らずの指輪の内部に刻まれていたはずの紋様。それが彼女の中指に淡い光と共に彩られ、初めからそういう形の指輪として嵌められていたかのように施されているのだ。上手くいくか不安だったが、どうやら賽の目は僕に微笑んでくれたらしい。
 ナズーリンは目を見開いて驚きの声を上げる。その表情にしてやったりと愉悦をこぼしていると、やがて驚愕から調子を戻した何時もの声音が耳に届く。

「一応聞こうか。これはどういったものだい?」
「言ったろ? 用途の紋様だって。この指輪と同じものさ」

 僕の言葉にナズーリンは再度指輪の内面に注視する。無論紋様はまだそこにある。けれどよく観察すれば、それが先程より薄まっていることに気づけるだろう。

「印字みたいなものさ。指輪をせずとも、同様の効果を与える」
「つまり使っても使わずとも、指輪を嵌めた時点で下地が出来て君の勝ちだったわけか。二段構えとは、やってくれる」
「いつだったか、売買交渉で同じようなことをしただろう? あれから君に一泡吹かせられないかとずっと考えてたんだ。ああ、安心するといい。隠し玉はこれだけさ」
「信用するとでも?」
「なら、こうしよう」

 見せつけるように、僕はもう一度自分の左手の小指に指輪を嵌める。そうして、憮然とする彼女に手を差し出す。

「一応起動してはいるが、不安なら君が霊力を通して起動させればいい。すぐに本音しか語っていないことがわかるはずだ」
「自分でレアだと認定してるんだ。今更そんなことしないよ。エア指輪は起動してなかったとはいえ見抜けないとは、ダウザーのプライドが傷つくな」
「起動パスワードを入れて初めて効果を発揮するからね。君の鑑定眼を欺く作りをするのは苦労したよ」

 半眼で僕をねめつけるも、己の能力に自信を持つナズーリンは確かめるような真似はしなかった。それもそうだろう、ここで僕が嘘をついていると否定するのは、ペンデュラムによって鑑定された結果が間違っていると証明してしまうからだ。

「しかしエア指輪か。正式に名前も決まってなかったし、今後はそう呼ぶとしよう」
「ご勝手に。ところでなんでこんなことを?」
「理由は三つ。単純に、君に一泡吹かせたかったというのが一つ。もう二つはさっき出来た」
「さっき?」
「一つは一応隠し通していた霧雨の剣について。お返しってことでそれと同じくらいの秘密は話してもらおうかな。あと、それなりに付き合いがあるんだ……僕のことはどう思っているかくらい聞きたいね」

 にやりと、先程ナズーリンが僕に向かって言った言葉を返す。
 僕個人としては霧雨の剣のほうが大事だと思うのだが、この件を突っ込んできたのは他ならぬナズーリンである。ならきっと、こっちをつつくほうが彼女にとってはしてほしくないことなのだろうと推測できる。
 そうすると、予想通りナズーリンは何ともと言えんばかりに口ごもる。これだ、この反応が見たかったのだ。

「好きでも嫌いでもなかったけど、この仕打ちでベクトルが嫌いに傾きそうだ。……それくらいにしようじゃないか、男の秘密と女の秘密では深い溝がある」

 口をてきぱきと動かしながらも、さっきからナズーリンはエア指輪をいじっている。どうにか効果を消せないか試行錯誤しているのだろう。霊力を目に見えて渦巻かせる程度に注入しているのが良い証拠だ。
 だが甘い。
 僕とて己の技術には自信がある。ナズーリンでは力任せに破壊するのは難しいだろうし、技術的な面で解除しようとしてもそれなりの知識が必要だ。ナズーリンは賢いが、方向性が違う。知恵に優れ頭の回転がいくら早くとも、道具を一から作れる知識を有してはいない、と思う。
 それにこのエア指輪の真髄はお手軽に外せないことにある。無論製作者である僕なら解除のためのパスワードを知っているのですぐに解くことが出来るが、初見の上に技能を持たないナズーリンでは難しい。

「ま、質問に答えたらすぐに外してあげるよ。それじゃ、君が隠していることを教えてもらおうか」

 気分を弾ませながら発した問いに答える声はない。無言を通すナズーリンに眉をひそめていると、彼女は息をつくようにほっとしていた。憶測でしかないが、今の質問では大雑把すぎたのだろう。もっと性能が高ければそれも出来たかもしれないが、残念ながら僕にはそこまでの技術はないようだ。気落ちする反面、ならば質問を絞ればいいと気を引き締める。

「してやられたことは認めよう。そろそろ勘弁して欲しいのだけど?」

 ふふ、ナズーリン。その呆けた顔に驚愕を刻んであげようか。

「おい、店主。聞いているのか?」
「ああ、聞いてないよ」
「聞こえてるようだね。さっきの質問には効果がなかったようだけど、流石に度が過ぎるなら言葉以外を行使してしまうよ?」
「む」
「む、じゃない。君がしているのは物じゃないが心の泥棒じゃないか。商人の名が泣くぞ」

 言われてみれば。

 ナズーリンに一杯食わせてやろうとしか考えていなかったが、自分のしていることが流石に洒落にならないような気がしてきた。流石に控えるべきか、と考えるも霧雨の剣のことを考えるとただで引くわけにもいかない。

「じゃあ一つだけ。僕にとって霧雨の剣は隠しておきたかったものだ。それくらいの意趣返しはしたいから……」
「元は君が私を騙そうとしたんだ。正当防衛だったと記憶しているけど?」

 気のせいだ。

「今、君が抱えている最も大きい秘密を教えてもらおうか」
「私にとって秘密は全て大きく同一なものだよ。それもまた大雑把だと思う――――」

 ナズーリンの言葉が止まる。いや、止められる。僕もまた、目の前の光景に絶句せざるを得なかった。

 エア指輪から霊力が渦巻き、身につけたナズーリンに紋様が伝っていく。広がっていくそれは、僕が刻み道具が己を証明するために展開した用途の形と異なる。明らかに紋様と異なる何かが中に混じっていた。それはナズーリンを塗り潰すだけにとどまらず、彼女を上書きするように別のシルエットを描いていった。
 エア指輪の紋様と何かが溶け合った絵の具のように混ざりあい、描き手のいない絵画の製作過程を見ているような不思議な光景はまだ続く。
 シルエットはナズーリンよりも一回り大きい人型の体躯を示していた。出来上がった線画を仕上げるように、紋様が再び形を変え色彩を整えていく。紋様は明らかにナズーリンを押しのけ、そのシルエットを完成させているように見えた。

「ナズーリン!」

 叫びに意味はなく、エア指輪は一際強い光を放ち視界一面を包むほどの輝きを見せた。僕は咄嗟に目をつむることで直視による視覚の消失を避ける。光が弱まった後に瞳を開け何が起こったのかと目の前を見やり、そのまま最大まで見開いた。

「……………………え?」

 ぽかん、と呆けたような声が喉から漏れる。瞬きし、目をこすり、その双眸の先に映る光景が嘘ではないかと確認する。しかし上へ下へと視線を動かしても、何かが変わることはなかった。

「……………………え?」

 今度は、対面するナズーリンから声が漏れる。呆然とした口調は、自分の身に何が起こったのか把握できていないのだろう。
 その身に起きた変化――そう、己の姿が大きく成長していることに。
 ナズーリンがその現実を受け入れるには、それから若干の時間が必要だった。
画像提供:もりゅー
「毘沙門天直属の部下、ねえ」

 やや荒れた店内から居間へ移動し、ようやく落ち着いて会話を交わせるようになったナズーリンから、僕は現状の情報収集に勤しんでいた。
 話を聞けば、ナズーリンは人里にある命蓮寺の尼が信仰する毘沙門天の弟子にして代理、寅丸星の監視のために毘沙門天本人から派遣されたらしい。代理といえ毘沙門天を名乗るのだ、当然の処置だと思う。
 気づかれぬように監視という名目上、ナズーリンは本来の力を隠しとるにたらない妖怪鼠として近づいたそうだ。

「どうして今の姿を隠して監視を?」
「弱者相手に油断する奴は居ても、強者相手に油断する奴はいない。もし毘沙門天様に対して含む感情があったとしても、強い存在の前ではそれを隠される可能性も考えられる。そう思っての策だよ。最も、ご主人はそんなことするまでもなく優秀だったが」

 宝物を見せつける子供、とまでは行かないが星という人物を語るナズーリンはどこか誇らしげにも見える。淹れたお茶(無論高級品だ)を口に含みながら、ナズーリンは続けた。

「簡単にばれないよう強力に術を掛けていたけど、それを忘れるくらいに馴染んでしまったよ」
「紋様に何かが混ざったのは、変化の術式を視覚化したせいか。馴染みがまだ薄い僕がこれだけ驚くんだ、寺の妖怪達はいったいどんな反応を示すだろうな」
「悪いが、正体を明かすつもりはない。命蓮寺のダウザーは、私じゃないから」
「つまり、今の君は毘沙門天直属の部下、と?」
「公私はきっちりつけるタイプでね。さて、私の抱える最大の秘密は話した。さっさとエア指輪を外してくれ」
「そのことなんだが」

 どう言ったものかとまごつく僕に、ナズーリンは口につけた湯のみをちゃぶ台に置きぎらりと目を光らせる。少女の時と比べ物にならないほどの圧力が、僕の全身を貫いていく。

「まさかここまでして外さないなんて言わないだろう?」
「外す気はある。だからその物騒な気配をおさめてくれ」
「ならさっさと頼むよ。遅れるたびに私の手がダウジングロッドに伸びそうだ」
「わかってる。そして正直に言うけど、さっきから解除パスワードを使っているんだが全く外れな……ダウジングロッドに手を伸ばすな! ほら、僕も指輪をつけているんだから嘘はついていない!」

 剣呑さが増したナズーリンの手の動きを静止して、僕は左手の小指の指輪を見せつける。ちゃぶ台を超えて顔を近づけ食い入るように見据え、やがてゆっくりと元の位置に座る。納得してくれたようだ。

「じゃあなんで外れないんだ」
「……推測でしかないんだが」
「構わない、続けて。製作者の言うことだし、少しでも情報が欲しい」
「あくまで推測だからな? 多分外れないのは、君の事前の行動のせいじゃないかと思う」
「私の、事前行動?」

 ナズーリンの怪訝な問いかけに、僕はこくりと頷く。

「最初にエア指輪を嵌めた『嵌められた、だ』どうにか嵌めてやったさい、君は大量に霊力を注いだだろう?」
「まあね。力尽くで外そうと思ったんだ」
「多分、そのせいだ。エア指輪は嘘に反応して機能を発揮する。効果を現すさい、当然のごとく霊力を使うしエア指輪は霊力で編まれたものだから、君からの強引な干渉でおかしくなって幸か不幸か従来を大きく上回る成果を叩き出してしまったんだ。僕が意図したのは、せいぜい今思っていることに対して嘘がつけなくなる程度だったしね」

 僕自身自惚れていたこともあった。強引に外されるのは予想の範疇だったが、それがこのざまである。ナズーリンにそこまでの力はない、と決めつけてしまった僕の迂闊だ。

「力任せじゃびくともしないように作ったんだが、君の力が予想以上だったんだろう。そうでも考えないと、術の解除までしてしまうとは考えにくい」

 そこまで言って、僕も自分用に淹れたお茶を含む。熱めに淹れたのだが、少しぬるくなってしまっている。いかに緊張して時間を奪われていたのかがわかるというものだ。

「少し、別の観点から攻めてみよう」

 そう言い出す彼女に頷いて見せると、ナズーリンは語りだす。

「店主が私にした最初の質問に対して、エア指輪は何の反応も示さなかった。大雑把すぎて無理だったからだ。これは、エア指輪の効果の限界を指している。けれど、絞り込んだ質問一つで私の正体を看破してしまった。質問の仕方も悪かったとは思うけどね。ともあれ店主も、そこまでの効果が出るとは思っていなかったと言う。私も予想の範囲外だと思う。なのに現実として、エア指輪は私に施された術式すら解除してしまっている」
「エア指輪の効果が著しく上がっているとしか思えない。やはり、君の力と相性が良かったんじゃないか?」
「何かを見落としているような気もするんだよね…………」
「もう一押しが欲しいかな。すまないが、右手を借りるよ」
「やましいことを考えてはいないだろうね? どうも、成長した私が好みのタイプらしいじゃないか」
「この状況下でそんなことしたら、身の保証が出来ないからしないよ」
「じゃあ、危険のない別の状況だったら?」
「この程度の要求じゃないしそういう関係になってから頼む……迂闊なことは聞かないでくれ」
「いやいや、私は効果を確認しているだけさ」

 もう十分だろう、と悪態をつきながらナズーリンのさし出すエア指輪を見やる。一見するだけでは変化はない。けれど、効果が上がっているということは何かしらの変化があるはずなのだ。それを見抜けなければ、危うい。色々と。
 僕は集中して目に力を入れる。名前と用途を知る程度の能力で、何か変化があるかもしれないのだ。

「ぉ……………」

 ナズーリンが何か言ったようだが、今は無視する。金眼から光が消え、深く、沈み込むようにエア指輪へ意識を傾けていく。
 能力を普段より酷使したおかげか、変化はあった。
 まずは名前。先程ナズーリンが命名したエア指輪。己の能力は、それがこの道具の名前である事を僕に告げる。
 そして用途。嘘がつけなくなる用途だったそれは、最も大きい秘密を探り暴くというものに変化しているのだ。
 そのことをナズーリンに告げると、彼女は口元に手を寄せて思案する。与えられた情報をまとめて、推理しているのだろう。

「何か気づいたことはあったかい?」
「…………?」
「いやだから、推理は進んだのか聞いているんだが」
「………………………………………」
「あー、怒らせているのは重々承知だが…………」
「………………………………………」
「流石にこの状況で無視はないだろう。それとも、わからないのか?」
「………………………………………」

 やはり反応はない。その様子に寂しさを感じていたせいで気づけなかったが、ナズーリンは最初の質問以降ずっと驚いた顔を僕に見せていたのだ。しかしそれを知らぬ僕はため息をつく他なかった。

「店主、なんでもいい。もう一度何か質問してくれないか?」

 沈黙を破ったかと思えば、突然そんなことを言い出すナズーリン。僕は首を傾げたが、早くするよう急かされて慌てて答える。

「えーっと、それじゃあ今後も香霖堂を利用する気はあるかい?」
「………………………………………」

 答えは沈黙だった。それが嘘ではないということは、ナズーリンはもう香霖堂へ来ることはないのかもしれない。
 胸に去来する悲しみが、上客を失ったことによるものなのか、ナズーリンが来ないからなのか。そのどちらかであるかは、判断がつかなかった。
 わかっているのは、ほんの悪戯によって人間関係が崩れることへの恐怖と、後悔だけだった。
 その感情を押し殺し、それでも香霖堂店主としてナズーリンへの最後の義務は果たさなければならなかった。

「無理もないか。君が今後この店に来なくてもエア指輪を外すことだけは、約束しよう」
「ああ、いや店主。何か勘違いしているようだが、別にそこまで怒っているわけじゃないけど?」
「怒ってないのか?」
「いや確かに怒ってはいるけど……すまない、ちょっとした確認だったんだ。そして確信した。このエア指輪にもう嘘を見破る効果は、ない」
「なんだって?」
「さっきの質問に答えなかった。それが答えだよ」

 その台詞を飲み込み、咀嚼することで僕はナズーリンが言わんとしていることに気づく。

「ナズーリン。君はご主人と呼ぶ星という人物のことを好いて尊敬しているね?」
「…………なぜ、その質問なんだ」
「うん、確かに。正直に話さない以上、効果が切れているようだ」

 監視という名目上だったといえ、本当に嫌なら何百年も共にいるはずがない。それに、寅丸星という妖怪を話すナズーリンの表情に悪い感情は窺えなかった。それは、その人物を信頼し心を許しているという証明に他ならない。

「もっとマシな確認の仕方をだね」
「いいじゃないか。それでナズーリン、それに気づいたことで何かわかったかい?」
「まあね。エア指輪は本来の用途である嘘の看破が消え、最も大きい秘密を探り暴くということに変化した。今の私が抱えている最も大きな秘密――つまり、私の本当の姿。それを、それだけを暴くに特化してしまった、ということになっているんだと思う」
「君の正体を暴く。それだけのための、用途?」
「うん。汎用性に富んだ指輪の効果を一点に集中することで隠蔽も見破ったんだと思う。効果の上昇はまあ、私が原因なんだろう」

 視線を明後日の方角に向けながら頬を掻くナズーリン。自分も原因の一つということが何とも言えないのだろう。

「ともかく、だ。原因の一応の解明はすんだ。問題はこれをどうするか、だけど……良い案はある?」

 伺うようなナズーリンの声には、ほんの少しの不安が混じっていた。彼女自身は自分の声音に気づいていないのか、発言の後に目立った反応はない。常ならばもっと余裕ぶった言い回しが、今はメッキめいたものに感じられた。
 今まで抱いていたナズーリンの印象を吹き飛ばす、どこか臆病にも思えるその仕草に軽い動揺を覚えたが態度に出さぬよう自制する。今見せる表情はそれではない。

「外せないなら、外せるような道具を試せばいい、ってところか」
「アテがあるの?」
「従来のエア指輪ならともかく、今はわからない。けど、やるしかない。出来なきゃ約束を反故することになってしまうしね」

 無意識の喜びなのか、注視していなければ気付けないほどにナズーリンの頬がわずかに緩む。同時に、先程まで漏れていた不安げな空気はもう感じ取れなくなっていた。

「良い返事だ」
「それに、これ以上香霖堂の客を減らすわけにはいかないし」
「そういうことにしておくよ」

 本当だって。

「特に緊急の呼び出しはないといえ、私としては早いうちにケリをつけて欲しい。今日明日に呼ばれでもしたら大変だからね」
「そればかりは善処する、としか。術のかけ直しは?」
「無理、のようだ。使おうとするたびにエア指輪に霊力が奪われていく感覚。まったく、とんでもないものを作ってくれた」
「褒め言葉だ、と普段なら言えたが今は迂闊なことが言えないな」

 違いない、と苦笑するナズーリン。その姿に僕はほっと息をつく。

 本来の姿になったことで一体どれほどの力を秘めているかわからないが、少なくとも今のナズーリンを刺激することは避けたい。もう十分に刺激していると言われたらそれまでだが、癇癪を起こして暴力を振るわない理性的な彼女に感謝である。

「さて、急ぎってことなら僕も店じまいして事に当たらないといけないな」
「元凶は君だし、香霖堂だって元々開店休業みたいなものじゃないか。数日程度、どうってことはない」
「うちの道具の価値を分かってくれる客が少なくてね」
「そう。なら私のことを逃がさないよう頑張ってくれ」
「捕まえたら二度と逃がさない鼠捕りを作ってやるさ」
「大言壮語じゃないことを期待しているよ、店主さん」

 互いににやりを笑みを浮かべ、そうして僕達はエア指輪を外すべく動き出すのだった。



 エア指輪を外す作業を開始して数日が経過した。
 ナズーリンはダウジングの調査のため家を訪ねても居ないという旨の手紙をしたため、部下の鼠に命蓮寺へ届けさせているのでとりあえずの心配はいらない。タイムリミットは多くても三日か四日程だろう。その間になんとしても解決せねばならない。
 初日は思いつく限りに所有していた道具で元の姿(ナズーリンからすれば擬態だが)に戻せないか試してみたものの、どれも効果は現れなかった。予想はしていたが、ナズーリンの力によって性能を底上げされた道具はその辺のマジックアイテムではまるで意味をなさなかった。
 二日目は少し趣向を変えてエア指輪自体の力を消失させるべく、ブレイク効果のある道具を中心に攻めてみた。しかし目標とする壁がどうにも分厚いのか、それとも僕の用意した道具によるブレイク効果が薄いのか、エア指輪の紋様は一切消えることはなかった。それどころか薄くも滲んだりもしない。消す量に対して蓄積分が非常に多いようだった。
 元より本来の力を解放されたナズーリンの施した変化の術式を抑えこんでいるのだ。やはり道具自身の性能を上げる他ないという結論に至った。
 そして三日目。
 道具の基本スペックの底上げを行うべく、材料を調達することになった。当然、探してもらうのはナズーリンである。

「何が当然なんだか」

 シックな装いである外の世界の服を着こなしながら、ナズーリンは憮然とつぶやく。ナズーリンには香霖堂で過ごす間、店にあった大人用の女性服を貸し出していた。外の世界の服は生地の質が良いので、良く拾っていたのだ。役に立つとは人生わからないものである。流石に下着は置いてないのでその調達は鼠達に活躍してもらったらしい。本当に便利な鼠だ。僕にも一匹融通してもらえないかな。
画像提供:もりゅー
「適材適所だよ。材料を『探す』んだから君以上の適任者はいない」

 さらに言えば探す理由が自分のことであることに加え、元より高いダウジングの能力が今は飛躍的に向上している。探す時間も普段に比べ短縮することだろう。

「どうせ外に出るなら、最初から家に戻っていれば良かった」
「ナズーリン、どうして僕が君を香霖堂に泊めていると思ってるんだ。道具を完成させたらすぐに試すためじゃないのか?」
「わかってはいるけど、結局外に出るのかって思っただけさ」
「とは言っても、手元にある道具じゃ無理ということはこの二日で判明している。虎穴に入らずんば虎子を得ず、外出することで天狗や知り合いに見られる危険もあるかもしれないけどやるしかない。最近は見ないけど、いつも勝手な奴らが来ないとも限らないからね。ずっと家に居るのも危険だよ」
「店主だけじゃ探索に時間がかかり、私では道具自体は作れない、か。仕方ない」

 少し悩んだようだが、後押しの甲斐もあってやがて決断を下し納得してくれた。探索に当たりやはり元の服装が良いらしく着替えることにしたようだ。
 その合間に、僕は店内に一足先に足を運び道具の選別をすることにした。まだ使えそうな道具もあるかもしれないしな。ナズーリンが着替えている間、道具の強化に必要なものをメモすることにする。
 設計図から変える必要があるかな……性能の底上げは前提として、ブレイク効果はまるで意味がないものでもないはずだ。流れる川の水をコップですくう、というのはいささか過剰な表現かもしれないが、それでも汲み取った分水は少なくなっているはずだ。となれば、器だけでなく取り方にだって工夫を施さねばならないだろう。
 脳内で設計図を組み立てていると、ナズーリンが着替えから戻ってくるところだった。女は化粧に時間がかかるとは聞くが、ナズーリンはそれほど時間にルーズではないようだ。

「さて、私は何を集めればいいのかな?」

 肩に流れる髪を払うように頭を振るナズーリン。意識はしていないのだろうが、そういう仕草が少女の時と違い妙に目を奪われる。髪が長くなったせいか。
 髪の長い女性が美人の基準と言われたのは昔の話だが、今でもそれが通用すると僕は思う。そうでなくとも、首にかけられたペンデュラムを押し上げる胸元やくびれのある腰つき、すらりと伸びる足など女性としての丸みに恵まれた体格が後押しする。 

「素直になるのは結構だけど、自重できるのが良い大人だよ?」
「指摘せずに流してやるのも良い大人だと思うんだ」

 セクハラは対象外だよ、と言うナズーリンにそういうつもりじゃない、と語尾を荒げて返す。そういうつもりはなかったが、客観的に見れば睨めつけるようにナズーリンを観察していたのかもしれない。

「確かによこしまな感情は見られなかったけど、役者じゃないんだし見られて気分の良いものじゃないから控えて欲しいね」
「弾幕ごっこは見せ合いが常だろうに」
「それは小さい私だ。この私じゃない」

 ジト目の視線から逃れるように、走り書きしたメモを渡す。半ば押し付けられるようにメモを受け取ったナズーリンは、すぐに内容を目に落としている。香霖堂を発つのも時間に問題だろう。さて、僕も頑張るとするか……

「それじゃあ僕は製作を続けるから採取頼んだよ」

 くるりと踵を返しながら店の奥へ向かう。渡したメモの材料が揃うまでの間に、もう少し別の視点から考えてるとしよう。

「何言ってるんだ」

 台詞と共に首の後ろへ硬い異物が当たる。正確には、チョーカーの中へ何かが入ってきたのだ。振り向けば、ナズーリンの手にはE字のダウジングロッドが握られている。

「店主もついてくるに決まっているだろう」
「わ、わかった、わかったから離してくれ。……少し、強引だぞ」
「君に言われたくないな。先ほどの行動に女性として対処したまでのことだよ」

 軽く咳き込みながらダウジングロッドを外す。引きずられるように動かされたため、首が圧迫されて喉が痛い。普通に考えれば怒るところだが、先程の視線の意趣返しと言われてしまえばぐうの音も出なかった。こういう時に知るもんかと言えれば楽だろうが、生憎とそこまでの豪胆さは僕にはなかった。

「ああでも、軽く顔くらい洗ってくるといい。さっぱりするよ」
「それじゃ、お言葉に甘えよう」

 指示に従い、水場へ向かった僕は水をすくって顔にかける。集中を続けていた頭に被ることで少し覚醒した気分だ。あくまで気分だが。そのままのそのそと作業着から外着へ着替え直して準備を整えた。
 戸締りをしっかりして、ようやく僕達は材料探索へ向かうのだった。

「あー、外を歩くと体が痛い…………」
「引き篭もりの典型的な台詞だね」

 仕方ないだろう、とぼやきながら歩く。ずっと道具の製作をしていたため体が固くなっていたのに、急に全身を動かしたから足が痛い。すぐに緩和されるだろうと軽く自分を叱咤した。
 外は桜も散り、梅雨の気配が近づく時分は程良く過ごしやすい気温に包まれている。並木道のように左右を木々に囲まれ、舗装はされていないが歩くに苦労はしない道を踏みしめる足は、ナズーリンのペースに合わせているせいかいつもより少し早い。
 空を飛ぶのが一番早いのだろうが、遮る物のない大空では姿を隠すものはない。目立ちたくないナズーリンとしては、多少時間がかかっても徒歩での移動を強いられていた。
 一歩に使う足の振り幅は僕のほうが長いが、運動能力はナズーリンのほうが上のためどうしても少し足早になってしまう。普通に歩くより疲れそうで、出発した先から疲れが出そうだ。

「本当、どうせ出るなら自分の家に帰っても良かったかもしれないね」
「確かに無縁塚なら良いアイテムがあるかもしれないが、流石にあそこで道具を作るのは無理だぞ?」
「そうだ、なら作ったら家まで持ってきてもらえば良い」
「いやいや、僕が無縁塚まで出向く時間がもったいないだろう。その時間があれば道具の質を上げることだって出来る」

 このままでは道具作成の毎に無縁塚近くにあるナズーリンの家まで歩かされるような気がして、僕は慌てて会話の誘導を図る。確かにナズーリンからすれば引きこもっていたい現状であるが、ただでさえ道具製作に根を詰めているのに無駄に体力を使いたくない。こうして出歩くのも正直しんどいのである。

「何かをダウジングする時は空を飛ぶ時が多いのかい?」
「いや、こうして地味に歩き回ることも多いよ。比率としてはどっちもどっちだね。明確に目的地が決まっていればそこまで飛んでいくけど、そこから範囲を狭めて捜索するのは足だから」
「どっちにしろ、動きまわって疲れそうだ」
「重労働と言うほどのものではないと思うけどね。店主はもう少し体を鍛えたほうがいい」
「無縁塚に出向いて戻ってくる程度には体力はあるさ」
「基準がわからないよ」

 雑談を交わしながら、両手を前に突き出しながらダウジングロッドを操作するナズーリンを見やる。一見ただ構えて歩いているだけだが、その実ダウジングロッドが微細な振動を起こし、周囲を探っているのが見て取れる。
 ダウジングの現場は初めて見たが、一体どういう仕組みが働いているのだろうか。
 日本でのダウジングと言えばこっくりさんが有名だ。あれは狐の霊を呼び出す降霊術の一種とされているが、ここ幻想郷では単純に狐のいたずらとする他、彼らとの交信として利用する手段もある。
 後者に関しては協力的な狐でなければ不可能だが、一種のコミュニケーションと思えば頑張る者も多いだろう。
 だが勘違いしてはいけない。こっくりさんを行い降霊術を施すということは、その狐に体を明け渡すことでもあるのだということを。
 術の使い方に手順があるように、降霊術という儀式にもルールという名の契約がある。その手順を間違えて使ってしまえば、待っているのは狐の霊による意識の略奪――ようは、憑かれてしまうのだ。そうなったら降りてきた霊次第だが、ろくなことにはならないだろう。
 ルールというのは大抵の事象に適用される。例えば今回のエア指輪に関してもそうだ。
 通常通りの使い方をせず、強引に外そうとしたために予想外の事態が起きた現実がある以上、決められた法則に反することは何らかのペナルティが待っているということだ。
 僕らが今しているのは、そのペナルティを消すことなのだが……ひょっとしたら、新たな契約の上書きによるルール変更を用いるのも有効な手段かもしれない。
 今回はルールという名の使い方を無視した結果、契約である効果が変更された。ならその逆に、効果を最初から決めてしまえば後から使い方が判明するのではないだろうか。
 契約の上書きとはすなわち用途の変更だ。新しく道具を作るより、もう一度エア指輪に手を加えて分解の方向へ持っていくべきかもしれない。しかし、そうなるとナズーリンにどんな効果が及ぶかわからない。彼女は妖怪で知性ある精神体の一種だ。決して道具という存在ではない。
 エア指輪が外れないということはすでに一体化にも等しいわけで、そうなると……

「店主。ペースが落ちてるよ」
「ん? あ、ああ。すまない」

 呼びかけられ、思考を中断する。
 今やるべきことが決まっているのだし、まだ別の手段を模索するのは早いだろう。出来ることがなくなってから試せばいい。

(けど、あまり試したくない手段だな。体の中に混ざった異物を取り出す外科手術みたいなものだし、最後の手段にしておこう)
「何を考えていたんだい?」
「人体の医者にはなれないが、道具の医者なら名乗れるかもしれないって思ってね」
「医者に転職希望するなら永遠亭に行くのをオススメするよ」
「あそこは月の技術や住んでいる薬師と合わせて異論はないが、今後そういうことはないだろうから遠慮しておくよ。僕は今までもこれからも道具屋だ」
「だろうね。君が道具屋以外の職業につく姿は想像できない。そうなったら呼び方にも困るしね」
「店主、じゃなくなるからな。別に苗字でも名前でも好きに呼べばいい。僕からはずっと変わらないだろうけど」
「逆にどう変わるか気になるね」
「ネズミさんとか?」
「この話題は止めよう、寒気がした」

 話を振ったのはそっちだと言うのに、ひどい話だ。しかしただ歩くだけでは暇なので話題を変える気はなかった。

「ダウザー君」
「何とも言えないが止めて欲しい気持ちのほうが高いね」
「ナズー」
「それほど親しくないんだからお互いのために無理はしないほうがいいよ」
「ナズナズ」
「なぞなぞを出しそうで出さない胡散臭さがあるね」
「リン」
「君の名前にも霖がつく。ややこしい」
「ンリーズナ」
「本当にそう呼んでみるかい?」
「無理と答えさせてもらうよ」
「じゃあ今度は私のターンだ」

 おや、強制的に打ち切ると思いきや乗ってくるとは意外だ。断る理由もないし、続けるとしよう。

「香霖堂」
「店主と変わり映えないな」
「近森」
「別人だ」
「のすけ」
「さっきのリンの意趣返しかい?」
「ハーフ」
「どこか遠い昔にそう呼ばれた記憶があるようなないような」
「森霖君」
「逆に新しい気がする」
「呼ばないけどね」
「呼ばれたくない」
「残った文字を組み合わせたものだと、ちかのすけ、きんのすけ、こんのすけ、ごんのすけ、どれが良い?」
「命名や改名は非常に重要な儀式だからご勘弁願えるかな」
「だったら最初から話題にしなければいいのに」
「肝に銘じよう。それで、ダウジングの成果のほどは? あと良い暇つぶしになった」

 軽妙と言っていいかわからないが、流れるような会話の応酬はそんな風にあっさりと打ち切りを迎えた。息抜きは済んだ、ここから先は真面目な時間である。

「どういたしまして。少し反応しているね。ちょっと目的地から外れるけど移動するよ」
「遠くないことを祈ろう」
「そればかりはこいつら次第だね」

 そう言ってダウジングロッドを交差させて音を鳴らすナズーリン。尻尾の先で揺れるバスケットに在住する鼠も、小さな小さな手で自分を指していた。……本当に賢いな。
 しかし会話の応酬を先にふっかけてなんだが、よくナズーリンは付き合ってくれたものだ。一分一秒が惜しい、と言っていた初日と違い態度の軟化が見られる。それとも、行き詰まったこの現状に対する息抜きのつもりだろうか。会話は心の整理というのが命蓮寺の戒律の一つらしいが、焦りを律する意味もあったのかもしれない。
 ダウジングの示す先に足を踏み入れてみれば、そこには小さな水場があった。水たまりというには大きく、湖というには小さい泉である。

「店主、ここの水が良いようだ」

 了解、と泉に近づき屈んで水をすくってみる。掌の中に溜まる水を見据え、懐から取り出した小瓶の中身を一滴垂らす。雫が落ちると、まるで浄化されたかのように水が淡く輝き出す。この光は魔力の含有量であり、つまり豊潤にそれが含まれていることの証明である。

「うん、この水なら十分に使えるな」
「マジックアイテムを作るから錬金術を習得しているとは思ったが、らしいじゃないか。少なくとも店にいる時より仕事をしている感じが出てるよ」
「君が普段どんな目で僕を見ているかがわかる発言ありがとう」

 まったく気持ちの篭らぬつぶやきはさておき、今度は空き瓶に水を蓄える。適量を詰めれば完了だ。普段はこんな面倒くさいことはしないが、今回ばかりは特別である。

「一つ目はこれで終わりだ。あとは指輪の原料となる金属とこの水に使う燐粉だ」
「金属はともかく、燐粉なんて何に使うんだい?」
「この水と混ぜ合わせたものを金属に塗るんだ。用途が紋様を示すとは言ったが、その下地となる部分だね。紋様はこの下準備がなければ目に見えて現れないんだよ」
「やはり店主を連れてきて正解だった。私じゃその辺の判断はつかないからね」
「こういう事柄に造詣を深めようとは思わなかったのかい?」
「性に合わなくてね。店主だって荒事に関してもっと体を鍛えようとか考えたことはないんじゃないかな」
「餅は餅屋。その道の人に任せるのが一番だ」
「つまり、そういうことさ」

 以前香霖堂の周囲だけに雨が降ったさい、僕は自力で解決しようとせず霊夢が来るまで待っていたことがある。異変は霊夢達に任せればいいし、手に負えない事件も一緒だ。自分に出来なければ素直に人に頼ればいいということだ。

「それじゃ、二つ目に取り掛かるとしよう」
「任せた」
「任されました」

 道具を作るのが僕の仕事なら、探すのは彼女の仕事である。専門家に素人が口を挟む隙などあるはずもない。
 順調な滑り出しと思っていた矢先、ナズーリンが突然足を止める。僕も習うように自然と彼女を真似た。

「…………店主、ちょっと隠れよう」
「誰か来るのか?」
「そのようだ。適当な場所に行くよ」

 言って、僕らは泉の近くにあった木々の群れの中に飛び込む。適当な場所に隠れた僕はどこに誰がいるのかを尋ねると、ナズーリンは静かに居座っていた道の前方を指す。だが隠れた僕の視界からそれを見ることは叶わない。もう少し顔を出せば見れるかもしれないが、流石にそれは控えた。

「隠蔽の術を使ってるから、別に構わないよ」
「いつの間に……」
「気づかれないから隠れるって言うのさ」

 なるほど、と相槌を打とうとしたその時、耳朶に残る声が木霊した。

「隠れる以外にも、気付かれない方法は多いものですよ?」
『――――――!?』

 咄嗟に声のする方へ目を向けると、そこには優雅に一礼するメイド、十六夜咲夜の姿があった。呆けるように口を開く僕をよそに、ナズーリンが静かに問いを発する。

「いつから?」
「何か暇を潰せるものはないかと時間を止めて散策していたら、貴方達を発見しまして。初顔の方もおりますのでこれは挨拶を交わさないとと思った次第です」
「まあ、挨拶は大事だな」

 時と場合を除けば、だが。初顔というのはナズーリンのことだろう。今は大人の姿になっているし、そうでなくとも擬態の姿で出会っていなかったこともあるかもしれない。
 だが実際は違うだろう。すれ違うだけなら何もしなかったはずだ。多分、隠れたからわざわざ驚かせるために挨拶をしてきたのだろう。咲夜はそういう悪戯を好むのは知っていたが、タイミングがあまりにも悪かった。

「時間を、止める?」

 ああそうか、ナズーリンは初見だったか。僕は簡単に、彼女が時間を止める能力を所有していることを教える。
 流石にこの能力には驚いたのか、ナズーリンは口元を引き結び眉根にシワを寄せた。

「時間を止める相手から隠れるのは、流石に経験がなかったよ」
「経験値を得ましたね。レベルアップされました?」
「まだ足りないようだ。メイドを倒せば上がるかな」
「残念、イベントキャラでした」

 二人が何を言っているかわからないが、朗らかな笑顔のやり取りの裏に隠れた物騒な気配がうかがえる。
 主にナズーリンの敵意の度合いが多い。多分、隠れるために使った術に自信があったのだろう。僕に顔を出して構わないと言ったことがそれを裏付ける。フォローするなら、相手が悪かっただけだ。こればかりは仕方ないのではなかろうか。

「咲夜、面白いことあった?」
「ええ。この方達がしてくれるそうです」

 ある意味の膠着状態を乱入者が打破する。現れたのは、咲夜が仕える吸血鬼レミリア・スカーレットだった。頻度は咲夜よりもさらに低いが、香霖堂のお得意様である。

「へえ、彼女がね」

 口元に手を当ててレミリアを見やるナズーリン。紅魔館の主にしてスペルカードルールにおける異変の最初の首謀者という知名度もあって、事前に彼女のことを知っていたようだ。
 太陽の出ている昼間に吸血鬼が出歩くのもどうかと思うが、彼女はよく神社に遊びに行くことに加え、日傘を差せば問題ないらしい。ともあれ、何か言われないうちにさっさと退散することにしよう。

「咲夜、すまないが僕達はちょっと急いでいるんだ。今度店に来た時にサービスするから、今は見逃してくれ」
「あ、馬鹿……」

 ナズーリンの静止は遅く、僕もまた自分の迂闊な発言に気づく。

「へえ」

 にやにやと、いやらしい笑みを浮かべるのは幼い吸血鬼の少女。あまのじゃくの気がありなおかつ暇を持て余しているらしい彼女に、急いでいるからどいてくれなどと言えばどうなるかは火を見るよりも明らかだった。

「さあて、どうしようか」

 顎に手を添えて考えるポーズを見せるレミリアをよそに、僕はナズーリンに目を向ける。彼女の正体を秘密にしたい以上、名を呼ぶわけにも行かない。例え咲夜やレミリアとの顔合わせがが初めてだとしても、今後二人の中でナズーリンという名前が大人の姿である彼女の認識になってしまう。
 見知らぬ相手ならともかく、目の前にいるのは紅魔館の主とその従者。何がきっかけで今のナズーリンのことが幻想郷に広まってしまうかわからない。すでにミスをしてしまった以上、慎重に事を運ぶ必要があった。

「どうしようかも何もないさ」
「うん?」

 思案する僕とレミリアをよそに、ナズーリンが口火を切る。咲夜は我関せずとレミリアに日傘を差していた。

「幻想郷での揉め事の解決法は、これしかないじゃないか」

 言いながら取り出すのは、一枚の札。今の幻想郷における妖怪退治の代名詞、弾幕ごっこに使われるスペルカード。どうやらナズーリンは強引に弾幕ごっこでこの場を突破する気らしい。レミリアを丸め込むより、そちらのほうが早いと判断したのだろう。

「あと、追加ルールが一つ。もしそちらが負けたら、今日この場で見たこと全てを飲み込んでもらう」
「つまり、私たちは弾幕ごっこをしていなければ出会ってもいないと」

 頷くナズーリン。レミリアは即座に応答した。

「構わない。その条件を呑もう」

 突然の提案に悩む素振りすらなかったことに驚いたのは、僕だけではないようだ。ナズーリンは僅かに目を瞬かせているし、咲夜もまた片眉を潜めてレミリアを見下ろしている。視線を集める一点に吸血鬼は、その小さな両手を胸の前で組み優雅に答えた。

「咲夜、普段のように相手をしてあげなさい。今日の鼠は今までにないくらい大きいけど、害虫駆除はお手の物でしょう?」

 確かにナズーリンは鼠の妖怪だが、本当の鼠扱いをされて何も思わないことはないだろうに。このお嬢様のことだし、あえて皮肉をぶつけて挑発しているだろう。
 ナズーリンに変わった反応はない。何とも思っていないのか、少なくとも表面上は腹を立てている様子はない。それをよそに、吸血鬼の主従はやり取りを続けている。

「え、私がですか? 流れ的にお嬢様かと思いましたが」
「日中よ?」
「日傘がありますわ」 
「限度があるでしょう」
「私がずっと差せば」
「戦闘中にそんなことをされたら、邪魔にしかならないわ」
「あらひどい。従者のフォローが信じられないのですか?」
「主人の飲む紅茶に変なものを混ぜるメイドを信じるのは難易度が高いわね」
「だ、そうです」

 やり取りを眺めていた僕にそんなことを言う咲夜。振られても困る。
 返答はさほど期待していなかったようだが、代わりに手招きで僕を呼んでくる。なんだろうかと指示に従うと、無言で日傘を渡された。色々と文句もあったが、今は素直にその意図を汲むことにする。
 改めて僕がレミリアに日傘を差すと同時に、咲夜は一歩前に出る。なんだかんだで応じるようだ。

「どうやら戦闘イベントだったようだね」
「変にフラグが立ってしまったようです」

 自然と場所を確保するために移動する二人を追って僕も動こうとしたが、レミリアの存在がそれを止める。気を使えと態度で訴える少女に辟易しつつ、僕はレミリアの動きに沿ってでしか動けないことを余儀なくされる。
 だがレミリアも二人の勝負をしっかり観戦するようで、視認できる距離に移動してくれた。弾幕ごっこは空の上での戦いが主流だが、今回は地上戦のようだ。僕としても助かる。

「悪いけど、スペルカードは一枚だけにさせてもらうよ」

 ナズーリンの問いには直接答えず、咲夜はレミリアに顔を向ける。無言の頷きは了承の証、改めて咲夜はナズーリンの問いにはいと答えた。

「じゃあ、行こうか。捜符『メタルディテクター』」

 先手必勝、と言わんばかりにナズーリンが開幕にスペルカードを宣言する。
 両手に携えられたロッドから伸びる光が、咲夜を包み込むように四散する。拡散した光が着弾と共にさらに細分化され、それが弾幕として展開していく様は鼠による包囲網のようにうかがえた。
 咲夜はそれに当たることなく、最小限の動きで避けていく。余裕を持って避けていたのは最初だけ。時間の経過と共に放たれる光は増え続け、それに伴い細かな弾幕は僅かな隙間のみを残す散弾と化していく。
 時に緩やかに、時に速やかに咲夜を襲う四分五裂の弾幕はやがて彼女の体に着弾――しなかった。
 弾幕に当たる直前だったはずの咲夜はすでに包囲網から離れ、代わりにナイフをナズーリンへ投擲している。一瞬にして立場を逆転させたのもさることながら、直前の弾幕を回避した手段がわからない。

「特に何かしたわけじゃないわ。貴方の目で追えなかっただけで、単純にグレイズしただけよ」

 疑問を補足するようにレミリアが今の現象を説明してくれる。どこか顔が嬉しそうに見えるのは、己の従者の活躍を見たせいか。

「ふふ、漫画で見て一回やりたかったのよね、こういう説明役。そういう意味では貴方は良い模範演技してるわよ、店主」
「あー……どういたしまして、と言うべきかな?」
「ええ。こういうのには理解できる者と出来ない者が必要だもの」

 そうか、と小さくつぶやき僕は目の前の戦いに再度目を向ける。攻撃が入れ替わったナイフによる弾幕はしかし、ナズーリンの体を傷つけることはない。咲夜と同じように当たることなく回避を行なっていた。

「さて、これで終わるかな?」

 レミリアの予想に答えるように、咲夜はスペルカードを宣言する。

「案内しますわ……私の世界へ!」

 途端、ナズーリンの周囲にいくつものナイフが宙に設置されていた。先手のナズーリンの弾幕以上の密度を持って包囲する刃の牢獄が一瞬にして現れ、今にも刺さらんとナズーリンに射出される。
 瞬く間に視界を埋め尽くすナイフの雨を前に、ナズーリンの敗北は必須と思われた。
 だが、予想は覆る。
 ほんの少し、だった。咲夜の動きを追えなかった僕の目でさえ捉えることが可能な、緩慢な動きでナズーリンは体を幾度かずらす。
 それだけで、彼女を包囲していたナイフの群れは何一つ当たることなくナズーリンの体をすり抜けていった。
 驚愕は僕だけではない。レミリアは羽をぴんとさせて驚きを示し、咲夜もまた目を見開いてナズーリンを見据えている。

「一つアドバイスをしておくと」

 そんな僕達をよそに、ナズーリンが静々と語る。咲夜が動いて妨害することはない。単純にそれを聞きたいのか、邪魔を無粋と思うのか。多分、後者よりの両方だと思う。

「鼠を甘く見ると、死ぬよ?」

 どうやら、最初のレミリアの挑発は流すことなくしっかりと胸の内に留めていたようだ。どこかドヤ顔にも見えるナズーリンと対比するように、咲夜は認識を改めるように目を鋭く細め――その瞳を赤く変色させた。

「咲夜。スペルカードは一枚だけよ」
「失礼しました」

 主の声が鎮静剤になったのか、咲夜の瞳が元の蒼さを取り戻す。

「レミリア……彼女はどうやって咲夜のスペルカードを破ったんだ?」
「貴方も見ていたでしょう? 単純に避けただけよ」
「それがわからないんだが」
「そうね、来る方角がわかっていた。そんなところかしら?」
「予測できるものなのかい?」
「普通に考えれば無理ね。種はあるんでしょうけど……っと、動くようね」

 もっと説明を聞いていたかったが、場が動くと言われれば見ないわけにもいかず僕は視線を元に戻す。
 互いのスペルカードを破ったことで弾幕での応酬では埒があかないと判断したのか、咲夜は両手にナイフを構えてナズーリンへと疾駆する。弾幕による遠距離戦から近接戦闘への移行に、ナズーリンは両手のロッドを構え直すことで応じた。
 描かれる銀光が、交差されたロッドに止められる。その合間を縫って繰り出される長いスカートによって隠された咲夜の蹴撃も、ナズーリンの防御を崩すことはない。
 今度はナズーリンが近接攻勢に入る。
 振り降ろされるロッドの一撃を後方へ下がってやり過ごすも、反対側の手から操られる突きがその後を追いかける。ナイフを上に振り上げることでそれを弾き、唸りを上げて回された反撃の足は、一歩咲夜へ踏み込み体勢を沈ませたナズーリンの上空を切った。
 咲夜が足を戻す隙を掻い潜ったナズーリンが渾身の一撃、つまり僕の目が見ることの叶わぬ速さを持たせたロッドの一撃を繰り出す。が、咲夜は空へ逃げることで命中範囲から逃れた。抱え込むように体を丸めて宙返り、体勢を整えた咲夜が地面へ降りる頃、レミリアが言った。

「決まりね」
「え?」

 言葉の真意を図ることが出来ず、頭に疑惑が浮かぶ。
 スペルカードはないといえ、まだお互いに余力を残している。この状態で決まりとは何故か。また僕に見えない攻防があったのかもしれない。

「そうだね、同じ女としてこれ以上はやめたほうが良いと思うよ」
「…………初めからこれを狙っていたの?」
「ああ。店主が居てくれて助かった」

 対峙していたナズーリン、そして咲夜までそう言う始末。しかし、彼女らの口からレミリアへの同意があるということは、咲夜が負けた? しかし僕が居てくれて助かったとはどういうことか。
 詳しく知るために僕は目を凝らして二人を見やる。ナズーリンに変化はなく、次に咲夜を見ようとして――盛大に破れたスカートから覗く白く細長い足が太ももまで見えたところで視界一面が黒に覆われた。

「はい、そこまでよ。うちの従者のスカートの中は安易に見せられるほど安くないの」
「お嬢様。その配慮はとても嬉しいのですが殿方の前ならぼかして欲しかったですわ」
「……ああ、そういうことか」
「そういうことだよ、店主。ちなみに今君の顔を覆っているのは蝙蝠だ」
「少し見たでしょ? 本来なら噛み付かせても良いんだけどね」
「少しと言っても膝上くらいだ。やめてくれ」

 膝上も太ももも対して違いはないだろうが、それでも嘘――はつけないのでぼかした言い方をしたのは正直に言えば危険な気がしたからだ。決して男としての性ではない。

「お嬢様とやら、どうやらその男少し嘘をついているようだよ?」
「太ももまでだ。明けの明星に誓う」

 即座に修正する。これ以上の偽りは真に命に関わるような気がした。

「ネズミ?」
「……うん、本当のようだ」
「店主さんも男なんですね」

 しみじみとつぶやく咲夜の声に怒気はない。その声音にほっとするのもつかの間、顔をおおっているらしい蝙蝠が動きを見せる。詳細に言えば、牙が僕の顔に触れていた。

「待て、待ってくれ。意識させるように言えば咲夜に悪いと思っただけなんだ。それ以上の意図はない」
「その気遣いが通用するのは同性だけだね。悪いけど、異性からすれば見苦しい言い訳だ」

 おいナズーリン、君はどっちの味方だ? そも、咲夜のスカートを破ったのは君だろう! と声を大にして言えたらいいのだが、悲しいかなこの場でのヒエラルキーは僕が最下位に位置していた。それにまだ蝙蝠が離れてくれないため視界が晴れず、バランスを崩して今にも僕は倒れそうだ。

「その通りね。さて、どうしてくれようかしら」
「どうもしないでくれ」
「咲夜はどう?」
「聞いてくれ」
「そうですね、とりあえず今度たっぷりサービスしていただくということで」
「ありがとう。今度君が好きそうな珍品を仕入れておこう」
「ふうん。まあ、咲夜がそれで良いって言うならいいけど」
「自戒も込めて、ですね」

 足音が聞こえたと思えば、持っていた日傘の重さを感じなくなる。どうやら、元通り咲夜の手に戻ったらしい。
 ここでようやく視界が色を取り戻す。レミリアが蝙蝠をどかしてくれたようだ。

「もうスカートはある程度縫われているよ、残念だったね」
「勘弁してくれ…………」

 揶揄するようなナズーリンに疲れを滲ませながら返しつつ、おっかなびっくり咲夜を見やる。ロングスカートだった最初のものよりも幾分か短くなっているが、それでも膝上をキープした長さは上品さをそこなっていない。ようやく、僕は安堵の息をついた。

「さて、勝者はこちらだ。最初に提示した条件はしっかり守ってくれよ?」
「なんだかんだで良い暇つぶしになったしね。咲夜もいいわね?」
「ええ。構いませんわ」

 敗北したという割に、レミリアが咲夜を責めることはない。弾幕ごっこからして後腐れのないためのルールであるし、レミリアにとってはさほど重要な一戦でもない。従者の勝敗よりも暇が潰せたほうが大事なのだろう。

「それじゃあね。次の初対面の時にお互い名乗りましょう」

 その挨拶を最後に、二人はこの場から去っていく。おそらく、咲夜の着替えのために紅魔館に戻るのだろう。

「話に聞いていたより、ずっと話が分かる相手だったね。紅魔館の主はワガママな子供と聞いていたが、どうして」
「機嫌が良かったからじゃないかな、きっと」

 漫画の説明役ができたことと、暇を潰せたこと。レミリアにとっては良いことだらけだったし、元々の用件からしてあちらにしてみれば本来はどうでもいいものだ。良い事ずくめも重なれば、余裕もできるというものだ。

「しかし、瀟洒だね」
「勝者は君だろう?」
「ああ、言葉の響きが似ていたかな。違う意味のほうだよ。破った私が言うにもなんだけど、突然男に肌を晒されたのにあの冷静な対処。なんともすっきりしたものじゃないか」
「まあ、よく出来たメイドではあるな。時折する悪戯が玉に瑕だけど」
「そのくらいの余裕を持っていたほうがいいだろうさ。いや、羨ましいものだ」
「君だってどちらかと言えば似たようなタイプじゃないか」
「…………そう見えるなら、良いことかな」
「何か言ったかい?」
「天狗に見られなくて良かったって言ったのさ」

 確かに。
 天狗に見つかればここまでスムーズに行かなかっただろうし、例え最初に居なくともこの場での出来事を知られたらどんなことを書かれたものかわかったものじゃない。僕はぶるりと身を震わせた。 

「そういえば、どうやって咲夜のスペルカードに対処したんだ? 君からすれば、一瞬でナイフに囲まれた体感だろう?」
「簡単なことだよ、店主。私はスペルカードで弾幕以外にも金属を探す能力を同時に使っていた。相手の獲物がナイフだからね。金属探知で両目による視界でなく俯瞰の視点で周囲のナイフの位置を探っていたに過ぎない」
「……インチキ?」
「ネズミは頭が良いのさ」
「ずる賢い、の間違いだろう? おかげで全体の意図は読めたが、僕の被害が大きいじゃないか」
「うら若き乙女の肌を堪能したんだ。それくらいのデメリットは当然だよ」

 無理やりと言い換えればいいものを。

「僕を利用することであの状況を作り、レミリアと咲夜に同性としての親近感を湧かせたのもそのためか」
「なんだ、気づいていたのか」
「おかげ様でね」

 ようは敵の敵は味方、ということだ。この場合女の敵としてナズーリンに仕立て上げられてしまったが、最初に迂闊なミスをしてしまったのは僕である以上文句は飲み込む他ない。ナズーリンなら、もっと穏便に対処出来たかもしれないのだから。

「結果とすれば、何事も無く捜査に戻れる。それでいいだろう?」
「そうだね、あの二人の中での僕の位置が下がったのを除けばね」
「今は他にするべきことがある。愚痴は歩きながら聞くよ」
「ああ、存分に聞いてくれ」

 その後ナズーリンへの文句を交えながら徒歩に加え隠れるような移動を繰り返したものの、結果として半日と経たずに目的のものを集めることが出来た。素材の判別もそう時間もかからなかったし、これもひとえにナズーリンのおかげと言えよう。必要以上に疲れたのも彼女のせいなのだが。
 香霖堂に戻った僕は、ねぎらいの意味を込めてナズーリンに休むよう言付け自らは工房へと赴く。早速入手した材料で道具を作ってみるとしようか。



 部下には休息を命じたが、力が溢れているこの状態の私は休めと言われてもあまり寝る気にはなれなかった。
 おおよそ千年ぶりの解禁であり、毘沙門天様の傍で働いていた頃を考えると正確な時間が思い出せない。本体なのに慣れないという現状に、私は逆に何かしていないと落ち着かない。香霖堂の家探しは初日のうちにおおよその場所を終えてしまったし、本格的にすることがなかった。さて、どうしよう。とりあえず店のほうへ行ってみようか。

「…………………………」

 静かだ。
 誰一人いない店内に満ちる静寂。工房は部屋に防音の処理が施されているのか、作業の音は全く聞こえない。まるで、自分だけがこの朝も夜もない香霖堂という境界の中に放り出されたような錯覚さえあった。
 本来の姿に戻されてから、一人を意識するのは初めてだった。普段は尻尾の先で揺れるバスケットに常駐している鼠すらいないせいか、妙に孤独を意識してしまう。
 ここ数日は店主と言い争いという名の暇つぶしで時間を使っていたが、ここじゃそんな彼の声も聞こえない。今までの道具は元々あったものを使ったものが多かったため、傍には店主が付き添っていたのだ。でも彼は今、本格的な道具製作に取り掛かっているためここにはいない。
 一人が、強調される。頼れる者が傍にいない、独りだけの空間が。

(…………思えば力を隠す以外にも、この図体で小心なのが似合わないからあの姿を取ったって意味もあったっけ)

 あの小さな姿なら似合いだと、そう思っての変化でもあった。
 だが現実としてあの姿の時にそんな感情を見せる機会は少なく、むしろ尊大さを増して振る舞っていたような気がする。それこそ、今の姿なら似合いそうな仕草が多かった。
 とんだ笑い話だ。発揮できる力を思えば今の自分にその態度が必要なのに、擬態がそれを行い本体が臆病で気弱な一面を見せているとは。いや、擬態とは本来の自分を隠すためのものだから、合っているのか。
 自嘲の笑みが浮かぶ。どうにも、いけない。気晴らしにあてのない散策でもしよう。 
 誰も入ってこないことを再確認した私は、普段店主が座る勘定台(前のは私が壊したので代用のものだ)の傍に古びた刀を発見する。私にとっては秘密じゃなくなった天叢雲剣にして草薙の剣こと霧雨の剣である。名前がいくつもあってややこしい。
 私と彼の能力が本物と後押しする非売品をこんな無造作に置いて良いのだろうか。それとも、秘密を明かしたからこそこんなところに置いてあるのかもしれない。たとえそうだとしても、私以外の誰かが気づいたらどうするのやら。いや、見た目はそれこそ古い刀に過ぎない。単なる二束三文の品として見られることで、あえて興味を失わせているのだろう。木を隠すなら森の中、ということか。
 しばらくそれを眺めた後、私は霧雨の剣を手に取った。胸元に垂れたペンデュラムは、私が何もせずとも震えて反応を示している。もし彼がこの剣の力を完全にものにしたら、果たしてどうなるだろうか。
 さらに、彼は偶然の産物といえ私の変化の術式を破るほどのマジックアイテムの製作者でもある。私の中で森近霖之助という男の評価が、大きく変動していた。無論、彼からすればあまり良くないと断言するであろう評価だ。
 そんな人物が、強大な力を手に入れたら? そう考えると、心の中がざわついていく。
 自ら異変を起こすほどの度量も器量も伺えないが、圧倒的な力というのはそれを容易く飲み込み感情を爆発させる。攻撃的な感情、すなわち欲求に対してのタガが外れてしまうのだ。彼は理知的な人物であるが、この剣のことを隠しているのは野心の現れだろう。
 争ったとしても、今の彼は取るに足らない。擬態した私でも倒すことは容易だ。けれど、もし剣の力を手に入れ矛先がこちらに向けば今の私でも敵うかどうかわからない。女の身の上としては考えるだけで吐き気を催すが、女性を力ずくで無理やり支配することに快感を覚える男は少なくない。限りなく少ないだろうけど、彼にその気持ちが絶無というわけではないはずだ。

(なんせ、今の私が好みのタイプらしいし。……っていやいや、どれだけ自意識過剰なんだ私は。自分で思っているより、この現状に参っているのかもね)

 頭を振って否定するが、漠然とした不安が心中に生じる。あくまで想像に過ぎないし実行に移す度胸も力もないと思うけど、小さなIFの想像が頭からこびりついて離れない。彼がこの剣についてどう思っているのかを問いただすなら、何をされてもどうにか出来る今しかない。
 気になった私は霧雨の剣を携えたまま、香霖堂の敷地の奥にある工房に入る。彼は作業椅子に座り、小さな銀の塊をヤスリで削っているとことだった。

(今回の道具で元に戻れればいいが、どうなることやら。それにして、やはり彼は物を売るより作るほうが合っているような気がするね)

 部屋を見回してみれば、大小の槌から様々な種類の鉱石に本格的な炉まで鍛冶に欠かせない道具に溢れている。無論今店主が座っているような作業机など、小さな装飾品を生み出す環境も整っている。道具を創作する技術も保有している彼にとって、製作に必要不可欠な道具がところ狭しと並んでいた。
 工房と銘打っている以上おかしくはないのだが、やはり商いの家とは言い難い。ここは工房の一部でしかないらしいので、マジックアイテムを作る時はまた別の部屋があるらしい。……道具作りの邪魔になると思っていたが、事が済んだら捜索して見るのも手かもしれない。

「店主、ちょっといいかい?」
「休んでいなかったのか? って、何を持ち込んでいるんだ」
「ちょっと聞きたいことがあって。それとあんな無造作に置くのは感心しないな、非売品の積まれた倉庫に置くべきだよ?」
「なるべく手元に置いておきたくてね」
「使いこなそうと言うのかい、草薙を」

 霧雨の剣と呼んで欲しいね、とぼやきながら店主は作業の手を止める。眼鏡を取りながら近くにあったタオルで汗を拭く店主を見やりつつ、私は答えを待った。

「生憎だが、まだそれに認められたわけじゃない。だからその剣呑な空気は控えてくれ。その姿になった時に散々晒されて軽くトラウマだ」
「否定はしないんだね」

 無意識に険しくなっていたらしい表情を戻し、私は軽い調子で質問を続ける。

「やはり何者にも負けない、絶対的な力ってのは魅力的なものなのかな?」
「君が何を聞きたいかわからないが、僕はその剣の力があれば嬉しく感じるだろう。でも、きっと持て余すんじゃないかとも思う」
「へえ?」

 少し予想外の言葉に思わず声が出る。てっきり商売と同じく貪欲に求めるのかと思っていた。
 再び銀の塊への細工作業を始める店主。邪魔しては悪いかと思ったが、彼のほうから口が挟まれたことで会話が続行される。

「僕は荒事は苦手だしね」
「それを得意にして快楽に変えるのが、力なんじゃないかな」
「欲しいのかい? あげないけど」
「期待してない」

 見せつけるように、私は鞘から少し刃を抜いた。刃こぼれこそないが、なまくらと見られてもおかしくない程度に汚れている。本来の力を発揮したなら、刃物に興味を抱かぬものでも目を惹きつけるような、魔性の品に生まれ変わるかもしれない。

「確かに霧雨の剣の力を全て振るうことが出来たらと考えたことはある。やり方がわからないから数日で止めたけどね」
「じゃあもし使い方がわかったら?」
「どれだけのことが出来るか実験してみたい。でも、それだけだ。多分それで満足するんじゃないかな。詳しくは実際に手に入れてみないとわからない。百聞は一見にしかず、だ」
「店主の場合、百考は一見にしかずじゃないかな? 外からの情報じゃなくて内からの情報で自己完結しそうだ」
「手厳しいと言いたいが、実際面倒だしなあ。無理に頑張る必要がないならずっとそのままで良い。僕には他にやりたいこともあるしね」

 嘘では、ないと思う。
 彼はまだ戒めとして指輪をしているし(させているとも言う)、真偽を見抜くためにさっきから観察力を全開にしているけど動揺も見られない。やりたいことというのが気になるが、私には関係ないことだろうから無視しても構わないだろう。
 息をつきながら、私は刃を鞘に戻す。納刀される音はどこか心地よく、なんとなく何度も抜いては納めを繰り返す。しかしその様子を見た店主のニヤケ顔に気づき、気恥ずかしさを隠すようにわざとらしく咳を吐いた。

「仮にそれを使いこなしたとしても」

 ん? と首を傾げる。突然のつぶやきの意図が読めなかったのだ。私の疑問が通じたのか、店主は改めて言った。

「多分、君と同じことをすると思う。命蓮寺のダウザーとしてのナズーリンと、毘沙門天の部下であるナズーリン。本来の力を隠し、小さな妖怪の少女として振る舞う君とね」

 最初はわからなかったが、言葉の裏を探ることで何が言いたいのかを察する。
 草薙の剣を霧雨の剣として真の名を隠した店主。その時点で彼はこの剣の用途に別の意味を見出していた。本来の意味はおそらくあの魔法使いの遺品であろうが、対外的には香霖堂に散乱する道具の一つでしかない。
 ナズーリンという存在は本来の姿でなく命蓮寺のダウザーとして認識されている。私は今後もそれを隠すだろうし、続けるだろう。

「力自体に意味はない。大事なのは、使う者とその使い方だ。君の本来の力はとても大きなものだと思う。でも決して見せびらかすような真似はしない。僕にとってのそれも、そうであると思うよ」
「……信用して良いかわからないな」
「言うこと全て疑られたら、どうしようもないぞ」
「今の私が秘密を晒すはめになった理由を考えると、そうもなる」
「耳が痛い。随分と遠回りしたけど、最初の質問に答えるならこう言おう。力が使えるようになったとしても、使う理由がないとね。……ナズーリン、君はどうだい? 力を隠して派遣され、その必要もないと断言しているのに未だその姿を隠している君は」

 椅子を鳴らしてこちらを見直し、じっと私を見据える店主。半眼でその姿を見やり視線が交錯する。
 今の私は別に嘘をついても構わない。エア指輪が機能するのは、あの小さな姿に戻ろうとする時だけだ。だから煙に巻くことも可能だ。
 可能、なのだけど……

(……………使う理由がない、か)

 沈黙しながら、私は記憶の中のご主人の姿を思い返す。
 聖が封印され、時間と共に荒れ果てていく寺の中黙々と己の仕事に没頭していたあの姿。
 毘沙門天の代理故、人間からの信仰を受けているご主人は妖怪に加担し人間の敵とされた聖が封印されるのを見ているしかなかった。彼女が本格的に合力し、聖の味方をしたならそうはならなかったかもしれない。きっと、私もこの姿を晒し応じたかもしれない。――毘沙門天様からの破門を代償に。
 力があっても使う理由がない。
 己が良しとしない、その強大な意志力が強大な力の自制へと繋がっているのだ。
 そしてそれは、私にも適用される。
 ご主人は毘沙門天様も認める働きぶりを見せているし、その身に危険が及ぶことはない。だから私がこの姿を晒す理由がない。
 そう、理由がないのだ。

「仮に」
「ん?」

 ぽつりと、言葉を漏らす。
 使う理由がないから力を求めても意味がないと彼は言った。それは理解した。でも、仮に力を求めざるを得ない状況にあればどうか。

「理由があったら、どうだい?」
「理由とは?」
「例えば――例えば、欲しいものがある時、とか」
「交渉で譲ってもらうが?」

 予想した答えとずれた返事に脱力しつつ、私は回りくどい言い回しをやめる。

「言い直そう。その剣を使いこなせば私なんかどうにでも出来るんじゃないか、ってことさ」

 言ってから、自分の発言の馬鹿らしさに気づく。
 ……ああ、ホント何なんだ私は。仮にも賢将で通る自分の口から出た台詞とは思えない。もっと余裕を持った態度で、隙なんて微塵も見せないようにするべきじゃないか。確かに店主は私を好みと言ったが、それだけじゃないか。客観的に見なくても、どれだけ自惚れた考えをしているかわかる。少なくとも他が思わずとも自分がそう認めてしまうくらい、ひどい質問だった。
 店主は顎に手を当て、しばし唸った後にこう言った。

「君は被虐嗜好の持ち主なのかい?」
「そんなわけない。変なこと言ってると部下をけしかけるよ?」
「言わせた当人にそんなこと言われてもね。その聞き方だと、私を支配してみせろって聞こえるんだが」
「あー……あー……」

 それは言葉の側面でしかなく真意じゃない、と反論したかったが切り返しの言葉が練れない。言われてみれば、そう取れる意味合いでもあるからだ。
 ああもう、想像なのに。想像でしかないのに、草薙の剣の威光とこの姿になった経緯を考えると上手い言い回しが浮かばない。
 冷静に、冷静になれ私。私は賢将なんだぞ! 普段の尊大っぷりを思いだせ!……今の私を見たら毘沙門天様はなんとおっしゃるだろうか……

「何をそんなに不安がっているんだ?」
「私は、別に」

 いけない。ここに来て店主に不安を悟られるわけにはいかない。不安がってもいい、とにかく顔に表情が出なければそれで十分だ。心に叱咤し、私は憮然とした表情を作った顔を店主に見せた。 

「まあ、なんでもいいけど。仮に僕が霧雨の剣を使いこなして君に迫ったとして、果たしてそれは僕の知るナズーリンとしての反応が返って来るのか?」
「どういう意味だい?」

 自己の把握に意識を割いていたせいか、店主の言ったことへの理解が追いつかない。私の胸中はさて置いて、店主は話を続けた。

「仮にだが、言葉の通り君を意のままにしたいと考えたとしよう。力で屈服させて、君が決して言わないようなことを言わせたり絶対にしない行動を無理やりさせたとして、果たしてそれは僕が求める人物と言えるのか? 最初に君にエア指輪を身につけるよう仕組んだといえ、別段君の人格に大きく影響を及ぼしたわけじゃない。単なるちょっかいだ。ちょっとした反応が見たかった。でも、それが洒落にならない暴力による一方通行によるものなら、それが僕の求めるものだとは絶対に言えない」

 一度言葉を切り、生憎とね、と店主は台詞の続きを紡いでいく。

「一方的に人格をねじ曲げさせた相手を見て愉悦を覚えるような価値観は持ち合わせていない。外見もだが、何より君の性格が好きなのにその人格を崩したらそれは似ているだけの単なる別人だ。仮に君をどうにかしてやりたいって目的があったとしても、今回の一件でそれは叶っているよ」

 してやったことに変わりないしね、と付け足して店主は会話を終える。
 私は、そう言い放った彼の言葉を胸の中で反芻していた。

「なるほど、ね」
「何がなるほどなんだか」
「確かに、その通りかもしれない」
「何がだい?」
「こっちの話だよ。すまないね、突然変なことを言い出して。速やかに忘れて欲しい」

 怪訝の目を向ける店主をよそに、私は安堵の声を漏らす。
 想像は想像でしかなかった。森近霖之助という男は、私の思う以上に理性を持ち合わせていたようだ。
 脳裏に生じたIFが、胸中に浮かんだ不安が鳴りを潜め、雲ひとつない快晴の空のような気持ちが心に広がっていく。小心が過ぎたかもしれない。
 本当に使う気がないとすれば、霧雨の剣が店主の手に留まっているのは将来何者かに譲るための保管の意味があるのかもしれない。草薙の剣の神話通りなら、元々これを手に入れた素戔嗚尊(すさのおのみこ)は天照大神(あまてらすおおみかみ)に剣を奉納し、さらに瓊々杵尊(ににぎのみこと)へと渡された。白黒を素戔嗚尊、店主を天照大神になぞらえれば手元にある理由は作れる。
 白黒が八岐大蛇(やまたのおろち)の役割という線もあるが、そうなると店主が素戔嗚尊で博麗の巫女が天照御神? と考えたところでその思考を強制的に中断する。どちらにせよ単なる作り話であるし、あの巫女に魔法使いと店主がかの神々の役割を担うには元より役者不足だし、あくまでなぞらえに過ぎない。それに持っているから使えるほど神器は単純な物ではないだろう。……こんなことを考えるなんて、店主が得意とする思考の跳躍癖が伝染ってしまったのかしれない。
 くだらない妄想を断ち切る意味を込めて、私は頭を振って冷静さを取り戻す。今はそれよりもすることがあるじゃないか。

「つまらない話をして悪かった、お詫びと言ってはなんだけど手伝えることはあるかい?」
「…………そうだな、これに霊力を注いでおいてもらえないか?」

 霧雨の剣を置いて店主に近寄ると、彼は作業机に置いてあった小皿を手に取って渡して来る。中身は……なんだろう?

「これは?」
「今日採取してもらった水と燐粉を混ぜあわせたものだ。指輪に塗りこむ前に、君の力を浸しておいて欲しいんだ。何か変化があるかもしれない」
「それだけでいいのかい?」
「ああ。しいて言えばあの時君がエア指輪に込めた霊力くらい注いでくれ。残りの作業は僕がするから、ナズーリンはそれだけを頼む」
「せいぜい上質なものに出来るよう努力するよ」
「君は十分に上質だよ」
「それはどーも」

 軽口を叩きながら適当な椅子を探し、作業に戻る彼の傍に置く。深い理由はない。単に出来た時にすぐ渡せればいいと思っただけだ。それ以上の理由はない。
 水と燐粉の合成液に霊力を注ぎ込んだ後、暇だから店主がそれを原料にペンのようなもので紋様を描き込んでいく様子を眺める。ちらちらとこちらに視線を向ける店主が気になったが、そのたびにニヤケ顔を返せば店主は無言を貫き通して作業を進めていく。
 昼前から始まったそんなやり取りは夜を迎えるまで続いた。塗り込みが終わると同時に、店主は精根尽き果てるように机に体を預ける。おいおい、髪やほっぺに色々ついてしまうよ?
 私は店主の体を起こしてせめて椅子に背を預けるように体の向きを直したが、店主の反応は薄い。どうしたのかと思い顔に注視してみると、まぶたは寝ぼけ眼のようにぼーっとしており、うつらうつらと船を漕いでいる。単純に疲れが眠気となって襲っているらしい。
 寝かせてあげようかと思案する私だったが、その必要はなかった。店主は唸り声を上げながら目をこすると、頬を叩いて眠気を振り払っている。正直、今日は寝ても構わないとは思う。
 ここ三日、彼がほぼ不眠不休で作業していたことは知っている。最初は当然だと思っていたが、無理はするなと思う程度に情が湧いてしまったようだ。さっきまで彼に対しての不安しかなかったのに、一度疑惑が晴れたらこんなものなのか。

「まいったね、これは」

 独りごち、らしくないなと自嘲する。元々店主のせいで厄介なことになってしまったというのに。どうにも、ご主人のことを思い出してしまってその色々と補正がかかってしまったのかもしれない。
 本当、らしくない。

「んん、あー。ああ、ナズーリン、すまない。少し気が抜けたようだ」

 睡眠状態からなんとか覚醒した店主の声で意識を変える。先ほどの気持ちを隠すように、私はねぎらいをかけた。

「通し作業を続けていたんだ、体に負担がかかっていて当然だろう。少し休んでも構わないが?」
「無理はしていない、と言いたいところだが眠気ばかりはどうにもならないな。少し風呂に入ってさっぱりしてきてもいいかい?」
「そのまま布団に入っても一向に構わないよ」
「それは、君が元に戻って……元の姿だったな、あの姿に戻ってからにしよう」
「頑固なものだ。当初ならいざ知らず、今の私はもうそこまで気にはしていないのだけど、何か理由があるのかい?」
「僕の良いところを見せてやりたいんだよ、君に」

 そう言った途端、店主は眠気を吹き飛ばすように表情を激変させたかと思えば、疲労とは異なる汗を流し始めた。やってしまった、と言わんばかりの感情がそこから窺える。
 私はしばしぽかんと呆けたように口を開け――やがて、耐え切れず笑ってしまう。
 今回の件でどうにも彼がらしくないほど積極的な理由。
 それは単純明快にして真理。
 男はどうしようもなく格好つけたがりな生き物だったというだけのこと。女の前なら尚更な話、ということだ。
 年老いた人間が若い頃の気持ちを思い出し、心惹かれた異性に後何年若ければという台詞を吐くことがある。今回はその逆の話。店主から見るともう十年経っていれば、というような年上が年下に抱く気持ちだったのかもしれない。妖怪にそんな理屈は無意味なのだが、外見はやはり無視できない要素ということだろう。

「それは、光栄な話だ」
「勘違いしないように」

 きりりとした声音に、先程まであった眠気は微塵も見当たらない。よほどの衝撃が店主の中で生まれたらしい。外見も性格も好きと言ったことにはあまり抵抗が見られなかったのに、良いところを見せたいということだけ隠しておきたかったなんて、案外可愛いところがあるじゃないか。
 私はそれをおくびにも出さず、何がどう違うのかを心中ではわかっていながらもあえて返した。

「何をだい?」
「上客を逃さないよう香霖堂の良いところを見せようとしているだけであって、っておいこらナズーリン、やめ…………」
「そこまでだよ店主。指輪を外すのはいただけない」

 そそくさと左手の指輪を外そうとする店主に、私は笑みを浮かべながらその動きを妨害する。無論本気ではない。単純に、店主の反応が楽しく嗜虐心を刺激されてしまう。ふむ、彼は人間混じりでもあるから妖怪としての本能が少し刺激されているのかもしれないね。
 揉みあうような争いは、私がそういう質問を控えることでの決着を迎える。息を荒げながら店主はぼやくように言い放った。

「まったく、僕だけ一切の隠し事が出来ないのは不平等だ」
「なあに、今後は正直に生きればいいとの毘沙門天様からのお告げだよ」
「その割に君は嘘が多いと思うが?」
「女には秘密が多いと言うだろう?」
「お告げと言うなら、君は毘沙門天の言葉に従わないのかい?」
「多少融通が聞くからね」
「……本物に言われると説得力があるな」

 案外、あれで気さくだったり部下の配慮を汲む柔軟なところもある。神様全てが厳かで神聖なるものというわけでもないのだ。

「あの方には財宝神としての一面もある。この一件が済んだら本格的に入信してみても良いんじゃないか?」
「霊夢にどやされそうだから控えておくよ」
「将を射んと欲すればまず馬を射よ。あの巫女と魔法使いをなんとかすればいいのかな?」
「本当に欲してもいないものを欲しがるそぶりは、虚しいだけだからやめてくれ。……お言葉に甘えて風呂に入るよ、続きは出てからだ」
「期待してるよ」

 疲れ果てた背を向けながら工房を出ていく店主。少し時間が空いたので何をしようかとも思ったのは一瞬、すぐに私も工房を後にする。向かう先はお勝手だ。風呂あがりの食事を用意するくらい、しても良いだろう。
 何を作ってやろうかと悩みながら、私は適当に食材を並べていくのだった。



 再び工房に戻ってきた私達は、早速先程完成した指輪をエア指輪の上に嵌めることにした。外見もサイズも元と同じものだ。唯一、内側に施された紋様が微細な差を示している。ダウザーとしての性質か、私は身につける前に店主に詳細を尋ねた。

「これは一体どういう用途なんだい?」
「元が最も大きい秘密を探り暴く、だから最も大きい秘密を探り隠す、というものにした。上手く機能すれば、それを見につけてから変化の術をかければいい」

 能力がマイナスに働いているなら、同じ分のプラスを与えてゼロにする相殺効果ということか。
 作業を手伝ったこともあり、若干の高揚が感じられる。自分の仕事が成果となって現れる、というのはジャンルを超えて興奮するね。

「そうなることを期待しよう」

 わずかな緊張を抱えながら、私は指輪を右手の中指へ通す。嵌めたことを見届けた店主が紋様の効果を起動、意識していなければ気付けないほどの微細な霊力の揺れを感知する。そうして、新しい紋様が私に刻まれた。
 指輪を外すと、そこには二つの複雑に絡んだ紋様が刻まれている。あとはこれに霊力を注げばいい。

「行くよ」
「ああ」

 意を決して行動する。成功なら、私の体に変化が生じるはずだ。
 私はエア指輪へ霊力を送り込む。せせらぎのように静かに、けれど確かに流れ行く力はエア指輪に到達し――何の変化も起こさなかった。
 沈黙が降りる。
 私は、今回は上手く行くと思った。根拠こそないが、多分、きっと過ごした気分の問題だった。
 祈りや願いだけでは何も叶わないことは知っていた。けれど、そこに期待はあったのだ。その分、落胆も大きく私は何とも言えず何の反応も示さないエア指輪を空虚な気持ちで見据える。
 そこに、店主の手が握られる。結果が出なかったことに焦り、私はつい皮肉のように言葉を漏らしてしまう。

「偶然で起きた事象、発端なれどやはりしがない店主に解決は無理だったのかもしれないね。……残念だ」

 最後は本音でもあった。彼ならなんとかするのではないかとも、淡い希望が確かにあった。けれどもご破算だ。また一からのやり直しである。
 いっそ秘密がバレても良いからなんとか出来る人物を改めて探し直そうか、と思っていると店主の様子がおかしいことに気づく。

「店主?」

 声をかけるも、反応はない。私と同じく、結果が出なかったことに対してショックを受けているのかと思ったが、彼の瞳に変化が起きていることに気づきそれが誤りであると知る。
 店主の金色の双眸がエア指輪を射抜く。瞳孔が開いた感情の窺えぬ空虚な瞳はまともな精神状態ではないように伺えるが、それが能力を本気で使っている時の光景であることを思い出した私は口を挟むことをせずに動向を見守る。
 どれほどの時間が経ったか。短いとは思うけど私には長く感じられたその間、店主は真剣にエア指輪を見据えていたが、やがてようやく重々しい口調でつぶやいた。

「ナズーリン。僕のことを信用できるか?」
「突然どうしたのさ」

 不意打ち気味な質問に焦りが生じ、動揺を漏らさぬよう努めて平静に答える。質問に質問で返すのはよろしくないが、先の落胆もあって咄嗟に良い返事が浮かばなかったのだ。
 そんな私の気持ちを知らぬ店主は、質問の意図を話していく。

「今から直接エア指輪を改造する。なるべく出さないようにするが、改造中にエア指輪が意図しない効果を発揮して体に悪影響を与えるかもしれない」
「直接改造なんて出来るのかい?」

 今まで見てきたのは、完成品の道具を宛てがうか専用のものを一から作るという作業だった。完成品に手を加え、尚且つ性能を変えるなんて真似が可能なのだろうか?

「今の状態のエア指輪を調べたんだが、驚くべきことに定期的に用途が変化するんだ」
「定期的に、変化?」
「そう。探り暴く、探り隠す、どちらにも定着せず用途が変化し続けている。これは混じりきっていない証拠だ。だから介入して、用途を安定させようと思う。でも、そうすると」
「そうすると私にどんな影響が出るかわからない、ってことか。だから信用出来るか、ってことだね」

 割り込んで続けた言葉に頷く店主。先程までの沈黙は用途の見極めと切り出すタイミングを窺っていたのだろう。
 私は悩んだ。先程の失望はまだ胸の中でくすぶっている。果たしてこの男に委ねても良いものかと、数分前までは抱いていた気持ちが揺らいでいる。これも駄目なのではと、そんな不安が消しきれなかった。
 まっすぐに私を見る店主の瞳は動じない。すでに彼は問うた、肯定にせよ否定にせよ、あとは私が答えるしかないのだ。
 緊張からか不安からか、静かに汗が一滴頬から顎に伝う。垂れた汗は、胸元のペンデュラムに零れ――そのクリスタルが僅かな輝きを放っていたことに気づく。それを見た私は、感情を吐露するようにくすりと笑った。

(なんだ、答えは出てるじゃないか)

 左手でペンデュラムをそっと握る。わずかに鳴動するそれは、己の能力が反応していることに他ならない。
 それは無意識に抱いた、解決のための人物の探索。秘密がバレても良いとまで思った人物は、ずっと目の前に居たのだ。
 私が信用せずとも能力が信用した。なら、答えは決まったも同然だった。

「今更だね。私には任せるという選択肢以外ない」

 迷っていたという事実を誤魔化すように、私はそう断言する。店主の唇の端が、ありがとう、という感謝の言葉と共につり上がった。

「成功したなら、瞬時にあの姿に戻ることが出来るはずだ」
「なら、一発気合が入るようなものを渡したほうがいいか」
「うん、何かあるのかい?」
「まあね。でも、効果のほどは君次第だ」

 店主に手を握られたまま、私は効果の具体的な内容を告げる。その提案に店主は目を見開いて驚いていたが、すぐに落ち着きを取り戻す。しかし上手く隠そうとしているが、私から見ればバレバレだ。でもやる気は漲ったようで、その瞳は覇気に溢れているようにも見えた。思考が複雑なくせに行動は全くもって単純だ。でも、わかりやすくて良い。
 今度は私が店主からのアクションを待つ。こういう時は男から動くのが礼儀であり、そう導くのが女の嗜みだ。……決して自分からする勇気がないわけでは、ない。
画像提供:もりゅー
 行為が終わったのを見計らって顔を離すと、不満がまだ見える店主の顔が目に映り思わず苦笑する。先払いしたとはいえ、あちらからすれば所謂おあずけ状態に等しいのだからそれも当然だろう。けどそれくらいは我慢して欲しい。情に絆されて色々許すほど私は寛容ではないのだから。

「頼んだよ」
「頼まれた」

 あとは特に語ることはない。
 作業が終わるまで、私はまた存分にその仕事っぷりを見ているだけでいい。
 しいて言えば――仕事に没頭する男はえてして魅力的だな、思った。 



 ――カランカラン
 香霖堂の扉が開かれる。やって来たのは客ではない常連の二人ではなく、ナズーリンだった。貴重な上客としての彼女――つまりは、最初に出会った時に見た少女としての姿である。

「いらっしゃい。調子は?」
「特に心配はないかな。不満があるとすれば、一度で終わらなかったことだよ」
「そいつは面目ない」
「わざとじゃないよね?」
「わざとだったら毘沙門天への信仰を誓うよ」
「残念、真実みたいだ」

 肩をすくめるナズーリンだが、その顔に刻まれた感情は揶揄に他ならない。本当に残念と思っているなら、せめて気持ちを表情に出してくれたら分かりやすくて良いと思う。
 弄ばれて喜ぶ嗜好は持ち合わせていないが、嬉しくなかったわけでもない複雑な先払いの報酬を受け取った後、無事にナズーリンは少女の姿になることが出来た。しかしいつ何が起きるかわからない、という不満が出たために今度はエア指輪の用途を消す作業が待っていた。
 改造することが出来たなら可能だろう? というのはナズーリンの言だが、正直に言えば直接エア指輪への介入は上手くいくか半々だった。複数の用途のブレこそ確認出来たものの、その場での調整を言い出したのは出任せにも近い。
 にも関わらず実行したのは、ナズーリンが居たからだ。一度失敗した時に見せたあの顔がどうにも忘れられず、思わず口走ってしまったというのが正解だ。それだけ、僕の中では衝撃的な表情だった。
 落ち着きと余裕を持った冷静で知的な女性という印象を吹き飛ばす、一瞬だけ見せたあのしゅんとした雰囲気。僕はあれを見て、そういう顔をさせてしまったという焦燥感と、それを払拭させる安心感を与えてやりたいとひどく願った。何より、彼女からの信頼の喪失感が僕を襲ったのだ。
 後はひらすらにがむしゃらだった。正直、あれだけ必死になったのはここ最近記憶にない。それだけ、僕はあの彼女にやられてしまったようだ。

「理屈はともかく、上手くいくとは思っていなかった」
「ああ見えて薄氷の上での出来事だったってことか。最後に一押しして正解だったね」

 静かに目を細め、あの時のことを思い返す。何の考えもない、がむしゃらさだけを持った勢いしかなく、僕らしさがあまりなかったように思える。
 そう言うと、ナズーリンはおかしそうに手を口元に当てて笑った。何がおかしいんだ。

「たまには単純になったほうが良い。柔軟すぎてまっすぐに伸びることすら出来ないのは悲しいものだから」
「何が言いたいんだ?」

 この台詞も、何回言ったことか。単純が良いというなら、もう少し分かりやすく意図を示してくれたら良いものを。

「賢しい者は愚かを嫌い同族を囲うが、阿呆は好みってことかな」
「まずは言い回しを単純にすることを推奨しよう」
「私としては今のままでいいと思うよ。色々と、ね」

 会話の全てが言葉の裏の探りあいというのは勘弁だが、意味が通じるのなら会話に妙を混ぜるのは嫌いではない。洒落た会話というのは、通じ合えばどこか心地よさすら浮かぶのだから。

「言葉をはぐらかすのは一人で十分だ。さて、さっさと作業に入るとしよう。先日までと違って商い中なんだからな」
「ここ数日、私以外誰かが訪れたのは見たことがないけどね」

 たまたまだ、と残し工房へ向かう。
 この作業が終わりエア指輪を消した後、ナズーリンは果たして本来の姿になることはあるのだろうか。僕の予想では、それこそ必要に迫られない限り誰にも見せることはないと思う。
 だから、必要に迫ってやればいい。目下最初の目標は名前で呼ばせることである。
 霧雨の剣のことを聞かれた時に力ずくは嫌だと答えたが、それは相手のらしさを奪うからだ。ナズーリンがナズーリンのままで居てくれるなら躊躇する理由はない。無論、荒事ではなく彼女とのやり取りに相応しい言葉巧みの方向で頑張る所存だ。
 とは言っても具体的な方法は皆目見当がつかないが……もし再びあの姿を見せてくれる時が来たのなら、それは僕に気を許し『そういう目』で見てくれることに他ならないのではないかと思う。
 そう思うと、胸に秘められた炉に火が灯る錯覚を覚える。このくすぶりは、久しく沸き上がっていなかった恋慕という名の感情であろう。わからないことは気にしないというのが僕の信条であるが、これははっきりと判断と区別がついている感情だ。
 湧き上がるもどかしさは、忘れるにはあまりにも強すぎる。この気持ちを抱けばやることは一つしかない。今までの自分を顧みればらしくもない、たった一つの冴えないやり方を。
 だから、僕は彼女を愛する事にした。

<了>

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

鳩

Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
リンクはフリーです。
何か連絡があればこちらへどうぞ
noblenova☆gmail.com←☆を@に変えて送信お願いします。
バナーは目次の中にあります。

web拍手

      ↑
  お礼画像はこちらです。
  画像提供:会帆
東方・森近霖之助<いらっしゃい。折角だから、訪問記録をつけさせてもらうよ。


上記絵文字提供:うるち

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード