宙に浮く


 想像が幻想に至るその時。
 彼女が得るのは一つの答え。
 巫女と朱鷺は、同じ舞台へ立ち上がる。
 その先にある結果が何であれ。
 朱鷺は宙を目指して舞い上がる。
 季節は春。
 冬から春への移り変わりには、銀世界に染まった幻想郷から色を取り戻す意味も含まれている。
 それは同時に誕生の季節でもあった。
 変化の極致である冬の白が初めて迎える色は紅、紅白にして桜である。ゆえに春とは誕生の季節なのだ。
 何かを始めるには、春が吉兆ということなのかもしれない。
 無論、それが最適というわけではない。春夏秋冬どの季節であっても新しく物事を始めるならどれでもいい。ただ単に、めでたい、なんとなく気質が良い、といった願掛け程度のものである。
 そして僕の知り合いの一人が、その願掛けを意識して新たな挑戦を目論んでいた。

「香霖堂、私、いよいよ紅白に挑んでみる」

 去年に知り合い、ずっとある願いを達成するために努力を続ける妖怪、朱鷺子。
 こいし、衣玖、お空といった協力者と共に研磨を続けた少女は、そう宣言した。
 読んでいた本から顔を上げ、僕は適当な道具の上に座っていた朱鷺子を見やる。
 
「随分と急な話だね。それに、霊夢に挑んでどうするんだい?」

 相変わらず客以外の来訪の多い香霖堂ではあるが、その中でも朱鷺子はまだマシなほうだ。僕もなんだかんだで彼女の努力を手助けしている身の上、唐突にそんなことを言った朱鷺子が気になり尋ねてみる。

「新たな段階へ進むためよ」
「霊夢を倒しても、それでいきなり君の知名度が幻想郷中に広がるかと言われれば、違う気もするが」

 スペルカードルールによる弾幕ごっこは、幻想郷では日常茶飯事のことである。
 異変ともなれば霊夢は全力を出して勝つだろうが、普段の彼女は呑気なものだ。たとえ挑んで勝ったとしても、それは朱鷺子の目的と些かズレが生じているような気もする。

「承知してる。私は、紅白のあるスペルカードを破ろうとしてるのよ」
「それは、君が新たに開発したあれの元かい?」

 頷く朱鷺子。
 朱鷺子が模倣したスペルカードの元は、霊夢の夢想天生だ。
 霊夢にしか扱えぬ、まさに天性の才能から成る技である。

「それを打ち破れば、霊夢を超える……そう考えているわけだ」
「超えるというか、一種の達成感……かな。香霖堂との縁って、元はあの紅白が私の本を奪ったのがきっかけでしょ?」

 やや気まずい空気が生じる。
 朱鷺子の本を霊夢が強奪したのは紛れも無い事実であるが、その後彼女と取引をして最終的に持っていったのは僕であるし、さらに元々朱鷺子と知り合いになった理由が理由であるからだ。
 取引した相手とここまで深く付き合うことになるなんて、当時の僕は思いもよらなかったに違いない。

「ここで一つ、あの紅白との因縁を絶つってことよ!」

 むん、と両手を握り自分を奮い立たせるように言う朱鷺子。因縁と言えば魔理沙にもやられているはずだが、元の原因が霊夢だから除外しているのかもしれない。
 にしても、今更そんなことをする理由が僕には皆目検討がつかないが、彼女の中で何かが変わるきっかけであるなら、何も言うまい。

「で、霊夢を倒した後は?」
「色々考えてるけど、多分弾幕ごっこでの普及は停滞すると思う」
「幻想になってしまった朱鷺の美しさを広めるのが君の目的だろう? だったら、弾幕ごっこを続けるのが最適じゃないか」
「紅白のあれを超えられたら、多分それ以上意味がなくなると思う。……なんて言えばいいかな、紅白が見てる世界を見ることで、一種の境地に達するって言えばいいのかな……うーん……登山して、その景色を絵にする……?」
「首を傾げられても困る。……まあ、言いたいことはなんとなくわかる」

 つまり朱鷺子にとっては、霊夢が見ている世界を見ることで、その景色を頭の中に刻もうというわけだ。ようはインスピレーションの促進である。
 弾幕に色を与え、形を変える能力といい朱鷺子は創作者に向いているのかもしれない。

「それに、弾幕勝負で勝つんじゃなくて、私はあのスペルカードを超えたいの」

 夢想天生による耐久スペルを制覇すれば……いや、夢想天生状態の霊夢を見ることが叶えば何か掴める。少なくとも、朱鷺子はそう考えているようだ。

「ま、ともかく今度紅白に会ったらそう言うつもり。良かったら香霖堂からも――」

 カランカラン。
 伝言を置こうとする朱鷺子をよそに、店のカウベルが鳴った。

「霖之助さん、居るかしら?」
「いらっしゃい霊――」
「紅白!」

 来店した霊夢に声を投げる僕の言葉をかき消すように、朱鷺子が大声で叫ぶ。香霖堂に置かれた道具が揺れるほどの大声、僕はしばらく耳鳴りが止まらなかった。

「くぁ……何よあんた」

 霊夢も似たような状況だったらしく、軽く頭を揺らしながら朱鷺子を見やる。睨んでいるわけではないが、力の弱い妖怪に恐れられる霊夢の眼光はそれだけで恐怖を誘発するものだ。
 が、朱鷺子は真っ向からそれに対峙した。

「なんて幸運。決定したその日にそっちから現れてくれるなんて」
「霖之助さん、変な妖怪が居座ってるから退治しておくわよ」
「話を聞……うひゃあぁ!!」
「こらこら、店内での争いはご法度だよ」

 霊夢の投げた針を慌てて避ける朱鷺子を尻目に、僕は壁に刺さった針を見やってため息をつく。道具に当たらなかったのは幸い……いや、霊夢もその辺を配慮してくれたのだろう。最も、気の配り方を間違えているが。

「ぜー、ぜー……紅白! アンタに弾幕勝負を申し込むわ!」
「だから今してあげるわよ」
「ちょ、違う、違う! 今じゃなくて今度! 決闘にはしかるべき手順ってものがあるの!」
「そんなの知ったこっちゃないわ」
「うゅ、だからちょ……と、とにかく一週間後に挑戦しに来るからね! 待ってなさい!」

 なんだか負け犬の遠吠えという言葉を思い起こしてしまうのは気のせいか。ともあれ、朱鷺子は霊夢の攻撃を避けながら風のように香霖堂から去っていった。ちなみに、ドアは蹴破られていた。……どうしてくれようか。

「で、店を壊しに来たのか?」
「そんなわけないでしょ。妖怪が居たから退治しただけのことよ」
「……ま、いいけどね」
「ああそうだ霖之助さん、針取ってもらっていい? 私はお茶を淹れるから」
「自分でやってくれ。なんで僕が」
「お茶汲みしてあげる代わりよ」

 言って、霊夢はお勝手へ向かってしまう。面倒だが、やっておかないと小言でうるさそうだったので、僕は椅子から立ち上がり、壁に突き立った針を抜いた。壁を貫通しなかったのは、霊夢なりに手加減していたおかげだろう。本当に気の配る場所を間違えていた。

「でも、あいつ最近入り浸ってるみたいね。何を仕込んでたの?」
「仕込むなんて人聞きが悪いな。人生相談に乗っていただけだよ」

 へぇ、と至極どうでもよさそうな顔をしながら霊夢がお勝手から戻ってくる。僕は椅子に座りなおしてお茶を受け取り、気になるかい? と聞いてみる。

「別に。ただ、ここ最近の香霖堂は繁盛してるから香霖堂じゃないみたいって思っただけよ」

 失礼な奴だ。

「朱鷺子は買い物もしてくれるからね。ま、サービスってやつだ」
「妙に入れ込んでるみたいじゃない。どういう風の吹き回し?」
「別に異変とか、そういう物騒な話じゃないさ」
「わかってるわよ。霖之助さんにそんなのできっこないし」

 当然だ。僕だってするつもりは一切ない。

「でも、入れ知恵はしてるんでしょ?」
「………………悪いことかい、それは」
「別に」

 澄ましながらも、霊夢から感情の揺れは伺えない。霊夢にとっては、心底どうでもいいのだろう。その程度で彼女は揺るがないし、多少の小細工で霊夢を負かすことなど不可能だからだ。

「けど、なんかムズかゆい気分ではあるわね。間接的といえ、霖之助さんが私と戦おうとしてるんだし」
「これは戦いに入るのか?」
「助言は十分に対立としての理由になるものよ」
「じゃあ怒ってるのか?」
「言ったでしょ、別になんともない、むずかゆいだけだって」

 その表現、どう受け止めればいいんだ。
 眉根を寄せる僕のことなど気に留めず、霊夢はいつも通りお茶を飲んでいる。
 別段気にすることのない日常。朱鷺子のことだって、霊夢からすれば妖怪退治みたいなものだと感じていることだろう。
 僕とて相手が朱鷺子でなければ、単にいち妖怪が霊夢にちょっかいを出して終わった、いつものことだと割り切っていた。
 だが、今は違う。
 朱鷺子と知り合い、彼女の目的に共感し、努力を知り、助けてしまった。
 ならきっと霊夢の言う通り、僕は間接的に霊夢と対立しているのだろう。
 誰にも入れ込むことない、傍観者の位置で居たはずなのに、自分からその舞台を降りてしまったのだ。
 その事実は変えられない。
 なら。
 どうせなら、いつもの場所と違う景色を見てみるのも、一興だろう。

「そうかい。なら、朱鷺子が勝ったらツケを払ってもらおうかな」
「いいわよ。私が負けたら、お賽銭箱を香霖堂に置けばいいのね」
「なら、僕も全力で朱鷺子を応援しないと。覚悟しておいてくれ」
「私が勝ったら、常備してるお茶のランク上げてもらおうかしら」

 僕は軽口を叩き、霊夢もそれを返して話題を自然と終わる。
 朱鷺子の勝利であれ敗北であれ達成される願いではないだろうと、半ば諦めもあって言える台詞だ。
 らしくないと自覚しつつ、その日は妙な気分に引っ張りまわされながら終わった。






「っくしゅ、春なのに寒いなー……」

 香霖堂で紅白に決闘を申し込んだ翌日、私は来るべき対戦に向けての準備に取り掛かっていた。具体的には対決に使うスペルカードの見直しや、紅白の力の確認である。
 そして重要なのは対戦相手。紅白自身に相手してもらうのは無理なので、私はいつも通り紅白の動きを真似られそうな友人を呼び寄せることにしたのだ。……普段なら便りを渡しにくいので、即日は無理という難点があるけど、幸運にも香霖堂を通じて連絡を取ってもらったさいに居合わせていたのだ。色々と追い風が吹いているわね、笑いが止まらない。

「おっはよー、朱鷺子。朝から元気で何よりだわ」
「……! 来てくれたのね、ありがとうこいし」

 本を読みながら来訪を待っていた私の前に現れたのは、本とそれを持つ両手の隙間から頭を差し込んで挨拶をしてきたこいしだった。いきなり活字がこいしになって驚いたけど、何度も何度も何度も! 挨拶のたびに驚かされた私は軽く頭を引いただけで終わる。……最初はひっくり返って椅子から転げ落ちたけど、今はもう安心だ。

「霖ちゃんよりましだけど、あまり驚かなくなってる。つまんないわね」
「何度もやられたら耐性つくものよ。おかげさまで不意打ちに強くなりました」
「友情に感謝してよね」
「うん、まあ、色々と助かってるのは否定しない。否定しないけど、危険な場所に放置して取り残すのは友情じゃないから」

 あの雨の日にこいしと出会ってから、私と一緒にいる時間が多くなった。私のほうから一方的にお願いしたりしているうちに、友達になったといったほうが良い。こいしは嬉しそうにしてくれるけど、たまに物騒なことにも付き合わされる身としては正直おっかなびっくりだ。
 詳細を記せば、妖怪の山とか、悪魔の館とか、永遠亭とか……そういう場所に潜入して見つかったら負け。つまりかくれんぼである。
 こいしは無意識を操るから潜入は楽だろうけど、私は違う。下手に格上の相手と遭遇したらどうなることやら、遊びに付き合うたびに寿命を縮めたものだ。台詞で言ったように、こいしってばいつの間にか繋いでいた手を離すから、一人で取り残される羽目に会ったことも少なくない。
 とと、今はそんなこと考えてる暇はないか。

「いよいよ紅白に勝負を挑むことになったのよ。だから、いつも通り仮想紅白を振舞ってもらいたくて」
「……前々から思ってたけど、私に頼むよりお姉ちゃんのほうが正確よ?」
「うん、最初はそう考えてたんだけど…………」

 直接会ったことはないけど、こいしのお姉さんのことはよく耳にする。
 心を読む覚妖怪で、地底一の嫌われ者……だった妖怪で、香霖堂の友達らしい。今は何の要因か知らないけど人当たりが良くなって、昔ほど邪険にされなくなったと聞いている。
 彼女は心を読む他、催眠術によって掘り起こした相手のトラウマを再現する能力を持っているらしい。こいし曰く、再現だけでなく相手の気配なども真似できるそうな。確かに、それなら仮想敵として最適かもしれない。
 でも、私はそれを断った。

「それは、あくまで私の想像でしょ? 本物の紅白じゃないわ」

 こいしのお姉さんの能力で私のトラウマを再現して打ち破ったとしても、それはあくまで恐怖を打ち破るに過ぎない。「私」のトラウマから作り出された情報であって、本物の紅白――夢想天生は生み出せない……という香霖堂の言を信じてのことだ。

「香霖堂曰く、貴方と紅白は似ているって。だからいつも頼んでるのよ」
「私があの人と? そうかなぁ……」
「性格とかじゃなくて、弾幕時の動き。まっすぐじゃなくて、緩やかな変化、無意識ゆえの不規則……まあ指摘すれば色々出てくるけど、紅白の仮想敵としてはこいしが最適なのよ」
「うーん、その推測が本当かどうかはわからないけど……ま、いっか。私はどうすればいいの?」
「普通にいつも通り、無意識で戦ってもらえればいいわ」
「それで本当にいいの?」
「…………多分」

 強くは言えないけど、他に思いつきもしないのでそれで行く。
 助言を受け、かみ締め、自論へ変える。それを意識して行うだけで、見ている世界は結構変わるもの。結果的に遠回りだったとしても、自分でたどり着いたという事実が自信に変わる。だから、きっとこれでいい。

「ま、私も戦うのに異論はないからいいけど。そうだ、どうせなら制約つけましょう」
「制約?」
「私が勝ったら、朱鷺子は一日私のペットね」
「へ?」
「安心して。地霊殿のエントランスに飾ったりはしないから」
「いや、あの…………」
「今度は悪魔の館の地下にでも遊びに行ってみようかしら」

 物騒なことつぶやいてるー!! ぜぜぜ絶対に負けるわけにはいかない!
 文字通り生死を賭けた戦いが今、始まった。
 ……弾幕ごっこは命を落とす可能性があるということを、私は深くふかーく理解した。





 ――カランカラン。

「こんにちはー」
「いらっしゃ……珍しい、こいしがまともに……いや、なるほど。理解した」
「流石に抱えたまま驚かすのは面倒だし」

 適当な椅子に気絶した朱鷺子を置くこいし。僕は頷きながら食べかけの饅頭の残りを口に含もうとしたが、それは叶わず上下の歯がかち合って口の中で甲高い音を発した。
 訝しんでいる僕をよそに、こいしが小さな口で饅頭を食している。……常連の盗人より盗人らしい鮮やかな手口だ。

「こいし、欲しいなら欲しいと言えばいいのに」
「ううん。少し口が寂しかっただけだから」
「飴は切らしてるんだが?」
「結構よ。この一つで十分」
「そうかい。……で、どうしたんだ、それは」
「ちょっと弾幕勝負を。最初は負けちゃったんだけど、二戦目は難易度上げたせいか朱鷺子を気絶させちゃったのよ」
「災難、と言うべきかなこれは」
「特訓だから仕方のないことよ」

 前のお空といい今回のこいしといい、朱鷺子は地底の妖怪と弾幕勝負で相性が悪いのかもしれない。個人で接しているうちは、友情を築いているというのに、難しいものである。

「朱鷺子に入れ知恵してるの霖ちゃんでしょ? 仮想の相手として協力要請受けたけど、本当に私との戦いがあの巫女との戦いに役立つの?」
「そんなこと言った覚えはないが……それは、朱鷺子が?」
「ええ。紅白を相手にするなら、お姉ちゃんより私のほうが適任だってさ。トラウマ再現してもらって、あの子を相手にしたほうが確実だと思うのに」

 なるほど。朱鷺子はしっかりと物事を見て、考え、結論を出しているようだ。

「霊夢は目標であって、目的は違うんだろう」
「目的ってあの巫女に勝つことでしょ?」
「さとりの力で戦えるのは、あくまで朱鷺子の記憶の中の霊夢だからね。朱鷺子と戦ったときに霊夢の手持ちの技全てを見たわけじゃない。なら、いっそ技を知らなくても、霊夢と似た動きをするこいしを仮想敵にしてもらったほうが効率が良いと判断したんだろう」

 そしてそれは正解でもある。
 呑気な霊夢は風を流す柳の葉のようなもので、力任せでは決して捉えることが出来ない。そして無意識で動きこいしもまた、力では捉えることは不可能。おそらく、その辺を考慮して朱鷺子はこいしに助力を頼んだのだろう。
 そもそも弾幕ごっこは遊びなのだ。遊びに勝つことも重要かもしれないが、それを通して得る何かを見据えているのであれば、朱鷺子の戦いに勝ち負けは関係ないと思われる。
 朱鷺子にしてみれば勝利で締めたいところだろうが、おそらく霊夢を通じて見ている何かさえ得てしまえば、散々文句を言った後には納得すると思われる。
 本当に霊夢に勝ちたいなら、こいしの言う通りさとりに手伝ってもらえばいい。そして霊夢のスペルカードを把握し、挑めば勝率は高くなるだろう。
 僕にしろ朱鷺子にしろ、想像を駆使して物事を進めているから、全てが予定通りというわけではないが……それでも想像は大事なのだ。

「それで、こいしから見て朱鷺子の仕上がりは?」
「……純粋な弾幕勝負で言えばまだあの巫女には及ばないと思う。でも、霖ちゃんの言う通り目的が違うなら――うん、良い感じなんじゃない?」
「朱鷺子の目的、ちゃんとわかって言ってるかい?」
「ううん、無意識の言葉でーす」
「便利な言葉だよ、無意識は」
「参ったか」
「褒めてないよ」

 にんまり笑うこいしにため息をつきながら、僕は気絶した朱鷺子を見やる。丁度タイミングが良かったのか、そこで彼女はうめき声を上げながら目を開けた。

「おはよう朱鷺子。こいしと戦って何か掴めたかい?」
「えーっと……香霖堂? どうしてここに…………」
「私が運んできたのよ。感謝してよね」
「そもそも気絶させたのこいしなんだけど……あいたた」

 痛みに苦悶し、腕を押さえる朱鷺子。見たところ打ち身程度だし、妖怪にとっては怪我には入らない。
 以前のお空と違い、大したことがなさそうだ。

「それくらいすぐ治るって。すぐもう一戦する?」
「うーん、ちょっと待って。情報整理したいから」
「面倒ね。何も考えずに動けば、そんなことしなくてもいいのに」

 その考えこそ、まさに朱鷺子がこいしに助力を求めた理由だと彼女は気づいているのだろうか。いや、多分気づいていないだろう。だからここは僕が説明して……

「頭からっぽにして、勘だけで動いてる紅白を相手にするには、同じタイプかパターンを覚えて対処するしかないのよ。でも私が欲しいのは紅白との対戦による勝利だけじゃないし、普通のやり方じゃダメなのよ」

 遮られてこいしに説明する機会を失う。ちょっと寂しい。 
 気分を改め、僕は朱鷺子の説明における疑問をこいしの代わりに代弁してやる。

「確か、霊夢の見ている世界を見る。それが今回の目的だっけ?」
「そう。前に香霖堂が説明してくれたでしょ?」

 夢想天生時の霊夢、すなわち宙に浮いた状態だ。朱鷺子が挑戦しているのは、霊夢の天性の資質だ。霊夢にしか見えない景色を見ようと努力している。
 それはさながら月へ伸ばした手、或いは水面に映る偽の月を掴もうとする行為に等しい。口には出さないが、多分……いや、心でも考えべきではないだろう。少なくとも、朱鷺子の前では。

「それが私と何の関係があるの?」
「なんとなくだけど、こいしと紅白って似てるのよ」
「頭文字の最初しか合ってないけど?」
「や、字面じゃないから」
「雰囲気、かな。動きとか在り方。全く同じじゃないけど、類似性があるんだよ、君達には」
「あの巫女も覚妖怪なのかしら」

 多分違うとわかっているだろうから、深く突っ込む真似はしまい。

「ま、その辺はどうでもいいわ。手助けになるなら、それでいいし。さ、朱鷺子。期限は待ってくれないし、さっさと行くわよ」
「え? まだ頭の整理が……」
「百聞は一見にしかず。考えるな、感じろ、体で動いて覚えればいいのよ!」
「いやだからああああああぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 哀れ朱鷺子。こいしに手を掴まれたと思えばドップラー効果を残して香霖堂から去っていってしまった。
 さて、こいしの面から霊夢へアプローチを仕掛ける朱鷺子の作戦は果てして成功するものか。
 しかし、霊夢に勝つのでなく霊夢の能力を得る、か。
 僕の助言がきっかけといえ、なんとも壮大な計画を立てたものだ。
 個人における資質は自分の能力に大きな影響を持つ。
 いわゆる、適正というものだ。
 望んだものと自分が最も力を発揮できるものを上手く見つけ出し、重ねることが大事と言えよう。
 そういう意味では、魔理沙は本当に大したものだ。
 ミニ八卦炉をお守り代わりに渡したといえ、彼女は自力で新たな属性の魔法を開発し、自分のものにしてしまった。
 これらは成功例であるが、全ての求道者が結果を残せるわけではない。それでもなお、諦めることなく努力を続けることは大事だ。
 それが到達できるかはわからない。しかし、諦めるのはいつでも簡単に出来る。けれど前に進むのは難しい。当然だ、やりたいことを成し遂げるには苦難が付き物である。
 人間も妖怪も精神に左右される生き物だ。その先にある「満足」のために、色々と模索しているのだろう。
 だから僕が彼女にしてやれることは、朱鷺子が満足の行く答えを得ることを願うことだけだった。








 雲一つない夜空に星々が煌く妖怪の時分。家の明かりもなく星光も届かぬ魔法の森の中は、真っ黒な色紙に包まれている錯覚さえ覚える。
 普段は家に居るなら明かりをつけるのだろうけど、今日はなんとなくつけなかった。ただ、暗闇の中でぼうっと思索を続けていた。
 いよいよ、明日なのだ。
 紅白との弾幕勝負に備えて準備は怠っていないし、使うスペルカードも選択している。
 でもやっぱり、私は不安で仕方なかった。
 そう考えたら自然と私は足を運んでいた。……多分、今に至るターニングポイントだったあの場所へ。
 外の世界の道具と呼ばれる、意味不明の置物が乱雑に置かれた建物を視界に納め、私は息を整えて入り口の扉を叩く。
 ややあって、不機嫌そうに顔をしかめた香霖堂が姿を現した。

「なんだい、もう営業時間は終わってるよ」
「あ、その、ごめん……なさい。か、買い物に……来たの」

 買い物というのは嘘だった。
 こんな時間に行くのは迷惑だと思っていたけど、私はそれでもこの店に来たかったのだ。だから、咄嗟に嘘をついてしまう。
 何も言わず、沈黙が間を埋める。打破したのは、香霖堂のため息だった。

「まあいい、客ならいつでも歓迎するよ。とりあえず中に入るといい」

 言われて香霖堂の背中を追いかけているうちに、店内に明かりが灯る。暗闇に慣れた視界に入りこんだ光は目蓋を超えてなお私の目に焼き付ける。少し、目が眩んだ。
 立ちくらみを我慢し、椅子に座り込んだ香霖堂の前に寄ると、私は静かに口を開く。

「…………あの、ごめんなさい。買い物ってのは、その、嘘なの。えと、その…………」
「…………何を言ってるんだ。君は僕の口を買いに来たんだろう?」
「へ?」
「さてお客様。何をご入用でしょうか」

 ぽかんとするのもつかの間、私は香霖堂にぺこりと頭を下げる。

「買うものを変更してもいい?」
「どうぞ、構いませんよ」
「じゃあ……立って……」

 訝しげな顔をする香霖堂だったけど、素直に立ち上がってくれた。 
 私はとことこ歩み寄り、両手を大きく広げ――

「――朱鷺子?」
「ちょっと、このままで」

 香霖堂の大きな背中に手を回し、ぎゅー、っと抱きしめた。
 窒息するんじゃないか、ってくらい顔は服の中に埋める。香霖堂は少し戸惑ったようだけど、躊躇いながらもそのままにしてくれた。




 どのくらい、時間が経っただろう。
 私は心の中の不安が晴れたと思ったので、ゆっくりと顔を離した。

「ん、ありがと」
「……びっくりはしたけどね」
「ちょっと、不安だったから」
「僕なんかで良かったのか?」
「香霖堂じゃないと駄目なの」

 言ってから、自分が恥ずかしいことを口走ったことに気づいて顔をうつむかせる。こんなとき、帽子があれば顔を隠せたのだろうけど、私は持っていない。慌てて何かで隠そうとして取り出したのは、無記入である白紙のスペルカード。これでもいいや、と思い顔の前に掲げて自分の顔を覆った。

「おや、念でも入れてるのか?」
「え、あ……うん。使うかわかんないけど、願掛けみたいなものかな」

 咄嗟の言い訳は成功したようで、香霖堂は頷きを一つ。少しいいかい、と言ってスペルカードを求めた。私は気恥ずかしさを紛らわす意味で即答し、無記入の紙を渡した。

「直接手助けはできないが、願掛けというなら僕もしておこうと思ってね」

 まるでお札を扱うように、香霖堂は紙を自分の額に当て瞳を閉じる。普段から唐変木で偏屈と言われている香霖堂だけど……口では色々距離を取っているようにしているけど、彼はかなり親身に私を助けてくれる。それこそ、協力してくれたみんなと同じくらいに。結局、この人の根っこは良い人なのだ。
 最初に本を持ってきてくれたことから始まり、今に至る香霖堂との縁。私のために願掛けしてくれている彼の願いがあれば、きっと目的を果たせるのだと、確信した。

「香霖堂。私も一緒にいい?」
「…………まあ、構わないよ」

 邪魔するわけにはいかないので、私は紙を持ったほうの香霖堂の手をそっと両手で包み込む。
 そしたら、何か――私の語彙では表現しきれぬ、何かが貫いてきた。
 香霖堂の想いの強さ、なのだろうか。
 私は店の裏に咲いた白い桜を幻視した。周りの桜と比べて異質な雰囲気を持つここの桜は、異端ゆえの好奇を秘めており、決して悪くない風景となっている。
 好奇にさらされる白。白とは無、変化の極致。つまり、無形でありながらどんな有形にもなれる万能の素。つまりは、誕生の白だった。
 私の中で、真っ白な世界が移りこむ。それは、私の心に流れてきた香霖堂の想いだ。
 すぐ、私は心の中に無々色(なないろ)の境界を作り、それを覆った。決して、これらを外に出さぬようにしないためだ。 
 この想いは――多分……ううん、絶対私の力になる。
 すっと香霖堂が瞳を開ける。呆然と、夢うつつのような気分を錯覚しながらも、その世界からまだ脱出できずにいた。

「…………朱鷺子?」

 香霖堂の声で、ようやく我に返る。慌てながらも、私は差し出されたスペルカードの紙を受け取り、一歩後ずさった。
 
「あ、あ、ううん、なんでも、なんでもないの。成果、期待しててね!」

 呼び止める香霖堂の声を無視して、私はかつてない速さで店を後にした。
 今は、羞恥とかそういった感情に振り回されている場合じゃない。
 思いついたことがある。それを、一刻も早く試してみたい。その気持ちで一杯だった。
 夜の朱鷺、森を飛ぶ。
 私は逸る気持ちを抑えきれず、感情のままに幻想郷の夜へと羽ばたいた。




 そして、今。
 私は夜の博麗神社の境内に降り立った。
 決闘の段取りを決めたのが私だというのに、自分からそれを破ってしまいそうだったけど、幸いにして香霖堂とのやり取りはすでに『昨日』である。
 本当なら、手伝ってくれたみんなを呼んで成果を見てもらいたかったのだけど、今はみんなを呼ぶ時間すら惜しい。早く、紅白と弾幕ごっこがしたかった。
 屁理屈と言うなら言えばいい。それよりも、この気持ちが消えてしまう前に戦いたかったのだ。
 一歩ずつ石畳を踏みしめ、神社の本殿に勝手に入り込もうとしたそのとき、かけられた声があった。

「うわ、本当に居た……ちょっとあんた、今何時だと思ってんの!」

 怒りに染まった紅白が、怒号と共に本殿から現れる。どうしてこの時間に紅白が起きていて、私の来訪を告げもせずに知ることが出来たのは謎だったけど、今は好都合だった。
 今までの私ならあまりの恐怖に逃げたかもしれない。けど、今日は違う。元より決闘のために訪れたのだし、破格のお守りが私にはあった。

「もう決闘の日よ」
「約束した覚えなんてないわよ!」
「でも受けざるをえないでしょ? 博麗の巫女なんだし」

 紅白の憤怒の具合が、傍からでもわかるように上昇を続ける。自分自身、こんな挑発が出来るなんて思ってもみなかった。調子に乗っている……うん、多分乗っている。今なら、色々できそうだから。

「っくー……妖怪め、けちょんけちょんにして朝の鍋のダシにしてやるわ」
「体を綺麗にしてくれるの? でも生憎いつも清潔にしてるわ」
「急いでやってきました、って体なのに何言ってんだか」
「そんなの関係ないじゃない」

 私はスペルカードを二枚取り出し、紅白へ見せる。うち一つは、さっき香霖堂から願掛けをしてもらったありがたい紙である。
 紅白は私の紙を見やり、同じく二枚取り出した。

「使うのは二枚ね。これでいい?」
「文句ないわ」

 言って、私は翼をはためかせて飛び立つ。紅白も音も無く浮遊し、空を舞台に弾幕勝負が始まるのだ。
 一陣の風が吹き結ぶ。
 ゆったりと周囲を徘徊する紅白の動きに合わせて私も翼を展開させる。

「っくぞぉ!」

 先手は私。咆哮し、放つのは青白い光弾の群れ。規則性にそって動く、初見でも注意していれば避けられそうな通常の弾幕だ。当然、紅白は難なくそれを避けていく。それでいい。私が先手を打ったのは、あくまで紅白に弾幕を後だしさせるためなのだ。

「幻実『重ね合わせて色即是空』!」

 私は早速スペルカードを宣言する。
 お空との弾幕勝負で編み出したスペル。紅白の『あれ』を模倣し生み出されたものだ。

「気が早いわね、妖怪!」

 お札による弾幕が視界一面に展開する。が、それはこのスペルカードの前では無意味だった。

「っとぉ?」

 紅白の素っ頓狂な声が上がる。
 紅白は自分の弾幕が完全に相手を素通りしている光景を見ているのだ。何でもないわけがない。
 そこにいるのにいない。色即是空の名の通り、固定的実体がなく空(くう)であることを意味した私の結界。紅白の弾幕は幻の私へ飛ばされ、景色と一体化し実体の見えない私から放たれる弾幕をゆったりと避けている。

「むむ。あんた、どこでそんなの覚えたわけ?」
「香霖堂や、友達のおかげよ!」

 相手の動きをじっくり見据えてわかったことは、紅白は空気のようであるということだ。
 弾幕を風とするなら、紅白はそれに舞う木の葉。決して直撃することなく、軽やかに流し続けるのである。時折、零時間移動(テレポート)をしているのは反則のような気もするけど、相手の持つ資質なのだから諦めるほかない。
 零時間移動はともかく、空気のような動きなら――永江さんの風読みやこいしの動きを相手し続けた私にとってある程度パターンが見えて来る。
 そして紅白の体の線を見る。縦に横に奥行きに、三次元的に知覚し風の流れに置き換える。そして、紅白の回避コースを『視』るんだ!
 
「……っとと」

 惜しい。直撃することはなかったけど、巫女服の一部を削った。僅かであるが、不意打ちでない正面からの弾幕をあの紅白に当てたのである。……やっぱり、今の私ならいけるはず!
 間隙を縫って展開する弾幕の波。紅白の避けるであろう進路を予測し、その方面へ向けてそれを押し込む!

「痛ぁっ……」
「当たった!」

 こいしにも通じた弾幕パターン。やっぱり似た動きをする紅白にも通用した! 二人ともありがとう!
 いやいや、喜ぶのはまだ早い。前に不意打ちで紅白に攻撃を当てたことがあったけど、結局その後にやられてしまった。油断禁物慢心注意、私は落ちついてスペルカードの傍らで弾幕を放ち続けた。
 
「ちょっと驚いたけど」

 ぞくり、と肌が粟立つ。決して大きくないその声は、けれど確かに私の耳を貫いた。
 弾幕の手を緩めるべきではないのに、一瞬だけ手を止めてしまい、私はその言葉に射抜かれてしまった。

「境界の区切りが甘いわね」

 言葉の終わりとともに、紅白の手からお札が投げられる。今度は幻の私には目もくれず、景色に隠れた私を正確に打ち抜かんと殺到してくる。驚愕に体をすくませるのも一瞬、すぐにその場を離れた。
 だが甘い。意趣返しなのか、避けた方向へお札の群れが迫ってくる。私にそれ以上の回避は許されなかった。

「うあっ!」
 
 同時に私のスペルカードが破られる。紅白はまだ使っていないし、何よりあの技がまだ来ない。それが来るまで、耐えないといけない。
 気迫に満ちた瞳で紅白を射抜く私と対照的に、彼女は夜の静けさを瞳に宿したかのように底知れない双眸を向けてくる。

「よくわかったわね、見せるのは初めてのはずなのに」
「比較的結界術に長けていれば、境目はすぐ見つけられるものよ」
「あんたの『あれ』を真似てみたんだけど、元にしたのが悪かったかしら」
「あー、他の奴らが嗜み程度に覚えるそれに比べれば格段に上手いと思うけど?」

 それは、私のスペルカードに対しての意見だった。
 思わぬ言葉に呆然としてしまい、今にも吐き出されそうな弾幕は私の手の中で消失してしまう。
 瞳を見直してみれば、そこには確かな好奇の感情が宿っている。それは、私の中の紅白像を打ち消す光景だった。

「…………何よ。すぐに破ったから文句でもあんの?」
「う、ううん。まさかそんなこと言われるとは思ってなかったから」

 私の中の紅白は賞賛にも似た言葉など吐かず、相手を倒すことだけを考えたとえ言葉を出しても皮肉だけかと思っていたのだ。

「霖之助さんが助言したって言うし、実際少しは面白いって思ったのよ。時間が夜じゃなければ、もっと良かったかもね」
「以前とは違うわ」
「もう不意打ちは効かないけど?」
「最初に不意打ちしたのそっちじゃない!」

 思い出して腹が立つ。
 込みあがる怒りに任せて弾幕を射出するが、紅白はひょいひょい避けてしまう。
 ああ、落ち着け。落ち着いて私……

「そんなわけでもうお休みの時間、夜を枕にねんねしなさい。どうせだからサービスして眠らせてあげるわ」

 紅白がスペルカードを取り出す。予想が正しければ、あれこそ私の求めた境地を見せてくれるものだ。
 格下の妖怪が、自分と似たような技を見せることで相手のプライドを刺激し、本家本元の力を出してくれると私は踏んだ。実際、私は紅白が夢想天生を使ってくれるよう誘発していた。
 そして、結果が今解き放たれる。

「夢想天生」

 紅白の周囲に、虚空より生じた何かが展開していく。それは妖怪を、人間を、敵対する相手を打ちのめしてきた博麗の巫女の武器――陰陽玉であった。私は、恐怖よりも歓喜に震えた。
 円形に射出されるお札。引き締まる体、集中力を瞳に宿し軌道を予想する。
 第一波をしのぐが、私に対しての追尾効果を発揮しているのか前に後ろに上下左右、あらゆる角度から弾幕が私を射抜かんと迫り来る。必死で避けながら私も弾幕を撃つが、紅白にあたることなく光弾がすり抜けていく。
 やはり無理、と判断し私は回避に努めながらも紅白の動きに注目していた。
 瞳を閉じ、本人は何もしていない。周囲に浮かぶ陰陽玉が迎撃の役割を果たしているので、紅白は制御を担当しているのかもしれない。ともあれ私は弾幕を掻い潜って紅白の元へ直接向かう。陰陽玉から射出されるタイムラグを利用して紅白に触れようとするが、やはり手を出そうが体当たりをしようが触れることは叶わない。
 これが、私の目指す幻想の境地。
 どうしようもなく目を惹かれ、何者も触れられない領域。
 この世界を見ることが出来たのなら、きっと誰よりも高く飛び、誰しもが朱鷺を見上げ、その美しさを認めてくれるはず。
 これを逃せば、きっと紅白は私を相手にしない。ううん、正確には今の状態を維持した私が挑めない。
 だから今この瞬間、この状態の私がベスト。これで無理なら私はあの境地を掴めない。
 心の中の境界を一つずつ解いていく。香霖堂の想いは胸の内から私の手を伝い、懐より取り出した無記入のスペルカードへ流れ込んでいく。これがあれば――紅白という結界を越えて、その先を見ることが出来ると思うから。

「符遊『春に至る幻想の朱鷺』!」
 
 想いと一緒に、紅白の目の前で私はスペルカードを解き放った。
 無意識に飛び上がり眼下で展開される私の弾幕は、香霖堂の裏手にある白い桜のような花びらに変化する。風に揺られるような不規則な弾幕はやがて、朱鷺に啄ばまれて動きを乱された桜花の如く急加速、急制動を繰り返していく。
 緩やかに、速やかに乱雑の動きを繰り返す弾幕。これは私だけのスペルカードじゃない。私も知らぬ、香霖堂の協力による真価はその先にあった。

「――――え?」

 紅白が動きを止める。陰陽玉も同時に消えうせ、呆然とした彼女の顔がはっきりと見えた。
 そう、見えた。見えたのだ。
 不透明な透明人間と呼ばれた紅白の世界。宙に浮いた博麗の巫女を、私はようやく捉えたのだ。

「ようやく……ようやく私もあんたの世界を見れたのね!」

 今なら、断言できる。

「紅白……いえ博麗霊夢、今なら私は貴方を見下ろせる!」

 紅白を肉眼で捉えられたということはつまり、私は彼女の世界に足を踏み入れているのだろう。
 そう考えたら、世界の在り方が変わって見えた。
 暗がりの中に光がある。光は幻想郷を照らすには脆弱だったが、存在だけは失わず、静かにそこにあった。
 私はそれを見ている。五感、それに準ずる知覚全てを無視した何かで、それを見ていた。
 あれは決して私にとって吉兆を告げるものではないとわかっているのに、光から目を離せなかった。今見ているものが、あの紅白の世界であると言うのなら、妖怪の私が居づらいのは当然だと思ったから。
 だから、私は嫌悪を堪え意識をその光に傾ける。
 弾幕勝負の最中ということも忘れ、私はその何かに夢中になっていた。






 幻想郷の巫女は妖怪を倒すことを是としている。
 異変の解決はすなわち幻想郷の安泰を示しており、妖怪が強くなるのなら巫女もそれに準じて能力を底上げする。何故なら、妖怪は人間を襲うべきであり、人間は妖怪を倒すべき存在としての役割がそこにあるからだ。
 それは、幻想郷においての絶対的のルール。
 どれほどの過程があろうとも、最後に下される判決は決まっている。決まっていなければならない。
 妖怪は決して巫女に勝てず、巫女は妖怪に敗北することはない。
 妖怪がどれほどの強さを持っていたとしても、人間に屈しなければならないのだ。

「神霊」

 呆然としていたのはわずか数秒。霊夢はすぐに普段の調子を取り戻し、スペルカードを取り出す。
 その一連の流れは淀みなく、流麗でありながら式神のように仕組まれた動きをなぞっているようにも見える。
 わかっているのは、すでにこの勝負は決しているということ。
 上空で霊夢に背を向け、首だけで霊夢を見ている朱鷺子に向けて彼女はつぶやいた。

「夢想封印」

 楽園の素敵な巫女はかくも美しく残酷に判決を下す。
 戦闘における勝利ではなく、作業としての、『処理』を。





「…………何笑ってんのよ、この妖怪」

 仰向けに倒れて気絶しているというのに、朱鷺子の顔はなぜか笑っている。勝負に負けたというのに、そういう趣味なのだろうか。
 夢想封印は全て朱鷺子に着弾し、弾幕勝負は霊夢の勝利に終わった。
 ちょっと手心を加えて追加で攻撃したのは大人気なかったかな、と霊夢は考える。

「でも、どうしてあの時霖之助さんのこと思ったのかしら」
                          
 朱鷺子がスペルカードを出し、弾幕を展開した瞬間何故か霖之助の存在が浮かび、思わず自分から夢想天生を解除してしまった。
 あんなことは初めてだった。あの状態なら、出し終わるまでは何も思いつくことなんてなかったはずなのに。
 どうしてかわからないが、霊夢の頭に中に霖之助の姿が流れ込んできたのだ。
 助言を受けていた、と言っていたし何かスペルカードに仕込んだ可能性もある。無害そうに見えて、変な実験をすることもあるのだ、あの人は。

「うーん…………」

 考え込んでみる。しかし当然のことながら疑問に対する答えなど浮かばない。
 目に付くのは気絶した朱鷺子だけ。放っておいて寝ようかとも考えたが、どうにも霖之助の顔がちらついてしまう。
 霊夢は仕方ないとため息をつきながら、気絶した朱鷺子を連れて今回の元凶の一端へ報告してやろうと香霖堂へ飛んでいった。




 



 朱鷺子と霊夢の勝負のことを考えていたせいか、今日はあまり寝るような気分ではなかった。
 果たして勝負はどうなっただろう。明日以降、二人のどちらかが訪ねてきたら聞いておこうと思っていたそのとき、さらなる来店客が訪れた。
 珍しいものだ、と思いながらも寝室から店へ向かうが、そこには誰もいない。
 強い風でも吹いたか、と首を傾げる僕の背後で、突然声がかけられた。

「あら、心配せずとももう勝負はついていますわ」
「…………随分と暇なのかい、管理者は」

 最早驚きよりも呆れの域に達した登場に、僕はため息一つ残して振り返る。
 明かりをつければ、そこには八雲紫の姿があった。

「暇というより、警告を破った貴方へひと言申しておきたくて」
 
 眉をひそめる。僕は別に罰の対象になりうることはしていないはずだが……

「以前、移入症についてお話しましたよね?」
「ああ。それがどうかしたのかい?」
「その介入が、あの妖怪と霊夢の戦いの邪魔をしたのですよ」
「……はぁ?」

 邪魔をした? 僕が?

「……どういうことかな」
「簡潔に申しますと、貴方の助力が勘違いを生んだといったところでしょうか」
「遠まわしだね。何が言いたいんだ」
「貴方は、一生懸命ゴールに向かっていた妖怪の目的地を誤認させてしまったのよ」
「だから、君は」
「結界は想いを遮断するもの。ですがどこかのけんどんな誰かのように、強い想いなら偶然や運も作用して結界を貫き超えることも稀にあります。外の世界から流れ着く道具は意志を無くすことで想いを超えてきますが、やはり生きた存在の持つ想いは特異よ。結界は神ならぬ身が作ったもの。綻びは必然、偶発的な要素が作用する結果は提示した通り」
「……博麗大結界に何か影響が?」
「人間の身に収まる、小結界のほうですけどね。霊夢も戸惑っているようですし、貴方は無垢なまでに残酷な人。その識欲がどれほど攻撃的なものか理解していない」
「戸惑う? 霊夢が?」
「ただの感情移入なら放置しても問題ないけど、貴方のそれは自身を重ねてその先を越えてしまうもの。ゆめゆめ忘れぬよう……後悔するのはきっと、貴方自身だから」

 相変わらず言うだけ言って、紫は僕の横を通り過ぎ出口へ向かっていく。会話とは互いに言葉を交わすことから生まれるというのに、彼女は一方的に告げるだけだ。これでは会話にならない。

「いつもそれで終わるのは君の癖かもしれないが、もう少し会話の努力をすべきじゃないかな」
「あら、境界を操る妖怪を完全に理解されても困りますわ」
「する気もないよ。ただ、もう少し判定を白くして欲しいもんだ」
「善処しますわ。……今回は執行猶予、次はありません」

 随分とまた、物騒なことを残して紫は去っていった。
 僕は紫の言葉に対して考えようとしたそのとき、入れ替わるように店にカウベルが鳴った。

「遅くにこんばんわ、霖之助さん起きてる?」
「霊夢? こんな時間に…………朱鷺子?」

 とみに来客の多い夜だ。数時間で三人も訪れるとはなんて珍しい。最も、その全員が客ではないというのはいただけないが。
 しかし霊夢の背中には朱鷺子が背負われており、僕は差し出された彼女の小さな体を両手で抱え、近くの椅子へ寝かせた。

「一応、報告だけしておこうと思ってね。この状態を見ればわかると思うけど、あの妖怪がこんな夜遅くに弾幕勝負仕掛けてきて返り討ちにしたわ」
「そう、か。夢想天生は?」
「リクエストに答えてサービスしておいたわよ」
「なるほど。それで敗れたなら、何も言えないな」

 残念ではあるが、勝負の結果に対して第三者が文句を言うのは筋違いだろう。僕は朱鷺子の落胆ぶりを想像し、どうにも言えない表情を作る。

「もう勝負はついたし、教えてくれても良いでしょ。霖之助さん、あいつのスペルカードに何仕込んだの?」
「仕込む? 何のことだ」
「夢想天生を貫通しといて、あれで仕込んでなかったら何だって言うのよ」 
「ちょっと待ってくれ霊夢。話が見えないんだが…………」

 ふと、ここで僕は紫が言っていたことを思い返す。
 以前、誰かはわからないが結界を越えて外の世界に行ったことのある存在がいるらしい。口ぶりからして紫ではないし、かといって霊夢でもないだろう。となると、彼女の言を信じるのであれば、ある一定を超える『想い』があれば、結界を越える要素になりえるとのことだ。
 霊夢の夢想天生は究極の結界と言い換えても良い。あらゆる法則を地とし、そこから空へ浮かぶ霊夢のあれは何者からも侵害されることのないものだ。それを、僕が超えた?

「すまない霊夢、詳しい状況を教えてくれ」
「詳しいも何も、あいつがスペルカード使ったら、なんでか知らないけど霖之助さんの顔が浮かんだのよ。あの状態でそんなことあったの初めてだったから、驚いて解除しちゃったわ」
「解除?」
「あいつはあいつで、私の見てる世界を見れたー、とかわけわかんないこと言ってるし。結界で遮断していたわけじゃないし、見えるのは当然でしょうに」

 僕はその言葉で、思いつきたくないことを思いついてしまった。
 紫の言った『誤認』なる言葉。
 霊夢が語る『貫通』なる単語。
 何よりも、朱鷺子が発した「霊夢の世界を見た」という台詞。
 原理はともかく、スペルカードに願掛けした僕の想いが霊夢の夢想天生の結界を超え、何もしていない状態の彼女を見て朱鷺子が勘違いしたということなら……朱鷺子は、いまだ目的を果たしていないどころか僕が邪魔をした結果に繋がっている。
 紫の宣告通り、僕は朱鷺子の邪魔をして……しまったのか?
 そこまで考えて、僕は自分で冷静になるよう勤める。
 これはあくまで僕の想像だ。事実とは限らない。
 けれど提供される情報を整理して推測してみると、その可能性は非常に高かった。穴をつくとすれば、霊夢の夢想天生を超えるというありえない事実を指摘すればいいかもしれないが、当の本人がそう言っている。霊夢が嘘をつく理由は何もないし、僕には否定することも出来ない。

「僕が…………余計な世話を焼いて…………朱鷺子の邪魔をした…………のか…………」
「霖之助さん?」
「え?」
「顔色悪いわよ……そんなに応援してたの、こいつのこと」
「…………どう、なんだろうね」

 そこまで深く入れ込んではいないつもりだった。
 けれど、今の推測に行き当たった瞬間、僕の心に芽生えたのは罪悪感だった。
 善意がままならぬ悪意となって害を及ぼすことは、世の中少なくない。自分がそれを当てはまるのは意外だと思うが、こんなにも……こんなにも思いつめるとは考えが及ばなかった。

「……………………」
「……………………」

 沈黙が香霖堂を支配する。僕は勿論だが、霊夢もなぜか押し黙って言葉を発さない。
 静寂を打ち払ったのは霊夢だった。

「もう遅いし、私は帰るわ」
「…………何なら寝床を貸してもいいけど?」
「そんな空気じゃないでしょ。二人にとって私は悪者なんだろうし」
「いや、そんなことは決して」
「いーのよ。今回に限って言えば、残念でしたって言う他ないし。じゃあおやすみ、霖之助さん」
「おい霊夢、ちょっと待…………」
 
 急くように、霊夢は僕の言葉を無視して帰っていった。出て行ったさいに鳴ったカウベルの音が、やけに耳に残った。
 明かりがあるのに、店内が妙に薄暗く感じる。
 椅子に寝かせた朱鷺子を抱えようとしたその時、彼女の口からうめき声が漏れる。どう対応するか悩んでいるうちに、朱鷺子は目を覚ましてしまった。

「……あれ、ここは……香霖堂?」
「……ああ、そうさ。香霖堂だよ」

 覚醒した朱鷺子はまだ頭が働いていないのか、それともこんな時間だからか、焦点の定まらぬ視線で僕を見上げている。
 僕は僕で何を言うべきか口を濁してしまい、結局沈黙を繰り返す羽目になってしまった。
 やがて意を決して何か言おうとする前に、朱鷺子が先に口を開いた。

「香霖堂。私ね、やり方を変えてみようと思うんだ」
「……やり方?」
「うん。紅白とはもう戦ったし、次は弾幕ごっこ以外での方法を探してみようと思うの。前に説明したでしょ? 素材が手に入ったから、今度は絵を描くの」
「朱鷺子…………君は」
「色々想像を刺激されたし、戦いは決して無駄じゃなかったわ。うん、今はまだ夜みたいだし、もう一眠りして朝を迎えた後は忙しくなりそうね。うーん、絵だけじゃ味気ないし、文もつけてみるといいかも。となると、絵本かな」

 まくし立てるように、今後の計画を話していく朱鷺子。
 彼女は言葉を選んでいる。ある事柄を無視して、決して言わないように喋っている。

「それは、楽しみだね」

 だから、僕は声を振り絞って答えた。

「寝ると言うなら、寝室を使うといい。今は……ゆっくり、お休み」
「ありがと、香霖堂。言葉に甘えさせてもらうね」

 朱鷺子は椅子から降りると、以前も利用した寝室へ向かう。無言でそれを見送り、それ以上は何も考えることをせずに僕も自分の寝室へ向かった。
 今は、何も考えずに眠りに尽きたかった。
 他ならぬ、彼女のために。







 貸し出された寝室に入った途端、目の前が滲んできた。
 私は急いで襖を閉め、以前も利用させてもらった布団を引っ張り出してすぐに体を沈めた。
 息が震える。何かが吐き出されそうになって、布団と一緒に私は丸まった。何重にも壁を重ねるように、決して何も漏れないように布団の中を密閉する。

「………………うああ」

 我慢。
 我慢しなきゃ。
 私は何も聞いていない。
 香霖堂が言ったことも、紅白が言ったことも、何も聞こえなかった。
 ほら、香霖堂だって私が途中で起きていたことに気づいてなかった。だから、何も言わなかった。
 気づいてない。香霖堂は気づいてない。
 だから、私が我慢すればいいだけの話。
 香霖堂は何も悪くない。手伝いを要請したのは私だし、お守りとして彼の想いを連れて紅白に勝負を挑んだのも私。
 私が起きた振りをしたときに見た香霖堂の顔は、とても直視することは出来なかった。
 彼が罪悪感を抱く理由など何もない。余計なお節介だなんて思ったこともない。思って欲しくない。
 私は紅白に挑んだけど負けてしまった。
 ただ、それだけの話。
 それで済ませばいい。

「あああ………………」

 なのに。
 なのに。
 なのに。
 私の馬鹿な体は、命令に反して動いている。
 嗚咽を漏らそうとしている。そんなのはしてはいけない。しちゃダメだ。
 そんなことをしてしまえば、香霖堂の介入が悪い方向へと向いてしまったと思われてしまう。認めてしまう。
 助けを借りたけど、ダメだった。私の力不足だったからダメだった。そうでなくてはいけない。
 
「うえ、え……え……」

 止まれ。
 止めて……
 止まってよ!
 
「えう……う…………」

 泣くな。泣いちゃだめだ。
 泣くなら、せめて――香霖堂には絶対聞こえないようにして。
 それだけは、お願い。
 自分すら満足に操れない不甲斐ないやつでもいい。でも、この瞬間だけは――どうか、言うことを聞いて! 
 咄嗟に口を両手で塞ぐ。
 息苦しくてたまらない。
 手に垂れる雫が否応ないほど感触を伝えてくる。

「うあああぁあぁぁぁぁぁ………………!!!」

 その夜、私は針の山で串刺しにされるような精神的苦痛を覚えながら、必死で音を外に漏らさぬように体に命令を送り続けていた。
 

 






 先日、霖之助が贔屓している朱鷺子という妖怪少女と霊夢との戦いがあったと聞いて、私は香霖堂へ向かっていた。
 結果はどうにも惨敗らしい。こいしから聞いた話だけども、朱鷺子から聞いたのでなく又聞きで勝敗を知ったようだ。
 その辺りも雑談の種にと思って通信しても覇気が感じられないことから、一緒に意気消沈しているのかしらと当たりをつけた私は、久しぶりに友人の店に訪れる。
 ――カランカラン。
 お馴染みの音を奏でるカウベルを背に入ってみると、霖之助は本も読まず椅子に座り込んだ顔を俯かせていた。

「霖之助?」

 苗字でなく名で呼ぶようになってから結構経つけど、たまに気恥ずかしくなってしまう。
 けれど、霖之助は顔を俯かせたままだ。気になってもう一度呼んでみると、霖之助はやはり顔を俯かせたまま返事をした。

「さとりか。……すまないが、今日は一人にしてもらっていいかい? できれば、心を読まないでもらえると助かる。いや……もう遅いか」

 霖之助はそう言うが、もう遅かった。
 いつもと違う様子に、思わず能力を使って心を覗いてしまったのだ。

「…………ごめんなさい」

 謝りながら、私は霖之助がこうなった理由を知る。
 と言っても彼の心の中にある情報だけで、全てを知るわけじゃない。それでも、霖之助がしたことに何一つ後ろめたいことはないはずだ。私は友人として慰めの言葉をかける。

「その、何て言えばいいかわからないけど――」
「朱鷺子は、泣いていたんだ」
「え?」

 唐突につぶやかれた台詞に言葉が途切れる。霖之助は、重々しい雰囲気を発したまま続けた。

「目が赤くなって、かぶれていた。声こそ聞こえなかったけど、夜に泣いていたんだと思う。彼女は隠しておきたいようだったから指摘はしなかったが……見てしまうと、なんとも言えなくなってしまってね」
「………………」
「悲しいとは、思う。けど、どうしてやればいいのかわからなくてね。朱鷺子にどう接してやればいいんだろうか、僕は」

 声が震えているように思えて、私は一歩歩み寄る。霖之助は無言だったけど、これ以上近寄らないでくれと心で伝えてくる。
 私は、それを無視した。

「霖之助…………」

 行き場のない手を泳がせつつ、下から霖之助の顔を覗き込もうとした私は、急に生じた力に引っ張られる。
 さ迷う手を、霖之助に掴まれていたのだ。
 そして。

「――今は、顔を見ないで欲しい」

 ぎゅぅ、と。
 力強く抱きしめられ、私は軽い苦痛に顔を歪める。

「――痛い」
「色々と見られたくない時に来るからだ。これは、その代償と思ってくれ」
「ならどうして私を抱きしめてるの?」
「……………………」
「……――……痛い、痛いわ、霖之助」

 無言で、霖之助は腕に力を込める。
 …………生涯の中でも、初めてかもしれない。自分が、覚妖怪であったことに感謝するのは。
 見ないで欲しい、離れて欲しい。口ではそう言いながらも、霖之助の心は支えを欲していた。
 多分、誰でも良い。
 私でなくとも、香霖堂に来た誰かで、親しい相手であったなら同じことをしたのかもしれない。
 でも、来たのは私だった。
 心を読める、私だった。
 今、霖之助が何を考えているのかが全部わかる。
 わかったうえで、私は成すがままに力強い抱擁を享受した。
 何かを抱きしめるという行為は、安心に繋がるとどこかで聞いたことがある。霖之助本人だったかもしれない。
 霖之助の心の内に広がる不安、恐怖、そして――後悔。
 朱鷺子という少女に手を貸した結果に対する全て。複雑な感情が渦を巻いて心の中に広がっている。
 だから、私は――同じように、霖之助を抱き返した。

「――全部、出して。貴方なりの、泣き方で」
「―――――――――――――――――」

 抱きしめられ、頬と頬が触れ合うくらいに狭まった距離。
 私は自分の感覚を、今だけは消して欲しいと切に願った。
 でないと、肩に落ちる水滴の感覚を錯覚してしまうから。
 じゃないと私は、霖之助の顔を見てしまいそうだから――
 




「落ち着いた?」
「ああ。みっともない所を見せてしまったね」
「友達だもの、気にしないで」

 心の波が静まっているから平静さを取り戻したはずだけど、あえて言葉に出させて確認させる。
 俯いていた顔は上がっているし、言葉の乱れもない。完全に普段通りというわけにはいかないかもしれないけど、さっきに比べれば随分と落ち着いている。
 私はすでに霖之助の腕から離れている。今は彼を助けてやりたいという気持ちが勝っていたので、羞恥に振り回されることはなかった。

「ずっとそんな調子だったの?」
「恥ずかしながら、ね。朱鷺子も朱鷺子で逃げるように帰っていったし……それを見ていると、どんどん悪い考えしか浮かばなくなってしまったよ。わからないことは気にしない、が信条のつもりだったけど、流石に今回は無理だったようだ」
「難しいものね。誰一人悪くはない。報われるべき子が受ける結果ではない。……でもね霖之助、現実はえてしてそんなものよ。努力したから結果が付いてくるわけじゃない。悪い方向へ向くことだってある。けどだからと言ってそこで歩みを止めたら何も変わらない」

 すらすらと出てくる台詞に、私は自分でも驚きだった。こういうのは、理屈よりも感情なのだろう。
 ただ、想いのままに湧き出る言葉を乗せるだけだ。それだけで、口は自然と言うべきことを発する。

「理不尽さを乗り越えて進む。言うのは簡単だけど、中々実践するのは難しいわ。……一人ならね」
「…………そうだね。今さとりにしてもらって、実感したよ」

 苦笑を浮かべる彼に釣られるように、私も笑みを返す。
 霖之助は椅子から立ち上がる。心を読んでいる私は、これからの行動を何も言わずとも理解している。
 無粋なことは言わない。ただ、こう言っておく。

「……頑張ってね、霖之助」
「――ありがとう。さとり」

 店のカウベルが鳴り終わる頃、香霖堂には私一人だけが残される。
 遊びに来たのだけど、色々あって留守番になってしまった。このツケはいつか返してもらわないとね。
 でも、この気持ちは悪くなかった。
 覚妖怪でも、友人の心を慰めることが出来たのだ。
 その証明が出来ただけで、歓喜が心の内から湧き上がってくる。気のせいか、第三の目も緩やかな笑みを浮かべているようにも思えた。

(やっぱりツケはなくていいかも…………)

 友人の成功を祈りながら、私はのんびりそんなことを考えていた。







 以前、一度だけ自分の欲のために訪れて以降、来ることはなかった朱鷺子の自宅へと到着する。
 さとりの励ましを受け、僕は朱鷺子と話し合いをするべくここへ来た。
 互いに我慢していても何も始まらない。解決策は浮かばないかもしれないが、とにかく彼女と話そう。それが、一番良い方法だと思うから。
 本当に、出会いを考えればありえないほどの入れ込みようだ。
 けれど縁とは何が関係するかわからない。大事なのは、僕の気持ちである。
 虫のいい話と笑うなら笑えばいいだろう。それもまた、正しいことなのだ。
 僕は扉越しに朱鷺子を呼びかけてみるが、返事はない。出かけているのか、と思いながらも扉に手をかけてみれば、鍵が掛かっていなかった。

「…………気づいてないのか?」

 失礼だとは思ったが、僕は中に上がらせてもらう。玄関で再び朱鷺子を呼びかけてみるが、やはり返事はなかった。
 退散するのもなんだし、気になるので僕はそのまま家に上がった。以前お茶を頂いた客室らしき場所には誰もいない。探索を続けてみると、ドアが僅かに空いた部屋が見える。隙間から視線だけ覗いてみれば、そこは書斎らしき場所だった。奥には朱鷺子の翼が僅かに見える。
 僕は当たりをつけ、失礼するよと一声かけて部屋に入る。そこには机に顔を預けて寝入る朱鷺子がいた。机の上に紙やペンなど様々な道具が転がっているのを見ると、読みふける、あるいは何かを描いていて寝てしまったのだろう。
 起きるまで待ってみようか、と考えていると、ふと置かれている本が目に入る。……いや、詳しく見てみるとこれは本ではない。書きかけの原稿だ。挿絵が入っているし、紙束もまとめられているだけだ。単に製本作業を終えていないだけなのだろう。
 中にはメモらしきものもある。意見案と書かれた紙の中には、こいしやお空、衣玖、ミスティアなど様々な人名が書かれている。僕が朱鷺子の家を訪れるまで数日のタイムラグがあったが、その間に朱鷺子は立ち直って友人達に意見を求めて動いていたのだろうか。
 僕はなんとなしにその紙束を持ち上げてみる。紐でくくられていて、一応本の体裁が整えられたものだ。
 タイトルには「朱鷺の恩返し:異聞(仮)」と記載されている。……絵本、だろうか。
 読書家の性か、僕はおもむろにその紙束に記された内容を見てみることにした。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 昔、あるところに一人の優しい若者が住んでいました。
 ある日のこと、商人である若者は商品を仕入れに出かけた先で、翼に弾幕を受けて傷ついた朱鷺を見つけ、かわいそうにと思って助けたそうです。
 それからしばらく経ったある晩、ドンドンと誰かが若者の家の戸を叩きました。
 若者が出てみると、外には見知らぬ美しい少女が立っており「今晩一晩泊めて下さい」と言いました。若者はかわいそうにと思い、少女を中に入れてやりました。
 ところが次の日も、その次の日も少女は立ち去ろうとしません。それどころか、炊事や洗濯まで世話を焼いてくれるのです。
 あるとき、少女が若者に向かって言いました。

「私に機織り場を建てて下さい」

 若者が早速小さな機織り場を建ててやると、少女はこう言って中に入りました。

「どうか七日の間、決して中を覗かないで下さい」

 その日から毎日、キッコンバタン、キッコンバタンと、少女の機を織る音が聞こえてくるようになりました。
 やがて七日目の朝、少女は少しやつれた顔をして機織り場から出てきました。見ると、美しい布が織り上がっているではありませんか。  

「殿様の所へ行けば、百両で売れましょう」

 少女はそう言いますが、若者はこう返しました。

「何を言う。こんな貴重なもの、売るよりも非売品にするべきだ」

 少女は目を丸くしました。助けてくれた若者のために、織った布を売って裕福にしてあげることこそ恩返しだと思っていたからです。
 ですが少女は落ち込んだりはしませんでした。
 落ち込むより、驚きのほうが上だったのです。
 同時に少女は、この人ならば自分の秘密を打ち明けても良いのではないかと考えました。
 少女は若者に布のことを訪ねます。若者は言いました。

「布なら自分で調達すればいい。それに、僕はやつれた姿より普段の君が見たい。布を作ってやつれるなら、作らなくても構わない」

 若者の言葉は、少女を大変驚かせました。
 布を織ることはなくなり、少女は変わらず若者の世話を焼きました。
 やがて、二人は夫婦になりました。
 ある日、少女は機織り場に若者を呼び出しました。不思議そうな顔をする若者が機織り場に入ると、あっと声を上げます。
 どういうことでしょう。中にいるのは嫁である少女ではありませんでした。
 まるで裸のような朱鷺が、少女の織った布の横に居たのです。

「私はあのとき、貴方に助けられた朱鷺です。ご恩返しに貴方に仕え、布を織らせていただきました。ですが貴方は満足していない。いったい、どうすればご恩返しができるのでしょうか?」

 若者はびっくりしました。けれども、朱鷺の姿を見てこう言いました。

「朱鷺ならば、やはり空を飛ぶ姿が一番綺麗だ。ぜひ僕に見せて欲しい」

 若者は商人としては失格でしたが、夫としては最高でした。
 朱鷺はみるみるうちに嫁である少女へと変わります。

「貴方に出会えて、私は幸せです。その願い、是非とも叶えましょう」

 少女は嬉しそうな声で言うと若者を外に連れ出し、朱鷺となって翼を広げます。
 その力強い羽ばたきで青空に舞う朱鷺の姿は、それはそれは見事な美しさだったそうです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(確か、鶴の恩返しは地方によっては朱鷺の恩返しになっているんだったな…………)

 以前、朱鷺子に訪ねたさいは流されてしまったが、こうして絵本に記しているのを見ると真実だったのかもしれない。
 そして、中に記された登場人物……うぬぼれでなければ、僕をイメージしてくれたのだろう。
 最後の終わり方が、朱鷺子の目指すものなのだとしたら――彼女はすでに、自力で立ち直ったのだろう。
 起きたら、聞いてみたほうが良いかもしれない。
 結局、今回の霊夢との戦いで朱鷺子が得られたものはなかったのかもしれない。でも、朱鷺子は挫けていない。
 泣いたことだろう。悔しかったことだろう。
 なのに、こうして別の道を模索して自分の目的を叶えようと努力する様は、僕には眩しくて仕方ない。
 朱鷺子が起きるまでに、僕が出来ることはないだろうか。
 ……いや、一つだけあった。
 それは、想うことだ。願いと言い換えても良い。
 想いは結界をも通す強い力。
 想いとはすなわち、意志を貫き通す力でもある。
 こんな小さな子にこれだけのものを見せられて、僕だけ気後れするわけにはいくまい。
 紫から執行猶予と呼ばれる強き想い。それはあくまで、結界を越えるための想いだ。
 目的を、夢を叶えようとする彼女の成功を想うくらいはさせてもらおう。それすらも許さないと判断するのなら、構わない。その時はその時だ。
 僕は部屋を散策して適当に毛布を見繕い、寝入る朱鷺子にかける。
 朱鷺子の寝顔は安らかだ。良い夢を見ているのだろう。 
 僕の予想でしかないが、きっと朱鷺子は艱難辛苦の果てに目的を、夢が夢でなく現実に達成出来ることだろう。
 その先がいつになるかはわからない。
 でも、確実にできる。僕も願い、協力しよう。
 他ならぬものを見せてくれた……いつか誰よりも美しく空を飛ぶであろう少女のために――

「――だからどうか、夢の中でも幸せな未来を見られますように」

画像提供:会帆



<了>

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