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巫女とハーフと夢幻の館

 もやもやを吹き飛ばすべく始めた神社の雪掃除を簡単に終わらせ、私は異変の調査に戻ることにする。
 と言っても湖の調査だから、ひょっとしたらあの冷たい冷たい水の中に入らなきゃいけないと思うと気が滅入る。せめて寒中水泳にならない道具でもハーフ君からもらえたら、と思ったけど彼はすでに神社に居ない。
 ハーフ君に頼れないなら夢美達に聞いてみるとしよう。

「ねえ、冬の湖に入っても寒くならずに探索出来る道具とかない?」
「なんだよ突然。寒中水泳なら水着だけで十分だろ」
「したくないから聞いてんのよ」
「にとりに聞いたら良いだろ。あいつ水を操れるし、水の中に道を作れるくらいだぜ」
「やっぱりそれが一番かなあ。ひとっ走り妖怪の山まで……」
「なら、私も着いて行くわ」

 ぐっと伸びをして走る準備を整えると、夢美がそんなことを言ってきた。
 当然いつものようにダメだと言おうとするより早く、彼女は言葉を続ける。

「ああ、今回ばかりはダメだと言っても無駄よ? 止めたければ一戦交える覚悟で来なさい」

 あの異変以來に聞く本気の声のトーンに、二の句を継げない。私もびっくりしたが、同じくちるりも食い入るように夢美を見据えている。この様子を見ると、計画というわけではなく夢美の独断なのだろう。
 私は軽く目を細めながら理由を尋ねる。

「今回はやけに声を張ってるわね。どうして?」
「妖怪の山に行くのなら、天狗の棟梁に会いに行きたいのよ。あの河童に会いに行くなら、連れて監視すればいいわ。問題ないでしょ?」
「いやいや、人間が妖怪の山に入るのってかなりダメなんだけど?」
「宴会してたじゃない」
「あれは結構その場のノリ、ってのが大きかった気がするんだが」
「黙らっしゃい。私は技術提供者だから顔パスなのよ」

 本当かしら。

「そもそも、異変から結構日が経ったのに特に問題は起こしてないでしょう? そろそろ問題なしって判断されていいはずよ」
「あんたが決めるなあんたが」
「結構急ぎなのよ、割と」

 淡々と語る夢美にどこか凄みを覚える。ここでいつものように止めたら、本気で一戦やる必要が生まれそうだ。
 あの異変の戦い自体、私が夢美に勝ったのは色んな助けと偶然あってこそ。加えて共同生活で私のデータが豊潤であろう今の夢美と戦えば勝率は限りなく低い。

「それに保護観察なんて口約束でしょう? 貴女が私を無理に止めるメリットはないわ。ずっと一生、神社に住ませるつもり? それって監禁よ」
「え、そ、それは違…………」
「ならいいじゃない」
「だ、ダメだって。妖怪の山なんて危険なんだし」
「私は巫女より強いわ。ちゆりのサポートだってあるもの」
「私より強い妖怪なんてうじゃうじゃいるわ」
「別に妖怪の山以外へ行く、とは言ってないでしょう? 人里と同じでちょっと移動するだけよ。妖怪の山までなら、貴女やハーフだっていける。それなら危険はないわ」

 そう言われてしまうと割とぐうの音も出ない。
 彼女は元々バイタリティ溢れる研究者だ。あの異変だって私が止めていなければその好奇心の赴くままに幻想郷を渡り歩いていたことだろう。
 今まで沈静化していたそれがきっかけで――きっとハーフ君との話だろう――活発になり、鳴りを潜めていた衝動が沸き上がっている。

「落ち着けよご主人。それに巫女、お前が心配してくれるのはわかるが、妖怪の山なら話は別だ。私達も、あそこならゲスト扱いで行けると思う。それに、ご主人がこう言う場合は結構急ぎっぽい。まあ幻想郷破壊なんて真似は考えてないだろうし、しようとしたら私がパイプ椅子で止めるから、ここは行かせてやってくれないか?」

 なんでパイプ椅子、というツッコミはさておきちゆりの仲介で少し頭を冷やす。
 アリスのことも心配だしレティのお願いのこともあるし、今日はハーフ君のせいで調子がおかしい。きっとそうだ。落ち着いて、落ち着いて……うん、OKOK私は冷静だ。

「私の用件済ませたらそっちを手伝ってあげるわ。それでどう?」
「はあっ? マジかよご主人」
「マジもマジ、まじまじ。いい機会じゃない、巫女の仕事を手伝っていれば私のデータ収集も潤いそうだわ。それにハーフみたいな人妖や妖怪よりちゃんとした人間が手を貸すってことが大きいと思わない?」

 そうやって落ち着きを取り戻そうとする私に、追い打ちを掛ける夢美。何か言おうと一瞬鼻が白みそうになったが、よく考えてみれば夢美の技術提供を受けられるなら良いんじゃないか、と思い直す。
 でも、なんでいきなり?

「どうしたのよ夢美。一体何事なの?」
「どうしたもこうしたも、閉じこもっているより建設的だと思っただけよ。せっかく貴女が助けを求める程度には難しい事件なんですもの、やりごたえありそうじゃない?」
「私は楽してデータ収集したいぜ……」
「妖怪相手に楽なんてものはないのよ」

 そりゃそうだ。

「うーん、うーん……手伝いって言っても、湖の中に入れたりする道具とか持ってるの?」
「そのために妖怪の山に行くのよ。あそこには押収された道具がいくつかあるしね。ちなみに湖の中どころか、自分の体をあらゆる環境に適応させる道具なんて、私達の時代じゃそんな珍しいものじゃないわ。宇宙にだって着の身着のまま行けるわ」
「本当に着の身着のまま放り出されたら帰ってこれる保証はないけどな」

 未来の技術ってすごーい。
 考えてみれば、服と見紛う薄さの鎧に加え(けどデザインが競泳水着っぽいのはなぜ?)装着者に武術の達人の動きを付与させるなんて真似が出来る時点で文明レベルの基準値、桁が違うのよね……そもそも次元移動をしている時点で、出来ないことなんてそうそうないか。

「わかった、普段自分の興味持ちそうなことじゃないとテコが壊れて動かなくなる程度の夢美が『しれっと褒めないでよ、素敵ね』褒めてない褒めてない、手伝ってくれるんならありがたく申し出を受けますか。ちゆりも当然来るのよね?」
「選択肢、あると思うか?」
「何言ってるのよ、そんなこと言いながらも着いて来る気満々のくせに」
「へへっ、バレたか」

 ちゆりは享楽主義のため、楽しめることがあれば首を突っ込んでいく。普段閉じこもっていた鬱憤が晴らせるなら、多少の面倒でも行かないはずがないのだろう。

「よし、それじゃあ二人とも防寒具とか準備してちょうだい。妖怪の山で用事を済ませて、それから異変の現場へ――」
「ああ、巫女は先に湖に行ってて。まだ何も調べてないのなら、事前に何か情報収集も出来るでしょう」
「いやいや、一応監視は続けさせてもらうって。それに湖の場所わからないでしょ?」
「貴女には発信機が着いてるから、それを辿れば問題ないわ」
「いつだ、いつ付けた!?」
「神社に来たその日ね。ああ、肉眼じゃ目視出来ないほどの小さいものだから違和感も不快感もない優れもの」
「安心できるか!」
「ちなみに仕掛け人はハーフよ」
「あのやろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 いつだ! どこだ! いつどこに取り付けた!? 今後会ったら絶対問い詰めてやる!
 魔法的なマーキングも出来るから二重に安心だな、とほざくちゆり含めた二人に怒鳴りつつ、私達は妖怪の山へ向かうのだった。



 不穏。
 妖怪の山へ入った私が感じた空気はそのひと言に尽きる。
 以前、演習という名目で許されていたといえ宴会をしていた場所とは思えない空気が蔓延していた。
 ピリピリしているというか、馴染んでいるというか。
 山道を一歩進むたび、足元からじわりと何かがにじみ出ている、と言えばいいのだろうか。人を不安にさせる、妖怪特有の怪しさを感じさせるのだ。
 ちゆりもそれを感じ取っているのか、山に入るまで朗らかに笑っていた笑みに時折鋭さを帯びている。周囲を警戒しているのだろう。夢美はいつも通り周囲を興味深そうに観察していた。ブレなくて素敵。
 私自身、いつ誰が来ても戦えるよう手袋の下にお札メリケンを巻いている。これなら武装していることがばれないし、何より手をかじかみから守ってくれるのが良い。
 そんな風に警戒しながら進む私達の前に、羽を翻す音が届く。
 見上げれば、私が一番見慣れた天狗である射命丸文がマフラーをなびかせながら木の上に佇んでいた。

「こんにちは、巫女さん。今日はハーフさんとご一緒ではないのですね」
「別にいつもいつでも一緒、ってわけじゃないでしょ。たまには交代よ、交代」

 ハーフ君のことをどういうべきか、一瞬言葉を失う私をフォローするように夢美が代弁する。文は目を細めて私達を見るが、それ以上の追求はなかった。

「では改めて。今日はどのようなご用事でしょう?」

 そう問いかける文は見慣れた笑顔。けれど私はその笑みの下に隠れた感情を匂わせる。
 それがどんなものであるかまでは知らないが、ここに居ることを歓迎されていないことだけは理解できた。……お仕事中、だろうか。

「夢美が所要らしいのよ。私はそのお目付け役。あと、にとりに会いたいんだけど」
「夢美さんのほうは御屋形様より話を聞いていますので問題ありません。巫女さんはまあ、私が一緒に行けばいいでしょう」
「おい、私には聞かないのか?」
「ちゆりさんは夢美さんに着いて行くのでは?」
「そうだぜ」
「でしょう? 全く、無駄な手間を取らせないでくださいよ」

 やれやれと首を振る文はどこか疲れた様子だ。バラけるのなら、ついでに話を聞いてみようかな。
 文が木の上から飛び降り、手を上げるとそこに一羽の鴉がこちらへ飛んでくる。文が連れている鴉ではないようだけど……夢美が軽く目を見開いているわね、見覚えでもあるのかしら?

「こちらが案内してくださります。見た目は鴉ですが、これでも御屋形様の眷属ですので失礼な態度は取らぬようお願いしますよ」
「ふーん、貴女あいつの鴉預けられるほど地位高いの? ちょっとお話しない?」
「私はしがない鴉天狗です、誓ってね」
「まあ、簡単な質問でいいわ」

 口早に夢美は文を問い詰める形となり、私はその場に放置された。夢美の話、早く終るといいなと思う私は、互いの合流を決めていなかったことに気づいた。

「そうだ、お互いの用事が終わった後の合流はどうしようか?」
「用事が済んだら入り口でどうだ? あーでも一応、これ渡しておくぜ」

 ちゆりはそう言って、私の蝶のリボンに何かを取り付けた。重みのないそれは、摘もうとしても本当に何かを取り付けたのかわからないほどの薄さだ。軽くさすってみてもリボンの感触しかない。

「これは?」
「遠くの相手と話せる機械って言えばいいかな。集音器の機能もあるから、耳元に当ててなくても話せばこっちに聞こえる」
「へえー流石未来ね、こんな薄い電話もあるなんて。どうやって使うの?」
「……使い方わからないだろうから、後で教えてやるよ。こっちの用件が済んだら話しかける。お前のほうが先なら、リボンを軽く二回握ってくれ」
「握るだけでいいの?」
「ああ。そうすりゃ少なくともこっちには届く。今はそれで勘弁な」

 未来って色々進んでるわねー。

「あのブンヤには内緒にな。天狗に知られたら面倒臭くなりそうだ」
「確かにね。わかった、変に時間取られたくないし内緒にしとくわ」

 そうしてくれ、と会話を締めるちゆり。丁度あちらの会話も終わったようで、夢美がこちらへ戻って来るところだった。

「じゃあちゆり、行くわよ。さっさと用事済ませて異変の調査と行きましょう」
「へいへーい」
「巫女さん、では我々も」
「りょーかい。私がついていける範囲で飛ばしていいわよ」

 私は二人と別れ、にとりへ会いに行くべく九天の滝へと歩みを進めていく。
 季節が冬なのもあり、寒風が一吹きするたびに身を苛む。走っているはずなのに一向に体が温まらず、寒い寒いと体を震わせる私をよそに、文は気にした様子もなく黒い翼で風邪を切り裂いている。
 けれど見上げるその姿に、いつもの余裕が見当たらないのは気のせいか。妖怪の山の不穏……緊張と関係しているのは確かだと思う。
 こういう時は当たって砕けろ、である。

「ねえ文―――最近何が――あったの?」

 樹の枝を利用した跳躍を繰り返し、高度の到達点へ上がるたびに文へ話しかける。面倒極まりない話しかけ方だけど、空を飛べないのだから仕方ない。
 文は少しぎょっとしたが、すぐに苦笑へ切り替えて答えてくれた。

「最近、御屋形様が少しピリピリ……いえ、好奇心を沸かせていまして」
「それが――何かあるの?」
「夢美さん達の技術を率先して受け入れたのが御屋形様でして。未来の文明というのは天狗の秘術よりも不可思議な物も多く、参考になる部分も多いのかもしれませんが……やはり我々は幻想の生物。戦国の世に広まった鉄火硝煙はともかく、秘術を超える技術はあまり好きではないのです。鬼を想起しますからね」
「つまり上司の――わがままでピリピリ――していると」
「少し、違いますが……そこはすみません、これ以上は私の口からは巫女さんに教えられません」
「そ、っか」

 文個人とは親交を結んでいるけれど、私自身妖怪の山に受け入れられているというと少し首を傾げる。比べるほうが悪いのだけど、この山では個より組織が優先されるので当然のことだと思う。
 むしろこれで文がぺらぺらとその御屋形様のことを喋ったほうが問題な気がする。
 しばらくしてにとり達の住処が見えてくる。河を泳ぐ河童に声をかけようとするが、彼女は私と文を見るなり少し怯えを含んだ視線を投げてきた。……はて?

「ちょっと聞きたいんだけど、にとりは居る?」
「あ、えっとあー……」

 ちらちらと、河童は私――正確には文を見ながら口ごもっている。
 妖怪の山では天狗の下に河童が居るそうだから、上司の前で勝手に口を開けちゃいけない、と思っているのかな?

「私のことはお気になさらず。にとりさんが居るなら案内してあげてくださいな」
「……いえ、にとりはすみません、最近天魔様にちょくちょく呼び出されてまして。今日もしばらく帰って来れないんじゃないか、と思います」
「呼び出し?」
「あの子、教授の技術提供を受けた中で頭角を表しまして。そこに目をつけた御屋形様が、未来道具のメンテナンス要因として招集してるんですよ。たまに道具も持ち帰ってきて、それをみんなで弄ったりもしてますね。とっても楽しいです」

 へー、出世したのね。技術顧問というべきか。
 異変以降に会いに行ったこともあるけど、その時はそんな話をされたことはなかったからつい最近の話なのかもしれない。
 私と文で壊したロボットみたいなのに御屋形様が興味津々で、にとりはそのメンテナンス。文達はそのロボットを使ったあれこれで苦労しているから妖怪の山に緊張が……うーん、大体こんな感じ、かな?
 不穏さを感じたのは多分、妖怪の山だからだろう。なんせ妖怪が住んでるんだし。

「わかった、ありがとうね。今度遊びに来る時はきゅうりでも持ってくるわ」
「ホン……! えっと、その時を楽しみにしてますね」

 文の前だとちょっとやりにくいかな? 
 私は手を振りながら礼を言って、その場を後にする。
 にとりがいなかったのは残念だけど、妖怪の山のことを少し知ることは出来たのでよしとしよう。後は夢美達を待つばかり。

「夢美、調査に必要な道具持ってきてくれるかしら」
「ほう、調査ですか。巫女さんは今、何をしておられるので?」
「ん? ああ、まだ大事じゃないけど不思議なことが起きててね。それを調べに行く中で、湖の中に入るかもしれないからにとりに協力してもらえないかな、と思って来たのよ。夢美はなんかその御屋形様に用があるみたいだったけど」
「あの人は今現在、御屋形様の一番の興味対象ですからね。長くなるやもしれません」
「御屋形様、話長い口?」
「そういうわけではありませんが、未来の道具を説明する時間があるのではないか、と」
「あー、なるほど」

 そのことは考えてなかった。
 一応ちゆりに教えられた通り、私はリボンを軽く二回握る。リボンのどこに付けたかわからないので、これで合ってるかわからないけど……

「私は入口に戻るわね。文はどうするの?」
「お送りはしますよ。まだあの方達も戻ってないでしょうし、戻りはゆっくり移動しましょうか」
「別に構わないけど……」

 入口についてから話せばいいと思うのは私だけだろうか。
 まあいいや。

「そういやさ、天狗の秘薬かなんかで体が元気になる薬とかってある?」
「ハーフさんがまた変なことでもしたんですか? お仕置きは適度に、ですよ」
「そんなんじゃ、ないわ」

 私は秘薬が必要な理由、つまりアリスの症状について説明する。
 魔力が消耗した、とのことだが私にはいまいち実感がない。
 体中ボロボロになったこともあるけど、大体自然治癒やハーフ君が用意してくれた薬でなんとかなった。
 けど魔力については門外漢。ハーフ君がなんとかしてくれるかもしれないけど、念のため、というやつだ。

「ふむ、アリスさんは幼……少女ながら中々の魔力をお持ち。そんな方が一気に枯渇するほどの魔法とその現場。とても、気になりますね。良い記事が書けそうです」
「今はやめときなさいって。体調悪い時に取材なんて受けられないでしょ?」
「では、治すために何か用意でもしますかね」
「あるの? 薬」
「天狗とて元は行者ですからね。僧侶の真似ごとなどもしている天狗もいますので」

 答えになっているのかいないのか、軽く自分の胸を叩く文。任せていいのだろうか。

「それじゃあ、良ければお見舞いに行ってあげてくれない? 私はこれから調査があるから」
「ええ、構いませんよ。あちらにハーフさんも居るのでしょうか」
「一応、頼んだけど。居合わせるかどうかまではわからないわね」

 言葉を選びながら返す私をじっと見つめる文。どうしたってのよ。

「巫女さん、ハーフさんと喧嘩でもしてます?」
「はあ? 何よいきなり」
「いえ、記者の勘というやつです。また経験則から言わせてもらえば、妖怪の山という普段と違う場所へ外出するにも関わらず、あの方がついてきていないこと。出会ってから今までハーフさんの話題をどこか避けているようにも見受けられたので」

 記者の勘と経験って怖い。

「別に、私とハーフ君との喧嘩なんて珍しいものじゃないわ」
「そうですか? 私には珍しいです」
「いいでしょ、別に。単に隠し事されてて話題に出す気分じゃないだけよ」
「へぇ」
「どーでも良さそうに返事するなら、聞くなっ!」

 それは失礼、とどこかから取り出した扇で顔を隠しながら謝罪する文。謝るならちゃんと目を見て謝れ。

「ま、機会があったら私のほうから探っておきましょう」
「え、本当?」
「冗談で……冗談の冗談です、だから拳を振り上げるのはやめましょう。貴女との戦いは適度に面倒ですので」

 どうどう、と両手を下げて私を落ち着かせようとする文。
 いかん、私も少し感情が高ぶりやすくなってしまっているわ。冬の寒さのようにクールに、白く感情を落ち着かせないと。
 しばらく瞑想にも似た集中を発揮していると、遠くから誰かの声が聞こえてきた。

「お待たせ。こちらの用事は済んだわ」
「待たせて悪いな。けどいくつか道具を持ってきたから見返りは十分だぜ」

 話しかけたのは夢美達のようで、ここでようやく私達は合流した。
 
「では私はこれで。アリスさんとハーフさんのことはお任せくださいな。お二人も、あまり御屋形様にいらぬ知識を与えるのはおやめくださいね」
「あ、うん。よろしく」
「考えとくわ」
「考えるだけだがな」

 文はそそくさとその場から去っていく 。
 別に逃げ出すような状況ではないと思うけど、現在御屋形様とやらからのプレッシャーの元凶が二人なので、今は会いたくなかったのかも。

「慌ただしい天狗だな。巫女、アリスはともかくハーフのことで何か頼んだのか?」
「隠し事を調べてもらうなんて、浮気調査でもしているみたいね。心配しなくても巫女に一途でしょうに」
「何の話だ! それより、道具をいくつか、って?」
「可能性空間移動船の外壁は壊れたけど、中の施設はいくつか無事だからな。ある程度は天狗に押収されちまったから、幻想郷全域に影響を及ぼさない程度のものだぜ」
「さらりと全域に影響のある道具も置かれてる、って聞こえたんだけど」
「ん、月を常に居座らせる道具とかもあるわよ? 妖怪が支配する幻想郷じゃあ一大事でしょ」
「当然ってか、絶対やっちゃダメだからね!?」

 妖怪の山の天狗がそんなの使ったら、バランスを崩すどころの騒ぎじゃなくなるって!

「大丈夫、私にしか扱えないもの。危険な道具が天狗に使われることはまずないわ。パスワードもかけてあるし」
「信じていいんでしょうね……」
「おいおい、私達の穢れ無き瞳を信用しろよ」
「瞳は汚れてなくても行動が信用を汚すのよ」

 無邪気とは言うけど、邪気がなければなんでも許されると思うなよ。

「ご要望の、環境に適応する道具はちゃんとあるわ。これなら水の中でも地上と変わらぬ動きも出来る」
「それがあれば安心ね。それじゃ、早速案内するわ」
「それじゃ、行くわよ! 私の輝かしい幻想郷の歴史の第一歩!」
「最初に踏み外したから、一歩も歩けなかったもんな……幻想入りで山に船を直撃って」
「うるさい!」

 そんな二人のやりとりに苦笑しつつ、私は、私達は湖の現地へと向かうのであった。



「――どうやら熱も下がっているようだね。倦怠感はしばらく続くだろうが、今日を乗り切れば明日には治っていると思うよ」

 巫女の言葉通り、食料を持ち込んで見舞いに来た僕と小傘は早速アリスの体調の具合を調べていた。
 僕の言葉に、ベッドの上で苦しそうに伏せるアリスは力なく頷こうとする。だがその行動は傍に居た小傘によってやんわりと窘められた。

「だめだよアリスー。声出すのも辛いなら、無理して動かさなくていいからね」

 そう言って冷たいおしぼりを変え、アリスの小さな額に乗せる。季節は冬だが、発熱している以上は冷やさなければならない。普段は魔法で使うであろう暖炉も主がこの有り様では使えそうにないのだから。
 アリスの看病を小傘に任せ、軽い食事を用意する。塩粥に梅干しでも……いや、風邪じゃないからもう少し味のあるおじや(要は雑炊)でも作るとしよう。卵や刻みネギといった簡単な野菜もつけておくか。
 台所を借りて調理する中、割と綺麗に手入れがされていることに気づく。まだ齢にして十を超えるかもわからない少女がここまできちんとした生活を送っているのを見ると、その理由をつい探ってしまう。修行だと本人は言っているが、あの年齢から大した精神だ。
 土鍋で炊き上げた米を使って完成させた雑炊を器に入れ、アリスの部屋へ戻る。僕の入室に気づいた小傘は、アリスの上半身をゆっくりと起き上がらせた。

「はーいアリス、お口開けて~」
「じ、ぶんで、食べられる、わ」
「それは元に戻ってからすればいいよー」

 いつも以上に間延びした声音ながらも、小傘は決して引く様子はない。その意気込みに共感した僕が傍の小台に雑炊を置くと、小傘はレンゲで器の中身をすくい、ふぅふぅと息で冷ましてからアリスの口へ寄せる。
 体の調子のせいか、小傘に抵抗することが出来ないアリスは白旗を上げる。つまり、小さな口を開けてレンゲを受け入れたのだ。
 黙々と咀嚼する様子に、小傘は満面の笑みである。

「嬉しそうだな、小傘」
「んー。やっぱり人の役に立つって良い気持ちだからかな」
「傘としては多分違うだろうけど、その気持ちは大事だよ」

 食事は小傘に任せて、僕は他のことで見舞うとしようか、
 暖炉などが稼働せず、保温の機能が停止しているアリスの家は全体的に冷たい。まずは薪を使って温度の底上げといこう。
 アリスの部屋には適当な火炉を設置して室温を調整する。込めた魔力に応じて持続する簡易的なものだが、明日まで持てば後はアリスが自分でなんとかするだろう。
 後は体を拭くためのお湯でも沸かしておこう。着替えの用意は女同士に任せておかないとな。翌日に刃物を持った人形に襲われたら困る。

「……はい、よく噛んで~」

 不謹慎かもしれないが、されるがままのアリスは歳相応に見える。弱ったアリスというのは新鮮だが、変に大人びた姿より可愛げがあるというものだ。
 巫女も巫女で変に自分を大きく見せる時がある。自信というより、精神的な面で、だ。
 博麗の巫女としての責任か、子供っぽい所をあまり見せない。僕の言う子供っぽさとは遊び心のようなものであり、見た目のことではない。いや見た目も少女ではあるが、アリスほどではないのだが。
 博麗の仕事に忠実な巫女と、魔法使いとしての面を見せるアリス。お互いに小さな頃から自活した似たもの同士な二人が親交を結んだのは当然の帰結だったかもな。
 そうこうしているうちにアリスは雑炊を平らげたようだ。

「おかわりは?」
「んー…………」

 虚ろ目のアリスから返事はなく、呻くばかり。
 おかわりを作れなくはないし、体の力を機能させるためには食事を取ってエネルギーの補給も大事だ。かといって無理に食べさせて戻してしまうのはよくない。

「ちょっときついか。元々風邪ではないし、後は薬だけで済ませてしまおうか」
「く、すり?」
「今日を乗り切れば大丈夫だって言っただろう? 理由は、これさ」

 そう言って、僕は右手の霊印を起動させ太極図を顕現させる。
 取り出すのは、事前に用意していた薬。袋に包まれた中身は、瑠璃色の粉だ。魔法使いのアリスには覚えがあるのか、困惑するように僕を見上げている。
 これは下処理を用いた竜の鱗を砕いて粉末状にしたもので、魔力の回復にはうってつけの薬だ。竜種が珍しい幻想郷においては、中々の貴重品である。

「お、流石に気づいたか。まあ今回は巫女の無茶ぶりに応えたからこその症状だし、巫女にツケておくからアリスは心配しなくていいよ。小傘、アリスの顔を上げさせてくれ」
「はーい」

 言われる通り小傘はアリスの背中を支え、腰を少し沈める。アリスはしばらく逡巡していたが、やがて観念して顎を上げた。
 僕は適量の粉を懐紙へ乗せ、少女の舌の上へふりかける。苦味に苦悶するアリスへすぐに水を差し出し、無理やり胃へ流し込ませた。

「はい、よく頑張ったね。苦味はすぐに収まるから、少しだけ我慢しておくれ」

 う~……とうなるアリスに苦笑しながら、味のついた飲み物のほうが良かったかなと思い直す。たまにコーラや果実水を缶に詰め込んだ飲み物なども流れ着くし、甘味のほうが舌触りもいいはずだ。

「甘味と言えば、薬を飲ませる前に果物を切っておいたほうが良かったかな」
「んー、それは明日のお楽しみでいいんじゃない? 朝食代わりにもなるだろうし」

 それもそうか、と納得する僕だった。

「じゃあアリス、そろそろ体拭こっか」
「え?」
「ハーフさん、お湯お願いね」

 小傘は流れるようにアリスのパジャマのボタンを外す。ボタンが一つ解かれるたびに虚ろげだったアリスの表情に感情が戻っていく。段々と息を呑んでいくのを見やり、僕はアリスの胸元までボタンが解かれ白いキャミソールを覗かせている小傘を止めた。

「小傘、男の目の前でその行為はやめておいたほうがいい。同姓であっても恥ずかしい子は恥ずかしいだろうからね」
「あ、そうなの?」
「――~~~~~―――~~~~!」

 声にならない叫びを上げるアリス。ああ、頭痛が生まれたのか頭を抱え出した。
 小傘の介護によって上がった親しみは、無頓着さによって崩れたかもしれない。深まったのは友好ではなく溝である。
 これ以上アリスに苦労をかけるわけにはいかないので、僕はさっさと退出して小傘の要望通りお湯を持ってくることにする。
 洗面器に張ったお湯と備え付けのタオルを確認し、僕はそっとドアを開けて中へ押し込んだ。隙間から見える光景は、アリスが半身を起こしてベッドから落ちる間際の姿。

「僕はリビングに居るから、何かあったら呼んでくれ。あと、アリスにはちゃんと謝っておいたほうがいいぞ」

 聞こえているのかいないのか、頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤にするアリスを必死に落ち着かせようとする小傘の悪戦苦闘ぶりを見納めながら、僕はリビングへと戻っていった。



 リビングへ戻った僕は、時間を利用して巫女が着る服の強化をすることにした。
 まず、取り出したるは大漁のお札。
 お札メリケン等に使うのと同じ――いや統一原理の流用によって以前より改良されているものだ。
 流用と言ってもあちらが持つ光と熱のエネルギーを全て霊力に変換しているだけだが、十二分に強い。
 彼女らの協力により数えるのが億劫なくらいに作ったお札は、全て出力や規格を統一している。物理的に重ねるのではなく、一枚のお札の中に百の質が込められている、と言ったものだ。
 実際には破れない程度に圧縮しているので百は超えていると思うが、正確な数はわからない。それらを生地の層として使えば、あの妖忌の一撃も防刃してくれるはず。
 そんなお札を生地にした巫女服。
 加えて霊印にも使われている技術の流用によって、たとえ生地の札が破られたとしてもすぐに次の札が召喚・補充される仕組みだ。
 もし過剰な攻撃によって破れたとしても、自動修復と装填機能によって従来の何倍もの防御力を発揮出来る。
 ……そうだ、どうせなら結界としての機能もつけよう。
 生地とは別に結界用として消費するお札を仕込んでおけば、攻撃を避ける必要なく防ぐことが出来るし、切り返しの霊撃としても機能させられる。
 夢美とちゆりはリアクティブアーマーという反射装甲を鎧の中に組み込んでいたし、それを参考にすれば無駄もない。もし広範囲爆撃のような攻撃にさらされても、これで一安心だな。

「そうと決まれば呪文を刻んで……後は、と」

 各種術式が刻まれた生地を確認した僕は、人差し指と中指を札と札の間に挟む。
 今回は通常の制作ではないので、糸は物質のものでなく心理の層に作用する精神的なもので代用する。アリスが使う人形を動かす見えない魔力の糸、と思えばいい。巫女服に使う分なので、霊糸と言ったほうがいいか。
 眼には青白く映るそれが人差し指と中指の間に生まれる。
 霊糸をお札に這わせ、通し、縫い合わせていく。一見して継ぎ目のない綺麗な服にも見えるそれは、お札と霊力で編まれた不思議な巫女服というわけだ。
 さて、今後の巫女の生命を左右する服だ。しっかり作りこんでいくとしよう。



 どれだけ没頭していたか。
 巫女服はひとまずの完成を終え、心地よい達成感が全身を包み込む。一息つく僕だったが、作業はこれでは終わらない。
 ソファに腰を深く沈めながら懐からあるもの――華仙が放置していった茨木の百薬升をテーブルの上に置く。
 百薬升の用途を抽出出来ない僕に何かを言いかけていた彼女はしかし、小傘の乱入によって羞恥心を大いに刺激されたのか先ほどのアリスと同じくらいに顔を赤らめて去っていった。
 華仙からすると、百薬升を忘れるくらいの衝撃だったのだろう。その後の小傘が元気一杯活力全開に溢れていたのが良い証拠。よほど良質な驚きをいただいたのだと推測できる。
 華仙には悪いが、置いていったのなら都合が良い。今頃冷静さを取り戻して工房に戻っているかもしれないが、だからこそ僕は小傘を引き連れてすぐにアリスの見舞いに来た。
 流石にずっと借りたままだと窃盗なので、せめて用途の複製が出来るまでは預からせてもらう。鬼の力による治癒に加えた筋力の上昇を促す道具など、活用しないなんてありえない。

「とはいえ、今のままだと前の二の舞……」

 道具には質がある、と華仙は言った。
 それは当然だと思っていたが、道具であるなら等しく同じものだと思っていた。思い込んでいた。
 その認識を打ち壊した鬼の道具を前に、僕は考える。
 正直に言って僕は強くない。小傘は強いと言ってくれたこともあるが、それは全て道具のおかげだ。
 農民が鉄砲を持てば訓練した武者を殺せるように、道具はその身一つで何十年もの修練に勝る。例外も当然あるが、基本的には通用する。
 だから強力な道具さえあれば巫女の助けにはなるのだが、その道具を使えないとなると一気に何も出来なくなる。縋るしかないのはわかっているし、無理だとわかっていても手を伸ばさずにはいられない。
 
「なら、まずはこうしてみようか」

 右足にくくりつけたポーチから小瓶を取り出す。中身は酒だ。
 簡易の消毒用と一杯分の燃料として複数常備しているのだが、今回はこれで鬼の力を得てから用途を抽出する。前回は飲んでから日が経っていたが、今回は飲んですぐだ。多少なりとも有利に働くと思う。
 アリスにこれを飲ませるという選択肢がないわけでもなかったが、僕が持ってきた薬で代用出来たのだし、瀕死でもないなら知らぬ間に鬼に近づけさせるのはよくない。
 小瓶の蓋を開け、百薬升に酒を注ぐ。中身を全て移したのを確認して、テーブルに置かれた百薬升を包むように両手を添える。
 一気に中身をあおる。喉を鳴らして酒を飲み込んだ僕は、改めて百薬升を見据えた。
 先程は血が出るほど無理をしたが、今度は焦らずゆっくりと攻めてみる。
 一度目を閉じて、力を溜める。鑑定とも言うべき僕の能力に力の大小は関係ないが、
 茨木の百薬升。用途、酒飲で鬼になる。
 道具の名称と用途は変わらない。必要なのは、その用途を生み出す力。
 ゆっくりと息を大きく吸い、吐く。
 そして、僕は瞳を開き用途の抽出を始め――



「――――!―――ん!」
「――――――――あ?」

 気づけば、僕の視線は百薬升でなく小傘を見上げていた。
 
「気づいた、良かった!」
「あー…………?」
「ハーフさん、倒れてたのよ? しかも鼻から血も出てたし。テーブルかどこかに鼻をぶつけて気を失っちゃったの?」

 両手に握っていた百薬升が手元にない。体を起こすと、ずきりと頭痛が走る。……倒れた僕の現状を考えれば、思惑は外れ同じ結果になった、か。 
 
「ハーフさん?」
「ああいや、うん、うっかり転んでしまってね。ええっと、何かに躓いたのかも」
「もう、うっかりさんね。えっと、躓いたってことは…………あ、これかしら」

 そう言って小傘が周囲を見渡し、手を伸ばしてそれを拾い上げる。

「これに躓いたの?」
「んー、ああ。これだ、ありがとう小傘」

 礼を言って、小傘から百薬升を受け取り太極図の中へ入れる。しばらく視界がかすんでいたが、うん、間違いない。

「これ、確かハーフさんの工房でも見たような」
「華仙の忘れ物だよ。その、うっかり、持ってきてしまったようだ」
「大変! この子このままじゃ付喪神になっちゃうよ!」
「いや、流石にそれはな…………」
「そうかもしれないけど、早く返しにいかなきゃ!」

 小傘は忘れられた傘が付喪神となって妖怪化した存在。だから忘れ物には過敏に反応するのだろう。
 まだ検証したいところだが、華仙なら貸し出しは無理でも試すくらいは許可してくれるかもしれない。そうなると、ちゃんと返してツテを生んでいくほうが利口なやり方か。

「わかった、僕が工房に戻って見てこよう。いなければ後日引取りに来てもらうよう手紙でも残しておく。盗まれることはないだろうが、それでも置いておくには勿体無い道具だしね」
「うんうん、それがいいよ。でもハーフさんが行くの? 私が行こうか?」
「アリスの体調は良くなったのか?」
「寝汗はちゃんと拭いてるし、呼吸も落ち着いてきたから多分大丈夫だと思う。きっと目が覚めたら完治しているはずだわ。ハーフさんの薬が効いてるのね」
「小傘の献身と仲良く半分こってところさ。それでも治りかけも危ういから、念のためまだアリスのことを見ていてくれ。工房に行って戻るくらい、そんな時間は取られないだろうけど……一応、これを渡しておこう」

 そう言って太極図の中から取り出したのは、無線と呼ばれる遠く離れた相手と話せる道具――その用途を混ぜたカフスだ。
 夢美達はパワードスーツに内蔵された思念端子と呼ばれるものを使ってやりとりしているそうだが、生憎とその道具の持ち出しは自分達の分しか出来なかったようだ。
 そこで夢美は僕が幻想郷を巡って拾った道具を使い無線というものを作り、その用途を僕が拝借してわけだ。
 思念端子を使えば話したい相手を頭に浮かべるだけで会話が出来るそうだが、そこまでの機能は望めない。だが僕と小傘だけでも話せるというのは有効的に活用できるはずだ。
 機能を説明しながら小傘の右袖にカフスを着けてやる。嬉しそうに笑みを浮かべてカフスを撫でる彼女は、しばらくそれを眺めたり触ったりして堪能していた。

「ハーフさんありがとう! けど、どうせなら私自身にその用途を溶かしても良かったんじゃない?」
「おいおい、君は唐傘お化けの多々良小傘だぞ? ほいほいと用途を溶かしこんでいたら、君自身の本質を忘れてしまう。それに僕が用途を入れるのは道具だけだ。いち妖怪として存在する君を道具に見る必要はない」
「私は、道具だよ?」
「君は、妖怪なんだ」

 むぅ、とへの字で僕を見上げる小傘。

「協力するって言ったから道具として扱っていいのに……あ。でもほら、人間から妖怪になる人だって珍しくないし、妖怪が変質するのもなくはいでしょう?」
「小傘、いい加減にしろ」
「いい加減なのはハーフさんよ。気遣ってくれるのは嬉しいけど、より好みなんて出来るの?」

 何気ない小傘の台詞に、怒りの沸点が急上昇していくのを感じる。すぐさま自分の左手を右手で強く抑える。そうしなければ、手が出そうになってしまったからだ。

(このくらいで怒るなんて…………百薬升の効果か? しばらく離れていたほうが良いな)
「ハーフさん?」
「なんでもない。この話はまた今度だ。僕は工房に戻るから、何かあれば通信カフスを使って教えてくれ」
「あっ! 逃げた!」

 上がっている身体能力を駆使して、僕はするりと小傘の前から姿を消しそそくさとアリス邸から走り去っていく。
 雪を踏みしめる音に混じって遠くから小傘の声が聞こえてきたが、前を向いたまま軽く手を振って返した。許せ小傘、今ちょっと荒れているのだ。
 寒風があまり冷たいとも感じられない。これも百薬升の恩恵なのか。

(やっぱり返すのもったいないよなあ…………ちょくちょく説得して借りよう)

 華仙なら割と簡単に貸してくれそうだしな。いやまずは謝るのが先か。その反応次第だろう。
 どうにか華仙から百薬升を定期的に貸し出してもらえるよう画策しながら、僕は工房へと戻っていった。



 湖へ戻った私達を待っていたのは、湖だった。
 いや当然と言えば当然なのだけど、問題はその規模だ。
 私がアリスと一緒に訪れた時には一目見れば湖とわかる程度の大きさだったそれが、今では見渡す限りの水に覆われているのだ。少なくとも視界に収まっていた範囲の規模が、倍以上の面積を伴って私達を迎えている。

「おいおい、お前こんなの一人で調べるつもりだったのか? 真面目を通り超えて馬鹿だろ」

 ちゆりのわざとらしい声が湖に響く。湖というには広大すぎることを指しているのだろうけど、私も何が何やらさっぱり。

「巫女、本当にここは湖だったの?」
「え、ええ。と言っても、元は平原だった場所が異変の影響で氷の洞窟が生まれて、そこへアリスの魔法が介入した結果湖になったと言いますか」
「言ってることむちゃくちゃじゃねーか」
「そんなこと言われても……」

 ええいレティは、レティはどこ!?
 あの妖怪なら説明してくれるかもしれないのに!

「注連縄も見えなくなってる」
「ふむ。元々確か、あの魔法使いの子は矯正ではなく変化のために魔法を使ったのよね?」
「ええ。確か、矯正させるほどの技術がないから変化させることで結果的に元に戻す、って」
「なら、これもそれと同じね。『変化』し続けているのかもしれないわ」
「その心は?」
「あの子の力不足で変化が終わらず、術だけ制御されないまま起き続けていると仮定しましょう。夢の世界が現実に現れると彼女は言ったそうね? なら、その件の夢が制御役を担ったとしたらどう?」
「わかりません!」
「自信満々に言わない。乗り手のいない車が勝手に暴走していたけど、夢という名の運転手を得たことで自由に動かせるって言えばどう?」
「あーなるほど。え、でもそうなると」
「居るな、アリスの魔法を乗っ取ってるやつが」

 その推論は、この異変の黒幕ではないかと私の勘がささやく。
 多分間違いはないと思う。仮といえ目的を見つけたのならば、後は進むだけだ。
 先を考える私の首筋に、突然何かが触れた。その感覚は一瞬ですぐに消えたけど、一体何事かと私はその箇所を撫でる。
 けどそこには何もなく、一体なんだろうと考えていると、ちゆりがその疑問に答えてくれた。

「今環境適応剤を打ち込んだ。これで水の中に入っても動きが阻害されることはないし、息も出来るぞ」
「え、打ち込……?」
「これ」

 と、ちゆりは手に持っていた小さな棒状の何かを見せてくる。空の器の中身を押し出すスイッチのようなものと切っ先の穴を見やり、私は注射器を想起する。って、今それで刺されたってこと?

「ほい、ご主人」

 ん、とちゆりから注射器っぽいものを渡された夢美は、慣れた手つきで首筋にそれを打ち込んだ。じっと見ると針すら見えない、ただの液体の入った棒にも感じる。

「よし、これで準備万端よ。そぉれ!」

 マントを翻し、夢美はジャンプ一番に湖の中へ飛び込んだ。それに続くちゆりの後ろ姿を呆然と眺める。
 しん……と誰もいなくなった雪原の上で、一人私は佇む。
 水はなんとなく苦手だ。泳げないってことはないし、足がつく川で魚を獲ったことだってある。けど、全身を水の中に入れるのは……お風呂以外ではあまりしたくない。
 生理的嫌悪感、とでも言えばいいのだろうか。あのまとわりつくような感覚がどうしても苦手だ。
 でも、それ以上に。
 置いて行かれる孤独感が嫌悪を上回る。

「お、置いてかないでよー!」

 飛び込んだ先、私の全身を水が包み――込んでいるのだろうけど、その感覚を一切感じることもなく、何の重みも感じないまま私は湖の底へ沈んでいく。
 なんだろうこの感覚は。
 水の中を漂っていることに違いはないのだろうけど。例えるならそう、以前ハーフ君や小傘に抱えられて飛んだあの浮遊感にも似た何かがあった。
 となると、今私は飛んでいる? 浮いている? 少なくとも水に流される私は漂っていた。
 嫌な感覚は、沸かない。これなら……

「おーい、こっちだこっち」

 声がした方角へ目を向けると、手を引かれる感覚があった。視線の先ではちゆりが水の中で立っている。……立ってる!?

「ちゆりそれ……って、声も、出せるし届く?」
「言ったろ、環境適応だって。声が聞こえないんじゃ適応なんて言えないぜ。それより、まだ泳ぐ感覚が残ってるな。こう、常に足元に足場があるイメージって作れるか?」
「え、と」
 
 突然のことに動揺しながらも、私は言われた通りに足場をイメージしてみる。でもその動きはまるで河童の足のように水を掻いているだけで、とても足場のある動きには思えない。

「まー最初はこうなるわな。おーいご主人、巫女のもう片方の手を取ってくれよ」

 ちゆりが言った先では、何故か仁王立ちをしながら湖の底を見据える夢美の背中があった。彼女は答えず佇んだままだ。ちゆりに目を向けると、返ってくるのは無言で首を横に振るちゆりの姿。
 女は背中で語るとでも言いたいのかもしれないが、ちゆりがわからないのに私がわかるはずない。

「おーいご主人、難聴でも患ったか? そういう朴念仁発揮するのは異性関係か本の中だけにしとこうぜ」
「うるさいわねー、聞こえてるわよ」

 何度目かの問いかけでようやく夢美が返事をした。腕を組みながら不機嫌そうに睨みつけてくるが、様子を見て察したのかちゆりの反対側へ私を挟むように寄ってくる。
 その動きは滑らかで、とても水の中に居るとは思えないほどスムーズだ。見えぬ足場を軸に、ちょっと跳んで駆け寄ってきたように見える。
 ちゆりが私の右手、夢美が左手を取ると引かれるように二人は移動を始めた。

「時間がもったいないし、私達の動きを見て真似るといいわ」
「そんな感覚派なこと言われても」
「え、お前どっちかと言うと感覚派じゃないの?」
「や、そうだけど」
「なら問題ないじゃない」
「備えなくそんなこと言われても……」
「何よ、やっぱりハーフが居ないから不安?」

 言われてむっとくる。神社でのやり取りでからかわれることが多くなったが、なんでもかんでもハーフ君と結び付けられるのは不満が溜まる。それも、おそらく彼の真意を一部でも知っているであろう夢美に言われるとさらに腹が立つ。

「へん、やってやろうじゃない。さあ、お姫様のように私を運びなさいよ」
「何キャラだよお前」
「ぶーたれてるだけでしょ、可愛いものじゃない」

 怒ってませーん。
 苦笑するちゆりとやれやれと肩をするめる夢美。二人の様子に唸り手を引かれながらも、観察するのは忘れない。
 こんなのすぐに覚えて介護から離れてやる! と思いつつ、私達は湖の底へと進んでいった。


 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。
 少なくとも一刻は過ぎていると思うけど、魔法の森のように光が届きにくい水の中では正確な時間を察することは出来なかった。……決して未だに手を引かれて移動している私はすぐに覚えることが出来なかったことを認めていないわけじゃあない。

「こうも景色が変わらないと気が滅入るわね。一体夢の運転手はどこまで走り続けているのやら」

 誤魔化すようにぼやくが、夢美はおろかちゆりからも反応はない。妙に気恥ずかしい空気だけがその場に漂う。しかしまだ二人の動きを観察している私は気がついた。
 彼女らが、戦闘態勢に移行している、ということに。
 それに気づいた私は強引に手を離す。目をひそめるちゆりが反応してくれたことを知り、一体何が起きているのか尋ねた。

「ちゆり、一体何事?」
「……お前、巫女だよな? 天狗の資料によると博麗の巫女は結界術を主に使うって聞いてるんだけど、いくら術が使えないからと言ってもこの感覚わかんないのか?」
「んんー?」
「あー、今のお前は自由に動けるか動けないかの瀬戸際だもんな。そんな余裕ないか……」

 何故か残念そうに私を見るちゆり。おいこら、そんな目で見ないで。泣くよ? いや本当に泣かないけど泣き真似するぞ? うざいぞ? ハーフ君だぞ?

「――今、境界が変わりかけてる。門をくぐった、とでも言えばいいのかしら。どうやら、湖という名のトンネルは抜けたようね」

 夢美が静かにビームガンを懐から引き抜く。ちゆりも同じくそれを構えて臨戦態勢を取った。私は何か来るのかもしれない、とゆっくりと水の中で立てるよう努めて意識を足に向ける。
 果たして、それは現れた。

「えーっと、貴女かな?」

 え? と漏らしたのは果たして誰だったか。
 誰も何の反応も出来ないまま、背後から現れた私達以外の誰か。子供のように幼い声と小さな両手が私の肩を掴んだ。
 夢美とちゆりがビームガンを構える。先日の異変の時よりも桁違いに速い反応。それを見て私もようやく動揺から解き放たれた。

「うん。お目出度い色してるし、貴女だよね? うん、きっとそう!」

 水の中が不慣れ、ということは頭から抜け落ちるように私は今出来る最速を以てそいつを見ようとして――絶句した。

「ほえ?」
「はい?」

 全神経を張り巡らせて、いかなる状況にも対応しようとしていた私を待ち構えていたのは、見たことのある館の扉に背を預けた、鎌を持った赤い衣の少女であった。
 赤いワンピーススカートの上に白いケープを羽織り、リボンがつけられた帽子で覆われたその表情は寝起きなのか、虚ろな瞳が力なくこちらを眺め口元に垂れたヨダレが目に入る。
 お互いにその姿を認め、無言。
 あまりにもあまりな状況に頭がどうにかしてしまったのか、私が取った行動は、

「あ、どうも。博麗の巫女です」
「あ、ご丁寧に。私はこの夢幻館の門番でエリーって言うの」

 自己紹介をすることだった。
 エリーと名乗った少女も同じくぺこりと頭を下げて私に挨拶をする。割と天然だこの人、と人のことを言えない行動をする私達は、やはりその気まずさから二の句を告げずその場で呆けるのであった。
 ――しばしの逡巡後、先に立ち直った私はエリーと名乗る少女に尋ねた。

「ええっと、ここは一体?」
「ええっと、さっきも言ったけどここは夢幻館っていうの。この夢幻世界と現実の狭間にあるお家なのよ」
「夢幻世界?」
「そうよー。ここって現実とは違う、夢の世界なのよー」

 門番という職業なら別に世界の創造者とかそういうものではなさそうなのに、何故か誇らしげに胸を張るエリー。間延びした口調だし天然っぽい子なんだな、とエリーの性格を判断しながらも、私は彼女の言う『夢』の世界という言葉に注目していた。

「夢……?」
「そう、夢」

 エリーのオウム返しに首肯しながら、私の脳裏に今回の事件の情報が浮かび上がる。
 夢を操作、支配している黒幕が居ると仮定したこの異変。あしらえたかのように用意された夢の世界。もしかしなくても、私は一足先に異変の首謀者に一番近い場所にいるはず。
 となれば、最後の確認。

「ねえ、最近雪女の夢って見なかった?」
「んー? 雪女、ねえ。……うーん私は知らないなあ。でも、ここ最近急に冷え込んで来て門の前に立ってるの辛いのよ。この世界では割と珍しいことね」
「なるほど。それじゃあ、夢を操れそうな誰かに心当たりはない?」
「そうねえ。……ああ! 確か幽香ちゃんが冬だし季節感でも出しましょうかって言ってたっけ。ひょっとしたら幽香ちゃんがやったのかも」
「……その幽香ちゃんって?」
「この館の主。今は多分寝て」

 そこまで聞いた時点で、私は決断を下す。
 エリーの台詞を全て聞き終えるより早く、館へ侵入せんと足に力を入れて跳躍する。不意を打つようにした動いた私にエリーは反応できず、未だ口を開いたままだ。
 このまま館に、と疾走しようとした私は門を通り越えようとするが、門扉から射出された四角い何かによって迎撃された。
 身を捻って撃ちだされた何かは避けたものの、第二撃は真下、エリーから放たれた。
 のんびりとした口調の少女から突き出されたとは思えない、鋭い一撃。振り上げじゃないの、という疑問はしかし、従来の鎌にはついていないはずの刃の光が見えたことで解けた。
 刃の線ではなく面を叩いて軌道を反らしたことで攻撃は避けたが、反動で私は門の外へと戻される。弾いたと思ったら押し切られた。意外とパワータイプらしい。

「外刃の鎌とか、どういう……!?」

 受け身を取って立ち上がった瞬間、エリーの外刃の鎌が下方より振り上げられる。ほぼ直感を頼りに刃の射程外から逃れたのも一瞬、追い打ちをかけるようにエリーは鎌を投げてきた。
 でも先程の一撃に比べればぬるい。わずかな動きで鎌をやりすごし、エリーに逆撃せんとする私の耳が飛来音を察知する。
 咄嗟に半身を折り曲げると、その上をブーメランのように戻ってきた鎌が通り過ぎる。黒髪が数本舞い散るのを見やり、鎌をキャッチしようとするエリーを見納める。
 だがエリーは鎌を受け止めはしなかった。どころか、自分の体を鎌に引っ掛けるように螺旋を描き、戻ってきた鎌を再び射出した。
 息をつく暇もない連撃に、私は一度鎌を無効化することを選択する。
 投擲された鎌を、私は高く掲げた手刀で打ち落とす。鎌が地面にめり込んだのを見て次いでエリーに攻撃せんとする私に、彼女は素手で迫っていた。

「なめるな!」

 霊力が使えない代わりに体術を磨いてきた私に徒手空拳とは。
 築き上げてきたものが多少の自負を生んでいた。それこそ私が唯一調子に乗れるものであったからだ。
 けれど、それは間違いだった。
 天狗や夢美達に比べれば遅い拳を踏み込みながら左手で捌き、その右拳をエリーに叩きこんだ。
 でも、手に感じるのは硬い感触。認識したのは、門扉を構成する鉄の柱。
 視線を向ければ、門扉の一部がなくなっている。門扉が独りでに分離し、エリーを守るように周囲を漂っていたのだ。

「いっけぇ! 侵入者にはおしおきよ!」

 鉄柱はさらに剥がれ、弾幕のような勢いで突貫してくる。
 相手が素手だったから体術を挑んでくると思い込んでいた私の慢心だ。門も番人であり、門番はエリーだけではなかったということ。

「っつぅ―――!」

 弾幕を避ける間に回収された鎌も加わり、斬撃と打撃の波状攻撃に思わず身を引く。具体的には転身して館から全力で離れた。
 背後から襲われることも考えたけど、門から引いたことが功を奏したのか追撃はなかった。どうやら門番というだけあって、ある程度の領域より外は追ってこないみたいね。
 一連の戦闘で土煙が上がっており、晴れた先ではどこかドヤ顔にも見えるエリーが私を見据えている。……まあ不意打って侵入しようとしたのを防いだんだから、あんな顔にもなるわよね。

「ふふーん。まさか侵入者とは思わなかったけど、そうと知ったらもう通さないわよ。でも逃げるなら追わないわ。私としては館の中に入らなければいいもの」

 むしろ逃げてくれたら楽だから逃げてね、と言う始末。どうやってここに来れたかは知らないけど、出会った時点で寝起きだったのを見るとさっさと帰ってもらって二度寝したいのだろう。
 隠すことなく己の欲望をさらすエリーには素直に好感を抱く。でも、だからと言って立ち去る選択肢は私にはない。
 エリーが予想以上の実力者であろうと関係なく、逃げるなんて辞書は私にはない。

「さて、どうしましょ」

 仮にエリーをどうにかしても門自体に迎撃機能があるのなら門を飛び越えても防いで来ただろうし、この分なら館にも何かありそうな気がする。
 ううん、動く門はエリーの指示に従っていた。となれば優先すべきはエリーの撃破だろう。まあ、それが面倒なわけだけど。
 でも、ここはもう水の中じゃない。あの感覚は残っていないし、体も存分に動かせる。
 つまり純粋な実力で倒すのみ。……不謹慎だけど、私は少しワクワクしていた。妖怪退治、というより異変調査ではあるのだけど、こうしていると博麗の巫女としての自分を実感出来るからだ。
 何より――最近突如とした湧いたストレスを存分に解放する手段があるのだ。張り切らないわけにはいかない!

「私は、博麗の巫女」

 ゆっくりと歩みを進めながら、私はエリーに聞こえるよう大きめの声でつぶやく。怪訝そうなエリーをよそに、私は続ける。

「異変を前に撤退はない。――通らせてもらうわ」
「エリーちゃん二度寝失敗。なら、仕事しないと」

 お札メリケンから溢れる霊力が渦を巻く。エリーは若干涙目にも見えるが、私と同じく引く様子は一切ない。
 先んじて突進してくる鉄柱を裏拳で殴り飛ばす。
 うん、痛みなし。ハーフ君、良い仕事!
 戦闘の再開は、折れた鉄柱が大地へ沈む音と共に始まった。



 踏みしめる白雪にいつもの重さはない。茨木の百薬升の効果によって上昇した身体能力の恩恵だろう。
 升に入った酒でなければ効果がない、と言うがそれを別の容器に移し替えたならどれくらいの効果があるのだろう。
 その疑問を解くためにアリスの家でいくつかスペアを作ってストックしたし、夢美達に見せて成分を解析してもらうとしよう。僕の能力の一切が通用しなかった鬼の道具だ。そう簡単には行かないだろうが、それはあくまで僕の力だからだ。統一原理を持つ夢美達ならば、上手く行けばデメリットなくメリットだけをあやかれるかもしれない。

「しかし鬼になる、か」

 ぐ、ぱ、と手を開閉して拳を握りしめる。
 僕はすでに治療のために一回飲んでいる。未だに思考が短絡的になったり乱暴になっているのを顧みると影響は残っていると考えるべきだ。

「…………」

 僕は適当な木に身を寄せると、無言で拳を打ち付けた。
 全力ではないが、それなりに力を込めてある。普段であれば硬い木を殴った手のほうが痛むだけで、特に意味のない行為。

(だが、僕の予想が正しければ……)

 それを証明するように、木々はぐらりと揺れたかと思えば、その枝に積もっていた雪を盛大に散らしていく。加えて叩いた場所には僕の拳がめり込んでいた。おそらく、全力であったならこの木を折ることだって可能なはず。
 そう、僕の貧弱な打撃で、だ。
 これが、鬼化の恩恵。身体能力が凄まじく上がっている。
 降って湧いた好奇心を抑えることはなく、僕は太極図から一本の刀を取り出す。
 巫女と出会う以前に作ったもので、無銘ながら従来の刀と比べて切れ味鋭く、それ以上に頑丈かつ折れにくい特性を持たせてある。以前武器を求めて製作したものだ。
 短刀でも良かったのではと思わなくないが、作った当時は剣というものに惹かれる時期であったのだ。別段今も扱いに困っているわけではないので、ただの短刀で切れないものを切る時にはよく使っている。
 切れ味よりも耐久に性能を振ったその柄を両手でしっかり握り、今度は逆方向の木へ目標を移す。
 先程より太く、長い僕の身長をゆうに超える巨木だ。だからこそ刀を用意した。今の僕が全力なら、きっと斬れる!

「はあっ!」

 僕に出来る全力を込め、刀が振り下ろされる。
 まるで豆腐に切れ込みを入れる包丁のように刃は巨木に食い込み、その勢いのままに振りぬかれる。
 両断された大木は流れに従ってズレたかと思えば、自重に耐え切れず積雪の地へとゆっくり落ちていく。
 だが切断された木が落ちるより早く右足を差し込み、その全力を持って蹴りあげた。するとどうだろう。本来であれば重みに弾かれて自傷でしかなくなるそれが、鞠でも蹴っているかのように軽々と上空へ上がる。
 僕は刀から左手を離し、空へと向ける。現れる太極図から僅かに覗かせるのは、八卦炉の中心部。開かれた蓋の中から生じる炎熱が、その解放を今か今かと待ち構えていた。

「魔力はどう……だ!」

 発射された熱は球形の炎弾となり、舞い上がった木へ着弾する。
 するとどうだ。
 炎は一瞬にして巨木を燃やし尽くし、轟音を伴って爆ぜた。炎熱だけではない、衝撃すらも加わった一撃は銀の世界を一瞬だけ紅に染め上げる。
 降り注ぐ灰を被らぬよう避難しながらその残骸を見据えながら、右手の刀を左手の八卦炉をぎゅっと握った。

「成果は上々、と。本当、惜しい――」
「そうだな。惜しいところまでいった」

 ぞくり、と身の毛もよだつ感覚が全身を貫く。
 時間にすれば一日程度のものだが、脳裏と心に恐怖として刻まれたその声音を忘れるはずがない。

「…………妖忌!」
「まさか、位置がバレているとは思わなかった」

 垂れた汗が雪原に穴を作る。
 振り向いた視線の先。奇しくも木々に囲まれた雪原の中、という同じシチュエーションで僕と翁――妖忌という名前の剣客は再会を果たした。どうやら、適当に選んだ木々に妖忌が隠れていたらしい。
 何故? という言葉が何度も頭の中で巡る。
 華仙に痛手を受けたと聞いている。だが見た様子怪我らしい怪我は負っていない。まさか同じ方法ではないだろうが、治療したというのか? 
 夢美から聞いた協力者、か。そう考えれば不思議ではないが、何故僕を狙い続ける? 巫女を狙うんじゃないのか?
 こいつの強さなら、僕を人質になんかしなくても巫女を――せるはずなのに。

「名乗った覚えはないが……そうか、あの女か」

 ひとりごちる妖忌に答えず、僕は武器を構える。
 幸い事前準備の手間は省けている。身体能力も上がっている。先日のような無様は取らないかもしれないが、それでも実力差が離れていると思ったほうがいい。

「俺の気配を察知し、不意を打ったのは見事だ。男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うがお前はその例より優れているらしい」
「随分と、お喋りなんだな」

 むしろ、機嫌が良さそうにも見える。
 通り魔じみた出会いから考えられないほどの悠長。僕の威嚇なんか、空から見た犬の遠吠えに思われているのだろう。それは決して間違いではないのだが。
 刹那、銀線が引かれる。
 それが妖忌の抜刀による斬撃だと気づいた僕は右手の刀でそれを受ける。速く、腕に痺れを残す重い一撃だが今の僕はそれを受けられるだけの力があった。
 弾かれて崩した体勢を立て直し、僕は八卦炉を妖忌に向ける。

「いない――!?」

 斜線上に妖忌の姿はない。どこに、という疑問は耳が察知した空気の切り裂く音が答えてくれた。
 咄嗟に刀を付き出し、それを防ぐ。鉄と鉄の噛みあう音が木霊し、不快な音が耳をつんざく。

(この距離はまずすぎる、離れないと!)

 全力でその場から後退するが、背中が密集した木々の一つによって阻まれる。閃く光を視認し、即座に僕は腰を落とした。瞬間、背後にあった木が音を立てて倒壊していく。
 僕は八卦炉を下に向け、風を込めた魔力を放つ。舞い上がった雪に紛れて跳躍した僕に、木々を縫って迫る妖忌の姿を捉えた。

「ぐうっ!」

 放たれた刃に、僕は即座に八卦炉を収納し両手に握った刀でそれを受け続ける。技術などない、ただ来たものに対処しただけだが茨木の百薬升の恩恵はその防御を可能とする。
 しかし刀は防いだが合間を縫って放たれた蹴りを止める手段はなかった。腹部に衝撃が走ったかと思えば、雪の中に埋まっていた。
 蹴り飛ばされたのか、と鈍痛に顔をしかめながら立ち上がる。じんじんと痛む腹も、数秒で鎮静していく。……鬼ってキリでもこれなのか? 反則だろ。
 幸運にも妖忌は追撃を仕掛けてくる様子はない。ない、が……攻撃の手段が僕にはない。
 上がった身体能力のおかげで刀は防げる。だが、攻撃に転じようとするとその隙を縫われてしまう。八卦炉で攻撃するには僕の反応は遅すぎた。
 両立が無理なら、攻撃か、防御かどちらか一つを取らなければならない。
 そしてそのうちのどれかと言うならば、僕に選ぶ余地はない。

「……おおおおおおっ!」

 刀をその場に落とし、太極図から再び顕現した八卦炉を手に裂帛の気合を上げて突進する。
 こいつはここで倒さなければならない。でなければ巫女にいらぬ被害が及ぶ。こいつが来る前までの日々を取り戻すには、この刃が巫女に届くより前に折らなければならない。
 鬼の恩恵を受けた今なら攻撃も防げる。多少の怪我もすぐに治る。なら防御なんて選択はない。
 そして遠くから攻撃したとしても、妖忌のスピードでは避けられる可能性が高い。ならば僕の持つ最大威力のそれをぶつける他ない。
 そう判断した僕は太上老君式の一撃を与えるべく疾駆し、その声を聞いた。

「拙いな」

 妖忌が腕を振るう。
 今まで見えていたはずのそれはしかし、不可視の一撃となって僕の手を切り裂いた。
 手を切られただけなら止まることなく突進を続けていただろう。しかし、それは出来ない。
 なぜなら、先の一閃により僕の手から八卦炉はこぼれてしまったからだ。今の攻撃は仕留めるためのものではなく、僕の手から八卦炉を弾くためのものだったと気づく。

「手加減、していたのか」
「それを気づける冷静さはあるようだな」

 手から流れる血を気に留めず、僕はつぶやく。
 言外に、今まで冷静さを失っていると言われているようなものだった。
 鬼の力にはしゃいで策もなく逃亡することもなく、倒せると信じて突っ込んで結果はまるで同じ光景。
 なんて、無様。
 弾かれた八卦炉。振り下ろされる刃。まるで記録した映像を見ているかのように、状況はあの時と同じ再現をしていた。

(思い違いをしていた――)

 刃が近づく。
 華仙という救援はない。あの出会い自体が幸運なのだったと、そんなことを知らずに華仙への甘えを享受していた阿呆に相応しい結末なのかもしれない。

(僕が、強くなったんじゃない。道具が、僕を強くしたんだ)

 夢美が起こした異変で仮にも動けていたのは、頭で動いていたからだ。策を練り、翻弄し、道具を操り、巫女を救出したり、様々なことをした。
 けど、妖忌相手の僕は何をした?
 ただ攻撃を受けるだけ。攻撃をしたかと思えば策もなく当てるための努力もない特攻。
 上がった身体能力の犠牲になった思考があれば、即座に逃げるか逃げられずとも頭を動かして立ちまわっていたはずだ。
 手に入らないはずの力を手にしただけで、それらを忘れた。決して唯一無二のものでもなく、ある程度強い妖怪、天狗なら標準的に持っているであろうそれに喜んで、はしゃいで。
 それを蔑ろにしたツケが、訪れる。
 
(ああ、当然なのか)

 当然なのだ。
 僕がここで再び斬られるのは、当然――では、なかった。
 ギィン! と。
 僕を斬殺せんとする刃が重々しい音を立てて弾かれた。
 そう。
 救いは再びもたらされた。

「良かった、間に合った!」

 広がる紫。
 円を描くように開かれたそれの石突きは黒く染まる、茄子を思わせる装飾。一見して唐傘に見えるそれに、一つ目が浮かび上がる。
 次いで口元と思しき割れ目から舌が飛び出す。それは勢い良く突き出され、妖忌を後退させることに成功した。
 持ち主に、持ち主以外にも受け入れられず付喪神と化しながら、それでも人間を好きでいる妖怪と思えぬ妖怪少女。
 多々良小傘。
 僕を助けると言ってくれた少女が、その誓いを果たすように僕の前に立っていた。



「小傘…………」
「へへっ、防刃仕様の傘役立ったね!」

 呆然とする僕をよそに、妖忌を引かせた唐傘の舌が続けざまに雪原の上に落ちた八卦炉と無銘の刀を絡み取り、放り投げる。
 驚きながらそれを左手で受け取り、邪魔になる刀を太極図の中に収納する。
 胸元程度の大きさしかない小さな少女の背中。その持ち主である小傘は振り返り、空いていた右手を掴んだ。

「ハーフさん、私を使って」

 言うが否や、小傘が消える。いや、消えたのは少女としての体だ。掴まれた肌の感触の代わりに、僕の右手には小傘が使っていた――彼女の本体とも言える唐傘が握られていた。

「こが……」
「来るよ!」

 会話が打ち切られる。
 見れば、妖忌が居合のように納刀したままこちらへ迫ってくる。このタイミング、避けられない!
 繰り出される妖忌の剣。せめて八卦炉で受け止めようとした僕だったが、それよりも早く右手が、唐傘が勝手に動いた。
 鈍い音を立てて唐傘と刀が触れる。その衝撃に軽くふっ飛ばされ、追撃の一撃が再び迫り来る。回避不能の攻撃を防いだのは、やはり右手に握られた唐傘だった。

「痛ったい、けど!」

 石突きに光が灯る。一瞬の間を置いて撃ちだされた弾幕を、妖忌は切り裂き、あるいは体捌きで対処する。
 ぐん、と右手が上がる。驚愕に包まれる僕をよそに、唐傘に引っ張られた自分の体は雪原を抜け大空の下へ舞い上がっていた。
 一息ついた、とばかりに唐傘が垂れる。僕は慌てて自力で浮遊し、空の上に立つ。すると、唐傘から声が聞こえた。

「うふふ、驚いてもらえた?」

 少女としての顔は見えないが、満面の笑みを浮かべる小傘を想起する。きっとその予想に違いはない。

「ハーフさん、攻撃は私が防ぐ。出来るのは、それくらいだから」

 真剣な声音。小傘のそれが僕を自然と引き締まらせる。
 単純になっている今だから、よりわかる。
 小傘は今、余分なことは考えず僕を助けようとすることしか考えていない。
 いっそ暴力とも表現出来そうな信頼は、一体どこから来るのだろう?
 何を言えばいいのかわからず、言葉に詰まる僕に小傘は続けた。

「だから、考えるのは任せるね」
「―――――――ああ。任せろ」

 少女の言葉が、荒れ狂う心の波を落ち着かせる。
 鬼化による単純な思考の弊害? そんなもの、無理にでも捩じ伏せてやる。よくよく考えれば、そんなのは茨木の百薬升の用途を抜き取るより簡単なことだ。何せ思考自体が出来ないわけじゃない。考え方が単純になるのなら、一つのことだけを重視して考える。
 何より、小傘が力を貸してくれる。
 その献身、報いなければ男じゃない。
 そんな青臭い台詞も鬼化の影響かもしれないが、今は置いておく。

「小傘、どれくらいもつ?」
「倒れない限りは」
「物理的に、だ。へこたれないって意味ではずっとだろうけど、心は折れなくても体は崩れるんだよ」
「…………十回ももたないかな」
「嘘は言ってないね。なら逃げの一択だ」
「うん、それならちょっと時間稼ごう? 頼れる人が、後から来てくれるから」
「頼れる人?」
「うん!」

 小傘の言う頼れる人が誰かは……薄々想像もつくが、問題はどれくらい時間を稼げばいいのか。僕としては時間稼ぎなんてことは言わず、そのまま逃げたい。

「あいつが空を飛べなければ、出来るんだけど」

 こちらの希望を吹き飛ばすように、妖忌は空へ上がってくる。しかも地上に居た時の速さではなく、見せ付けるようにゆっくりとだ。わざとか。

「…………あの人が、ハーフさんを斬った人?」
「ああ。巫女を狙ってる、と思ってた」
「思ってた?」
「本当に巫女を狙っているなら、色々おかしいことがあるんだ。そうだろ?」

 妖忌が正面に来る。
 静かな問いの答えは、無言の剣閃だった。
 僕は咄嗟に八卦炉から風の力を放出し、スピードを上げる。細かな制御を考えない、ただ力を噴射するだけのもの。その分、直線上に限ればその速さは――

「かわせた!」

 妖忌の剣を回避することに成功する。
 ただ、今のは不意打ちみたいなものだ。そう何度も/使える/使えない。
 がん、と八卦炉で頭を打つ。心配そうな小傘にやんわりと答え、湧き上がる鬼化の思考廃止を叩き伏せる。

「こ、のう!」
「中々に硬い」
「特製だよ!」

 さらに三連。小傘はその全てを防いでくれたが、すでに唐傘の布は剥げ骨格にも軋みが生まれている。
 僕が躊躇している間に仕掛けてきた妖忌の刃は、再び小傘によって止められる。
 立ち止まるな、頭を回し続けろ。傷つくのは僕じゃない、小傘だ。
 僕の能力が、道具の名称と用途を見抜く力が右手に持った小傘の状況を逐一教えてくれる。それが、僕に辛さと心強さを与えてくれた。

「小傘!」
「……!」

 僕の声に、小傘は返すことなく応える。
 それは小傘が新たに覚えた猫騙しの光。単に光るだけなのだが、不意を打てれば一瞬の躊躇が作れる。
 その空隙を縫い、僕は八卦炉を天に掲げた。
 イメージは僕が知る中で最も速い天狗、射命丸文の風。それを今、全ての霊力を使い切る勢いで生み出す!

「射命丸式――」
「ゲリラ台風!」

 直後、雪を、木をなぎ払う巨大な竜巻が生成される。僕達と妖忌の間に生まれたそれが風の鎧となって翁を吹き飛ばしたのを視認し、今度は横へ八卦炉を向けた。
 方向転換された竜巻が横殴りの嵐となって妖忌に迫る。それを刀で押し留めるのを見届け、僕は転身して逃走を図る。

「ハーフさん、あの人竜巻を斬ってる! 無茶苦茶!」

 小傘の絶叫も、僕からすると予想内の出来事だ。
 奴はキリといえ鬼化した自分を瞬殺出来る程度の実力者。ならいかに竜巻を生み出そうと、まがい物の技では本物には及ばない。
 拮抗したのは数秒。だが、それで十分。

「全く、お願いなんて聞くべきじゃないですね」

 移動する僕達に近づいた影が言う。
 今この状況、この現場においてのその台詞。全くもって同意を示すが、助かった。小傘さまさまだな。
 僕は太極図を開き、八卦炉を収めながら鞘付きの無銘の刀を取り出す。影は、すれ違いざまにそれを受け取った。

「頑丈さは保証する」
「それはどーも」

 そう言って抜刀する彼女――射命丸文を背に、僕達は一目散にその場から逃げ出した。



 常人には視認出来ない早業で抜き放たれた剣閃が文を襲う。
 ハーフや小傘であれば受け身どころか下手をすれば切り裂かれるほどの速さと鋭さを持ったそれを、まるで軌跡を理解しているかのような緩慢な動きで文はそれを受ける。

「ふむ、小傘さんのメンタルとまでは行きませんが確かに頑丈ですね」

 無言の疾閃。
 光条を伴って走る刃の群れを文は刀で、あるいはその軽やかな身のこなしを持って全てを避ける。天狗の速さを以てすれば簡単に出来る行いである。

「通り魔辻斬り追い剥ぎ、なんでもいいですが貴方その程度なんですか?」

 余裕綽々、と言った具合で妖忌を挑発する文。事実、妖忌の剣は文に傷一つつけることはない。文が刀で受けたのも避けられないのではなく、ハーフから借り受けた刀の耐久度のチェックを含めていた。
 
「はー、あの人は一泡吹かされた相手ではありますが実際の実力差ってこんなもんですよねー」

 文とハーフが出会ったさい、水の力の篭った符による不意打ちで機動力を奪われ、良い一撃を受けた文はそんな昔のことを思い出す。
 そうしている間にも妖忌の攻撃は続いているが、文からすれば会話を挟む余裕がある程度のものである。

「では、そろそろこちらから攻めます、よ!」

 言下、宣言通り文は仕掛けた。
 袈裟懸けの一撃を避けられた後、飛燕のごとき切り返しで妖忌の胴を狙う。それは相手の刀によって受け流されたが文はそこで風を発生させる。
 突然体を揺らされ体勢を崩した隙を縫い、突きを繰り出す。その白髪数本を犠牲に逃れた妖忌に追撃の足が迫る。
 天狗下駄による凹んだ一撃を刀で受け止めるも、衝撃を押しきれずにたたらを踏む妖忌。相手の刀が下に向いているのを見やり、文は風によって自身を加速させ、渾身を込めて刀を振りぬいた。
 振り上げよりもこちらの振り抜きのようが早い。そう確信した回避不可能の一撃を、妖忌は技で受け止める。
 妖忌は己の首元へ迫る刃を、僅かにずらした柄によって軌道を強引に変えた。
 上手い、と文は思った。
 感心するのもつかの間、柄を揺らしたその動きからの切り上げが文に襲いかかる。少し興味の湧いた文は避けることなくそれを同じく剣技で流した。

「ほう」

 未だ一撃も与えられていないというのに妖忌の顔に焦りはない。むしろ剣術家として剣の達人に出会った、求道者特有の喜びというものが窺える。
 天狗の中には修行僧として山に篭った者の成れの果てであったり、目の前の妖忌のような求道者もそれに含まれる。
 武術全般において嗜みがあり、妖怪の山でも一種のカリキュラムとして組み込まれている場合もある。剣術もその中の一つであり、白狼天狗が刀剣を好んで使用しているのもそれが理由だ。

「天狗は剣術も嗜むと聞いたな」
「教えたのはお偉いさんですね」
「なら――確かめてみるまでだ」

 仕掛けたのは妖忌。
 振りかぶったのは刀、ではなく鞘だった。技で受け流そうと対応していた文は得物の違いで誤差を生じ対応に僅かなズレを生む。
 それを逃す妖忌ではない。刀と鞘の変則の二刀流による一撃一撃が異なる軌跡を描いて殺到する攻撃の群れを、文は技術で、あるいは天狗の身体能力に任せて全てを捌ききる。
 刀で鞘で巧みに文の斬撃を防ぐその技量に目を見張り、同時に理解する。身体能力が互角であるのならこれらは受けられない。
 つまり、文は妖忌に剣技で劣るのだ、と。

(ま、だからと言ってどうだって話ですが)

 プライドの高い白狼天狗やその辺の天狗ならともかく、射命丸文は剣術にそんなものは持ち合わせていない。彼女の持つプライドは天狗という種族そのものであり剣技などそのうちの一つでしかない。今のように、ある程度用いて戦闘に使えることが出来れば十分なのだ。
 そしてその一つが劣っているからといって自身が敗北する理由にもならない。
 何よりも、だ。

「貴方、本調子じゃないですよね?」

 つぶやかれた声の返事は、大上段からの一刀。
 疾風の動きでその範囲から逃れた文は、一度大きく距離を取った。追撃は来ず、妖忌は間合いを確かめるようにじりじりとすり足で近づくのみ。
 文は無銘刀に風をまとわりつかせながら、言葉を紡ぐ。

「貴方の本気なんて知りませんけどね。それでも『ウチ』に住んでる仙人さんの実力はある程度知ってるんですよ」

 仙人茨木華扇。通称茨華仙。
 以前取材をしたこともあり、彼女のことは割と知っている。雰囲気がそう好きではない相手であるが、それでもその実力の程は相対した時に大体察しはついていた。
 そんな彼女が感情を露わにぐずりながら山に帰ってきたさい、ゴシップ大好きな天狗は当然のように取材に殺到した。虫の居所が悪かったのか正確な内容はわからなかったが、それでも天狗の無駄で独自の情報網により辻斬りと一戦交えてとある半妖を助けてきたということまで判明した。
 単に彼女のお節介という名のうっかりが、ぽろりと口を滑らせただけなのは天狗達の公然の秘密である。
 大事なのは、彼女の口から痛めつけたという発言が出たことだ。

「ですので、素直にハーフさんを辻斬った理由を吐いていただけたら何もしないであげますよ?」
「手加減宣言とは、気の早いことだ」
「速くて早いのは天狗の気質ですよ」

 それで? と文は口に出さず刀の切っ先を妖忌に向ける。
 信じがたい制御力によって刀身に渦巻く風は一種の刀剣型の竜巻のような暴威がうかがえる。刀で受けても体術で避けても、その身を切り裂き吹き飛ばすであろう。
 けれど妖忌の口に浮かぶのは愉悦の歪み。

「是非もなし」

 戦闘行為による高揚感を好む彼にとっては、むしろ相手が難敵であればあるほどその壁を超える楽しみを見出す嗜好を持っていた。
 千年を生きる天狗である文は、妖忌の内心をほぼ正確に察知していた。同時にうげぇと少女がしてはいけない表情を作る。
 そんな彼女の様子を微塵も気にせず、妖忌は刀を正眼へ置く。柄を握る右手から光が点ったかと思うと、それは刀身へ伝い一回り大きな刃を生成する。
 掲げられる光の刃。一刀に全てを叩き込む気迫を持ったそれを妖忌は左の肩の上方へ置く。左手は柄頭を置くように添えられていた。

(突き、ですか。この場で使うということはある程度信を置く技ということでしょうが)

 文は逡巡した後、刀を逆手に握ると切っ先を地面へ向けた。それは構えというより、地面に刀を突き刺すような構図だ。
 刀身に巻き付く風は未だ収まらず、内包した霊力が渦巻く様が妖忌にははっきりと目に見える。

(あえて風を解き放つことでこちらの体勢を崩し、そこを狙う気か? それとも風自体が見せつけの騙し手か。どちらにせよ、不変)

 竜巻を持ってこの身を襲おうが、考えの及ばぬ奇襲が来ようが。
 ただ、この一突きに全てを乗せるのみ。

「―――――では」

 文のつぶやき。
 その先に言葉あったのか、そこで切ったのかはわからない。
 なぜなら文が言葉を発した瞬間、すでに妖忌は足元の積雪を爆散させその推進力を持って文に突貫していたからだ。
 繰り出される突きに対し、文は驚くだけで回避をとっていない。風は未だに刀に留まっている。電光石火で放たれた突きが文の胸元へ迫り、その心臓部を貫く。
 その手応えに、妖忌は一瞬だけ目を歪め――すぐに天を仰いだ。

「あややや、バレましたか」

 言下、刀から風が解放される。身構える妖忌であったが、刀はまるで自らが跳躍するように地面を跳ね空へと跳び上がる。刀はそのまま、中空に浮かぶ少女、射命丸文の手に収まっていた。
 心臓部は刺突による穴が穿たれておらず、遭遇した時と同じく何の損傷もない無傷の状態だ。
 妖忌の刀は確かに文を貫き、その感覚はあった。だがああして余裕を見せているのを見れば、あの感覚は天狗特有の妖術なのかもしれない。
 そして刀に付与された風は殺傷能力などなきに等しく、本当にただ見せかけの風に過ぎなかった。強大な霊力の渦の内側はほとんど空洞な、ハリボテのようなもの。それはつまり、最初から文は妖忌と戦う気がなかったということである。
 それを理解したからこそ、妖忌から僅かな怒気が生じた。

「貴様……」
「あーやだやだ、本当に本気で相手すると思ってたんですか? ハーフさん達が逃げる時間は十二分に稼いだので、これ以上働く気はありませんよ。ああでも、取材に協力してくださるのなら延長時間を設けますが?」

 不遜に妖忌を見下ろす文には、天狗特有の傲慢さが見てとれる。
 彼女にはそれが出来る実力があった。少なくとも華仙との戦いの傷が癒えていない妖忌相手には。
 だがもしこの場に文と親しい天狗が居ればもう少し詳細な感情を知れただろう。
 つまり、知人を傷つけられて割とご立腹なのだ、と。

「当代の博麗に一泡吹かされた、と聞き及び天狗の質も落ちたと思っていたが……」
「いやいや、人間相手に全力出したら壊れちゃうじゃないですか。あれは遊びみたいなもんですよ。遊びの本気ってやつですね」
「攫った巫女が気になるのか?」
「当代に関して言えば我々は関与しておりませんよ。というか、我々が攫うなら結界術くらい使える子を選びます」

 失礼な、と怒りを露わにする文。そう見せているだけであって本当に激昂しているわけではないのだが。

「彼女はどうやら、いつの間にか博麗の巫女になっていたそうですね。そういう意味では、彼女やハーフさんとは付き合いの甲斐がありますね。――なぜ、術の使えぬ身でありながら博麗大結界の管理者である博麗の巫女なんて職務につけるのか、なんてのも。貴方、その理由知ってるんじゃないですか?」
「さてな」

 素っ気のない返事。
 その中に含まれた感情を文はどう判断したのか、手に持った刀を腰に帯びた鞘へと納刀する。それは言外に、戦闘の終わりを意味していた。

「貴方の狙いはよくわかりませんが、『我々』としても面倒な介入は避けたいので少なくとも傷を癒やすまでは手を出さないことを推奨しますよ。彼、思いの外悪運強いでしょう?」
「その言葉では止まる理由にはならんな」
「はー、面倒確定。ったく、話のわからない人は嫌われますよ」
「一体何を言っている?」
「いいえ、お互い『悶々』としたことになりそうで困るって言いたいんですよ。貴方のせいですからね?」

 ひとまず目的は果たしたので、と言って文は刀ではなく普段愛用している団扇を取り出し、天に突き出す。
 すると今度こそ妖忌が感じた荒れ狂う竜巻が周囲を取り囲む。それも一つではなく、いくつもの巨大な竜巻が群れをなして徘徊するように渦を巻く。しかし妙なのは、竜巻が忌を襲う素振りを見せずその場に留まっているということだ。

「――とりあえず、今日はここで大人しくしといてくださいな。では」
(これは足止め、か? 天狗がここまでするとは)

 そう言って文は音を貫く速さでその場を後にする。まさに天狗に相応しい、風と共に去る脱出に妖忌は舌打ちを残した。
 
「……どうやら、詳しく話を聞く必要がありそうだな」

 ハーフと妖忌の二度目の遭遇は、一度目と同じく乱入によって中断される。
 次も同じことが起こる予感を覚えながら漏らしたそのつぶやきは竜巻の中に呑まれ、誰も知ることなく空気の中へ溶けていった。



 都合何度の交差を続けたか。
 純粋な体術なら私に分はあるけど、門扉や鎌を使うエリー独特の技術に翻弄されて私と彼女の戦いはやや硬直状態にあった。
 それでも門扉の放つ鉄柱などを思い切り殴り続けたおかげでストレスも和らぎ、思考も段々と冷静になってくる。
そこで状況を動かす一手を、私は選択した。
 お札メリケンの解放レベルを上げ、少し強めに打ち込まれた左拳。それを大鎌で受け止めたエリーは大きく体を揺らす。
 威力が想定外なのか、涙目のままエリーは体勢を崩しながらも大鎌の柄を大地へ突き刺すことで衝撃を上手く逃がし、めり込んだ柄を支店に体を回し、蹴りを叩き込んでくる。
 それを右手で軽くいなし、一歩踏み込み。至近距離に迫った私のアッパーは、エリーの帽子を吹き飛ばして終わる。
 仕切り直しかと思ったけど、打ち上げられた帽子にエリーは視線を投げていた。割と大事なものだったのだろうか?
 私はそちらに視線を向け、ぐっと足に力を込めて帽子へ飛びかかろうとする、といったフェイントを入れた。
 効果は抜群だったようで、エリーは私の動きを阻止せんと帽子へ向かってダイブを敢行していた。――今ね!
 お札メリケンの霊力を溜められるだけ溜める。
 青白く光る拳を携えて疾走する先は、謎の館の門扉。意志を持ったそれを前に、私はぎゅっと拳を握りこんだ。夢美の時よりもさらに上がった霊力の充填速度により、パワーは十分。それを、解放する。
 可能性空間移動船の外壁を破壊したものだ、たかが門扉一つ打ち抜けないわけがない。それを証明するように、私のお札メリケンは館の門扉の抵抗ごとそれを蹂躙した。

「きゃー! 幽香ちゃんに怒られるー!」
 
 倒壊する門扉に、エリーの悲鳴じみた絶叫が木霊する。それをBGMに、私は謎の館の中へ侵入していった。
 入り口に入ってすぐ私は誰もいないことを確認し、適当な部屋を見繕い隠れることにする。少々の会話とある程度戦ったに過ぎないけど、わかりやすいエリーの性格ならきっと……

「待て待てー! お願いだから待ってねー!」

 と、エコーするように声を伸ばしてエリーは館の中へ走り去っていく。のんびりした性格だとは思っていたけど、予想以上に簡単で少し拍子抜けもしてしまう。
 落ち着いたところで、私は今の状況を考える。 
 夢美達と探索していた湖の先――それが多分、この館なんじゃないかと思っている。まあでっちあげにも近い推論なんだけど。
 そしてエリーの言うこの館の主である『幽香ちゃん』。冬を彩るべく何かした、ってことだけど、この状況と無関係とは到底思えない。
 希望的観測ではあるけど、その幽香という人物に話を聞く必要はあった。と言ってもアポもなくエリーという門番を乗り越えて不法侵入した身なので敵対は避けられないと思う。
 でも仕方ないじゃない、なんか流されるままに動いちゃったんだからと脳内で言い訳をしながら私は改めて館内を探索することにした。
 館は広くはあるものの、そうやたらめったら大きいというわけではなさそうだった。視界の先に行き止まりを示す通路も見えるしね。
 外観で言えば三階程度だったし、地下でもなければすぐに探索を終えられそうだ。逆に言えばエリーに見つかる可能性も高いのだけど。

「館の主と言えば、やっぱり最上階」

 ひとりごち、私は階段をまず探す。赤いチェック模様の通路は思ったより長かった。
 幸運にも一回の中央とも言うべきホールに出ると、螺旋階段による二階への通路を見つける。時折エリーの声も聞こえてくるけど、まだ遠い。
 私は自慢の体術を駆使して疾走し、ものの数秒で二階へと上がる。

(上がれちゃった)

 何の妨害もないことに違和感を覚える。
 門番が居るということはそれなりに住んでいる者も多い、裕福な家なのだと思っていたけどそんなことはなく、割とがらんとしていた。
 ひょっとしてエリーと幽香という人の二人暮らしだったりするのだろうか。エリーがメイド件門番であるってこともあるわけだし。
 そんな考えをしながら進む私は、これまたあっさり三階への階段を見つける。誘導でもされてるんじゃないか、というくらい順調だ。
 おそらく最上階であろう三階へ登り、青いチェック模様に彩られた十字路の正面、まっすぐ伸びた通路の先にある一つの部屋を注視する。幽香という人物がひねくれた性格でなければ、あれが主の部屋だろう。
 無人だとわかっていながらも周囲への警戒を怠らず、私はその部屋へ向かう。途中、エリーの声も聞こえなかった。
まだ一階や二階を探してるの? 真っ先に三階へ、幽香って人の元へ行ったのだと思ったけど……
 予想以上のおばもとい天然なのかもしれない反面、それでもそういう指示なのかもという疑問も持ちながら私は通路の先、一際大きな扉のある部屋へとたどり着く。
 ご丁寧に建てられたネームプレートにはこれまた丁寧に幽香ちゃんのおへやと書かれていた。多分、エリーの手作りなんだろうなあ。
 それにしても字がその、なんというか幼い。エリーは私より少し年上くらいの外見ながら多分妖怪だと思うのでそれなりに生きていると思うのだけど、まるで覚えたての字を習った子供のようだった。
 そういえば人里には学校といった教育機関はなかったっけ。基本的に生きてるのが精一杯だから、そういう余裕がないのよね。私はハーフ君に色々教わったから学はあるけど、やっぱり子供からすると教育者っていうのは欲しい。
 っと、思考が逸れてしまった。まずいまずい。
 ふー、と息を吐き、整える。私のことはもうバレているだろう。なのに何も仕掛けて来ないってことは、誘ってる?
 それならそれでいい。博麗の巫女は前進あるのみ!
 いざ、と私はドアノブに手をかけ、開く。不意打ちされても対応出来るように神経を尖らせながら部屋へ入った。
 そこに飛び込んできた光景に、私は一瞬目を疑った。絶句も加えた。
 なぜなら、大きめの部屋の中央に設置されたこれまた大きめなベッドには、一人の少女がすやすやと寝入っていたからだ。
 腰まで届く緑髪に星柄のナイトキャップを乗せ、ネグリジェ姿の彼女はどう見てお休み中だった。これじゃあ私が寝てるところに侵入した強盗である。相違ないって言うな。
 そんな風に足を止めていると、少女がむくりと起き上がった。そして寝ぼけ眼のまま私をじっと見据えてくる。
 何の前触れもなく起き上がったため、虚を突かれた私はさっきまで張り詰めていた空気が強制的に霧散していく感覚を覚えた。長い髪で片目の隠れた、ぽやんとした少女の目つきが私から闘志とも言うべきものを散らしていく。

「んー…………?」
「えと、おはよう」
「あー、おはよー」

 エリーともこんなやり取りしたなあ、となどとぼんやり考えながら私は少女に挨拶をかわす。

「じゃあおやすみ……」
「寝るな!」

 まさに寝起きのやりとりだった。私としては調子が狂う。

「起きてます?」
「えー、寝てないわよぉ」
「いや寝てたし」
「もー、でー?」

 もーでー? ああ、促してるのね。

「貴女が幽香?」
「そうよー。なんで人間が私の名前を知ってるの?」

 一応、私を普通に人間とわかる判断力は残っているようだ。妖怪から見れば人型であっても人間と判断出来るのかもしれないけど。
 質問を続けようとする私だったが、それより早く幽香が口を開く。

「ああ、赤いの。くるみにしては早く仕事をこなしたわね」
「あ、赤いの? そりゃあスカートは赤いけど私はどっちかと言えば紅白よ?」

 色呼ばわりに反論しつつ、私は幽香の突然の言葉に眉をひそめる。赤いの……って、確か私をここに連れてきた誰かがそんなことを言っていたような。
 とすると、幽香は私に要件があったってこと?

「確かに白い。苦労してるのね」
「白髪じゃないから! 銀髪だったらどーすんのよ」
「どちらにしろ白いわ」
「白だけに、って?」
「別に狙ってなかったけど」
「うわー恥ずかしい、今私自分がここにいることが恥ずかしい」
「じゃあ恥ずかしい赤いの、貴女が夢美って子ね? 会いたかったわー」
「え?」

 ひゃー、と赤くなりそうな顔を一瞬で元に戻したのは、幽香の思わぬ言葉。
 夢美、ですって?

「確か天狗に喧嘩売って生きていたんでしょう? しかも魔法とかじゃない力で。それに興味があったのよ。ねえ、一体どんなものか教えてくれない?」

 徐々に眠気も覚めてきたのか、幽香の口調がまともになっていくに連れて私は冷や汗をかかずにはいられない。
 敵意も害意なくこちらを威圧しているでもない、至って普通に話しかけているだけのネグリジェ姿の少女。
ただそれだけなのに、噴き出る汗や鳥肌が立つのが抑えられない。

「生意気な人間が手にした魔法ではない、別の進化を遂げた持ち得たもの。そんな力を持っているだなんて、興味湧かないはずないもの」
「私は貴女の言う夢美じゃないわ」
「えー?」

 じろじろと私の否定に対して疑わしげな視線を向ける幽香。
 だからはっきりと宣言する。

「私は博麗の巫女。貴女の言う夢美とは違う、別人なの」
「あら、貴女が当代の巫女なの? 本当? 嘘ついてない?」

 驚きの感情に合う、眉そひそめた姿。寝ぼけ眼と言ってしまえば可愛いものだが、そこから発する、いや私が一方的に感じるものは底冷えの空気。
 まるで水の中で溺れている感覚。
 環境適応剤が効いているはずなのに、巫女として……ううん、私自身の勘が彼女に暗く沈みゆく海底を感じるのだ。

「だって貴女のような『弱い人間』が博麗の巫女だなんて信じられないわ」

 鼻が白む。
 怒気を発するのは簡単、けど冷水を被せられるようにそれは霧散していく。
 マッチ程度に灯った火が水に浸けずとも吹かれて消えてしまうかのように、私の生殺与奪は紛れも無く目の前の少女に握られている。

「くるみったら間違えて連れて来たのねー。後で言っておかなきゃ。……さて、この人間はどうしようかしら」
「私は巫女よ。人間、だなんて呼ばないで」
「だってぇ、私から見れば貴女巫女と言うにはちょっとねえ」

 気だるげに会話を続ける幽香。それに聞いていた、聞き入ってしまったから気付くのが遅れた。
 幽香が指を振る。円を描くように動くそれは、ただ会話を続けるポーズなのだと無意識に判断していた私をあざ笑うかのように、こちらへ向けて止まる指先に光が生まれた。
 一瞬だった。
 閃光はレーザーとなって私へ飛来する。咄嗟にお札メリケンを構えた私であったけど、ビームガンの一撃すら防いだハーフ君の道具がその力に押される。

「こんのぉ!」

 アッパーカットのように腕を跳ね上げ、光を真上へと逸らす。
 幽香の掌よりも細く集束された光熱はお札メリケンを焦がし、館に小さな穴を開けた。

「あら、道具は良いのを使っているのね」

 感心の声をあげる幽香。
 私は不意打ちへの文句を言うでもなく、次に訪れるであろう攻撃に備えお札メリケンへ霊力の全てを注ぎ込んでいた。

「じゃあこれはどう?」

 放たれたのは私ごと飲み込むような白熱の光。
 それに対し、構えをとっていた私が全力を持ってその光に拳を打ち込む!
 数秒の拮抗。
 力負けしたのは私だった。

(このままじゃ飲み込まれて――)

 至った後の判断は我ながらスムーズだった。
 もう片方の手を光の中へ押し込み、暴威を秘めたそれを懸命に逸らす。
 だが結局は耐え切れず、まるで高速物体に轢かれるように跳ね飛ばされ、きりもみしながら部屋の壁へたたきつけられる。大きな傷こそ負わなかったけど、力の差というのは否が応でも理解した。

「かはっ…………!」

 焦げたお札メリケンを巻きつける指が熱い。最初期のプロトタイプのように、お札メリケンは独りでに私の手を離れ焼け焦げた姿を見せながら床へ落ちる。

「やっぱりー。貴女、弱い人間じゃない。嘘をつくのはダメよ?」

 力なく体を起こし、あくびをする幽香を見据える。
 未だ彼女はベッドの上。縁に腰を下ろし移動する様子も戦おうとする気配もない。
 今までの行動全てが虫を払うような、あるいはゴミを片付けるような気楽さの上でのものであったのだと、理解せざるを得ない余裕が窺える。
 お札メリケンの予備はある。
 けど防ぐので手一杯な現状、圧倒的に装備が足りない。……強さも。

「まあでも、それならそれなりに使いみちはあるわけでー」

 幽香が指を鳴らす。
 すると部屋の隅々から植物の蔦がしゅるしゅると這い寄って来る。幽香というインパクトに目を奪われて気づけなかったが、この部屋はベッド以外にも多くの花々が咲き誇っている。中には冬では見られない花もあり、季節に関係のない多くの植物があった。
 入ってきた扉はすでに蔦に絡め取られており、開けるのは難しそうだ。扉だけではなく窓まで植物のバリケードがなされている。閉じ込められた!?

「これは吸血植物の一種でね、人間の血を吸って花を咲かせるの。特に人間の子供のそれは、薔薇にも負けない真紅をもたらすわ」

 くるみも喜びそう、とのたまう幽香。くるみというのが人名なのかはわからないが、この植物に捕まった末路は予想できた。

「そんなの、ゴメンよ!」

 即座にお札メリケンを装着、床を殴って穴を開け脱出を試みようとする。
 だが殴った床に変化はない。見れば、いつのまにやら床に花が散りばめられていた。これは、何?

「あら親切。わざわざ食事の時間だって叩き起こしてくれるなんて。それに、進んで与えてくれるなんて貴女はとっても素敵ね」

 お札メリケンから発していた霊力が枯れる。
 充電用にとっておいたお札のストックが急速に失われていくのを感じて、私はその場から後ずさる。これ、霊力を吸われてる!?

「んー、お礼がしたいの? でもーその人間はあの子達の肥料だからなあ。どうしましょう」

 幽香のつぶやきに応じたのか、這っていた蔦の動きが止まる。私も止まる。
 攻撃は何故か効かない。脱出も封じられた。

「え、私にって? 嬉しいけどまるで足りないわー。夢を写したせいでもう少ししたら枯れちゃいそうだし、失敗しちゃった」
「夢の力……? 貴女、レティに何かした?」
「れてぃ~?」
「冬の妖怪。えっと、雪女。今起こっている冬は、その夢だって言っていた」
「んー? ん~…………あー、冬のイメージが強い夢を見ている妖怪のことね。知ってる? 夢幻世界って夢の同調が可能なの。それでちょっと冬を彩ろうとしたんだけど、イメージ元が寝ようとしちゃうのよ。だからその影響でこの世界もちょっとバランス崩しちゃいそうでね? あー、これなら槐安通路の一部にでも流し込めば良かった。そうすればあっちがなんとか修正してくれるのに」

 思いのほか饒舌な幽香にも驚きだけど、それ以上に彼女は一体何を言っているのだろう?
 私によくわからないけど、覚えておいたほうがいい。この証言でハーフ君や夢美が何か意見を言ってくれるはずだ。
 饒舌だったのは愚痴でもあったようで、間延びした喋りでありながら割と長く続いた会話の中、私は感じた疑問を投げる。

「理屈はよくわからないけど、今幻想郷では冬がちょっと長続きして困ってるのよ。その原因を調べていたんだけど……これは、アンタが原因?」
「幻想郷? 私はこの世界にしか冬を起こしてないつもりだけど」
「現に幻想郷ではまだ雪が積もってるのよ。この世界が幻想郷に影響を与えてるってことじゃない」
「漏れたのかしらー。それなら徐々に終わってしまうわね。……ああ巫女って名乗ってるのはそれを解決しに来たからか」
「今更か!」

 少し強めに叫ぶ。鼓舞しなければ不安に押しつぶされてしまいそうだから。
 敵地と思われる場所に私一人。これで不安を感じないほどの強さは私にはない。なんとか、どこかで突破口を見つけないといけない。
 さしあたって今は会話を一秒でも長続き……

「巫女を名乗る偽物と言っても、私を退治しに来たことに変わりはない。それじゃあ改めてこの子達の餌になってね?」
「連れてきたのは、そっちの癖に……!」
「後で叱っておくわ。今度こそ夢美って子を連れて来てもらわないと」
「夢美を連れて来て一体何をするつもり? 力なら、貴女は十分に持っているのに」
「あって困るものじゃないし、単に好奇心よ。さ、お話はこれでオシマイ。その子に食事をさせてくれたからそれなりの会話を設けてあげたし、もういいわよね」

 問答はこれで終わり、と言わんばかりに蔦が再び動き出す。足元に咲き誇る花こそ足を止めるといった邪魔はしないけど、四方八方囲まれた状況に変化はない。
 霊力が吸われていた以上、単なる拳でこの場を切り抜けなければいけない。
何その無理ゲー?

(あ、私ここで終わるかも)

 こうなれば古くから伝わる戦術、神風特攻するしかない。
 目標はもちろん幽香。せめて一矢でも報いてやらなければ!
 という気概を感じて油断してくれれば儲けもの。どのみち、気概と云えど幽香に特攻を仕掛けることに変わりはない。
 私が今持っている全戦力が脱出のきっかけに、

「ぱぁん」
 
 気づけば、私は前のめりに地面に寝転がっていた。両足が痛い。足先に感じる熱さとそれらは、痛打を受けたことを証明している。これは、裂傷?
 段々と、自分がどうして倒れたのかを理解する。
 足元からの衝撃。
 まるで地雷にようなそれを、私はもろに受けてしまったのだ。

「爆花、略してバッカ。ほら、貴女みたいな人に有効でしょう?」

 足元の花は攻撃しなかったわけじゃない、機会を伺っていたのだ。
 私が幽香へ踏み込もうとしたタイミングを見計らい、爆ぜた。幸いかどうか、ハーフ君が用意した靴はそれなりに耐性があったようで足は繋がったまま。それでも両足だけで今攻撃しなかったのは、幽香の性格故か。

「ふふ、良いお顔。そういうのを見るのって、とっても楽しいわ」

 そう、相手をいたぶるという趣向。それが、私の足が無事な理由だ。
 立ち上がろうと力を込めた腕に再び走る衝撃。今度は手を狙った爆花の一撃。
 痛いけど、耐える。ここでみっともなく呻いて、幽香を喜ばせたくない、という意地もあるけどそれによって注意力が散漫になるほうが怖い。

「今は片手だけど、同じことをしたら両手両足になるだけよ。でも私としては、残る片手で何をしてくれるのかも気になるわね。ただ立ち上がるだけだったら吹き飛ばすわ」

 暗に立ち上がることすら許さない、と幽香は言下に告げる。
 まずい。これは、まずい。ホントまずい……! ここまで力の差があるなんて……!

「もう抵抗は終わり? それならそれで、あの子達を彩る、美しい花の養分になってちょうだいね」

 私が思うような反応を見せなかったからか、延々と傷めつける嗜好はなかったのか、幽香は死刑宣告に似たそれを言い渡す。
 くっ、無抵抗でやられる巫女さんじゃない! と思ったその時だった。
 部屋を衝撃と轟音が駆け巡る。破砕した窓の硝子が壊れる音に次いで幾重にも閃く光条が縦横無尽に部屋を蹂躙し、花と植物達を駆逐していく。
 光に貫かれた植物が焼け焦げた様子を見ると、それは光と熱による攻撃だった。そして、それを使う人物達に心当たりがあった。
そして視界の片隅に見える光景。これは――!

「っくらあああああああ!」

 手足を使わず、己の背筋を限界まで使い跳ね上がる。その勢いを利用し、宙返るように浮いた体を確認し、無事な片手を支点に、駒のように体を回す。
 私は残るお札メリケンの残量を使い切るように、接地面ゼロ距離にて寸打を床へ打ち込んだ。
 瞬間、爆花を馬鹿にするような爆発が手元で起こる。お札メリケンによる衝撃で、砲弾のように私の体は明後日の方向、窓の方角へと吹っ飛んでいく。
 同時に迫るのは赤い輝き。
 メタリックに彩られ、磨き上げられた鏡のように私を移すそれが凄まじいスピードで館の壁を走って迫っている。
 走るたびに館の窓を踏み破るそれは知識にある中では乗用車に似たものだと告げていたが、空を疾駆するそれはその単語への印象をかき消すような動きを見せていた。

「巫女、こっちよ!」

 車体の窓からマントを翻した赤い少女――夢美が姿を現す。
 伸ばしてくる手に、私も懸命に応じる。その手を握った夢美が、空いた手に夢幻爆弾を手にしていた。

「ちょ、ご主人! この距離でその改良型はヤバ過ぎ――」
「聞こえませーん! そいっ!」

 放られた夢幻爆弾が、館に当たる。
 そこから溢れる真っ白な光と、盛大な爆砕によって私は空いた窓から車内の反対の窓へと押し込められ、顔面を思い切り打った。
 眼下に見える星々と、興味深くこちらを見据える幽香の顔を遠くに感じながら、私はそこで意識を手放した。

<了>

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Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
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