食欲納涼求めば水辺へ御越し






 日差しの強い日が続く夏を快適に過ごすには、適度な冷えが必要だ。
 冬に香霖堂の店内を暖めるストーブのように、夏にも外の世界の恩恵を感じる何かがあれば良いんだが、と嘆息しつつないものねだりをしても仕方ないと感じた僕は自然の冷気を求めて霧の湖へ向かっていた。
 狂気が満ちた幻想郷の夜は妖怪も活性化する時間帯。普通の人間ならば家に引きこもり、外に出ることはないだろうが生憎と僕は妖怪と人間のハーフ。その事例には適応されない。それに、僕は妖怪には襲われないしな。
 僕がこうして湖に向かうのは、夏場の暑さを紛らわす大人の遊び……ようは釣りのためだ。
 昼間に来ても良いのだが、基本的に霧の湖には悪戯好きの妖精や相手にするのが面倒な氷精がいる。のんびりするには不向きな場所だ。
 ゆえに妖精も人も枕に頭を置くこの時分を選んだわけだ。
 日頃の行いが良いせいか、湖には誰もいなかった。
 手頃な場所を陣取って準備は完了。僕は早速携えていた竿を振るった。
 餌などいらない。
 元より魚を釣るために来たわけではない。魚釣りは大いに結構であるが、そればかりを突き詰めても太公望にはなれないのだ。
 餌のない釣り糸を垂らし、そよぐ風と夜の冷気を一身に浴びる。
 釣りをすることで心を落ち着かせ、納涼を楽しむ。
 数時間も精神を集中させるのは常人には難しい。けれど、釣りをすることで心の揺れが水面の揺れと直結し精神集中の修行にもなるというわけだ。
 僕の場合は修行などする必要はないが、冷気をより感じるには無の境地へと精神を昇華させる必要がある。その過程を踏破するのに、釣りは適したやり方なので選んでいるに過ぎない。
 普通ならこんな時間帯で無防備に釣りをしているのは、妖怪の餌になるだろうが、そこは僕だ。妖怪に襲われないし、無害な自分は相手を襲わない。
 
「…………おや?」

 釣りによって感度が高まっていた僕は、湖の水面に波紋が浮かんでいることに気づいた。
 風によって起こる波紋ならば何も問題はない。
 問題はその大きさだ。
 明らかに湖の魚が起こしたものの大きさではない。低く見積もっても人間が足を踏み込んだ程度の質量を秘めた波紋だ。
 僕はここで、新月の夜にのみ釣れる大型魚の噂を思い出す。
 二尋~五尋程度の大きさらしいが、果たして実物なのだろうか?
 ちなみに一尋は五尺(一・五一五メートル)ないし六尺(一・八一八メートル)に相当する。

(そいつを摘んで酒を飲むのも一興か)

 冷凍すればしばらくは新鮮な魚がツマミだ。価値はある。
 好奇心と食欲を刺激され、僕は香霖堂に戻って餌を持ってくるべく立ち上がろうとするが、生憎今日は新月じゃない。なら、実行は当日でいいだろう、と思い直す。
 食欲に囚われていたせいか湖の水面は盛大に波紋を浮かべていたが、僕はそんなこと微塵も気にせず来るべき新月の日に備え夏場の数少ない冷気の恩恵を取り入れる作業へ戻っていった。
 







 釣りを続ける日々が過ぎ、早いもので暦は早速新月の夜を迎えた。
 無論、その間僕は何もしていなかったわけではない。
 釣竿の強化は無論、特に食欲を刺激する餌の開発に余念がなかった。
 様々な実験と改良を加えて出来上がった餌は、知り合いの妖怪化した動物の喉を唸らせる自慢の一品に至った。むしろ、彼女らや何故か最近店周りに増えた野生の動物から餌を守るほうが大変だった。
 特にお燐。妖怪といえ猫成分が入っているせいか、魚という単語をこぼしただけで眼を輝かせる始末。いや、輝かせるだけならまだいい。あれは僕が釣り上げる予定の獲物を横取る気満々だった。
 だがお燐には新月の夜という時刻の指定は言っていない。ただ、魚を釣るために餌を作るから協力してくれと言ったに過ぎない。
 残念だったなお燐、魚は僕のものだ。僕のものだ。
 精神を昂ぶりを抑えられず口元を歪めるが、即座に気を引き締める。
 釣りの極意は「動」にあらず。深く音もなく侵攻し「静」かに攻めるのだ。
 そしてこの日のために用意した餌は、財を惜しみなくつぎ込んで調理した特上品。
 その味はお燐を筆頭に動物妖怪の胃を虜にしたほど。
 それも当然。僕の技術により食材の旨みを抽出、凝縮させた力作。不味いはずがないのだ。
 さらに餌には、余計な魚に食われないように少し特殊な仕掛けを施してある。
 食いついた瞬間、僕の任意で餌の中に仕掛けた罠が作動する。
 罠とは、圧縮の魔術を応用して詰め込んだ網。いかに魚が素早かろうと、食いついた瞬間に全身を束縛してしまえば逃げられない。
 再びこみ上がる笑いをどうにか押さえ、僕は戦場へ向かう。
 全ては、美味しい魚を手に入れるために。









「あ、お兄さん。遅かったじゃない。待ちくたびれたよー」
「…………………………………………」

 お燐の眼を盗んで狩場に来てみれば、お燐が満面の笑みで僕を迎えた。 
 こんな時、僕はどうすれば良いのだろう。 
 笑えばいいのか。無視すればいいのか。
 そのどちらの所作も取れなかった僕は、ごくごく常識的な反応を返した。

「お燐、どうしてここにいるんだ」
「へっへー。魚あるところに猫はあり、さ」
「上手いことを言ったつもりか?」
「そんなのどうだっていいさ。美味しい魚を独り占めなんてズルイじゃない。あたいとお兄さんの仲だし、お裾分けしたって罰はないでしょ?」
「それを判断して決めるのは君でなく僕なんだけどね」

 お燐は常連の泥棒二人と比べて常識的かと思ったが、勘違いだったようだ。幻想郷に住む少女は誰もがみな図太い。
 いや、魚という餌に盲目しているだけかもしれないな。事実、餌を試食していた時のお燐の眼は血走っていた。
 ちなみにお燐が僕を待ち伏せできたのは、最近増えた野生の動物に監視を頼んでいたおかげだったそうだ。魚一匹になんという手のこみよう。お燐の執念がうかがえる。
 どの道、お燐に見つかった時点で独占はできなくなってしまった。ここは素直に共有するのが大人の対応だろう。

「まあいい。見つかった以上は腹をくくるしかないな。邪魔だけはしないでくれよ?」
「当然。お兄さんには頑張ってもらわなきゃいけないんだし、そんな野暮な真似はしないって」

 猫のように(実際猫なのだが)笑うお燐。僕はため息を出しながら、太公望になるべく意識を切り替え装備を取り出す。

「お兄さん、ちょっとしたアドバイスだけど、餌を使うなら赤い色を仕込んだほうがいいよ。赤い色は、肉食の魚を興奮させる……ううん、瀕死の状態の餌に見えるんだ」
「へえ。お燐も中々知っているみたいだね」
「当然さね。食事ってのは他者の命を奪い、自分の糧にするんだ。生命を奪う相手のことは知っておかないとね。命の循環を知り、感謝するのは当然だよ」

 お燐の言う通り、赤い色は肉食魚を興奮させる効果があるとも言われ、魚のエラを意識させるとも言われる。また、肉食魚に襲われて出血した瀕死の状態の餌に見えるというお燐の意見も一つの正解だろう。
 が、それはあくまで知恵のついた野生の妖怪の考えだ。
 そこに「愉しむ」ことにかけては随一である人間の知識が混じるとどうなるかを教授してやろう。 

「お燐、ならついでにこれも覚えておくといい。魚は興奮すると、味を落とす何かを分泌するらしい。つまり魚を食べるなら彼らをリラックスさせるとより旨みを引き出すんだ。君は知っているかわからないけど、外の世界にある『海』という果てしなく広い場所には魚と同じで悠々と泳いでいるイカという生物がいてね。そいつは半透明だが、興奮するとものすごく色が変色し、墨などを吐きながら一目散に逃げていく習性がある」
「へえ。じゃあ墨ってそいつから回収してるんだね」
「いや。墨は油煙(ゆえん)や松の根を燃やして出た煤を膠(にかわ)で練り固め、これを水とともに硯(すずり)ですって出来る黒い液体のことだ。イカが吐くものとはまた違う。実際にイカが出す墨で字をかけないこともないが、その墨はたんぱく質を多く含んでいるから虫に食われやすいという欠点もある」

 ちょっとした小ネタであるが、墨を吐くのはイカだけではない。タコも墨を吐く。
 タコの出す墨は粘り気が少なく、煙幕のように広がっていくのに対しイカの墨は粘り気が強く、吐き出した後も水の中に漂う。そのため、魚などの外敵はその墨をイカと勘違いすることもある。いわゆる分身の術だ。
 また、深海のイカには墨袋の中に発光細菌を飼っており、世にも珍しい光る墨で敵の目をくらます種類もいる。この種類に関しては僕も実物を見たことがなく、本の知識でしかないのでいずれ見てみたいとも思う。

「うーん、海ってのを見たことがないから想像できないよ」
「想像するだけなら問題ないさ。想像から疑問が生まれ、好奇心となって知識を追求する。素晴らしい流れだ」
「あたいは見れない海より、食べれる魚のほうがいいや」

 そうかい、と肩を落としながらも僕の準備は完了。いよいよフィッシングの時間だ。
 釣竿を振るい、餌のついた釣り糸を湖に垂らす。あとは食いつくのを待てばいい。

「食いつくまで時間がかかるかな。お兄さん、どうせなら何か話でもしてようよ」
「おいおい、僕が動いたら釣り糸が動いて魚を警戒させてしまうだろう?」
「ふーん。お兄さんは、無言じゃないと釣りができないんだ」

 口元を歪めて飼い主ばりのジト目で僕を見るお燐。その挑戦、受けてたとうじゃないか。

「なら魚に関するネタで一つある。早速そいつを教え――」

 そう口を開いたときだった。
 僕の手に握られた釣竿が強く揺れた。
 眼を見開く僕とお燐。
 動揺は一瞬、すぐさま僕は餌に仕掛けた罠を作動させる。
 餌が弾け、中に仕込んだ網が噴射し水飛沫を上げた存在に絡み付いていく。
 手の中では標的を捉えた確かな感触が残る。

「獲った。お燐、悪いが釣竿を支えておいてくれ。僕は魚を引き上げてくる」
「あいよ、お任せあれ!」

 元気よく返事をするお燐に釣竿を渡して糸を引き寄せる。
 思ったよりも軽い感触だが、確かな質量を持った何かが引っかかった。
 今回の怪物魚は二尋くらいか、と推測しながらも一体どんな外見をしているのか期待に胸を躍らせる。
 やがて月光に照らされて水の中に魚影が見えた。よし、と心の中でつぶやき僕は一気に腕を引き上げた。
 ばしゃっ、と飛沫を上げて飛び出してきたのは巨大な魚――などではなく、全身を網で巻かれた少女だった。
 水に濡れた海色の髪は肩にかかり、深紅の瞳は何を訴えるでもなく無心で僕を射抜いている。
 彼女の右手には釣り糸に付けたはずの餌が握られ、僕が釣り上げたのは魚でなくこの少女であることを裏付ける。
 視線が交わり、互いに見詰め合うこと数秒。
 自然と目線を下げてしまい、網の合間から覗く白い肌や豊かな胸の膨らみが目に映る。
 現状を把握した僕は、慌てず騒がず後ろを向く。
 待ち構えていたお燐の目潰しによって潰された視界が光を取り戻すまで、僕は痛みに悶絶し水辺の傍を転げまわっていた。

画像提供:LOW

「永江衣玖、と申します。衣玖とお呼びください」
「僕は森近霖之助。香霖堂という古道具屋を営んでいる」
「あたいは火焔猫 燐。名前長いから、気軽にお燐って呼んで」
「自己紹介がすんだところで……申し訳なかった、知らずといえ悪いことをしてしまった」

 まぶたの奥から響く鈍痛に顔をしかめながら、僕は魚と誤解して吊り上げた衣玖に自己紹介を兼ねた謝罪をしていた。
 衣玖の体からすでに網は取り除かれ(手伝ったのは当然お燐だ)、長い羽衣に緋色の衣に着替えなおしている。
 彼女の服は体の線が出るタイプのようで、余分なしわが一切見られない。
 じっくり衣玖を観察できるようになって初めて、ほう、と僕は感嘆した。
 今まで出会った中でも、彼女は一際「女性」を意識させる。
 容姿や体型もさることながら、衣の美しさが彼女を際立たせる。衣を綺麗に着こなす時点で道具屋にして裁縫も嗜む僕としては評価が高い。着られる服も良い主を見つけたものだ。
 それに、雰囲気が落ち着いていてとても女性らしい。娶ったことはないが、良妻とはこのような空気を持った女性のことを言うのだろう。
 
「いえ、謝罪は結構です。十分な罰は受けているようですし」
「ごめんねお兄さん、でも女の人の肌を見たんだからこれでも軽いと思ってよ」
「網で体は隠れていたし、すぐに目を逸らした」
「もっかい突く?」
「御免こうむる」
「まったく、さとり様に言いつけちゃうからね」

 なぜそこでさとりに言う必要があるんだ。嫌な予感しかしないからやめてくれ。

「ところで衣玖さんとやら、君はここで水浴びをしていたのか?」
「はい。たまにこうして水の中を泳ぎたくなるのです。大抵は雲の中で泳いでいますが、たまには水を実感したい時もありまして」

 話を聞けば、衣玖は竜宮の使いとのこと。
 竜宮の使いとは、深海に住むあの魚のことだろうか? となると、彼女はリュウグウノツカイから妖怪に成ったのかもしれない。
 幻想郷では見ることすら叶わない存在たる海。それを想起させる場に対して、本能が刺激されているのか。それとも、単に彼女の趣味か……

「しかし、リュウグウノツカイか。ひょっとして霧の湖の怪物魚のルーツも、元を辿るとそれに行き着くのかもな」

 幻想郷縁起には鯉のようなもの、と記されていたがあくまで「ようなもの」だ。わからなかったからそう評しただけであったとしてもおかしくはない。

「怪物魚、ですか」
「うん。あたい達、それを釣りに来たんだ」

 食べにきたとも言うが。

「なるほど、あれは魚の餌だったのですね。でも、その割にはひどく食欲をそそる香りを放っていたわ。それに、美味しかった」
「食べたのかい? ま、そうなるように作った特注品だからね。……しかし、困ったな。餌がもうない」
「ええっ、そんな! 魚食べれないの?」
「餌がないのに魚を釣れるほど、達人じゃないからね。残念だけど、諦めよう」
「そんなぁ……そうだ、衣玖さん、水の中を泳いでいたなら怪物魚を見かけなかった?」
「? 鯉もどきの大きな魚でしたら見かけましたが」
「ホント!? それ、どこにいったの?」

 がっくつように衣玖に迫るお燐。猫をあやすようにお燐をなだめていると、眼下に湖に浮かぶ大きな魚が映った。

「あれは…………」
「ひょっとして…………」

 僕とお燐がつぶやくと同時、衣玖の羽衣が形状変化し、螺旋を描いた錐となって魚に突き刺さる。彼女は羽衣を巧みに操作して突き刺した魚を僕たちの真下へと手繰り寄せる。
 曲芸でも見ているような気分になって、僕は再び歓心の声を上げた。

「見事な技だ」
「嗜みですよ」

 その傍らでは、衣玖の技術など気にせず魚を見やる燐が唸っていた。

「おっきいー」

 燐が思わず、といった具合でつぶやく。
 僕もそれに同感だった。
 まさしくこれは怪物魚。阿求がこぼした十尋とまではいかないが、二尋以上はありそうなほどの巨体を持っている。

「阿求のことを強く言えないな」

 僕は魚の外見を見やり、そうこぼす。
 確かにこの魚、鯉もどきと評する他ない。
 色合いやら形やら、大きさを除いた全てがこれを鯉だと知らせている。

「そんなのどうだっていい! 早く食べよ! そだ、お姉さんも一緒にどう?」
「おいおい、勝手に誘わないでくれ。彼女にだって都合があるだろう?」
「でも、迷惑かけたんだし、それくらいしたって良いんじゃない?」
「だから、それを決めるのは君じゃない」

 何度目かわからないため息をこぼし、僕は改めて衣玖に視線を投げる。
 彼女は至極どうでもいい、という表情を刻んでいたが、燐からのお誘いオーラに負けたのか、

「はあ……では、お誘いを承諾いたします」

 と、観念して頷いていた。場の空気を読むのが上手いやら何やら、事を荒立てないよう気を配ってくれたのか。
 どの道、食欲に支配されたお燐はいずれ行動を矯正する必要があるだろう。今度さとりに言っておくか。
 魔理沙と違ってお燐は素直なほうだから、ちゃんと叱られたら直るはずだ。
 はあ、一人魚をツマミに酒を頂く予定が台無しだ。
 まあいい、覚悟を決めて接待しておこう。ひょっとしたらこれを機に衣玖も香霖堂の客になるかもしれない。
 そう思わなければやっていられない気持ちもあったが、ともあれ僕達は魚を抱えて香霖堂へと移動した。








「これだけ大きいと食べ甲斐あるね」

 香霖堂に到着し、お勝手に入るなり丸ごと鯉を食べようとするお燐を止める。
 猫は魚の肉を引きちぎったり血飛沫を上げながら食べるなど、非常に雑だ。
 お燐もせっかく人の姿をしているのだから、人が生み出した料理の素晴らしさを覚えるといい。

「では、何をお作りに?」

 衣玖の質問に、僕は少し得意げに答えた。

「刺身も良いが、夏に作るこの食材の料理と言えば鯉のあらいだね。それに、あらいは生きている鯉を使わなければできないから、結構貴重な機会かもしれないよ」

 三枚に下ろした鯉を使い、これを洗いに使う。下ろした状態では薄い骨が残っているのでこれもしっかり取っておく。
 温水に身を入れ、身が締まって硬くなったところを手で感じて確認し、よく冷やせば完成。こりっとした食感とタンパクな味にからし酢みそで頂くのがあらいの魅力だ。

「しかし、量が多い。これなら別の鯉料理も出来そうだな」
「どんなのがあるの?」
「そうだな。酒煮に甘煮、鯉こく塩焼き……色々だ」

 涎を吸う音がお勝手に響く。下品だぞ、お燐。

「何もしなくても料理が出てくるのは、手間が省けていいですね」

 怠惰な台詞を吐きつつ、皿に盛られた鯉のあらいを見やる衣玖。お燐はもう我慢出来ないといった体だ。
 僕も調理を終えて、酒と鯉料理が並んだ食卓に座ると、鯉の良い香りが鼻腔をくすぐる。どうぞ、と手を出せばお燐が速攻でがっつき始めた。

「んまーい! もぐもぐ」
「ええ、本当に。もぐもぐ」

 それは何より。
 僕も一口頬張り、酒で流し込む。もぐもぐ。うん、我ながら良い出来だ。美味い。

「他のみんなも呼ぼうか?」
「その時点で食事は終わりだ。僕は騒がしいのが苦手だからね」
「もったいないなー……お兄さん、残りはどうするの?」
「夏を乗り切るには十分な量だ」
「一人で食べる気?! ひどすぎる!」

 お燐が喚いているが、そんなの知ったことではない。
 元々餌と道具を用意したのは僕なのだから、食す権利は僕にあるのだ。
 取ったのは衣玖である、がそれは結果だ。あの餌に衣玖が食いつかなければ、確実にこの鯉は僕が釣っていたはずなのだ。

「毎日ここに来れば良いのでは?」
「衣玖さん、あまり煽らないでくれ。お燐は本気でやりそうだ」
「みんな連れてくるから楽しみにしててねお兄さん!」
「やめてくれ」

 鯉料理を使った宴会でもする気か?
 食材提供者にも、参加者にもなる気はないぞ。

「ですが、これほどの量ですと一人で食べきるには色々と問題があるのでは? 具体的には、飽きが」

 鋭いところを突いてくる衣玖。なんだ、この人も実は鯉を狙っているのか?

「飽きてから考えるよ。今は僕達だけがこの鯉を食べているんだ。ゆっくりこの味をかみ締めればいい。僕達だけ、というのはある種ステータスみたいなものさ」

 ここで僕は鯉という銘柄を一押しして二人の口の封殺にかかる。
 これを味わえるのは自分達だけ、という意見がちらついてしまえば口に出すのは憚られる。
 仮に二人が定期的に来ても、僕は少食だし衣玖もそうだろうしお燐は味わって食べているから減るペースは遅い。なら、ひと夏くらいは持つはずだ。
 僕の作戦が功を奏したのか、お燐は考え込むように顔をしかめながらあらいを食べ続ける。僕はもう満足したので酒を飲むだけだ。
 衣玖も食事を終えたようで、鯉の味をかみ締めるお燐の行動を見守っている。この様子なら宴会騒ぎになることはないだろう。
 そんな風に静かな食事会は終わり、二人は自分達の家へと帰っていった。
 今日は良い気分で寝ることができそうだ。







 良い気分は長く続かなかった。
 朝、昨日の鯉を少し捌こうとした僕は保管した場から食材が消えていることに気づいた。
 どうして……と思考を停止させる。
 ――カランカラン。
 そんな折、店のカウベルが鳴った。
 強引に思考を切り替え、考えるのを後回しにして店先へ向かう。

「待たせました、いらっしゃ」
「鯉は地底の猫に食われます」

 やってきたのは、衣玖だった。
 さらに突然の不意打ちの如く放たれた台詞に、僕の思考が再び停止した。

「伝えましたので、私はこれで」

 待った待った待った。

「何か? 私も忙しい身なのですのであまり引き止めないで欲しいのですが」
「いや、常識的に考えて君の台詞はおかしい。あれは……」
「霖之助さんが釣ったのは私でしょう? 釣られた私も反省はするところではありますが、その辺りの論争はやめておきましょう。ああ、それともう一つ伝言です。『死体を持ち去るのはあたいの仕事』だそうです」

 お燐は死体を持ち去る程度の能力を持つ……確かに、あの鯉は調理したときには死体にはなっていたが――なんて、屁理屈。

「なぜ衣玖さんがそのことを触れ回っているんだ?」
「他意はありません。決していきなりふん縛られたことに憤っているわけではありませんよ?」
「いや、さっき反省するって…………」
「理解はしても、納得できないということが世の中にはあります」

 人、それを八つ当たりという。

「落ち着いてください。私も害意だけで言っているわけではありません」
「じゃあ悪意なのか?……いや、確かに、年頃の女性に対する扱いとしては理不尽なものだった。痛み分け、ということで今回は手打ちにしようじゃないか」

 本音を言えば、このことが知られれば(特に射命丸)僕は色んな意味で危うくなる。
 あの鯉の味は堪能したし、納得いかないのは僕も同じだがここはぐっと我慢しておこう。

「……ありがとうございます。思ったより素直なのですね。これでは私が子供です」
「事実じゃないか。いや、もうこの話題はお互いによそう」
「そうですね。ですが、このままでは霖之助さんが一方的に被害を被っているので私も何か致しましょう」
「そうかい? なら、店の商品を買っていって欲しいね。常連になるならもっとありがたい」
「わかりました。定期的、とは言いませんが下界に来ることがあればこの店に訪れることにしますね」
「了解、交渉成立だ」

 その後簡単な雑談を交わし、僕はそのままいずこかへ去っていった衣玖を見送る。
 支出に比べて収入は不定期な客が一人。まあ、何もないよりマシだろう。
 それにしても朝からどっと疲れた。今日はもう店じまい、ゆっくり休もう。


 後日、さとりに心を読まれて所業がバレたのか、お燐はやけにしおらしくなって店へ謝罪に訪れた。
 そのとき僕はすでに鯉のことなど忘却の彼方だったことに対し、お燐は何度も何度も謝ってきた。さとりのスペルカードによるトラウマ攻撃で相当搾られたようだ。
 流石に可哀想になった僕はもう一度魚を釣って堪能させたのだが、後日同じようなことを繰り返して顔面蒼白になったお燐を見てからは、彼女のためにも二度と美味しい魚をご馳走することはしなくなった。
 武士の情けでお姉さんとのことは伝えなかったよ、とつぶやき気絶するお燐を介抱しながら、僕は今日の夕餉は何にしようかなと考えるのだった。







<了>

相互リンクしているLOWさんがこの作品のワンシーンを漫画にしてくれました!
pixivなので見られない方もいるかもしれませんが、見れる方はこちらをどうぞ!

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鳩

Author:鳩
ついにブログ開設です。
オリジナル小説のほか、東方projectのSSを主に書いています。
最近はジャンル問わずの投稿小説サイトであるArcadiaや、東方SSサイトの大御所、Coolier-クーリエ-東方創想話で「鳩」名義で活動中。森近霖之助を主役に書いてます。
リンクはフリーです。
何か連絡があればこちらへどうぞ
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東方・森近霖之助<いらっしゃい。折角だから、訪問記録をつけさせてもらうよ。


上記絵文字提供:うるち

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