巫女ハー18-2 2/29 大幅加筆しました

 湖へ戻った私達を待っていたのは、湖だった。
 いや当然と言えば当然なのだけど、問題はその規模だ。
 私がアリスと一緒に訪れた時には一目見れば湖とわかる程度の大きさだったそれが、今では見渡す限りの水に覆われているのだ。少なくとも視界に収まっていた範囲の規模が、倍以上の面積を伴って私達を迎えている。

「おいおい、お前こんなの一人で調べるつもりだったのか? 真面目を通り超えて馬鹿だろ」

 ちゆりのわざとらしい声が湖に響く。湖というには広大すぎることを指しているのだろうけど、私も何が何やらさっぱり。

「巫女、本当にここは湖だったの?」
「え、ええ。と言っても、元は平原だった場所が異変の影響で氷の洞窟が生まれて、そこへアリスの魔法が介入した結果湖になったと言いますか」
「言ってることむちゃくちゃじゃねーか」
「そんなこと言われても……」

 ええいレティは、レティはどこ!?
 あの妖怪なら説明してくれるかもしれないのに!

「注連縄も見えなくなってる」
「ふむ。元々確か、あの魔法使いの子は矯正ではなく変化のために魔法を使ったのよね?」
「ええ。確か、矯正させるほどの技術がないから変化させることで結果的に元に戻す、って」
「なら、これもそれと同じね。『変化』し続けているのかもしれないわ」
「その心は?」
「あの子の力不足で変化が終わらず、術だけ制御されないまま起き続けていると仮定しましょう。夢の世界が現実に現れると彼女は言ったそうね? なら、その件の夢が制御役を担ったとしたらどう?」
「わかりません!」
「自信満々に言わない。乗り手のいない車が勝手に暴走していたけど、夢という名の運転手を得たことで自由に動かせるって言えばどう?」
「あーなるほど。え、でもそうなると」
「居るな、アリスの魔法を乗っ取ってるやつが」

 その推論は、この異変の黒幕ではないかと私の勘がささやく。
 多分間違いはないと思う。仮といえ目的を見つけたのならば、後は進むだけだ。
 先を考える私の首筋に、突然何かが触れた。その感覚は一瞬ですぐに消えたけど、一体何事かと私はその箇所を撫でる。
 けどそこには何もなく、一体なんだろうと考えていると、ちゆりがその疑問に答えてくれた。

「今環境適応剤を打ち込んだ。これで水の中に入っても動きが阻害されることはないし、息も出来るぞ」
「え、打ち込……?」
「これ」

 と、ちゆりは手に持っていた小さな棒状の何かを見せてくる。空の器の中身を押し出すスイッチのようなものと切っ先の穴を見やり、私は注射器を想起する。って、今それで刺されたってこと?

「ほい、ご主人」

 ん、とちゆりから注射器っぽいものを渡された夢美は、慣れた手つきで首筋にそれを打ち込んだ。じっと見ると針すら見えない、ただの液体の入った棒にも感じる。

「よし、これで準備万端よ。そぉれ!」

 マントを翻し、夢美はジャンプ一番に湖の中へ飛び込んだ。それに続くちゆりの後ろ姿を呆然と眺める。
 しん……と誰もいなくなった雪原の上で、一人私は佇む。
 水はなんとなく苦手だ。泳げないってことはないし、足がつく川で魚を獲ったことだってある。けど、全身を水の中に入れるのは……お風呂以外ではあまりしたくない。
 生理的嫌悪感、とでも言えばいいのだろうか。あのまとわりつくような感覚がどうしても苦手だ。
 でも、それ以上に。
 置いて行かれる孤独感が嫌悪を上回る。

「お、置いてかないでよー!」

 飛び込んだ先、私の全身を水が包み――込んでいるのだろうけど、その感覚を一切感じることもなく、何の重みも感じないまま私は湖の底へ沈んでいく。
 なんだろうこの感覚は。
 水の中を漂っていることに違いはないのだろうけど。例えるならそう、以前ハーフ君や小傘に抱えられて飛んだあの浮遊感にも似た何かがあった。
 となると、今私は飛んでいる? 浮いている? 少なくとも水に流される私は漂っていた。
 嫌な感覚は、沸かない。これなら……

「おーい、こっちだこっち」

 声がした方角へ目を向けると、手を引かれる感覚があった。視線の先ではちゆりが水の中で立っている。……立ってる!?

「ちゆりそれ……って、声も、出せるし届く?」
「言ったろ、環境適応だって。声が聞こえないんじゃ適応なんて言えないぜ。それより、まだ泳ぐ感覚が残ってるな。こう、常に足元に足場があるイメージって作れるか?」
「え、と」
 
 突然のことに動揺しながらも、私は言われた通りに足場をイメージしてみる。でもその動きはまるで河童の足のように水を掻いているだけで、とても足場のある動きには思えない。

「まー最初はこうなるわな。おーいご主人、巫女のもう片方の手を取ってくれよ」

 ちゆりが言った先では、何故か仁王立ちをしながら湖の底を見据える夢美の背中があった。彼女は答えず佇んだままだ。ちゆりに目を向けると、返ってくるのは無言で首を横に振るちゆりの姿。
 女は背中で語るとでも言いたいのかもしれないが、ちゆりがわからないのに私がわかるはずない。

「おーいご主人、難聴でも患ったか? そういう朴念仁発揮するのは異性関係か本の中だけにしとこうぜ」
「うるさいわねー、聞こえてるわよ」

 何度目かの問いかけでようやく夢美が返事をした。腕を組みながら不機嫌そうに睨みつけてくるが、様子を見て察したのかちゆりの反対側へ私を挟むように寄ってくる。
 その動きは滑らかで、とても水の中に居るとは思えないほどスムーズだ。見えぬ足場を軸に、ちょっと跳んで駆け寄ってきたように見える。
 ちゆりが私の右手、夢美が左手を取ると引かれるように二人は移動を始めた。

「時間がもったいないし、私達の動きを見て真似るといいわ」
「そんな感覚派なこと言われても」
「え、お前どっちかと言うと感覚派じゃないの?」
「や、そうだけど」
「なら問題ないじゃない」
「備えなくそんなこと言われても……」
「何よ、やっぱりハーフが居ないから不安?」

 言われてむっとくる。神社でのやり取りでからかわれることが多くなったが、なんでもかんでもハーフ君と結び付けられるのは不満が溜まる。それも、おそらく彼の真意を一部でも知っているであろう夢美に言われるとさらに腹が立つ。

「へん、やってやろうじゃない。さあ、お姫様のように私を運びなさいよ」
「何キャラだよお前」
「ぶーたれてるだけでしょ、可愛いものじゃない」

 怒ってませーん。
 苦笑するちゆりとやれやれと肩をするめる夢美。二人の様子に唸り手を引かれながらも、観察するのは忘れない。
 こんなのすぐに覚えて介護から離れてやる! と思いつつ、私達は湖の底へと進んでいった。


 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。
 少なくとも一刻は過ぎていると思うけど、魔法の森のように光が届きにくい水の中では正確な時間を察することは出来なかった。……決して未だに手を引かれて移動している私はすぐに覚えることが出来なかったことを認めていないわけじゃあない。

「こうも景色が変わらないと気が滅入るわね。一体夢の運転手はどこまで走り続けているのやら」

 誤魔化すようにぼやくが、夢美はおろかちゆりからも反応はない。妙に気恥ずかしい空気だけがその場に漂う。しかしまだ二人の動きを観察している私は気がついた。
 彼女らが、戦闘態勢に移行している、ということに。
 それに気づいた私は強引に手を離す。目をひそめるちゆりが反応してくれたことを知り、一体何が起きているのか尋ねた。

「ちゆり、一体何事?」
「……お前、巫女だよな? 天狗の資料によると博麗の巫女は結界術を主に使うって聞いてるんだけど、いくら術が使えないからと言ってもこの感覚わかんないのか?」
「んんー?」
「あー、今のお前は自由に動けるか動けないかの瀬戸際だもんな。そんな余裕ないか……」

 何故か残念そうに私を見るちゆり。おいこら、そんな目で見ないで。泣くよ? いや本当に泣かないけど泣き真似するぞ? うざいぞ? ハーフ君だぞ?

「――今、境界が変わりかけてる。門をくぐった、とでも言えばいいのかしら。どうやら、湖という名のトンネルは抜けたようね」

 夢美が静かにビームガンを懐から引き抜く。ちゆりも同じくそれを構えて臨戦態勢を取った。私は何か来るのかもしれない、とゆっくりと水の中で立てるよう努めて意識を足に向ける。
 果たして、それは現れた。

「えーっと、貴女かな?」

 え? と漏らしたのは果たして誰だったか。
 誰も何の反応も出来ないまま、背後から現れた私達以外の誰か。子供のように幼い声と小さな両手が私の肩を掴んだ。
 夢美とちゆりがビームガンを構える。先日の異変の時よりも桁違いに速い反応。それを見て私もようやく動揺から解き放たれた。

「うん。お目出度い色してるし、貴女だよね? うん、きっとそう!」

 水の中が不慣れ、ということは頭から抜け落ちるように私は今出来る最速を以てそいつを見ようとして――絶句した。

「ほえ?」
「はい?」

 全神経を張り巡らせて、いかなる状況にも対応しようとしていた私を待ち構えていたのは、見たことのある館の扉に背を預けた、鎌を持った赤い衣の少女であった。
 赤いワンピーススカートの上に白いケープを羽織り、リボンがつけられた帽子で覆われたその表情は寝起きなのか、虚ろな瞳が力なくこちらを眺め口元に垂れたヨダレが目に入る。
 お互いにその姿を認め、無言。
 あまりにもあまりな状況に頭がどうにかしてしまったのか、私が取った行動は、

「あ、どうも。博麗の巫女です」
「あ、ご丁寧に。私はこの夢幻館の門番でエリーって言うの」

 自己紹介をすることだった。
 エリーと名乗った少女も同じくぺこりと頭を下げて私に挨拶をする。割と天然だこの人、と人のことを言えない行動をする私達は、やはりその気まずさから二の句を告げずその場で呆けるのであった。
 ――しばしの逡巡後、先に立ち直った私はエリーと名乗る少女に尋ねた。

「ええっと、ここは一体?」
「ええっと、さっきも言ったけどここは夢幻館っていうの。この夢幻世界と現実の狭間にあるお家なのよ」
「夢幻世界?」
「そうよー。ここって現実とは違う、夢の世界なのよー」

 門番という職業なら別に世界の創造者とかそういうものではなさそうなのに、何故か誇らしげに胸を張るエリー。間延びした口調だし天然っぽい子なんだな、とエリーの性格を判断しながらも、私は彼女の言う『夢』の世界という言葉に注目していた。

「夢……?」
「そう、夢」

 エリーのオウム返しに首肯しながら、私の脳裏に今回の事件の情報が浮かび上がる。
 夢を操作、支配している黒幕が居ると仮定したこの異変。あしらえたかのように用意された夢の世界。もしかしなくても、私は一足先に異変の首謀者に一番近い場所にいるはず。
 となれば、最後の確認。

「ねえ、最近雪女の夢って見なかった?」
「んー? 雪女、ねえ。……うーん私は知らないなあ。でも、ここ最近急に冷え込んで来て門の前に立ってるの辛いのよ。この世界では割と珍しいことね」
「なるほど。それじゃあ、夢を操れそうな誰かに心当たりはない?」
「そうねえ。……ああ! 確か幽香ちゃんが冬だし季節感でも出しましょうかって言ってたっけ。ひょっとしたら幽香ちゃんがやったのかも」
「……その幽香ちゃんって?」
「この館の主。今は多分寝て」

 そこまで聞いた時点で、私は決断を下す。
 エリーの台詞を全て聞き終えるより早く、館へ侵入せんと足に力を入れて跳躍する。不意を打つようにした動いた私にエリーは反応できず、未だ口を開いたままだ。
 このまま館に、と疾走しようとした私は門を通り越えようとするが、門扉から射出された四角い何かによって迎撃された。
 身を捻って撃ちだされた何かは避けたものの、第二撃は真下、エリーから放たれた。
 のんびりとした口調の少女から突き出されたとは思えない、鋭い一撃。振り上げじゃないの、という疑問はしかし、従来の鎌にはついていないはずの刃の光が見えたことで解けた。
 刃の線ではなく面を叩いて軌道を反らしたことで攻撃は避けたが、反動で私は門の外へと戻される。弾いたと思ったら押し切られた。意外とパワータイプらしい。

「外刃の鎌とか、どういう……!?」

 受け身を取って立ち上がった瞬間、エリーの外刃の鎌が下方より振り上げられる。ほぼ直感を頼りに刃の射程外から逃れたのも一瞬、追い打ちをかけるようにエリーは鎌を投げてきた。
 でも先程の一撃に比べればぬるい。わずかな動きで鎌をやりすごし、エリーに逆撃せんとする私の耳が飛来音を察知する。
 咄嗟に半身を折り曲げると、その上をブーメランのように戻ってきた鎌が通り過ぎる。黒髪が数本舞い散るのを見やり、鎌をキャッチしようとするエリーを見納める。
 だがエリーは鎌を受け止めはしなかった。どころか、自分の体を鎌に引っ掛けるように螺旋を描き、戻ってきた鎌を再び射出した。
 息をつく暇もない連撃に、私は一度鎌を無効化することを選択する。
 投擲された鎌を、私は高く掲げた手刀で打ち落とす。鎌が地面にめり込んだのを見て次いでエリーに攻撃せんとする私に、彼女は素手で迫っていた。

「なめるな!」

 霊力が使えない代わりに体術を磨いてきた私に徒手空拳とは。
 築き上げてきたものが多少の自負を生んでいた。それこそ私が唯一調子に乗れるものであったからだ。
 けれど、それは間違いだった。
 天狗や夢美達に比べれば遅い拳を踏み込みながら左手で捌き、その右拳をエリーに叩きこんだ。
 でも、手に感じるのは硬い感触。認識したのは、門扉を構成する鉄の柱。
 視線を向ければ、門扉の一部がなくなっている。門扉が独りでに分離し、エリーを守るように周囲を漂っていたのだ。

「いっけぇ! 侵入者にはおしおきよ!」

 鉄柱はさらに剥がれ、弾幕のような勢いで突貫してくる。
 相手が素手だったから体術を挑んでくると思い込んでいた私の慢心だ。門も番人であり、門番はエリーだけではなかったということ。

「っつぅ―――!」

 弾幕を避ける間に回収された鎌も加わり、斬撃と打撃の波状攻撃に思わず身を引く。具体的には転身して館から全力で離れた。
 背後から襲われることも考えたけど、門から引いたことが功を奏したのか追撃はなかった。どうやら門番というだけあって、ある程度の領域より外は追ってこないみたいね。
 一連の戦闘で土煙が上がっており、晴れた先ではどこかドヤ顔にも見えるエリーが私を見据えている。……まあ不意打って侵入しようとしたのを防いだんだから、あんな顔にもなるわよね。

「ふふーん。まさか侵入者とは思わなかったけど、そうと知ったらもう通さないわよ。でも逃げるなら追わないわ。私としては館の中に入らなければいいもの」

 むしろ逃げてくれたら楽だから逃げてね、と言う始末。どうやってここに来れたかは知らないけど、出会った時点で寝起きだったのを見るとさっさと帰ってもらって二度寝したいのだろう。
 隠すことなく己の欲望をさらすエリーには素直に好感を抱く。でも、だからと言って立ち去る選択肢は私にはない。
 エリーが予想以上の実力者であろうと関係なく、逃げるなんて辞書は私にはない。

「さて、どうしましょ」

 仮にエリーをどうにかしても門自体に迎撃機能があるのなら門を飛び越えても防いで来ただろうし、この分なら館にも何かありそうな気がする。
 ううん、動く門はエリーの指示に従っていた。となれば優先すべきはエリーの撃破だろう。まあ、それが面倒なわけだけど。
 でも、ここはもう水の中じゃない。あの感覚は残っていないし、体も存分に動かせる。
 つまり純粋な実力で倒すのみ。……不謹慎だけど、私は少しワクワクしていた。妖怪退治、というより異変調査ではあるのだけど、こうしていると博麗の巫女としての自分を実感出来るからだ。
 何より――最近突如とした湧いたストレスを存分に解放する手段があるのだ。張り切らないわけにはいかない!

「私は、博麗の巫女」

 ゆっくりと歩みを進めながら、私はエリーに聞こえるよう大きめの声でつぶやく。怪訝そうなエリーをよそに、私は続ける。

「異変を前に撤退はない。――通らせてもらうわ」
「エリーちゃん二度寝失敗。なら、仕事しないと」

 お札メリケンから溢れる霊力が渦を巻く。エリーは若干涙目にも見えるが、私と同じく引く様子は一切ない。
 先んじて突進してくる鉄柱を裏拳で殴り飛ばす。
 うん、痛みなし。ハーフ君、良い仕事!
 戦闘の再開は、折れた鉄柱が大地へ沈む音と共に始まった。



 踏みしめる白雪にいつもの重さはない。茨木の百薬升の効果によって上昇した身体能力の恩恵だろう。
 升に入った酒でなければ効果がない、と言うがそれを別の容器に移し替えたならどれくらいの効果があるのだろう。
 その疑問を解くためにアリスの家でいくつかスペアを作ってストックしたし、夢美達に見せて成分を解析してもらうとしよう。僕の能力の一切が通用しなかった鬼の道具だ。そう簡単には行かないだろうが、それはあくまで僕の力だからだ。統一原理を持つ夢美達ならば、上手く行けばデメリットなくメリットだけをあやかれるかもしれない。

「しかし鬼になる、か」

 ぐ、ぱ、と手を開閉して拳を握りしめる。
 僕はすでに治療のために一回飲んでいる。未だに思考が短絡的になったり乱暴になっているのを顧みると影響は残っていると考えるべきだ。

「…………」

 僕は適当な木に身を寄せると、無言で拳を打ち付けた。
 全力ではないが、それなりに力を込めてある。普段であれば硬い木を殴った手のほうが痛むだけで、特に意味のない行為。

(だが、僕の予想が正しければ……)

 それを証明するように、木々はぐらりと揺れたかと思えば、その枝に積もっていた雪を盛大に散らしていく。加えて叩いた場所には僕の拳がめり込んでいた。おそらく、全力であったならこの木を折ることだって可能なはず。
 そう、僕の貧弱な打撃で、だ。
 これが、鬼化の恩恵。身体能力が凄まじく上がっている。
 降って湧いた好奇心を抑えることはなく、僕は太極図から一本の刀を取り出す。
 巫女と出会う以前に作ったもので、無銘ながら従来の刀と比べて切れ味鋭く、それ以上に頑丈かつ折れにくい特性を持たせてある。以前武器を求めて製作したものだ。
 短刀でも良かったのではと思わなくないが、作った当時は剣というものに惹かれる時期であったのだ。別段今も扱いに困っているわけではないので、ただの短刀で切れないものを切る時にはよく使っている。
 切れ味よりも耐久に性能を振ったその柄を両手でしっかり握り、今度は逆方向の木へ目標を移す。
 先程より太く、長い僕の身長をゆうに超える巨木だ。だからこそ刀を用意した。今の僕が全力なら、きっと斬れる!

「はあっ!」

 僕に出来る全力を込め、刀が振り下ろされる。
 まるで豆腐に切れ込みを入れる包丁のように刃は巨木に食い込み、その勢いのままに振りぬかれる。
 両断された大木は流れに従ってズレたかと思えば、自重に耐え切れず積雪の地へとゆっくり落ちていく。
 だが切断された木が落ちるより早く右足を差し込み、その全力を持って蹴りあげた。するとどうだろう。本来であれば重みに弾かれて自傷でしかなくなるそれが、鞠でも蹴っているかのように軽々と上空へ上がる。
 僕は刀から左手を離し、空へと向ける。現れる太極図から僅かに覗かせるのは、八卦炉の中心部。開かれた蓋の中から生じる炎熱が、その解放を今か今かと待ち構えていた。

「魔力はどう……だ!」

 発射された熱は球形の炎弾となり、舞い上がった木へ着弾する。
 するとどうだ。
 炎は一瞬にして巨木を燃やし尽くし、轟音を伴って爆ぜた。炎熱だけではない、衝撃すらも加わった一撃は銀の世界を一瞬だけ紅に染め上げる。
 降り注ぐ灰を被らぬよう避難しながらその残骸を見据えながら、右手の刀を左手の八卦炉をぎゅっと握った。

「成果は上々、と。本当、惜しい――」
「そうだな。惜しいところまでいった」

 ぞくり、と身の毛もよだつ感覚が全身を貫く。
 時間にすれば一日程度のものだが、脳裏と心に恐怖として刻まれたその声音を忘れるはずがない。

「…………妖忌!」
「まさか、位置がバレているとは思わなかった」

 垂れた汗が雪原に穴を作る。
 振り向いた視線の先。奇しくも木々に囲まれた雪原の中、という同じシチュエーションで僕と翁――妖忌という名前の剣客は再会を果たした。どうやら、適当に選んだ木々に妖忌が隠れていたらしい。
 何故? という言葉が何度も頭の中で巡る。
 華仙に痛手を受けたと聞いている。だが見た様子怪我らしい怪我は負っていない。まさか同じ方法ではないだろうが、治療したというのか? 
 夢美から聞いた協力者、か。そう考えれば不思議ではないが、何故僕を狙い続ける? 巫女を狙うんじゃないのか?
 こいつの強さなら、僕を人質になんかしなくても巫女を――せるはずなのに。

「名乗った覚えはないが……そうか、あの女か」

 ひとりごちる妖忌に答えず、僕は武器を構える。
 幸い事前準備の手間は省けている。身体能力も上がっている。先日のような無様は取らないかもしれないが、それでも実力差が離れていると思ったほうがいい。

「俺の気配を察知し、不意を打ったのは見事だ。男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うがお前はその例より優れているらしい」
「随分と、お喋りなんだな」

 むしろ、機嫌が良さそうにも見える。
 通り魔じみた出会いから考えられないほどの悠長。僕の威嚇なんか、空から見た犬の遠吠えに思われているのだろう。それは決して間違いではないのだが。
 刹那、銀線が引かれる。
 それが妖忌の抜刀による斬撃だと気づいた僕は右手の刀でそれを受ける。速く、腕に痺れを残す重い一撃だが今の僕はそれを受けられるだけの力があった。
 弾かれて崩した体勢を立て直し、僕は八卦炉を妖忌に向ける。

「いない――!?」

 斜線上に妖忌の姿はない。どこに、という疑問は耳が察知した空気の切り裂く音が答えてくれた。
 咄嗟に刀を付き出し、それを防ぐ。鉄と鉄の噛みあう音が木霊し、不快な音が耳をつんざく。

(この距離はまずすぎる、離れないと!)

 全力でその場から後退するが、背中が密集した木々の一つによって阻まれる。閃く光を視認し、即座に僕は腰を落とした。瞬間、背後にあった木が音を立てて倒壊していく。
 僕は八卦炉を下に向け、風を込めた魔力を放つ。舞い上がった雪に紛れて跳躍した僕に、木々を縫って迫る妖忌の姿を捉えた。

「ぐうっ!」

 放たれた刃に、僕は即座に八卦炉を収納し両手に握った刀でそれを受け続ける。技術などない、ただ来たものに対処しただけだが茨木の百薬升の恩恵はその防御を可能とする。
 しかし刀は防いだが合間を縫って放たれた蹴りを止める手段はなかった。腹部に衝撃が走ったかと思えば、雪の中に埋まっていた。
 蹴り飛ばされたのか、と鈍痛に顔をしかめながら立ち上がる。じんじんと痛む腹も、数秒で鎮静していく。……鬼ってキリでもこれなのか? 反則だろ。
 幸運にも妖忌は追撃を仕掛けてくる様子はない。ない、が……攻撃の手段が僕にはない。
 上がった身体能力のおかげで刀は防げる。だが、攻撃に転じようとするとその隙を縫われてしまう。八卦炉で攻撃するには僕の反応は遅すぎた。
 両立が無理なら、攻撃か、防御かどちらか一つを取らなければならない。
 そしてそのうちのどれかと言うならば、僕に選ぶ余地はない。

「……おおおおおおっ!」

 刀をその場に落とし、太極図から再び顕現した八卦炉を手に裂帛の気合を上げて突進する。
 こいつはここで倒さなければならない。でなければ巫女にいらぬ被害が及ぶ。こいつが来る前までの日々を取り戻すには、この刃が巫女に届くより前に折らなければならない。
 鬼の恩恵を受けた今なら攻撃も防げる。多少の怪我もすぐに治る。なら防御なんて選択はない。
 そして遠くから攻撃したとしても、妖忌のスピードでは避けられる可能性が高い。ならば僕の持つ最大威力のそれをぶつける他ない。
 そう判断した僕は太上老君式の一撃を与えるべく疾駆し、その声を聞いた。

「拙いな」

 妖忌が腕を振るう。
 今まで見えていたはずのそれはしかし、不可視の一撃となって僕の手を切り裂いた。
 手を切られただけなら止まることなく突進を続けていただろう。しかし、それは出来ない。
 なぜなら、先の一閃により僕の手から八卦炉はこぼれてしまったからだ。今の攻撃は仕留めるためのものではなく、僕の手から八卦炉を弾くためのものだったと気づく。

「手加減、していたのか」
「それを気づける冷静さはあるようだな」

 手から流れる血を気に留めず、僕はつぶやく。
 言外に、今まで冷静さを失っていると言われているようなものだった。
 鬼の力にはしゃいで策もなく逃亡することもなく、倒せると信じて突っ込んで結果はまるで同じ光景。
 なんて、無様。
 弾かれた八卦炉。振り下ろされる刃。まるで記録した映像を見ているかのように、状況はあの時と同じ再現をしていた。

(思い違いをしていた――)

 刃が近づく。
 華仙という救援はない。あの出会い自体が幸運なのだったと、そんなことを知らずに華仙への甘えを享受していた阿呆に相応しい結末なのかもしれない。

(僕が、強くなったんじゃない。道具が、僕を強くしたんだ)

 夢美が起こした異変で仮にも動けていたのは、頭で動いていたからだ。策を練り、翻弄し、道具を操り、巫女を救出したり、様々なことをした。
 けど、妖忌相手の僕は何をした?
 ただ攻撃を受けるだけ。攻撃をしたかと思えば策もなく当てるための努力もない特攻。
 上がった身体能力の犠牲になった思考があれば、即座に逃げるか逃げられずとも頭を動かして立ちまわっていたはずだ。
 手に入らないはずの力を手にしただけで、それらを忘れた。決して唯一無二のものでもなく、ある程度強い妖怪、天狗なら標準的に持っているであろうそれに喜んで、はしゃいで。
 それを蔑ろにしたツケが、訪れる。
 
(ああ、当然なのか)

 当然なのだ。
 僕がここで再び斬られるのは、当然――では、なかった。
 ギィン! と。
 僕を斬殺せんとする刃が重々しい音を立てて弾かれた。
 そう。
 救いは再びもたらされた。

「良かった、間に合った!」

 広がる紫。
 円を描くように開かれたそれの石突きは黒く染まる、茄子を思わせる装飾。一見して唐傘に見えるそれに、一つ目が浮かび上がる。
 次いで口元と思しき割れ目から舌が飛び出す。それは勢い良く突き出され、妖忌を後退させることに成功した。
 持ち主に、持ち主以外にも受け入れられず付喪神と化しながら、それでも人間を好きでいる妖怪と思えぬ妖怪少女。
 多々良小傘。
 僕を助けると言ってくれた少女が、その誓いを果たすように僕の前に立っていた。



「小傘…………」
「へへっ、防刃仕様の傘役立ったね!」

 呆然とする僕をよそに、妖忌を引かせた唐傘の舌が続けざまに雪原の上に落ちた八卦炉と無銘の刀を絡み取り、放り投げる。
 驚きながらそれを左手で受け取り、邪魔になる刀を太極図の中に収納する。
 胸元程度の大きさしかない小さな少女の背中。その持ち主である小傘は振り返り、空いていた右手を掴んだ。

「ハーフさん、私を使って」

 言うが否や、小傘が消える。いや、消えたのは少女としての体だ。掴まれた肌の感触の代わりに、僕の右手には小傘が使っていた――彼女の本体とも言える唐傘が握られていた。

「こが……」
「来るよ!」

 会話が打ち切られる。
 見れば、妖忌が居合のように納刀したままこちらへ迫ってくる。このタイミング、避けられない!
 繰り出される妖忌の剣。せめて八卦炉で受け止めようとした僕だったが、それよりも早く右手が、唐傘が勝手に動いた。
 鈍い音を立てて唐傘と刀が触れる。その衝撃に軽くふっ飛ばされ、追撃の一撃が再び迫り来る。回避不能の攻撃を防いだのは、やはり右手に握られた唐傘だった。

「痛ったい、けど!」

 石突きに光が灯る。一瞬の間を置いて撃ちだされた弾幕を、妖忌は切り裂き、あるいは体捌きで対処する。
 ぐん、と右手が上がる。驚愕に包まれる僕をよそに、唐傘に引っ張られた自分の体は雪原を抜け大空の下へ舞い上がっていた。
 一息ついた、とばかりに唐傘が垂れる。僕は慌てて自力で浮遊し、空の上に立つ。すると、唐傘から声が聞こえた。

「うふふ、驚いてもらえた?」

 少女としての顔は見えないが、満面の笑みを浮かべる小傘を想起する。きっとその予想に違いはない。

「ハーフさん、攻撃は私が防ぐ。出来るのは、それくらいだから」

 真剣な声音。小傘のそれが僕を自然と引き締まらせる。
 単純になっている今だから、よりわかる。
 小傘は今、余分なことは考えず僕を助けようとすることしか考えていない。
 いっそ暴力とも表現出来そうな信頼は、一体どこから来るのだろう?
 何を言えばいいのかわからず、言葉に詰まる僕に小傘は続けた。

「だから、考えるのは任せるね」
「―――――――ああ。任せろ」

 少女の言葉が、荒れ狂う心の波を落ち着かせる。
 鬼化による単純な思考の弊害? そんなもの、無理にでも捩じ伏せてやる。よくよく考えれば、そんなのは茨木の百薬升の用途を抜き取るより簡単なことだ。何せ思考自体が出来ないわけじゃない。考え方が単純になるのなら、一つのことだけを重視して考える。
 何より、小傘が力を貸してくれる。
 その献身、報いなければ男じゃない。
 そんな青臭い台詞も鬼化の影響かもしれないが、今は置いておく。

「小傘、どれくらいもつ?」
「倒れない限りは」
「物理的に、だ。へこたれないって意味ではずっとだろうけど、心は折れなくても体は崩れるんだよ」
「…………十回ももたないかな」
「嘘は言ってないね。なら逃げの一択だ」
「うん、それならちょっと時間稼ごう? 頼れる人が、後から来てくれるから」
「頼れる人?」
「うん!」

 小傘の言う頼れる人が誰かは……薄々想像もつくが、問題はどれくらい時間を稼げばいいのか。僕としては時間稼ぎなんてことは言わず、そのまま逃げたい。

「あいつが空を飛べなければ、出来るんだけど」

 こちらの希望を吹き飛ばすように、妖忌は空へ上がってくる。しかも地上に居た時の速さではなく、見せ付けるようにゆっくりとだ。わざとか。

「…………あの人が、ハーフさんを斬った人?」
「ああ。巫女を狙ってる、と思ってた」
「思ってた?」
「本当に巫女を狙っているなら、色々おかしいことがあるんだ。そうだろ?」

 妖忌が正面に来る。
 静かな問いの答えは、無言の剣閃だった。
 僕は咄嗟に八卦炉から風の力を放出し、スピードを上げる。細かな制御を考えない、ただ力を噴射するだけのもの。その分、直線上に限ればその速さは――

「かわせた!」

 妖忌の剣を回避することに成功する。
 ただ、今のは不意打ちみたいなものだ。そう何度も/使える/使えない。
 がん、と八卦炉で頭を打つ。心配そうな小傘にやんわりと答え、湧き上がる鬼化の思考廃止を叩き伏せる。

「こ、のう!」
「中々に硬い」
「特製だよ!」

 さらに三連。小傘はその全てを防いでくれたが、すでに唐傘の布は剥げ骨格にも軋みが生まれている。
 僕が躊躇している間に仕掛けてきた妖忌の刃は、再び小傘によって止められる。
 立ち止まるな、頭を回し続けろ。傷つくのは僕じゃない、小傘だ。
 僕の能力が、道具の名称と用途を見抜く力が右手に持った小傘の状況を逐一教えてくれる。それが、僕に辛さと心強さを与えてくれた。

「小傘!」
「……!」

 僕の声に、小傘は返すことなく応える。
 それは小傘が新たに覚えた猫騙しの光。単に光るだけなのだが、不意を打てれば一瞬の躊躇が作れる。
 その空隙を縫い、僕は八卦炉を天に掲げた。
 イメージは僕が知る中で最も速い天狗、射命丸文の風。それを今、全ての霊力を使い切る勢いで生み出す!

「射命丸式――」
「ゲリラ台風!」

 直後、雪を、木をなぎ払う巨大な竜巻が生成される。僕達と妖忌の間に生まれたそれが風の鎧となって翁を吹き飛ばしたのを視認し、今度は横へ八卦炉を向けた。
 方向転換された竜巻が横殴りの嵐となって妖忌に迫る。それを刀で押し留めるのを見届け、僕は転身して逃走を図る。

「ハーフさん、あの人竜巻を斬ってる! 無茶苦茶!」

 小傘の絶叫も、僕からすると予想内の出来事だ。
 奴はキリといえ鬼化した自分を瞬殺出来る程度の実力者。ならいかに竜巻を生み出そうと、まがい物の技では本物には及ばない。
 拮抗したのは数秒。だが、それで十分。

「全く、お願いなんて聞くべきじゃないですね」

 移動する僕達に近づいた影が言う。
 今この状況、この現場においてのその台詞。全くもって同意を示すが、助かった。小傘さまさまだな。
 僕は太極図を開き、八卦炉を収めながら鞘付きの無銘の刀を取り出す。影は、すれ違いざまにそれを受け取った。

「頑丈さは保証する」
「それはどーも」

 そう言って抜刀する彼女――射命丸文を背に、僕達は一目散にその場から逃げ出した。



 常人には視認出来ない早業で抜き放たれた剣閃が文を襲う。
 ハーフや小傘であれば受け身どころか下手をすれば切り裂かれるほどの速さと鋭さを持ったそれを、まるで軌跡を理解しているかのような緩慢な動きで文はそれを受ける。

「ふむ、小傘さんのメンタルとまでは行きませんが確かに頑丈ですね」

 無言の疾閃。
 光条を伴って走る刃の群れを文は刀で、あるいはその軽やかな身のこなしを持って全てを避ける。天狗の速さを以てすれば簡単に出来る行いである。

「通り魔辻斬り追い剥ぎ、なんでもいいですが貴方その程度なんですか?」

 余裕綽々、と言った具合で妖忌を挑発する文。事実、妖忌の剣は文に傷一つつけることはない。文が刀で受けたのも避けられないのではなく、ハーフから借り受けた刀の耐久度のチェックを含めていた。
 
「はー、あの人は一泡吹かされた相手ではありますが実際の実力差ってこんなもんですよねー」

 文とハーフが出会ったさい、水の力の篭った符による不意打ちで機動力を奪われ、良い一撃を受けた文はそんな昔のことを思い出す。
 そうしている間にも妖忌の攻撃は続いているが、文からすれば会話を挟む余裕がある程度のものである。

「では、そろそろこちらから攻めます、よ!」

 言下、宣言通り文は仕掛けた。
 袈裟懸けの一撃を避けられた後、飛燕のごとき切り返しで妖忌の胴を狙う。それは相手の刀によって受け流されたが文はそこで風を発生させる。
 突然体を揺らされ体勢を崩した隙を縫い、突きを繰り出す。その白髪数本を犠牲に逃れた妖忌に追撃の足が迫る。
 天狗下駄による凹んだ一撃を刀で受け止めるも、衝撃を押しきれずにたたらを踏む妖忌。相手の刀が下に向いているのを見やり、文は風によって自身を加速させ、渾身を込めて刀を振りぬいた。
 振り上げよりもこちらの振り抜きのようが早い。そう確信した回避不可能の一撃を、妖忌は技で受け止める。
 妖忌は己の首元へ迫る刃を、僅かにずらした柄によって軌道を強引に変えた。
 上手い、と文は思った。
 感心するのもつかの間、柄を揺らしたその動きからの切り上げが文に襲いかかる。少し興味の湧いた文は避けることなくそれを同じく剣技で流した。

「ほう」

 未だ一撃も与えられていないというのに妖忌の顔に焦りはない。むしろ剣術家として剣の達人に出会った、求道者特有の喜びというものが窺える。
 天狗の中には修行僧として山に篭った者の成れの果てであったり、目の前の妖忌のような求道者もそれに含まれる。
 武術全般において嗜みがあり、妖怪の山でも一種のカリキュラムとして組み込まれている場合もある。剣術もその中の一つであり、白狼天狗が刀剣を好んで使用しているのもそれが理由だ。

「天狗は剣術も嗜むと聞いたな」
「教えたのはお偉いさんですね」
「なら――確かめてみるまでだ」

 仕掛けたのは妖忌。
 振りかぶったのは刀、ではなく鞘だった。技で受け流そうと対応していた文は得物の違いで誤差を生じ対応に僅かなズレを生む。
 それを逃す妖忌ではない。刀と鞘の変則の二刀流による一撃一撃が異なる軌跡を描いて殺到する攻撃の群れを、文は技術で、あるいは天狗の身体能力に任せて全てを捌ききる。
 刀で鞘で巧みに文の斬撃を防ぐその技量に目を見張り、同時に理解する。身体能力が互角であるのならこれらは受けられない。
 つまり、文は妖忌に剣技で劣るのだ、と。

(ま、だからと言ってどうだって話ですが)

 プライドの高い白狼天狗やその辺の天狗ならともかく、射命丸文は剣術にそんなものは持ち合わせていない。彼女の持つプライドは天狗という種族そのものであり剣技などそのうちの一つでしかない。今のように、ある程度用いて戦闘に使えることが出来れば十分なのだ。
 そしてその一つが劣っているからといって自身が敗北する理由にもならない。
 何よりも、だ。

「貴方、本調子じゃないですよね?」

 つぶやかれた声の返事は、大上段からの一刀。
 疾風の動きでその範囲から逃れた文は、一度大きく距離を取った。追撃は来ず、妖忌は間合いを確かめるようにじりじりとすり足で近づくのみ。
 文は無銘刀に風をまとわりつかせながら、言葉を紡ぐ。

「貴方の本気なんて知りませんけどね。それでも『ウチ』に住んでる仙人さんの実力はある程度知ってるんですよ」

 仙人茨木華扇。通称茨華仙。
 以前取材をしたこともあり、彼女のことは割と知っている。雰囲気がそう好きではない相手であるが、それでもその実力の程は相対した時に大体察しはついていた。
 そんな彼女が感情を露わにぐずりながら山に帰ってきたさい、ゴシップ大好きな天狗は当然のように取材に殺到した。虫の居所が悪かったのか正確な内容はわからなかったが、それでも天狗の無駄で独自の情報網により辻斬りと一戦交えてとある半妖を助けてきたということまで判明した。
 単に彼女のお節介という名のうっかりが、ぽろりと口を滑らせただけなのは天狗達の公然の秘密である。
 大事なのは、彼女の口から痛めつけたという発言が出たことだ。

「ですので、素直にハーフさんを辻斬った理由を吐いていただけたら何もしないであげますよ?」
「手加減宣言とは、気の早いことだ」
「速くて早いのは天狗の気質ですよ」

 それで? と文は口に出さず刀の切っ先を妖忌に向ける。
 信じがたい制御力によって刀身に渦巻く風は一種の刀剣型の竜巻のような暴威がうかがえる。刀で受けても体術で避けても、その身を切り裂き吹き飛ばすであろう。
 けれど妖忌の口に浮かぶのは愉悦の歪み。

「是非もなし」

 戦闘行為による高揚感を好む彼にとっては、むしろ相手が難敵であればあるほどその壁を超える楽しみを見出す嗜好を持っていた。
 千年を生きる天狗である文は、妖忌の内心をほぼ正確に察知していた。同時にうげぇと少女がしてはいけない表情を作る。
 そんな彼女の様子を微塵も気にせず、妖忌は刀を正眼へ置く。柄を握る右手から光が点ったかと思うと、それは刀身へ伝い一回り大きな刃を生成する。
 掲げられる光の刃。一刀に全てを叩き込む気迫を持ったそれを妖忌は左の肩の上方へ置く。左手は柄頭を置くように添えられていた。

(突き、ですか。この場で使うということはある程度信を置く技ということでしょうが)

 文は逡巡した後、刀を逆手に握ると切っ先を地面へ向けた。それは構えというより、地面に刀を突き刺すような構図だ。
 刀身に巻き付く風は未だ収まらず、内包した霊力が渦巻く様が妖忌にははっきりと目に見える。

(あえて風を解き放つことでこちらの体勢を崩し、そこを狙う気か? それとも風自体が見せつけの騙し手か。どちらにせよ、不変)

 竜巻を持ってこの身を襲おうが、考えの及ばぬ奇襲が来ようが。
 ただ、この一突きに全てを乗せるのみ。

「―――――では」

 文のつぶやき。
 その先に言葉あったのか、そこで切ったのかはわからない。
 なぜなら文が言葉を発した瞬間、すでに妖忌は足元の積雪を爆散させその推進力を持って文に突貫していたからだ。
 繰り出される突きに対し、文は驚くだけで回避をとっていない。風は未だに刀に留まっている。電光石火で放たれた突きが文の胸元へ迫り、その心臓部を貫く。
 その手応えに、妖忌は一瞬だけ目を歪め――すぐに天を仰いだ。

「あややや、バレましたか」

 言下、刀から風が解放される。身構える妖忌であったが、刀はまるで自らが跳躍するように地面を跳ね空へと跳び上がる。刀はそのまま、中空に浮かぶ少女、射命丸文の手に収まっていた。
 心臓部は刺突による穴が穿たれておらず、遭遇した時と同じく何の損傷もない無傷の状態だ。
 妖忌の刀は確かに文を貫き、その感覚はあった。だがああして余裕を見せているのを見れば、あの感覚は天狗特有の妖術なのかもしれない。
 そして刀に付与された風は殺傷能力などなきに等しく、本当にただ見せかけの風に過ぎなかった。強大な霊力の渦の内側はほとんど空洞な、ハリボテのようなもの。それはつまり、最初から文は妖忌と戦う気がなかったということである。
 それを理解したからこそ、妖忌から僅かな怒気が生じた。

「貴様……」
「あーやだやだ、本当に本気で相手すると思ってたんですか? ハーフさん達が逃げる時間は十二分に稼いだので、これ以上働く気はありませんよ。ああでも、取材に協力してくださるのなら延長時間を設けますが?」

 不遜に妖忌を見下ろす文には、天狗特有の傲慢さが見てとれる。
 彼女にはそれが出来る実力があった。少なくとも華仙との戦いの傷が癒えていない妖忌相手には。
 だがもしこの場に文と親しい天狗が居ればもう少し詳細な感情を知れただろう。
 つまり、知人を傷つけられて割とご立腹なのだ、と。

「当代の博麗に一泡吹かされた、と聞き及び天狗の質も落ちたと思っていたが……」
「いやいや、人間相手に全力出したら壊れちゃうじゃないですか。あれは遊びみたいなもんですよ。遊びの本気ってやつですね」
「攫った巫女が気になるのか?」
「当代に関して言えば我々は関与しておりませんよ。というか、我々が攫うなら結界術くらい使える子を選びます」

 失礼な、と怒りを露わにする文。そう見せているだけであって本当に激昂しているわけではないのだが。

「彼女はどうやら、いつの間にか博麗の巫女になっていたそうですね。そういう意味では、彼女やハーフさんとは付き合いの甲斐がありますね。――なぜ、術の使えぬ身でありながら博麗大結界の管理者である博麗の巫女なんて職務につけるのか、なんてのも。貴方、その理由知ってるんじゃないですか?」
「さてな」

 素っ気のない返事。
 その中に含まれた感情を文はどう判断したのか、手に持った刀を腰に帯びた鞘へと納刀する。それは言外に、戦闘の終わりを意味していた。

「貴方の狙いはよくわかりませんが、『我々』としても面倒な介入は避けたいので少なくとも傷を癒やすまでは手を出さないことを推奨しますよ。彼、思いの外悪運強いでしょう?」
「その言葉では止まる理由にはならんな」
「はー、面倒確定。ったく、話のわからない人は嫌われますよ」
「一体何を言っている?」
「いいえ、お互い『悶々』としたことになりそうで困るって言いたいんですよ。貴方のせいですからね?」

 ひとまず目的は果たしたので、と言って文は刀ではなく普段愛用している団扇を取り出し、天に突き出す。
 すると今度こそ妖忌が感じた荒れ狂う竜巻が周囲を取り囲む。それも一つではなく、いくつもの巨大な竜巻が群れをなして徘徊するように渦を巻く。しかし妙なのは、竜巻が忌を襲う素振りを見せずその場に留まっているということだ。

「――とりあえず、今日はここで大人しくしといてくださいな。では」
(これは足止め、か? 天狗がここまでするとは)

 そう言って文は音を貫く速さでその場を後にする。まさに天狗に相応しい、風と共に去る脱出に妖忌は舌打ちを残した。
 
「……どうやら、詳しく話を聞く必要がありそうだな」

 ハーフと妖忌の二度目の遭遇は、一度目と同じく乱入によって中断される。
 次も同じことが起こる予感を覚えながら漏らしたそのつぶやきは竜巻の中に呑まれ、誰も知ることなく空気の中へ溶けていった。


<続く>

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

鳩

Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
リンクはフリーです。
何か連絡があればこちらへどうぞ
noblenova☆gmail.com←☆を@に変えて送信お願いします。
バナーは目次の中にあります。

web拍手

      ↑
  お礼画像はこちらです。
  画像提供:会帆
東方・森近霖之助<いらっしゃい。折角だから、訪問記録をつけさせてもらうよ。


上記絵文字提供:うるち

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード